見合いの日
三月の半ば。麗奈の故郷を包む空気はまだ刺すように冷たい。
佳山家の家長・茂は、邸宅の居間で重厚な金時計に目を落とした。見合い当日の一週間前、娘の麗奈から届いたのは「当日に戻ります」という、事務的な短いメッセージ一通のみだった。
「ふん、麗奈め……やっと観念したか」
茂は安楽椅子に深く腰掛け、煙草を吸いながら満足げなため息を吐いた。今は自分達に反抗的だが、幼い頃の麗奈は、実に聞き分けの良い、親の望む形をなぞる「良い子」だった。成長するにつれ、親の欲目を除いても驚くほどの容姿端麗な女性へと変わっていった。道を行けば誰もが二度見し、時には芸能関係のスカウトが邸宅を訪れることさえあったが、茂はそれらを不浄なものとして門前払いにした。そんな仕事は、佳山家には一顧の価値もない。
皮肉にも、その潔癖さにおいてのみ麗奈も同意見であり、彼女は「家」の庇護を離れて教師という堅実な道を選んだ。だが、茂にしてみれば、あれだけの容姿端麗な娘だ。しかるべき地位の家系と縁を結べば、佳山家の名はさらに高まり、自らの地盤もより盤石になる。教師という職業などは、良縁を待つまでの「腰掛け」に過ぎないと断じていた。
「ようやく、私の思い通りに事が運ぶ。これで佳山家も安泰だ……」
茂は自室で一人、ほくそ笑んだ。今回の相手は、地元でも名高い資産家の一族の息子だ。家柄も財産も申し分ない。佳山家の格を上げるには、これ以上の話はないはずだった。
しかし、運命の時計の歯車は、茂が想像もしない速度で、逆方向へと回り始めていた。
――――――
そして、見合い当日になったのだが…。
約束の時刻が迫っても、相手方からの連絡が一向に来ない。
「どういうことだ……。いくら何でも遅すぎる」
茂が不審に思い、いら立ち紛れに電話機に手を伸ばそうとしたその時、玄関の呼び鈴が鳴り響いた。
現れたのは、約束通り帰郷した娘、麗奈だった。しかし、出迎えた茂と妻の淳子は、目を丸くした。彼女の隣には見知らぬ若者が立っていた。静かに佇むその少年は高校生に見えたが、その立ち居振る舞いには年齢にそぐわぬ、異様なまでの静寂が宿っている。
「……麗奈。それは、誰だ? なぜこのような場に部外者を連れてきた」
茂が困惑と不快感を露わに問う。麗奈は静かに、しかしはっきりとした、芯のある声で答えた。
「私の学校での教え子、久遠慎くんです。今日は、ある用件のために彼に手伝いをお願いして、一緒に来て貰いました」
茂と淳子は顔を見合わせた。神聖な見合いの場に教え子を連れてくるなど前代未聞の暴挙だ。
「教え子って……どういう事なの麗奈?」
「……麗奈、何を考えている。今日は佳山家の将来が決まる大事な日だぞ。何だ、その小僧は。分をわきまえさせろ。すぐに帰らせなさい」
「ちょっと……!!」
麗奈の鋭い声が、静まり返った居間に響き渡った。対する慎は、茂の「小僧」呼ばわりも、部外者を疎む剥き出しの敵意も、まるで春風に揺れる柳のように平然と受け流していた。彼は一歩前に出ると、一切の無駄がない完璧な所作で頭を下げた。
「初めまして。久遠慎です。日頃から、麗奈先生には大変お世話になっております。僕のような、若さゆえに世の中を舐めた不遜な小僧には、勿体ないくらいに素晴らしい先生です。……お忙しいところ、突然やって来てお詫び申し上げます」
「む……」
とても丁寧な挨拶だった。しかし、茂は背筋に走る正体不明の悪寒を覚えた。少年の瞳は微塵も笑っていない。それどころか、自分たちを精緻に「観測」し、その浅ましさを哀れむように軽蔑している気配さえ感じられた。
「……丁寧な挨拶だが、今は取り込み中なんだ。学生の君が立ち入る場ではない。早々に立ち去りたまえ」
茂は、慎の放つ異質な威圧感に気圧されそうになるのを堪え、威厳を取り繕って強引に話を打ち切ろうとした。ところが……
「…………」
「麗奈?」
麗奈が父と少年の間に割って入った。その肩は微かに震えている。それは、内側から噴き上がる抑えきれない憤りだった。
「いい加減にしてよ……!!」
突然の絶叫に、佳山夫妻は言葉を失った。
「何も知らないで、自分たちの価値観だけで、人をお人形みたいに扱って! お父さんたちがここまで『空っぽ』な人たちだったなんて思わなかったわ!!」
「れ、麗奈、何を……」
「良縁? 冗談じゃないわ!あんな男の外面にまんまと騙されて、滑稽の極みよ!!」
「何?一体、何の話…」
麗奈の剣幕に圧倒されている最中、茂のスマートフォンが鳴り響いた。表示されたのは、待ち続けていた見合い相手の父――資産家の主人の今川信孝からだった。
「……あ、ああ、もしもし! 一体どうなっているんだ、連絡もなしに……」
電話に出た茂の表情が、見る間に土気色へと変わっていく。
『……申し訳ない、佳山さん。縁談の件は、白紙に……いや、もはやそんな段階ではない。今、我々は警察署にいるんだ』
「は? 警察……? 何を言っている!?」
『息子が……自首した。私達にも隠して裏で取り返しのつかないことをしていたんだ。……ついさっき、警察が家へ来てな。その『証拠』を突きつけられたよ』
「な!?」
茂の震える手が、スマートフォンの重みに耐えきれず、ガクガクと揺れる。
「お父さん、聞いた? 久遠くんと一緒に見合い相手について調べたのよ。そしたら……私の夫になろうとしていた男の真っ黒な秘密が出てきてね…」
麗奈はただ、悲しげに、そして決別を告げるように父を見据えていた。
その時、邸宅の門の前に一台のパトカーが滑り込んできた。降りてきた警官たちが、重厚な佳山家の玄関の前にやって来る。
「失礼します。警察のものですが……佳山茂さん、おられますか?お話を伺いたいことがございます」
「な、何だと!? 一体……一体、何が起きているんだ!!」
茂の叫びが、廊下に響き渡った。
慎はただ、その光景を無機質な瞳で眺めながら、悲しそうな麗奈の背中にそっと、支えるように手を添えていた。
事の起こりは、一ヶ月程前の二月に遡る――。




