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佳山麗奈・二十五歳

1月23日になり、麗奈は遂に二十五歳の誕生日を迎えた。しかし、実家から突きつけられた「三月の退職と縁談」という理不尽なデッドラインが、時間が経つごとに自由を削り取っているような錯覚に陥らせる。


「久遠くん、探偵を雇って調べるって言ってたけど……」


慎に弱音を吐いたあの日、学校から帰ってすぐに彼のスマホから「探偵を使って見合い相手の情報を得る」提案をされ仰天した。かつて宏美の父の不倫を暴いた時と同じ事を彼はしようとしていた。さすがに教師である身故に戸惑ったが、相手の事を何も知らないまま見合いを待つよりはマシなのは確かだし、もしかしたら、両親が見落としている相手の欠点が見つかるかもしれない。見合いをする者として当然の権利だと解釈した麗奈は少し悩んだ末に、「解ったわ……お願いするわね」と慎の提案に乗ることにした。しかし、やはり気が気では無い。…そもそも生徒である慎にここまで頼ってしまった自己嫌悪もそうだが…。


「…私の一族。解体されたりしないかしら?」


これまでの慎の戦歴を考えると、ただでは済まない予感がしていた。もし仮に父にとんでもない落ち度(そもそも娘に強引に縁談を結ばせようとしている時点でアウトなのだが)が見つかって法的に対処しないといけない事態にでもなれば、宏美の父・正和を社会的に抹殺した時と同じく…。ただ、今は実家の両親は敵も同然であり、慎を信じる事しか安心材料が無いのも事実だった。故にとにかく気が重い。


(気分転換しないと……。このままじゃ仕事にも影響が出ちゃうわ)


――――――


気分転換を考えた麗奈は放課後、市内にある大規模な健康ランドへと足を運んだ。広い浴場なら、少しはこの閉塞感を忘れられるかもしれない。


「はぁ……」


立ち上る湯気の中、麗奈は首までお湯に浸かり、深く息を吐いた。肌を撫でる温かなお湯は心地よいが、思考の濁りは消えない。頭の中で父・茂の一方的な言葉が響いてすぐに憂鬱な気分に戻ってしまう。


「……やっぱり、駄目ね。何かこう、憂鬱な気持ちを全て忘れさせてくれるような出来事って、無いかしら?」


独り言のように、水面に溶けるような小さな声で呟いた、その時だった。


「麗奈お姉ちゃん、みっけ!」


「えっ? ひゃうんっ!?」


どこからともなく響いた幼い声と共に、お湯を跳ね上げて何かが麗奈の胸元に飛び込んできた。衝撃と温もりに驚いて視線を落とすと、そこには頭にタオルを巻いた、見覚えのある無邪気な笑顔があった。


「えへへー…」


「……あ、茜ちゃん!? どうしてここに……」


「あったかいの、はいりにきたの! 麗奈お姉ちゃん、やっぱりいた!!」


「やっぱりって…」


裸の麗奈の胸に、ちんまりとした小さな体が文字通り飛び込んでくる。初めて会ってから一年経ち、茜は「ねーちゃん」から「麗奈お姉ちゃん」と呼ぶようになっていた。慌てて周囲を見渡すと、入り口付近で呆然と立ち尽くす、タオルを巻いた女性たちの姿があった。


「あ、あら……佳山先生? こんなところでお会いするなんて、奇遇ね……」


苦笑いを浮かべながら歩み寄ってきたのは、長田三和だった。その後ろには、施設の見覚えのある女性職員たちや、数人の幼い少女たちが、揃って唖然とした表情で並んでいる。


「長田さん!? 皆さんまで!」


「ええ。今日は施設の福利厚生を兼ねたレクリエーションでして…」


何でも子供たちを広いお風呂に連れて行く事になったのだが、場所を決めようとした際、茜が「ここがいい」と何故か強く指定したらしい。すると、その先に茜の慕う麗奈がいたのだった。


大人たちの困惑を余所に、茜は麗奈の豊満な胸に頬をすり寄せ、ご機嫌な様子で声を弾ませる。


「ふかふか、おゆの中でもきもちいい……。麗奈お姉ちゃん、いいにおいする」


「茜ちゃん……」


恋しかった温もりがやって来て抱きしめる麗奈だが、「なんか、ここにくろいてんてんあるよ?」などと右胸にある黒子に触れる茜。他の少女たちも「ねーちゃん、お胸が大きいね!」、「お肌、きれい」と興味津々に集まってきた。


「え? あ、茜ちゃん……恥ずかしいから……その……」


逃れられない視線は、子供たちのものだけではなかった。


「……ちょっと、佳山先生。脱いだらさらに凄いですね……」


長田がまじまじと麗奈の肢体を眺め、溜息を漏らした。他の女性職員たちも、釘付けになったように麗奈のプロポーションを凝視している。


「本当……そこらのモデルが逃げ出すくらい綺麗だわ。お世辞抜きで、彫刻みたい」


「肌のキメも、その……全体のバランスも、同じ女性として溜息が出ちゃう」


「ええ……。噂には聞いていたけど、これはもう、凶器に近いわね……」


女性職員たちの率直すぎる称賛に、麗奈は茜を盾にするようにして身を縮めた。


「そ、そんな……そんなにまじまじと見られると、恥ずかしくて……。私、普通ですよ……?」


「その『普通』の基準、一度見直したほうがいいですよ。これなら、慎くんが探偵……」


「えっ? 久遠くんが……?」


「いえ、執着するのも解るかなって……」


「ふえっ!? 執着って、久遠くんが私に……!?」


「あ……その」


返答を間違えたと慌てる長田は慌てて言葉を飲み込んだが、麗奈の顔はすっかり赤くなっていた。


「お姉ちゃん、お顔赤いよ。のぼせたの?」


どこまでも無邪気な茜が、麗奈の頬に温かい手を当てる。麗奈はもう、羞恥と動揺で頭が真っ白になり、溺れそうなほどに視線を泳がせた。


「え、あのね……。あ、あはは……に、賑やかになっちゃいましたね……」


「そ、そうですね…」


窓の外は相変わらず寒い冬の夜だが、麗奈を包む賑やかな温もりは、いつの間にか彼女の心の奥底に溜まっていた憂鬱な霧を、優しく晴らしてくれていた。


湯気の中に響く女たちの嬌声は、麗奈の沈んでいた心を、少しずつ、けれど確実に解きほぐしていった。


「佳山先生、やっぱり凄いですね……。毎日、牛乳とか飲まれているんですか?」


若手の女性職員が、その重力に抗うような豊かな膨らみをまじまじと見つめて尋ねる。麗奈は茜を抱きかかえ、首まで赤く染めながら小さく首を振った。


「いえ……。実を言うと、特に何も。中学を過ぎたあたりから、気が付いたらこんな感じに成長してしまって。肩は凝るし、服は選ぶしで、結構大変で……」


その「贅沢な悩み」に、周囲の女性陣からは「羨ましい」という溜息と苦笑が漏れる。麗奈の胸を文字通り「ふかふか枕」にしている茜は、お湯の中でも極楽気分といった様子で頬をすり寄せ、麗奈の温もりを堪能していた。


「あったかい……。麗奈お姉ちゃん、だいすき」


「ありがとう……私もよ、茜ちゃん」


麗奈は茜の小さな背中を優しく撫でた。さっきまで死刑執行を待つ囚人のような心持ちでいたことが嘘のような気分だった。


――――――


女湯がほのぼのした空気になっていた、その頃…。

壁を隔てた男湯でも、また別の意味で驚愕の渦が巻いていた。


「……なんだありゃ?」


「高校生くらいに見えるけど、格闘家か……?」


浴場に入るなり、周囲の男たちの視線を釘付けにしたのは、慎の肉体だった。 脱衣所で服を脱ぎ捨てた瞬間から、その場にいた大人たちは言葉を失っていた。少年の細身な印象を裏切る、極限まで無駄を削ぎ落とした鋼のような筋肉。それは単にジムで肥大させただけの「見せるための筋肉」ではなく、殺気すら孕んだ機能美の塊だった。前世の知識によって鍛え上げられたその肉体は高校生のものとは思えない。


慎は周囲のざわめきなど露ほども気にせず、淡々と体を洗い、湯船に身を沈めた。 隣に座る真田と山岡は、周囲の反応を見て苦笑を交わし合う。


「慎……相変わらず、服を脱ぐと凶器だな。大人たちが怯えてるぞ」


「……ただの自己管理ですよ」


「いや、そんな訳あるかい!!」


山岡が突っ込むが、慎の頭の中には、今日という日のスケジュールと、一人の女性の姿があった。


1月23日。佳山麗奈の誕生日。


学校では隙を見て声をかけようとしたが、今の彼女は実家からの圧力で極限まで精神をすり減らしている。そんな彼女に軽々しく祝いの言葉を投げかけるのは、かえって負担になるのではないか。そう判断した慎は、後で宅配を使って「施設一同から」という名目で、厳選した祝いの品を贈るつもりでいた。


しかし、夕方に茜が「今日はおっきなおふろがいい!」と、この健康ランドを強く指定してきた。慎はこれまでの経験から、茜の「野生の勘」とも呼ぶべき超常的なセンサーを信頼している。


(……もしや、と思って茜の希望を選択したが……)


――――――


火照った体に夜風が心地よいロビー。 麗奈は風呂上がりの火照りとともに、少しだけ軽くなった足取りで出口へと向かった。その胸には、まだ眠気が残っているのか、とろんとした目の茜が抱きついている。


(やはりな……)「佳山先生。少しはリラックスできましたか?」


不意に正面から声をかけられ、麗奈の心臓が跳ねた。 そこには、さっぱりとした表情の慎が、真田たちと共に立っていた。


「あ……久遠くん。 さっき長田さんから聞いて……」


「先生。これを」


慎は持っていた紙袋を麗奈に差し出した。


「これって……」


「誕生日、おめでとうございます。去年は偶然お会いしたとはいえ、さすがに実用性重視の防犯グッズは無骨すぎたと反省しまして。今回は、しっかりとした女性向けの物を用意しました」


袋の中を覗いた麗奈は、息を呑んだ。 そこに入っていたのは、今、美容業界で最も注目されている海外ブランドの高級化粧品セットだった。入手困難で、かつ効果が絶大だと噂されている逸品だ。


「えっ……こんな高価なもの、私なんかには勿体ないわ……」


「せっかくそんなに綺麗なんですから、自分を卑下するのはやめてください。……それとも、生徒に気を遣われるのは、そんなに嫌ですか?」


慎は少しだけ悪戯っぽく、しかし真剣な眼差しで麗奈を見つめた。


「あ……そんな、嫌じゃないけど……」


「意地が悪かったですね。冗談です。日頃の感謝を込めて、施設のみんなを代表して僕が選んだものですから。どうぞ」


慎はそう言って、麗奈の手を包むようにして袋を握らせた。 その距離感。その言葉の選び方。 周囲で見ていた長田や山岡は、もはや「教師と生徒」という体裁が崩壊しているのを目の当たりにして、内心で大きな溜息を吐いた。


慎自身に、別に深い他意はない。 彼はただ、実家の件で「女性としての価値」を駒のように扱われ、元気を失いかけている麗奈を心配していただけだ。


だが、受け取った麗奈や、それを見守る周囲の客たちにとっては、別の意味に映っていた。 彫刻のような肉体美を持つ少年が、年上の絶世の美女に対し、「その肌を磨いて待っていてくれ」と独占欲を滲ませて宣言しているかのような、暴力的なまでの求愛の構図に見えたのである。


「……あの子、本当に無自覚なのかしら。あれはもう、逃げられないわよ」


長田が小声で呟く。隣の山岡も戦慄している。


周囲の客も、この異様な二人のやり取りに釘付けになっていた。恐ろしく鍛え抜かれた少年が、顔を真っ赤にしてプレゼントを受け取る美女に微笑みかける光景は、あまりに「危険な情事」の予感に満ちていたからだ。


「ありがとう……。大切に使うわね、久遠くん」


「ええ。よく似合うと思いますよ」


「お姉ちゃん、お誕生日おめでとー!」


「ふふっ、ありがとう茜ちゃん」


そんな周囲の下世話な視線に気付いてないのか、彼らの空気はとても温かかった。

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