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閑話・健次郎の小説

2019年、1月1日。


初詣をすませた慎は、児童養護施設「□□□園」の自室で、スマートフォンの画面を眺めていた。届いたのは、健次郎からの新年の挨拶……と、一通の長文テキストデータだった。


『慎、あけおめ。新年早々悪いんだけど、暇潰しに自作の短編小説を読んで感想をくれないか? 前世で流行ってた「追放モノ」に俺なりのアレンジを加えてみたんだ。今は資産もたっぷりあるし、前世で諦めた小説家への夢を、この世界で叶えてみようかと思ってな』


「……いや、小説家が夢だって初耳だぞ?」


慎は苦笑した。10億円という、一生遊んで暮らせるどころか、小国の予算にも匹敵する大金を手にした健次郎が、真っ先に始めたのが「執筆活動」だというのだから、人生は何が起こるか分からない。


「しかし…追放モノ、か。健次郎らしいな」


慎はベッドに背を預け、その物語へと視線を落とした。


――――――


短編:『追放されたと思ったら…?』


「ブラッド、悪いが、君にはここで抜けてもらう」


勇者ダイナの言葉は、冷たい岩肌を伝う水のように容赦なかった。


ここは、魔物の出没する森の入り口近くにある小さな開けた場所。五人組の勇者パーティーが、次の街へ向かう前に設営した野営地だ。焚き火の炎がパチパチと音を立てる中、ダイナはリーダーの証である長剣を地面に突き立て、その上でブラッドを見下ろしていた。


ブラッドはパーティーの「縁の下の力持ち」だった。彼の仕事は、戦闘での補助、野営地の設営、食料の調達、情報収集など、地味だが欠かせないものばかり。戦闘能力は確かに他の四人に比べれば劣るが、その献身ぶりは誰もが認めていた……はずだった。


「これから戦いは激しくなる。魔王軍の幹部と相対する機会も増えるだろう。そうなった時、戦闘能力が皆無に等しい君は足手まといになる」


ダイナの声には一切の感情が籠もっていなかった。


「悪いが、はっきり言ってお荷物だ」


ブラッドは、その言葉を理解するのに時間がかかった。彼の顔から血の気が引き、目に深い絶望の色が浮かぶ。


冷静沈着な女魔法使いローナが、ダイナの隣で眼鏡を押し上げながら、もっともらしい「正論」を告げる。


「ダイナの言う通りよ、ブラッド。私達は世界を救うという大義を背負っている。個人の感情でパーティの効率を落とすわけにはいかない。厳しいことを言うけれど、これが現実よ」


ローナは常に理詰めで、物事を客観的に判断する。その彼女が言うのだから、反論の余地はない……そう思わせる説得力がそこにはあった。


大柄で温厚な僧侶ガルも、重々しく頷く。


「ローナの言うことも、ごもっともだ。ブラッド、俺たちも心苦しいが、これ以上君に危険な目に遭わせるわけにもいかないんだ。君の安全のためにも、ここが潮時だ」


そして、ブラッドにとって最も辛い一撃が、彼にとって恋人であるはずのマリアンから放たれた。


最近、ダイナと二人きりで話し込んでいることが増えた彼女は、ブラッドから距離を取り、ダイナの傍に寄り添っていた。彼女はダイナと意味深な視線を一瞬交わすと、冷酷なまでに美しい顔をブラッドに向けた。


「……諦めてブラッド、貴方はここまでよ。早く行って」


その言葉と、彼女の口元に浮かんだ微かな嘲笑にも似た表情に、ブラッドは全身の力が抜けるのを感じた。


「そうか……みんな、そこまで言うなら……」


彼は落胆した様子で、うなだれるように荷物をまとめ始めた。言葉を返す気力さえ湧かなかった。誰も彼の背中を追うことはなく、冷たい沈黙だけがブラッドの出発を見送った。


彼は、荒い息を吐きながら、ひとり、闇が深まる森の奥へと去って行った。


ブラッドの姿が完全に森の木々に隠れ、もう聞こえないだろうという距離まで離れた瞬間、勇者パーティーの面々は、先程までの冷たい態度から一転して、険しい表情になった。


ガルが、それまで抑え込んでいたかのような低い声で口を開く。


「なぁ、これで……」


ダイナは焚き火に視線を向けたまま、静かに答える。


「ああ、まずは上手くいったな……正直、『猿芝居』の枠を出なくてヒヤヒヤしたが……」


ローナは、いつもの冷静さを保ちながらも、その瞳には明確な怒りの色が宿っていた。


「演技としては完璧だったわ。特にマリアン。あいつが動揺していたから、違和感を持たれずに済んだでしょう」


「あいつは私が……」


マリアンは、焚き火に鋭い視線を投げつけながら、まるで汚いものでも口にしたかのように吐き捨てる。


「もうあいつの前で心にもない笑顔を作るなんて虫唾が走るもの。ダイナ、作戦とはいえ、貴方の隣に立つのも一苦労だったわ」


彼女の言葉には、ブラッドを追放した時の冷酷さは微塵もなく、そこにあるのは、抑えきれない怒りと憎悪だけだった。四人の間に流れる空気は、常人には理解できないほどの、深く、そして不穏なものだった。



追放されたブラッドは、森を抜けた先の獣道から少し離れた場所で、一人で野営の準備をしていた。手際よく火を起こし、昼間に狩った獲物を焼いて夕食を済ませる。


満腹になり、焚き火を見つめながら、彼は胸の内に渦巻く感情を抑えきれずに呟いた。


「明日から、今後を考えないとな……」


そして、彼の心は、最も苦痛な裏切りへと戻っていく。


「それにしても、マリアンがあんな女だったなんて……ダイナは村に婚約者がいるのを解ってて……」


恋人の裏切りと、長年連れ添った仲間たちの冷酷な言葉。その痛みに耐えながら、ブラッドは重い疲労に身を任せ、そのまま野営用の毛布にくるまり、すぐに眠りに落ちた。



深夜。ブラッドが熟睡していたその時、暗闇の中から忍び寄った何者かによって、彼の体に鋭い痛みが走った。意識が遠のき、致命傷を負ったことを悟る。


かろうじて目を開けたブラッドの視界に映ったのは、彼を追放した勇者ダイナと、彼を捨てた恋人マリアンだった。


彼らはダイナの長剣と、マリアンの短剣を手に、ブラッドを見下ろしていた。


しかし、その時の彼らの表情は、追放時の冷たさとはまるで違っていた。マリアンの目には涙が溜まり、その顔は激しい怒りで歪んでいる。


「お、お前ら……追放だけに飽き足らず、命まで……!」


しかし……。


「…お黙りなさい!!」


マリアンは、震える声でブラッドを制し、憎しみを込めた眼差しで告げた。


「よくも……よくも私のブラッドを……!」


「な…に……!?」


その瞬間、困惑するブラッドの体が、グニャリと音を立てるように異形へと変貌し始めた。皮膚は緑色の鱗に覆われ、四肢は太くなり、顔は獣のように歪んでいく。


ブラッドに化けていた魔物のスパイの正体が露呈したのだ。


そう、彼は最初から本物のブラッドではなかった。


本物のブラッドは、勇者ダイナの幼馴染みであり、旅に出る以前に魔王軍のスパイに目を付けられ、既に殺害されて入れ替わられていたのである。


魔物のスパイは、突然の変貌に驚き、血を吐きながら呻く。


「追放された時に違和感があったが……私の認識が……甘かったのか……」


完璧に演じきったと思っていたのに、勇者パーティーのメンバーに完全に見破られていたことにショックを受けていた。まんまと彼らの「猿芝居」に嵌められ、魔王への連絡も取れないまま、致命傷を負わされたことに、スパイは深い絶望を覚えた。


マリアンは、涙を流しながらも、憎悪に満ちた声でその者に引導を渡す。


「今頃気付いても遅いのよ、貴方。私達がブラッドにあんな冷酷なことを言うはずが無いでしょう? 『絆』の深さを知らずに軽んじ、まんまと猿芝居に嵌まった貴方が愚かだっただけよ……報いを受けなさい!!」


マリアンの短剣が、スパイの胸へと深く突き刺さる。スパイは、無念の中で最後の言葉を絞り出した。


「くそぉ……私の……完敗か……」


そして、その魔物は、静かに息絶えた。


マリアンは、短剣を引き抜き、その場に崩れ落ちた。亡き恋人の名を呼びながら。


「ブラッド、あなたの無念は晴らしたわ……」


ダイナは、目の前の光景を静かに見つめていた。そして、心の中でそっと呟く。


(これで、完全に小説の展開とは運命が変わった)


実は、勇者ダイナは転生者だった。


この世界は、彼が前世で読み漁ったファンタジー小説が基になっていた。その小説の物語では、序盤でこのスパイの所為で勇者パーティーは全滅し、唯一生き残ったダイナは復讐の鬼となって魔王との戦いに挑み、相討ちという形で世界を救うことになる。その悲しい報せを、故郷で待つ婚約者が受け取り、悲しみに暮れながら彼の冥福を祈る……という悲惨な結末が待っていた。


しかし、旅の最中に前世の記憶を取り戻したダイナは、現状を即座に把握。スパイがブラッドと入れ替わっていること、そしてその目的がパーティーの分断と弱体化であることを突き止め、完璧な証拠を掴んだ上で、今回の「追放劇」という罠に嵌めたのだった。


真実を報されたマリアンは最愛の恋人が既に亡く、隣にいるのがその仇であるという事実に、激しい怒りと悲しみの中、自ら仇討ちを志願したのだった。そして、他の仲間達も冷徹な「猿芝居」を演じきった。

大切な仲間の仇を討つ為に。


作戦は成功し、最も深刻な危機は去った。


ダイナとマリアンは、野営地で待つ仲間たち、ローナとガルの元へ帰還した。


二人の無事な姿に、ガルは心底安堵した様子で駆け寄る。


「ダイナ、マリアン! 無事で良かった! 計画通りに行ったか?」


「ああ、完璧にな」


ダイナは短く答えた。

マリアンは、気が張っていた糸が切れたかのように、その場に泣き崩れた。彼女の親友であるローナが静かに寄り添い、彼女の頭をそっと胸に抱き寄せる。


「マリアン……よくやったわ」


「ローナ……ブラッドが……ブラッドが……!」


マリアンは、親友の胸の中で大泣きした。常に冷静沈着なローナもまた、大切な仲間だったブラッドの死の真実にショックを受けており、その目に涙を溜めていた。ガルは、静かに地面に跪き、心からブラッドの冥福を祈っている。


仲間達の様子に心を痛めながらも、ダイナは決意を新たにした。


(悲惨な運命だったとは言え、その未来を変えた以上、これからどうなるのかは本当に解らないし、俺に物語のヒーローができるのか不安だけど、『復讐の鬼』として強くなるのでは無く、しっかりとした『正義の勇者』として魔王と戦うしかないよな……)


彼の脳裏には、前世の記憶から得た、魔王討伐のためのアイテムやパワーアップの知識が溢れていた。


(頑張るんだ……信頼できる仲間達と一緒に。記憶を取り戻すのが遅れた所為で救えなかったブラッドの為にも、村で待つ彼女を幸せにする為にも)


重い後悔と責任を感じつつも、ダイナは前向きな決意を固めた。


そんな彼をリーダーに、一行は王道の勇者パーティーとして旅を続けるのだった。


終。


――――――


慎は読み終えると、すぐに健次郎へ電話をかけた。呼び出し音は二回で途切れる。


「……読んだぞ。追放モノの短編かと思いきや、実は暗殺と転生者の介入を混ぜたダブルミーニングのオチか」


『おう、慎。早いな! いやあ、前世も今世もこの手の「追放」だの「ざまぁ」だのいうネタが流行っているからよ。何か斬新な裏切りネタをやりたくてな。「裏切られたフリをして、実は相手がニセモノでした」ってのは、ちょっとカタルシスがあるだろ?』


電話越しに、健次郎の少し照れくさそうな苦笑が聞こえる。


「斬新というか、性格が悪いというか……。そもそも、俺たちが転生したこの小説の世界で、さらに転生ネタの小説を執筆するっていうのも妙な話だ」


『はは、確かにそうだな。でもよ、今の俺たちには時間も金もある。前世じゃ生活に追われて夢なんて語れなかったけど、今は宝くじに当たったおかげで、こうして好きなことに没頭できる。慎、お前も何か趣味を見つけたらどうだ?』


「俺は、今の平穏を守ることで手一杯だ。……だが、お前の小説の感想くらいなら、いつでも引き受けてやるよ」


『おう、そりゃ心強い! お前の視点でダメ出しされるのは怖えけど、楽しみにしてるぜ』


二人は新年の空の下、笑い合った。数ヶ月前までは、このバッドエンド小説世界の運命を破壊することに必死だった。だが今、一人は億万長者の身分で小説家としての第一歩を踏み出し、もう一人はその物語の批評をしている。


慎と健次郎の新年の始まりは、こうした些細で贅沢な時間と共に、ゆっくりと刻まれていくのだった。

次回からまた事件が起きます。

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