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クリスマスの朝の一騒動

深夜の喧騒が嘘のように、クリスマスの朝は静かに幕を開けた。


「……んん……」


麗奈が意識を浮上させたのは、柔らかな朝日が差し込む、見覚えのない部屋だった。思考が霧に包まれたように停滞する。


(あれ……私、どうして……。昨日は確か、駅前で忘年会を……)


記憶の糸を手繰り寄せようとした、その時だった。胸元に、何やら温かくて、時折もぞもぞと動く不思議な感触があることに気づく。


「……っ!?」


心臓が跳ねた。恐る恐る視線を落とし、毛布の中を覗き込んだ麗奈は、一気に意識を覚醒させた。そこには、幼い茜が潜り込んでおり、麗奈の豊かな胸を文字通り「枕」にして、満足そうに寝息を立てていたのだ。


「ふかふか……いい匂い……。ねーちゃん、あったかい……」


「えっ……あ、茜ちゃん!? えっ、えええっ!? 何で、どうして!?」


麗奈の声は悲鳴に近い上擦りを見せた。パニックに陥り、ベッドの中でジタバタと身悶える麗奈の叫びを聞きつけ、パタパタと廊下を走る足音が近づいてくる。


「あ、茜ちゃんったら、もう……いつの間に潜り込んだのよ。ごめんなさいね、佳山先生」


扉を開けて現れたのは、呆れ顔の長田三和だった。麗奈は胸に茜を抱きかかえたまま、縋るような目で長田を見つめた。


「長田さん! ここ、『□□□園』ですよね? 私、どうしてここに……昨日の夜、一体何があったんですか!?」


麗奈の必死の問いかけに、長田は「えっ?…えーと、そうですね……」と、彼女に真実を告げるべきか迷うように、言い難そうに頬を掻いた。


「先生、本当に何も覚えてないんですか? 飲み始めてからのこと」


「……お、朧げにしか。お酒が回るのが早くて、気付いたら朝で……。まさか私、何か粗相を!?」


長田は深く溜息をつき、観念したように昨夜の惨劇――もとい、出来事を語り始めた。


「先生、相当酔ってらしたみたいで。二階から降りてきた慎くんを見つけるなり、自分から飛びついて縋り付いちゃって……。周りの先生方が止めるのも聞かずにベタベタした挙句、最後は慎くんの膝枕で熟睡しちゃったんですよ」


「ひ、ひざ……っ、まくら……っ!?私が!!??」


麗奈の顔が、一瞬で火山が噴火するような真っ赤な色に染まった。だが、長田の報告はまだ終わらない。


「そのまま起きないから、慎くんが施設で預かろうって言って。先生のことを『お姫様抱っこ』で車まで運んで、ここまで連れてきてくれたんです。……あ、施設長がちゃんと学校側には許可取ってますから、安心してくださいね」


「お、おひめ……。う、嘘、嘘よ……そんな、私、生徒に……久遠くんに、そんな破廉恥なことを……っ!!」


麗奈は両手で顔を覆い、あまりの羞恥に布団の上でのたうち回った。今の麗奈には、自身の醜態という地獄の業火しか見えていない。


「ああ、もう! とにかく謝らなきゃ! 久遠くんに……謝らなきゃいけないわ!」


麗奈は慌てて茜をベッドへ寝かせ直すと、乱れた髪を整える間もなく立ち上がった。


「ちょっと、佳山先生! まだ寝起きなんですから、そんな格好で駄目ですよ!」


「いいえ、今すぐじゃないと、私、恥ずかしくて死んでしまいます!」


制止する長田を振り切り、麗奈は廊下へ飛び出した。以前、案内された記憶を頼りに、慎の部屋へと向かう。心臓が早鐘を打ち、昨夜のアルコールが逆流してきそうなほどの緊張感の中、彼女は慎の部屋のドアを勢いよく開け放った。


「久遠くん! 昨日は、本当に申し訳な――」


そこから先、麗奈の言葉は凍りついた。


「はい?」


朝の光を浴びた室内。部屋の主である慎は、ちょうど私服に着替えようとしている最中だった。 彼は上半身が裸だった。


「……先生?」


慎が振り返る。そこにあったのは、少年の細身な印象を覆す、極限まで無駄を削ぎ落とし、鋼のように鍛え上げられた肉体美だった。前世の過酷な戦闘訓練と、今世でのたゆまぬ自己研鑽によって作り上げられたその身体は、胸筋のラインから浮き出た腹筋、そしてしなやかな広背筋に至るまで、彫刻のような精緻さを備えていた。


(何……これ。あんなに細く見えたのに……こんな……立派な……)


麗奈にとって、その剥き出しの「雄」の肉体は、あまりに刺激が強すぎた。昨夜の羞恥と、眼前の非現実的な肉体美が脳内で混ざり合い、臨界点を突破する。


「あ……あ……っ!!」


麗奈は短い悲鳴を上げると、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。


「おっと…!」


慎は唖然としながらも、反射的に動いた。咄嗟に手を伸ばし、床で頭を打ちかねない麗奈の身体を、間一髪で抱き止める。


「おい、どうした!? 何事だ!」


「泥棒でもいたのか!?」


騒ぎを聞きつけた真田や山岡、そして追いかけてきた長田が部屋に駆け込んできた。そこで彼らが見たのは、上半身裸の慎が、気を失った麗奈を抱き抱えているという、これまた衝撃的な絵面だった。


状況を瞬時に把握した山岡が、思わずといった様子で頭を抱えた。


「……いや、これ、普通は逆じゃないのか? 女がうっかり男の裸を見てひっくり返るとか、何時の時代の漫画だよ?」


「本当よね……。男の子の方がうっかり見て赤くなるなら分かるけど。佳山先生、ピュアすぎるっていうか……」


呆れる男性職員たちを余所に、長田三和だけは慎の肉体をまじまじと見つめ、頬を染めていた。


(あら、久しぶりに見たわね……相変わらず、惚れ惚れするくらい立派な身体。涎が出そう……って、いけないいけない)


長田は咳払いをすると、慎の腕の中で目を回している麗奈に呼びかけた。


「先生、先生! しっかりしてください! まだお酒が抜けてないんですか?」


慎は半裸のまま麗奈を支えつつ、深すぎる溜息を吐いた。


「騒がしいクリスマスの朝だな……。先生、いい加減に起きてもらえませんか。俺も風邪をひきたくないんで」


慎はそうぼやきながら、ようやく麗奈を長田たちに引き渡した。


抱え上げられた麗奈は、夢うつつの中で、無意識に「久遠くん、ごめんなさい……」と小さく呟いた。

それを聞いた慎の顔に、今日一番の苦々しい色が浮かんだのを、職員たちは見逃さなかった。


――――――


数十分後。

二日酔いの頭痛が、拍動に合わせて容赦なく麗奈のこめかみを叩いていた。


食堂のテーブルに突っ伏す麗奈の前に、慎が静かに白い陶器のカップを置いた。立ち上る湯気と共に、あさりの出汁の香りが鼻腔をくすぐる。


「……飲んでください。少しは楽になりますよ」


「ありがとう、久遠くん……。ごめんなさい、本当に……」


麗奈は震える手でカップを取り、オルニチンたっぷりのスープを口にした。胃に染み渡る優しさに、思わず深い溜息が漏れる。足元では、茜が麗奈の膝に頬を寄せ、「ねーちゃん、だいじょーぶ?」と心配そうに見上げていた。その無垢な温もりが、今の彼女には何よりの救いだった。


慎が片付けのために調理場へ戻ると、長田三和をはじめとする女性職員たちが、ここぞとばかりに麗奈を囲んだ。


「佳山先生。……余計なお世話かもしれませんけど、先生って、その……男性とお付き合いされた経験、ないんですか?」


長田の直球な質問に、麗奈はスープを吹き出しそうになり、顔を伏せた。


「……はい。実家が本当に厳しくて、高校は女子校でしたし……。大学でも男性と、そういう……深いお付き合いまではありませんでした」


「やっぱり……」


長田たちが顔を見合わせる。これほどの美貌を持ちながら、慎の裸体を見て気絶するほどの反応。それは単なる羞恥ではなく、圧倒的な「免疫のなさ」から来るものだった。


「身持ちが堅いというか、箱入り娘だったんですね。今の時代、珍しいくらいに」


「とんだクリスマスだわ、私……。生徒の前で醜態を晒して、挙句の果てに迷惑までかけて……」


麗奈が本気で落ち込み、肩を落としていると、エプロンを外した慎が調理場から戻ってきた。彼は麗奈の顔色を見ると、淡々と告げた。


「先生。アパートまでお送りしてもいいですが、一人暮らしですよね? 今の状態で空っぽの部屋に戻っても、吐き気がぶり返した時に水を用意するのも一苦労ですよ」


「それは、そうだけど……」


「今日は冬休みの初日ですし、急ぎの仕事もないはずです。……まだ辛いなら、ここで休みますか? 昼過ぎまで横になって、体調が戻ってから送ります」


慎の提案は、教師と生徒という枠組みを超え、純粋に「病人」を案じる合理的なものだった。実際、日本の法規や校則においても、泥酔した成人を適切な管理下(社会福祉施設等)で一時的に保護し、体調回復を待つことに違法性はない。むしろ、意識混濁の恐れがある状態で一人暮らしの自宅に放置する方が、安全配慮義務の観点から危ういと言える。


「……いいの? 本当に、甘えてしまって」


「今更ですよ。昨日の時点で、もう十分すぎるほど甘えておいて」


「う…うーん……」


慎の少し毒のある、けれど確かな気遣いに、麗奈は力なく頷いた。


「じゃあ……少しだけ、お言葉に甘えさせてもらおうかしら……」


「決まりですね」


長田に案内されて客間へ向かう麗奈。彼女を心配してか、茜がその後を付いていく。


(これで良し。昨日の進藤の様子ならもう大丈夫だとは思うが、念の為だ。しばらくまだここにいてもらおう)「まあ、下心があるのは否定しないけどな……。今のうちに昼飯の仕込みでもするか」


本音を呟いた慎は再び調理場へ向かった。

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