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閑話・田中光太郎

田中光太郎。彼を覚えているだろうか?

去年の学園祭において、想定外の事態から「本物のメイド服」を纏うことになった佳山麗奈を目の当たりにし、その過剰な視覚刺激によって鼻血を噴き出し、文字通り昇天しかけた男である。


そもそも、彼が慎の印象に強く残ったのは、健次郎の記憶にある小説の設定にあった麗奈のプロポーション(身長165、B94のG、W60、H92)を、ミリ単位の狂いもなく言い当てたからだ。衣服の上から肉体の起伏を正確に測り取るその眼力は、中々の精密さを感じさせた。


二年生になった今の教室内でも、そんな去年の「卒倒」を懐かしむ声は多い。当時の狂乱を知る男子生徒たちの間では、田中は一種の先駆者として、あるいは殉教者のような扱いを受けていた。


「あーあ、今年も先生のメイド服、期待してたんだけどな……」


「去年はあの田中が倒れるほどの破壊力だっただろ?もう一度見たかったぜ」


「来年こそは、また何かの間違いで……」


「あんたたち、ここが学校だってこと忘れてない?全く、最低ね……」


女子生徒の冷ややかな視線を浴びながらも、男子たちの未練がましい呟きは止まない。慎が今年、あえて視覚的な刺激を徹底的に排除する様に手を回し、「食の質」という実利にこだわったのは、そうした騒動を未然に防ぐ為だった。


当の田中はといえば、去年の卒倒が嘘のように、慎の焼いたクレープを幸せそうに頬張っていた。その食べっぷりは実に健康的で、かつての醜態を感じさせない。


「あ〜……去年の珈琲と言い、久遠の作る料理って何でこんなに美味いんだ? こんな本格的な品を学祭価格で食えるとは、ラッキーすぎるだろ」


慎は、無邪気に感嘆の声を漏らす田中の背中を眺めながら、以前、同じ転生者である健次郎と交わした会話を思い出していた。


(……あいつが佳山先生のスリーサイズを完璧に言い当てた時は、流石に俺も唖然としたが……。田中にも、何か隠された役割があるのか?モブじゃないのかもしれん…)


以前、慎がその疑問を健次郎にぶつけた際、彼は鼻で笑ってこう答えたのだ。


『田中? いや、知らねえな。原作プロットにそんな名前の重要キャラはいねえよ。何? スリーサイズを当てただって? だったらそいつは歩く精密観測装置か何かだろ。……そもそも原作じゃ、佳山麗奈のスリーサイズ設定は、彼女が新しい服を買う日常の一コマで読者に開示されただけの情報なんだよ』


つまり、メタ的な視点で見ても田中光太郎はただの「モブ」であり、その特異な観察眼は、物語の因果関係とは無縁の、単なる個人の「奇能」に過ぎないということだ。物語を左右するキーマンでもなければ、伏線でもない。ただそこに存在する、少し風変わりなクラスメイト。


(無害だとは思うが……。ある意味、この世界で一番の謎はこの男かもしれないな)


クレープを頬張る田中を見て、慎は不思議そうに僅かに首を傾げた。そんな慎の視線に気づいたのか、田中がニカッと笑って、近くでクレープを口にしている麗奈を指差した。


「おお、見てみろよ久遠。佳山先生もあんなに幸せそうな表情で食べてる。お前って本当に……罪な奴だな、料理の腕だけで女心を掴むなんてさ」


「……余計なこと言ってないで、早く食え」


慎は苦笑しつつ、田中の言葉通り、心底満足そうに特製クレープを味わっている麗奈の横顔を見つめた。


しかし、田中は食い下がるように、手に持ったクレープの生地をまじまじと見つめた。


「いや、マジでさ。この生地の弾力といい、生クリームの軽さといい、普通の出し物レベルじゃないだろ。材料、どこで揃えたんだよ。特にこのフルーツ、鮮度が尋常じゃない気がするんだけど。このイチゴ、酸味と甘みのバランスが計算され尽くしてるぞ」


田中の指摘は鋭かった。どうやら彼は感覚そのものが鋭敏らしい。慎は熱を帯びた鉄板の上で、新しい生地を薄く広げながら淡々と答えた。


「材料は、知り合いの伝手を使って市場から直接仕入れたものだ。クリームも植物性の安いものじゃなく、乳脂肪分が高いものを配合して調整してある。学校の文化祭とはいえ、金を払ってくれる客を相手に出す以上、妥協したくなかっただけだ」


「妥協しないって……お前、それじゃ本職の職人じゃねえか。文化祭の模擬店なんて、適当に市販のキットを使って安く済ませるのが普通だろ。それなのに、ここまでのクオリティを追求するなんて、お前のその職人気質には恐れ入るよ」


田中は感心したように首を振り、再びクレープにかじりついた。


「ま、おかげで俺たちは最高の思いができてるわけだけどさ。この店、もし行列が途切れないようなら、俺が宣伝して回ってやってもいいぜ? 『奇跡のクレープ』ってな」


「止せ。これ以上忙しくなったら手が回らなくなる」


慎は釘を刺したが、その表情にはどこか柔らかいものが混じっていた。


他愛もないクラスメイトとの軽口。心地よい喧騒と笑顔。


かつての自分がいた殺伐とした世界とは無縁の、あまりに平和で「高校生らしい」一幕。


「……ま、悪くないな」


慎は小さく独白すると、次の一枚を完璧な焼き加減で仕上げるために、熱を帯びた鉄板へと再び集中した。視線の先では、麗奈が一口ごとに大切そうにクレープを味わい、その様子を微笑ましく見守る他の生徒たちの姿があった。日常という名の、かけがえのない景色がそこには広がっていた。

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