二度目の学園祭
二度目の夏が過ぎ、〇〇〇高校に再び学園祭の季節が巡ってきた。 去年の喧騒と、あの陰惨な事件の舞台となった倉庫は、今では何事もなかったかのように備品置き場として静まり返っている。
二年生になった慎のクラスの今年の出し物は「クレープ屋」に決まった。
のだが……?
「す、すげぇ…何だこりゃ!?」
「……なぁ、久遠。マジかよ、これ」
準備期間の調理室。クラスメイトの男子が、慎が持ち込んだ食材の山を見て、引き攣った声を上げた。
そこにあったのは、業務用スーパーの安物ではない。産地指定の最高級小麦粉、選び抜かれた発酵バター、そして「宝石」と見紛うばかりの瑞々しい大粒のイチゴや、香りの強いマダガスカル産バニラビーンズなどだ。
「どこでこんなの仕入れてきたんだよ。予算、完全にオーバーだろ?」
「いや、知り合いの伝手で安く譲ってもらったんだよ。試作品として使ってみてくれ」
慎は淡々と答えながら、迷いのない手つきでクレープ生地を混ぜ始めた。
慎が今回、独断で「試作品」として持ち込んだ食材の総額は、一般家庭の食費数ヶ月分を容易に超えていた。キロ単位で取り寄せたフランス産の最高級発酵バター、一本数千円は下らないバニラビーンズが数本、さらに糖度と形状を厳選した特注のイチゴが数箱。それらに加え、北海道の特定の牧場から直送させた濃厚な生クリームや、純度の高い和三盆まで揃えている。
これらを正規のルートで、しかもこの分量で揃えれば、優に三十万円は突破する計算だった。高校の文化祭の、それも一クラスの出し物にかける金額では無い。
「お前、料理の腕も凄いし……プライベートじゃマジで何してるんだよ? 只者じゃないだろ、絶対」
「ま、将来に備えて色々と」
「うーん……何かそれだけじゃない気が……」
苦笑する慎は、十億の資金を背景にした「大人の趣味」であることをおくびにも出さず、少しだけ口角を上げた。その立ち居振る舞いには、去年の同時期にはなかった、底知れない「余裕」が漂っている。
調理室の入り口からその様子を眺めていた麗奈は、小さく首を傾げた。
(久遠くん……やっぱり、最近どこかゴージャスになった感が……)
あのお中元の時も感じた、隠しきれない質の良さ。育ちが良い、というのとはまた違う、強大な力を背後に背負っている者特有の重厚な空気。麗奈の脳裏に武村教諭の「ナイト」という言葉がよぎるが、彼女は慌ててそれを振り払った。
(ああ、もう! また思い出して……!)
――――――
学園祭当日。クレープ屋は、開始早々から長い列を作った。 慎が焼き上げるクレープは、その香ばしい匂いだけで客を惹きつける魔力があった。前世でサバイバルナイフを振るい、獣を解体した指先は、今やパレットナイフを華麗に操り、紙より薄く、しかしモチモチとした食感の完璧な生地を量産している。
前回のように「メイド服姿の担任」という過剰な刺激こそないが、純粋に「食の質」だけで、他クラスを圧倒する高い評価を得ていた。
昼下がり、混雑が一段落した頃。一組の親子が慎の前に立った。 母親の服の裾を握った小さな男の子が、空腹でぐずりかけている。
「はい。火傷しないように気をつけてな」
慎が手際よく包丁でカットしたイチゴを添え、クリームをたっぷり絞ったクレープを手渡すと、子供はぱあっと顔を輝かせた。
「お腹減ってたの。お兄ちゃん、ありがとう!」
母親も恐縮しながら、「すみません、お昼を食べ損ねてしまって……。本当に助かりました」と頭を下げる。
慎はトングを置き、子供の目線に合わせて僅かに腰を落とした。
「……腹が減ったら、美味い飯を食べないとな。人間、空腹じゃ正しい判断もできないし、心だって荒れる。……しっかり食べて、午後も楽しんでいけよ」
その言葉には、前世で極寒の地で泥水を啜り、飢えと戦ってきた人間の重い実感が籠もっていた。
「……ふふっ。久遠くん、やっぱり、高校生らしくない所があるわね」
いつの間にか後ろに立っていた麗奈が、クスクスと肩を揺らして苦笑した。
「そうですか? 至極当たり前のことを言ったつもりですが」
「ええ、当たり前なんだけど……なんだか、すごく人生経験が豊富なベテランの言葉みたいに聞こえるのよ」
麗奈は慎から手渡された――試作という名目の、特製クレープを一口頬張り、「美味しい……」と幸せそうに目を細めた。
その一口に使われている素材だけでも、原価に換算すれば数百円は下らない。文化祭の販売価格が三百円であることを考えれば、出せば出すほど赤字になる計算だが、慎にとってはどうでもいいことだった。 麗奈の様子を眺めながら、慎は心の中で独白する。
(人生経験、か。……確かに、前世と今世を含めればあなたの倍は生きてる計算になるかな? ま、今の俺は先生の教え子だけどね)
平和な陽だまりの中、麗奈がクレープを食べる姿を、慎は静かに守護するように見つめていた。 本来のプロットでは、この時期の麗奈は誰にも言えない辱めに耐え、絶望の中で学園祭を過ごしていたはずだった。 その運命を、金と、腕と、執念で叩き潰した。その事実に、慎は人知れず深い満足感を覚えていた。
「佳山先生。お代わりどうです? 太るかもしれませんが」
「もう、久遠くん。先生をからかわないの!」
秋の爽やかな風が、二人の間を通り抜けていった。




