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ナイト

2018年、春


かつて織田川芳子の取り巻きとして、佳山麗奈を貶める片棒を担がされていた生徒たちは、芳子が去った後、連れ立って麗奈のもとへ謝罪に訪れた。


「佳山先生、本当にごめんなさい……私たち、怖くて止められなくて」


「ずっと後悔していました。酷いことをしてしまって。許してください……」


麗奈はそれを柔らかな微笑みで受け入れ、「いいのよ。あなたたちも辛かったわね」と優しく許した。だが、彼女たちの胸の内にある疑問は消えるものではなかった。芳子から解放されて最初は素直に喜んでいたものの、冷静にこれまでの事を振り返ってある可能性に気付き、気持ち悪くなったのだ。


放課後の誰もいない教室。芳子の元取り巻き数人が、声を潜めて語り合っていた。


「……ねぇ、宏美のことだけど。やっぱり、タイミングが良すぎるわ」


「宏美が久遠君のスパイになっていたのは、私も確実だと思う。でも、その見返りがあれなの?」


「高校生が他人の父親の不倫の証拠を揃えて、それで家庭崩壊に導く…なんて、普通じゃないわよ」


「本当ならとんでもないわよね……久遠くんって、本当に私達より一つ下の学生なのかしら?」


「宏美に直接訊きたいけど、もう番号変えちゃったみたいね」


「芳子からの報復の可能性があるかもしれないし、当然よ」


「あー、もう、もやもやする!!」


彼女たちは、自分たちが「本物の怪物」を相手にしていたことに気づき始めていた。 もちろん、慎が×××中学事件の黒幕であり、六歳の頃には実母を警察へ突き出した過去があることなど、彼女たちは知る由もない。ただ、芳子の転校の原因が慎にあることだけは、なんとなく察していた。


「芳子は……きっと、本能的に悟ったんじゃない?久遠くんが自分の手に負える相手じゃ無いって…だから、逃げるように転校したんじゃ…」


「だとしたら、芳子はその程度だったってことね。学園という檻の中で、自分が一番の捕食者だと思い込んでいたのに、その檻の中に本物の怪物が混じっていたことに気づいたのよ」


「そんな怪物が『ナイト』になってるんだから、佳山先生って本当は凄い女性なのかも…」


色々と邪推はあるが、(久遠慎にだけは、絶対に刃向かってはいけない)…という共通の認識が、彼女たちの背筋を凍らせていた。久遠慎に対する「ナイト」という呼び名は恋愛絡みの甘い意味では無く、「女王に仇なす者達を断罪する処刑人」という実に物騒な意味が込められていたが、それはやがて尾鰭を付けて少しずつ学校に広まっていく。


――――――


春の暖かな日差しが差し込む職員室。麗奈は、昨年の騒動を乗り越え、持ち上がりで二年生の担任となっていた。 第二学年主任の武村涼子(たけむらりょうこ)教諭が麗奈を呼び止め、人気のない資料室へと促した。


「佳山先生。少し、お耳に入れたいことがあります」


「はい、武村先生。何でしょうか?」


真面目な顔で背筋を伸ばした麗奈に、武村は冷淡に告げた。


「最近、不穏な噂が流れています。あなたのクラスの久遠慎君のことです」


「えっ?久遠くんが何か……」


「噂の内容は…彼があなたの『ナイト』だとか。知っていますか?」


「へ?……ナ、ナイト!? 久遠君が、私の……っ!?」


「そんな噂が実際に流れているんですよ…その様子では知らなかったようですね」


「ええっ!?」


麗奈の顔が、一瞬で耳の根まで真っ赤に染まった。動揺を隠そうと手元の資料を抱きしめるが、豊かな胸元が強調されるばかりで、余計にあたふたとした様を見せてしまう。


「あ、あの、それは……久遠君には確かに、去年は色々と助けてもらったことがありまして。でも、それはそんな変な意味では……っ」


その様子に武村は呆れつつも、しっかりと釘を刺した。


「佳山先生。教師と生徒の距離感というものがあります。彼が非常に優秀なのは知っていますが……あまり贔屓して親しくなりすぎると、あなたのキャリアに傷がつきますよ?」


「いえ、贔屓なんて事は……無い…ですが…。と、とにかく…はい、肝に銘じます」


「お願いしますよ、本当に」


そう言って背中を向けて去る武村に麗奈は項垂れた。確かに慎と一緒にいる時の自分は、教師としてではなく一人の女性として、あまりに彼に甘えすぎている自覚があった。あの警報器の贈り物もそうだ。普通、生徒からあんな物を受け取り、お守りにするなど、同僚に知られれば何と言われるか。


(でも、『ナイト』ってあんまり悪い気は……って、ダメダメ…何考えてるのよ)


――――――


武村の次なる標的は、噂の元凶である少年だった。 廊下の窓際で一人、英字新聞に目を落としている慎を見つけると、武村は声をかけた。


「久遠君。佳山先生との関係について少し話があるわ」


「ああ、武村先生。僕に何か?」


「最近、校内で妙な噂が立っているのを知っているかしら?」


慎は新聞から目を離して、淡々と答えた。


「ナイト、ですか。耳には入っていますが、馬鹿話だと思って聞き流していました」


「いいですか、火のない所に煙は立たないわ。あなたの振る舞いは、高校生としての範疇を超えている。これ以上、彼女を困らせるような真似は――」


「困らせる、ですか」


慎は新聞を畳み、武村を真っ直ぐに見据えた。


「僕の行動が佳山先生の迷惑になるなら、僕の配慮が足りませんでした。ですが武村先生。僕は法に触れる真似もしませんし、学業も疎かにしません。ましてや、自分の欲望に身を任せて教師と不適切な関係を持つといった、短絡的な真似は致しません。決して」


理路整然とした、血の通わない論理。武村は気圧されたように言葉を詰まらせた。


「……そ、それは当然のことでしょう。私が言いたいのは、あなたのその『圧』が、周囲に誤解を与えているということよ」


「僕が危ない人間に見える、ということでしょうか?」


武村は沈黙した。現役の高校生の口から「欲望に身を任せて一線を超える」といった言葉が、まるで契約条項を確認するような事務的なトーンで出てくることへの生理的な違和感。


(この子、何言ってるのよ……。確かに読めない生徒だわ、本当に十六歳の子供なの?)


慎は武村の反応を見て、自分の失策に気づいた。


(あちゃあ、また今の立場を忘れた発言をしちまったな。どうもいかん)


彼は即座に「高校生」の仮面を被り直し、少し困ったような笑みを浮かべてみせた。


「……あはは、すみません。少し背伸びしすぎました。要するに、僕は勉強に専念するということです。先生方を煩わせるようなスキャンダルは絶対に起こしませんから、安心してください」


「え、ええ……。そうね。勉強に励むのが一番よ。分かればいいわ……今のその言葉、信じるわよ?」


「はい、どうもすみません」


そう言って、慎は頭を垂れるが、武村は得体の知れない深淵を覗き込んでしまったような恐怖を感じ、その場を去っていった。 一人残された慎は、去りゆく背中を見送った後、ふっと自嘲気味に口角を上げた。


「法を守る、か。我ながらよく言えたもんだ。法を利用して、気に入らない連中を何人も社会的に葬ってきたっていうのに」


彼は再び窓の外を見やった。六歳の頃、暴力を振るう実母を警察へ突きだし、中学ではいじめの被害に遭う友人を保身で見捨てようとした教師たちを、法と証拠の網に絡め取って職を追わせ、この高校では麗奈を苦しめた芳子の企みを潰す為に、宏美の家庭を「解体」した。


自分は決して、純真な「高校生」でも高潔な「ナイト」でもない。 中身は人生二度目の「掃除屋」だ。


「……残り二年は穏便に済ませたいんだが。波風立てずに卒業するのは、案外骨が折れそうだな」


慎は再び新聞を広げた。その表情には、もはや高校生らしい子供っぽさは微塵も残っていなかった。

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