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閑話・麗奈の誕生日

2018年1月23日。佳山麗奈は、この日に二十四歳の誕生日を迎えた。


朝一番、スマートフォンの画面を埋めていたのは、故郷の両親からのメッセージだった。


『誕生日おめでとう。例の話だが、先方はまだ待ってくれている。いつまでも意地を張らず、一度戻ってきなさい。佳山の娘としての責任を――』


「また…」


辟易して、そこから先は読まずに削除した。祝いの言葉を皮切りに、結局は「家」という鎖で自分を縛り付けようとする親たちの執着には、もう辟易している。画面を伏せ、深く白い息を吐いた。


「今日くらいは、贅沢をしても良いわよね…」


――――――


自分へのささやかな祝杯として、麗奈は放課後、都内のデパートへ足を運んだ。地下の食料品売り場を彩る宝石のような惣菜やケーキを眺め、迷った末にレストランフロアではなく、あえて活気のあるフードコートを選んだ。気取った店で一人、誕生日を祝う勇気がなかったわけではない。ただ、人の温もりが近くにある場所で、静かに食事を終えたかったからだ。


食後のコーヒーを啜りながら、麗奈はふと窓の外に目を向けた。学生時代の友人たちは、今や仕事に追われ、あるいは結婚して家庭を築き始めている。教師という多忙な職業に就いてからというもの、私的な付き合いは目に見えて減った。ここ数年、日付が変わる瞬間に誰かから祝福の言葉を贈られることも、特別なプレゼントに胸を躍らせることもなかった。


ふいに、込み上げてくるものがあった。それは悲しみというより、静かな水面に一石を投じた時に広がる波紋のような感傷だ。


(私、これからずっと、こうして一人で生きていくのかしら)


そんな事を思ったその時。


「――っ!?」


膝の上に、唐突に柔らかく温かい異物が潜り込んできた。 驚愕して腰を浮かせかけると、その「塊」は麗奈のコートの中に器用に潜り込み、彼女の豊かな胸元に顔を埋めて、満足げな声を漏らした。


「ふかふかのねーちゃん、みつけたぁ……」


「えっ……あ、茜ちゃん!?」


そこにいたのは、児童養護施設「□□□園」で暮らす幼女、茜だった。 呆気に取られる麗奈が周囲を見渡すと、人混みを縫うようにして、見慣れた少年が溜息をつきながら歩み寄ってくるのが見えた。


「ったく……。すみません、佳山先生。見つけるや否や、獲物を見つけた猟犬みたいな速度で走っていったもんで」


久遠慎が、買い物袋を下げた手で軽く前髪を掻き上げた。


「久遠君。どうしてここに?」


「今日は茜の靴を買いに行くから付き添えって強制連行されたんですよ。俺は荷物持ちです」


慎はそう言って、麗奈の胸元で既にまどろみ始めている茜を呆れた様子で見下ろした。


「佳山先生の場所をピンポイントで察知するとは……。やっぱり、こいつの前世は男かもしれませんね。それも、相当に好色で、最高の獲物を見分ける目利きの」


「もう、久遠君……。女の子にそんなこと言わないの」


麗奈は困ったように、けれど隠しきれない笑みを零した。 自分を佳山家の道具としてしか見ない親とは違い、慎の言葉はいつも、少し毒があっても対等で、不思議と心が軽くなる。


「……先生、どうかしたんですか? こんなところでお一人で」


「あ、いえ……大したことじゃないのよ。今日、私の誕生日でね。自分へのご褒美に、せめて好きなものを食べて帰ろうかなって」


「誕生日?今日がそうでしたか」


慎が動きを止めた。彼は一瞬、何かを考えるように視線を落とした後、背負っていたリュックのサイドポケットを探り、小さな箱を取り出した。


「これ。予定にはなかったんですが……誕生日だっていうなら、受け取ってください」


差し出されたのは、何の飾り気もない、実用性だけを追求したようなデザインの「携帯用防犯警報器」だった。


「……警報器?」


「ええ。夜道の安全のために買った予備なんです。最近、物騒ですからね。お洒落さのかけらもなくて申し訳ないですが、持ってて損はないはずです。お守り代わりにでもしてください」


慎は、二十四歳の女性に贈るプレゼントとしてはあまりに無骨であることを自覚しているのか、少しだけ決まり悪そうに頭を下げた。麗奈は、その頑丈そうなデバイスを受け取り、思わず吹き出した。


「ふふっ……ありがとう、久遠君。この前のあなたの誕生日の時は逆におもてなしされて、それで今回は……本当に悪いわね」


「いえいえ」


慎はそう言うと、麗奈の腕の中で完全に眠りについた茜を、慣れた手つきでひょいと抱き上げ、自分の背中におんぶした。 麗奈は、慎の背中で幸せそうに寝息を立てる茜の頭を、優しく撫でた。


「じゃあね、茜ちゃん。またね」


「……また明日、学校で。佳山先生」


慎の背中が人混みに消えていくのを、麗奈はしばらく見送っていた。 残されたのは、手のひらに残る茜のぬくもりと、慎から贈られた「お守り」の感触。


(明日から、早速身につけていよう)


花束でも香水でもない。けれど、この無骨な機械には、慎の「実利的な守護」の意志が詰まっている。洗練された美しさはないが、何よりも確かな安心感があった。


一人で座っているフードコートの椅子が、先ほどよりも少しだけ温かく感じられた。


「まだ、二十四歳だけど……もう、人の温もりが恋しくなる歳になったのかしら?」


自分でも可笑しくなり、麗奈は首を傾げた。


家族からの呪縛に満ちたメッセージではなく、親しい教え子からの「安全であれ」という無骨な願い。 賑やかなデパートの雑踏の中、麗奈は受け取ったばかりの警報器を大切に鞄にしまい、足取りも軽く家路についた。

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