慎の視点⑤
◎◎◎警察署の取調室。鉄格子の向こうから聞こえる喧騒を余所に、慎はパイプ椅子に深く腰掛け、目の前の男を見据えていた。
「経緯は聞いた。……また君かね、久遠君」
呆れたような、それでいてどこか懐かしむような声で言ったのは、生活安全課の篠崎刑事だ。六歳の事件と、中学での事件。この男とは腐れ縁に近い。
「すみません、篠崎さん。お盆休みに手を煩わせるつもりはなかったんですが」
「謝らなくていい。さっき、逃げていた共犯の男子生徒の身柄も確保した。全く……今のガキの遊びは、質が悪くていけないな。取り調べでも自分たちの人生が詰んだという自覚がまるで無い」
篠崎は手元の書類を叩き、深いため息をついた。その視線には、被害者面をしていた少女への冷ややかな軽蔑が混じっている。慎はそれを淡々と受け流した。
やがて、施設長の真田が署に到着した。部屋に入るなり、彼は慎の頭を軽く小突き、大きなため息をついた。
「慎……。どうしてこうなった? お前の体には犯罪を探知するセンサーでも付いているのか?」
「いや、だからですね……。馬鹿な同年代の学生が目の前で阿呆な犯罪を始めたので、それを止めただけですよ。俺の前であんな真似をした向こうが悪い」
慎の言葉は、傲慢さではなく、純然たる「事実」としての響きを持っていた。真田は「やれやれ」と首を振ったが、その瞳には保護者としての安堵が滲んでいる。
「……廊下で、佳山先生を待たせているんです」
「そうか、担任の先生か。挨拶せんといかんな」
真田が立ち上がり、廊下へ向かう。 廊下に出ると、不安そうに椅子に座る麗奈の姿があった。真田が歩み寄り、深々と頭を下げる。そのやり取りを傍らで見守っていた慎だったが、真田が口を滑らせた瞬間、背筋に微かな緊張が走った。
「……こいつが、あの中学で……」
(あちゃあ……勘弁してくれよ真田さん、こんな形で)
慎は咄嗟に「ちょっと、真田さん!」と声を張って制したが、麗奈の鋭い視線が自分を射抜いたのが分かった。
更に、篠崎が…
「佳山先生、私は警察官としての守秘義務がありますから、具体的な事案については何も教えられません。ですが……一つだけ言えるのは、この久遠慎という少年は、そこらの大人よりも遥かに賢く、強く逞しい人間だということです。……それに気を許した相手にはとことん優しくなる。味方にして損はありませんよ?」
「あの、篠崎さん……」
隠し通すには、材料が揃いすぎている。慎は溜息をつき、この場を逸らすように、そして空腹を満たすために「美味い定食屋があるんです」と提案した。
場所を移した深夜の定食屋。運ばれてきた料理の湯気の向こうで、真田が「一年前の真相」を麗奈に話し始めた。
(……まあ、いいか。いずれは知られる事だろうし……)
慎は黙々と箸を動かしながら、麗奈の反応を観察していた。彼女は驚愕に目を見開き、やがて×××中学の教師たちの腐敗ぶりに、隠しきれない怒りを露わにした。
「酷い……学校がそんな腐った隠蔽をするなんて、逮捕されても文句は言えないわ」
(……やっぱり、この人は真面目だな)
自分の過去の苛烈さに引くのではなく、悪意そのものに対して憤る。その真っ直ぐな善性に、慎は自分でも意外なほど、心の奥が僅かに温かくなるのを感じた。麗奈は畏敬の念を込めた瞳で、慎を見つめて言った。
「久遠くん。……あなたって、私が思っていた以上に、ずっと凄い人なのね。教師である私の方が、あなたに大切なことを教えられたわ」
「止してください。結局、俺は自分の感情のままに動いたまでです。……こちらこそ、改めて。今後のご指導、よろしくお願いします」
慎は再び、丁寧な「生徒」としての顔に戻った。だが、家庭環境や六歳の時の「決断」に話が及びそうになると、慎は無言で真田に視線を送り、共に一線を引いた。そこは、誰にも踏み込ませない聖域だ。たとえ、この心優しい教師であっても。
帰り道。真田の冷やかしを適当にいなし、施設へと戻った。
「お帰りなさい、慎くん」
長田に出迎えられ、自室に戻る。シャツを脱ぎ、鏡に映る研ぎ澄まされた肉体を一瞥する。
浴室へ向かおうとした時、机の上のスマートフォンが一度だけ、短く震えた。 表示されたのは東雲宏美からの緊急連絡。
『織田川があなたと佳山先生が定食屋で会っている所を見たわ。その様子を撮影した画像を使って、捏造写真を作ろうとしてる……先生を脅迫するつもりよ』
「…っ」(……あそこにいたとはな。しかし、想像以上に愚かで軽率な奴だ。このタイミングで、その程度の「小細工」を仕掛けてくるとは)
捏造、脅迫、教師への攻撃。芳子の選んだ手段は、慎にとって最も対応しやすい部類のものだった。彼女は致命的なミスを犯している。
慎の口元が、わずかに釣り上がった。
「ふん……」
短く漏れた鼻笑い。それは、獲物を追い詰める掃除屋の笑みだった。




