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慎の視点④

一学期が終わる頃、慎は既に次の盤面を見据えていた。

東雲宏美という少女の悲劇は、その父、正和という男の身勝手さが原因だ。この男を今の内に社会的に抹殺すれば、おそらく宏美は〇〇〇高校から去る形になるだろうが、あの悪意に満ちた芳子から解放されるはずだ。それは麗奈に及ぶ潜在的な脅威を取り除くことにも直結した。


慎は、期間限定のスパイとして宏美に芳子の動静を見張らせる一方、自らのほぼ使わずに貯めてた小遣いを使って、一人の探偵を雇うことにした。大手事務所は契約のハードルが高く、何より高校一年の少年の依頼を真に受けないと考え。慎が選んだのは、有能だがどこか世捨て人のような空気を持つ個人探偵、山川だった。


山川は、依頼を受ける前に慎の過去を独自に調査したようだった。初めて対面した際、彼はタバコを指に挟んだまま、信じられないものを見る目で慎を凝視した。


「……おい。一応確認するが、お前、本当に十五歳か? 過去を少し洗ってみたが、虐待していた実の母親を法的にハメて、中学では学校一つを更地にした。新聞には載らねえ『事実』が出てきた。こんなガキがこの世にいるとはな……」


「俺の事は置いといて、調査してくれるんですか? してくれないのですか?」


慎の冷淡な問いに、山川は苦笑して煙を吐き出した。


「そりゃ金貰った以上はするがよ……お前、この東雲って男の家庭に何か恨みでもあんのか? このご時世、エリートの浮気問題が明るみになると、ただじゃ済まねえぞ。下手をすりゃ娘の人生まで変わる」


「恨みは無い。単なる人助けですよ」


「何言ってんだ? 少なくとも家庭がぶっ壊れるぞ」


「いえいえ、この男の妻と娘は家庭がぶっ壊れないと救われない。家族を裏切っている男がいつまでも家長面するのは虫唾が走る。……山川さん、仕事の是非を問うのがあなたの主義ですか?」


慎の言葉に、山川は少しだけ気圧されたように肩をすくめた。


「お、おう?何か知らんが、物静かに見えて熱いなお前。……分かったよ。徹底的に洗ってやる」


「よろしく、お願いします」


――――――


それから数週間、山川は執拗に正和を調査した。不倫相手とホテルに入る鮮明な写真、親密な会話の音声データ、そして家族の目を盗んで使い込まれたクレジットカードの利用履歴。言い逃れのできない決定的な「証拠」が、次々と慎の手元に揃いつつあった。


お盆の時期、慎は施設には「映画に行ってくる」と告げ、山川から調査データの入った封筒を受け取った。その帰り道、帰省客で混み合う電車に揺られていた時のことだ。


慎はドア付近で、手元にあるデータの確認事項を反芻していた。宏美の手元にこれを届ければ、彼女たちは離婚調停において圧倒的な優位に立てる。その時だった。


「キャッ、やめて!」


静かな車両に響き渡った悲鳴。慎は即座に思考を切り替え、視線を鋭く走らせた。そこには、涙目で震える女子高生と、顔を蒼白にして「やっていない、人違いだ!」と狼狽する中年男性がいた。


(……やれやれ。またこのパターンか)


慎は目を細めた。前世から数多の嘘と真実を見極めてきた彼にとって、その光景はあまりに不自然だった。女子高生の表情には被害者特有の動揺ではなく、どこか「演じている」者の不気味な熱量があり、逆に男性の狼狽には嘘をついている者の後ろめたさが全く感じられない。


駅員が駆けつけ、周囲の乗客たちが「最悪だ」「警察へ連れて行け」と無責任な正義感を振りかざし始めた。このままでは、無実かもしれない男の人生が、一人の少女の嘘によって壊される。


慎は人波を割り、その中心へと歩み出た。


「あー……ちょっといいですか。落ち着いてください」


周囲の視線が集まる。慎は駅員に向き直り、極めて合理的な提案を口にする。


「この男性が痴漢かどうか、感情的に言い争うより確実な方法があります。この女子高生の服に、男性の指紋や繊維が付着しているか警察で調べればいい。もし冤罪なら、彼女の服には男性の指紋一つ残っていないはずだ。そうすれば数時間で判明します。その方が話が早い」


男性が縋るように叫んだ。


「そ、そうだ! 警察に調べてもらう!! そうすれば私の無実は証明される筈だ!!」


その瞬間、被害者を自称していた女子高生の顔が、怒りと焦りで歪んだ。


「な、何よそれ! そんな必要ないでしょう! 私が被害者なんだから、この人が犯人に決まってるじゃない!」


(……ビンゴだ)


慎は内心で確信する。物証による検証を拒むのは、検証されては困る理由があるからに他ならない。周囲の空気も、彼女の不自然な拒絶によって一変し始めていた。


「おやおや。どうして拒むんだい? 被害に遭ったのなら、証拠を揃えることは君の正当性を証明する盾になる。……それとも、何か困る理由でもあるのか?」


慎の冷ややかな問いかけが、女子高生の最後の理性を飛ばした。


「うるさい! 何なのよあんた!」


彼女は逆上し、手に持っていた傘を武器のように振り回して慎へ襲いかかった。傘の先端が慎の顔面を捉える軌道を描く。しかし、慎にとってそれは止まっている標的を叩くよりも容易なことだった。


(馬鹿が)


慎は驚異的な反応速度で傘の柄を掴み取った。女子高生が驚愕に目を見開く。


「うっ、な、何……?」


「……やっぱり嘘だったか。何を企んでいたのかは知らないが、虚偽告訴罪というものがどれほど重い罪か、警察でじっくり教えてもらうといい」


慎はそのまま流れるような動作で彼女の腕を制し、関節を極めて床へ押し込めるように身動きを封じた。プロの「掃除屋」が使う制圧術に、少女が抗えるはずもなかった。


電車が駅に滑り込む。慎は駆けつけた警察官に対し、何が起きたのかを客観的な事実のみを抽出して簡潔に説明した。そのあまりに堂々とした、そして冷徹な立ち振る舞いは、周囲の大人たちを沈黙させるに十分だった。


一段落し、慎がふと気配を感じて視線を上げた時だった。


「久遠くん!」


聞き慣れた、しかし今はここで聞くはずのない声に、慎は珍しく目を見開いた。


(な、何っ?何でここにいるんだよ…!?)


「え? ……佳山先生? 同じ電車だったんですか……と言うか、もしかしてさっきの……」


そこに立っていたのは、私服姿の佳山麗奈だった。彼女の瞳には驚きと、それ以上に慎の身を案じる深い憂慮の色が浮かんでいる。


「ええ……見てたわ。あなた、大丈夫? 怪我は……」


「平気ですよ。ご心配なく」


慎は咄嗟に「穏やかな学生」の仮面を被り直したが、麗奈の表情は固いままだった。彼女はすぐに警察官へ向き直り、毅然と告げた。


「失礼します。私は彼の担任をしております、佳山麗奈と申します。未成年の生徒ですので、事情聴取には私が同伴いたします」


(……先生。お盆休みまで、お人好しが過ぎるな)


慎は内心で苦笑したが、彼女のその真っ直ぐな厚意を無碍にする理由もなかった。


「お願いします」


慎は短く応じ、麗奈と共に警察署へと向かうことになった。自分一人で処理するはずだった予定が少しだけ狂ったが、慎は不思議とそれを悪い気はしていなかった。佳山麗奈という女性の「善性」が、今は心地よく感じられたからだ。

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