卒業式と別れと今後
×××中学での騒動は、文字通り「更地」にするほどの徹底した決着を見せた。
加害生徒たちは家裁送致。隠蔽に加担した教職員たちは地方公務員法に基づく懲戒免職、および証拠隠滅罪での刑事訴補。司法と行政のメスは、慎が用意した逃げ場のない証拠群を前に、一分の狂いもなく正確に振り下ろされた。
しかし、事件の真相――久遠慎が暗躍した事実は、混乱を最小限に抑え、慎の平穏を守るために極秘事項とされた。公式には「被害生徒の家族が執念で集めた証拠」として処理されたが、一度火のついた噂を完全に消すことはできない。一部の生徒や親たちの間では、慎に対する得体の知れない畏怖が、霧のように学校中を覆っていた。
教育の場とは思えぬ冷え切った空気の中で、卒業式は淡々と進行した。壇上に並ぶのは、他校から急遽派遣された臨時管理職たちだ。彼ら、指示そして辛うじて組織に残った潔白な教師たちの慎に向ける視線は、複雑怪奇な色を帯びていた。
(……あの子が、佐藤さんたちを。法律を使って完膚なきまでに……)
(あの人たちの自業自得なのは分かっている。私たちも止められなかったことは恥ずかしい……。でも……)
残された教師たちは、潔白が証明された安堵よりも、「事なかれ主義」という安寧の土台が、中学生一人の手によって跡形もなく叩き潰された事実に、価値観を根底から破壊され、今もなお、気持ちを整理することができずにいた。
慎はその光景を、感情の読み取れない瞳で眺めていた。この空間こそが、彼が残した戦跡だ。
(……この国では、これでもやり過ぎな方なんだろうな。だが、膿を出し切るには必要なことだったはずだ)
慎の隣で、勝利を掴み取った小杉淳也は、憑き物が落ちたような晴れやかな笑顔を浮かべていた。そして、列席する生徒の中に一人、この惨状を「傑作だ」と言わんばかりの苦笑で見つめる桜田健次郎の姿もあった。
卒業生総代として壇上に上がったのは、慎だった。事件後、彼はそれまでの「目立たない凡才」という仮面を脱ぎ捨てた。内申点や周囲の評価など、もはや彼を縛る鎖にはなり得なかったが、目的のために必要とあらば、彼は容赦なくその力を振るう。
期末試験、そして実力テスト。慎が叩き出した数字は、全教科において学年トップ。それも二位以下を大きく突き放す、満点に近い圧倒的な筆致だった。教師たちは、その解答用紙に並ぶ理路整然とした論理の構築に、恐怖すら覚えたという。
「……以上をもちまして、答辞とさせていただきます」
淀みない声で読み上げられた言葉に、拍手さえも躊躇われるような静寂が体育館を支配する。かつての「掃除屋」が本気を出せば、中学生の学習指導要領など、児戯に等しかった。
――――――
その卒業式から二日後。慎は駅のホームで、両親とともに他県へと旅立つ小杉淳也を見送っていた。
「ありがとう、慎。君のおかげで、僕はまた前を向ける」
「ああ、達者でな。向こうに行っても、頑張れよ。……お前の努力で勝ち取った未来だ、誰にも邪魔させるな」
慎が短く、けれど力強く告げると、淳也は堪えきれずに涙を零した。隣に立つ父親が、慎の手を壊れ物を扱うように、しかし力一杯握りしめる。
「久遠君、本当に……君には何とお礼を言っていいか。君がいなければ、息子も私たちもどうなっていたか分からない。いつか……いつか淳也が立派な大人になったとき、また胸を張って君に会いに行かせてほしい」
「息子さんを信じてやってください。彼は強いですよ」
母親もまた、何度も頭を下げながら慎を見つめた。
「淳也に、こんな素敵な友達がいてくれて本当に良かったわ。久遠君も、体に気をつけて。あなたの幸せを、遠くから祈っているわね」
ベルが鳴り、列車の扉が閉まる。窓越しに淳也が「いつか、また会おうね」と何度も手を振り、姿が見えなくなるまで慎を見つめていた。走り去る列車の影を見送りながら、慎は小さく呟いた。
「……頑張れよ。お前ももう、誰かの引き立て役の背景じゃないからな」
名残惜しい感情を整理するように一度深く息を吐き、慎は健次郎に連絡するべくスマートフォンを取り出した。
――――――
十五分後、駅近くのファミレスで向かい合った二人は、周囲の喧騒から隔絶されたような、相変わらず浮いた空気を纏っていた。
「それじゃ、改めて佳山麗奈に関するデータを確認したい」
「ああ。……しかし、お前本当に〇〇〇高校へ行くのかよ? お前ほどの成績があれば、もっと上の進学校を選べただろ。学年トップで卒業なんて派手な真似しやがって。わざわざあんな、『魔窟』に飛び込むなんてよ」
慎は運ばれてきたブラックコーヒーを一口含み、冷静に答えた。
「自分の干渉の結果を知りたいし、起きるかもしれない事件を防ぐ必要もあるからな。……まぁ、要は直接自分の目で確認しないと気が済まなくなったってとこだ。健次郎、お前は『逃亡』という形でシナリオの回避に専念するんだよな?」
「そうだよ。この前も言ったが、『悪役の手下』も『我儘お嬢様の手駒』も冗談じゃねぇ。俺は適当にランクを落とした別の高校で、今度こそ平穏な学校生活を送るつもりだ。両親は面白くなさそうな顔をしてたけど、『精一杯頑張るから、期待してて下さい』って言っといたよ」
健次郎はコップの水を一口飲み、声を潜めて語り始めた。
「じゃ、早速だ。佳山麗奈だけどな。本来、芳子は1年生のときから麗奈と折り合いが悪かった。美人でスタイルも抜群な麗奈が教師をしていること自体が、芳子の特権意識を刺激する嫌な要素だったらしい」
「……ただの八つ当たりじゃないか。下らない」
「まぁな。物語の開始時期は……現在から大体1年くらい後になる。中学でのいじめで教師という人種を憎むようになった俺こと健次郎を、3年生になった芳子が唆し、麗奈の弱みを作らせると、そこから彼女を奈落へ突き落とす辱めが始まるんだ」
健次郎の話に、慎は顔を顰めた。
「この手のお約束と言うやつか……?」
「そうそう。設定上の麗奈は……まぁ、とにかく隙が多い。艶のある黒髪ストレートに、具体的なスリーサイズの数字も無駄に細かく設定されてる。身長165、B94、W60、H92……ちなみにGカップでスタイル抜群だ」
慎は今度は唖然とした表情になってコーヒーカップを置いた。
「……ちょっと待て。それは本当に高校の教師か? どちらかと言えば、芸能モデルとかをやってる人間じゃないのか?」
「ははは、突っ込む気持ちは理解できるよ。でも、そういう設定なんだから仕方ない。ここはエロ小説の世界だぞ? ウエストが細くて、胸がGカップの美人教師がマジで存在している。良くも悪くも性欲をぶつけるための造形なんだ」
「まぁ、前世でも別に美女が教師をやってはいけないなんて決まりは無かったが……それにしても盛りすぎだ」
「胸の設定がか?」
「それ以外もだ」
「お前、結構ノリがいいな」
慎が呆れながら「いいから続けろ」と促すと、健次郎は別の重要人物についても触れた。
「芳子の取り巻きに、東雲宏美っていうのがいる。彼女もまた、この物語の被害者だ。傲慢で横暴で、浮気までしてる不義理な父・正和は自分の見栄のために娘の宏美を〇〇〇高校へ入学させたんだ。そこで運悪く出会った芳子に無理やり取り巻きにされて、怖くて逆らえず、麗奈を貶める手伝いをして、最後には自分も不幸になっていく役だ」
「……本当に碌でもない設定ばかりだな。物語とはいえ、胸糞が悪い」
「だろ? 誰も救われないプロットになっている。他にも、原作には麗奈を汚すための『役者』が数人用意されているんだが、物語のメインはあくまで、芳子による麗奈への執拗な加害だ」
慎は腕を組み、溜息を吐いて物語に関するメモを見た。その瞳には冷徹な光が宿っていた。
「……これらの設定は読者の好き嫌い程度の話だった。だが、ここはもう現実だ。現実でそんなことがあってはならないはずだ」
「……お前、やっぱりヒーローだな。中々良いことを言うね」
「違うよ、俺は『掃除屋』の生まれ変わりだ。ヒーローなんてものには程遠いが……そんな事態を見過ごしたくはない」




