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×××中学②

小杉淳也との関係は、慎の予想以上に穏やかで、かつ彼自身の「若作り」への挑戦でもあった。 慎が教える数学は、公式の丸暗記ではなく「なぜその解法が最も効率的なのか」という論理的な帰結から説明されるため、小杉の成績は飛躍的に向上した。二人は学校で一緒に参考書を広げるのが日課となった。


ある日の下校途中、慎はふと思い立ち、淳也を誘った。


「淳也、この先に、美味い蕎麦を出す店があるんだ。少し寄っていかないか?」


「蕎麦? いいけど……慎って、本当に誘い文句が大人びてるよね。普通はハンバーガーとか、せめてコンビニのホットスナックじゃない?」


二人は互いを名前で呼び合う仲になっていた。


「はは……そうか。自分でも若者らしくない自覚はあるよ。親父臭いか?」


「いや、そんなことは……。ただ、慎と一緒にいると、たまに同級生じゃなくて、大人の人と…それもベテランと話してるみたいな気分になるんだ」


「ん?そう思うか??」


淳也は苦笑しながらも、慎の隣を歩くことを楽しんでいるようだった。


(意外と勘がいいな、こいつ。いや、俺に問題があるだけか)


内心で苦笑いしつつ、店に入り、慎が手際よく「十割蕎麦を二つ、それと蕎麦湯も忘れずに」と注文する姿に、淳也は再び目を丸くした。


「……本当、渋いね」


「いや、前……じゃなくて、昔から食い物にはうるさい方でな。手間をかけたものは、それだけで価値があると思ってるんだ」


慎は蕎麦を啜りながら、淳也の近況に耳を傾けた。彼は進路の悩みや、趣味の釣りの話を楽しげに語り、慎はそれに適切な相槌を打つ。前世で戦友たちと酒を酌み交わした時に近い、心地よい連帯感がそこにはあった。


――――――


しかし、そんな平穏は、二学期が始まって三週間が過ぎた頃に、唐突にひび割れた。


「淳也、今日の放課後はどうする? 確率の分野を……」


慎が声をかけると、淳也はビクッと肩を揺らし、視線を泳がせた。


「あ、ああ……悪い。今日は急用があるんだ。塾、そう、塾が早まってさ」


「そうか。なら仕方ない」


一度目は偶然だと思った。だが、それが二度、三度と続き、淳也が慎と視線を合わせることすら避けるようになると、慎の警戒心が最大出力で作動し始めた。


――――――


休み時間、教室の隅で淳也が数人の男子生徒に囲まれているのが見えた。彼らは淳也に直接暴力を振るっているわけではない。だが、淳也が青い顔で頭を下げ、それを取り囲む連中が、獲物をいたぶる蛇のような醜い笑みを浮かべているのを慎は見逃さなかった。


(……なるほど。そういう事か)


慎は本を読み進めるふりをしながら、周囲の「音」を拾った。


「おい小杉、昨日の件、忘れてねえだろうな?」


「わ、分かってるよ。ちゃんと用意するから……」


囁かれる声、隠しきれない怯え。


(くだらない真似をしやがる……)


慎は無表情を貫きながら、脳内で現状を整理した。 淳也が自分を避けるのは、自分を巻き込みたくないという彼なりの善意か、あるいは「慎に関わればさらに酷い目に遭わせる」と脅されているからだろう。


――――――


その日の晩、慎は淳也の自宅へ電話を入れた。呼び出し音が数回鳴り、慎が名乗ると、受話器の向こうで淳也が息を呑む音が聞こえた。


『……慎? なんで、わざわざ家に……』


淳也の声は震えていた。周囲に家族がいるのか、ひどく声を潜めている。


「学校じゃ、まともに話せそうになかったからな。……淳也、隠し事は無しだ。俺には、嘘は通用しないと…もう気付いているだろ?」


『あ、それは…』


「誰に、何をされている。……全部話せ」


『う…………』


沈黙が流れる。受話器越しに、淳也の浅く速い呼吸音が響く。彼は慎がただの「成績の良い生徒」ではないことを、これまでの交流で肌身に感じていた。慎なら、この地獄を何とかしてくれるかもしれない。その微かな希望が、淳也の硬く閉ざされていた口を抉じ開けた。


『……ごめん、慎。本当は、言いたくなかったんだ……。でも、もう……僕一人じゃ、どうにもできなくて……』


淳也の声が、啜り泣きと共に震え始めた。


夏休み明け、成績が急上昇した淳也は、クラスの主導権を握る不良グループの格好の標的となった。慎の隣にいることで少しずつ自信をつけ始めていた小杉の態度が、彼らには「生意気」に見えたらしい。加えて、慎が放つ正体不明の威圧感に気圧されている自分たちへの苛立ちが、直接手を出せない慎ではなく、その隣にいる「弱者」である淳也への執拗な八つ当たりへと変質していた。


『……高島先生にも言ったんだ。でも、「受験前の大事な時期に波風を立てるな」とか、「お前にも非があるんじゃないか」って……。誰も、助けてくれない。お金も、もう三万は持っていかれたよ……』


受話器の向こうで、淳也の声が落胆に沈む。担任の高島は事なかれ主義を選んだらしい。


(ふん、この手の「典型的」だな……。覚悟も無い奴等が腐った真似をして……)


「淳也……。泣き寝入りをする必要は無い」


『えっ?』


「俺に考えがある」


話を聞きながら冷静に考えをまとめていた慎は、淳也にある「提案」を切り出した。それは、学校という閉鎖空間のルールを根底から覆すための、緻密な罠の設計図だった。


『え……!? いや、でも……慎、そんなことをしたら、君まで……!』


「気にするな。お前の今後の方が俺にとっては大事だからな……。それに周りも見て見ぬふりなら遠慮する必要も無い」


慎の提案した「反撃」の苛烈さに、淳也は息を呑んだ。慎はそのまま、淳也を危険から遠ざけるために、明日からの欠席と自宅での待機を命じようとした。自分一人で全てを処理する――その方が効率的だと判断したからだ。


「……明日から学校は休め。お前が標的にならない場所で、俺が全て片付ける」


『いや、駄目だよ。被害を受けたのは僕だ。……僕が動かないと、僕は一生、自分を許せない気がする。君に守られたままじゃ……』


慎が静かに制そうとするが、淳也の声には、これまでにない確かな熱が宿っていた。


「……いいだろう。なら、共同戦線だ。俺の言う通りに動けるか?」


『……うん。やってやるよ』


淳也の返答に迷いはなかった。


「よし。じゃあ、明日から……策を実行する。淳也、お前はいつも通りに登校しろ。ただし、ポケットの中には――録音状態にしたスマートフォンを、常に忍ばせておけ」


慎の声は、前世で敵を追い詰めた「掃除屋」のそれへと変貌していた。


「暴力で解決するのは簡単だが、それじゃ学校や教育委員会は『喧嘩』として処理する。奴らが一番恐れるのは、逃げ場のない『客観的な証拠』だ。淳也、お前には囮になってもらう。過激な暴力を振るわれたらすぐに俺が出るが、まずは奴らの『自供』と『現場』を完璧に記録する」


『……わかった。怖いけど、君がいてくれるなら頑張れる』


「ああ、安心しろ。……それと……」


やがて会話を終えた慎は受話器を置くと、夜の静寂の中で小さく呟いた。


「始めるとするか」

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