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暴露

しばし迷った末に、麗奈は震える指先で発信ボタンを押した。コール音は二度鳴っただけで、重苦しい静寂を切り裂くようにして繋がった。


『……かけてきたわね、佳山先生。私が消えて、さぞ清々しているんでしょう?』


「織田川さん、なぜ急に転校なんて……。それに、さっきのメッセージはどういう意味なの?」


麗奈の声は、不安と、嫌悪する芳子の声を聞く不快感で震えていた。


『私だけがあいつのことで苦しむのは不公平だと思って。先生にも、現実というものを教えてあげようと思ったのよ』


「あなた、まさか……」


嫌な予感が、麗奈の背筋を冷たく撫でた。電話越しの芳子は、かつての傲慢さを失い、底知れない闇に呑み込まれたような、掠れた声で「ヒヒッ」と不気味に笑った。


『実家の力を借りて、久遠の過去をほじくり出してやったわ。×××中学での騒動が、全部あいつの仕業だったってことも知った。……先生、あなたはとっくに知っていたんでしょう? 何も知らない私を、陰でわらっていたんでしょう? それではっきりと確信したわ。宏美が私を裏切ってあいつに情報を流し、その恩恵で大嫌いな父親と別れて、手の届かない遠くへ逃げたってことがね!!』


「……っ!!」


『学校を丸ごと潰すことができるんだもの。不倫の証拠集めなんて、あいつにはゲームをするような感覚だったんでしょうよ!!』


麗奈は息を呑んだ。芳子がしでかしたことは、捏造写真による脅迫に続き、今度は極めて重大なプライバシーの侵害だ。それを金と権力でこじ開けたのだ。


「あ、あなた……なんてことを! あの捏造写真に飽き足らず……そんなこと、許されるはずがないわ!!」


『許されない? 笑わせないで。久遠と違って、私は血の通った人間よ……!』


「…?何を言って……」


『ねえ、先生。先生は、久遠がどうして施設にいるのか知っているの?』


「えっ……!?」


麗奈は返答に窮した。真田施設長からも、慎本人からも、その核心だけは語られたことがなかったからだ。沈黙を肯定と受け取ったのか、芳子は戦慄を隠しきれない声で、その「記録」の全貌をぶちまけ始めた。


久遠慎の家庭は、かつては母子家庭だったが、その母親の久遠杏子(くおんきょうこ)は、凄惨なネグレクトと我が子への虐待を繰り返す人物だった。そこまでは、施設に預けられる子供たちの背景として、決して珍しい話ではない。


だが、慎は違った。


『あいつはね、当時まだ六歳だった。普通なら泣き叫んで親に縋る年齢よね?なのにあいつ……何を血迷ったか、母親が自分を虐待している証拠を、ビデオカメラで録画したのよ。その記録を抱えて、たった一人で警察署に乗り込んだ。……信じられる? 自分の母親を逮捕させるための証拠を、六歳の子供が自分の手で用意して、警察に通報したの!!』


「な、何ですって……?」


『結果、母親は逮捕。あいつは保護されたわ。母親はその後、支配していると思っていた幼い息子に「自分が捨てられた」というショックに耐えられなかったのか、精神を病んで警察病院で入院中だそうよ。……傍から見れば自業自得かもしれないけれど、あいつは六歳で自分の……たった一人の母親を法で裁いたのよ!!』


「………!!」


芳子の声は、もはや悲鳴に近かった。


『法律を利用して自分の母親を切り捨て、中学校のいじめグループを大人たち諸共破滅させ、宏美の父親を社会的に抹殺し、今度は私をターゲットに定めた……。あんな機械みたいに、肉親すら処理する様な奴と同じ学校に通うなんて、冗談じゃないわ! 勝ち負けなんてもうどうでもいい。これ以上関わりたくない……あいつに「敵」と見なされた以上、次は何をされるか分かったもんじゃない!』


「織田川さん、あなた……」


かつての傲慢な女王は、今や臆病風に吹かれた無様な逃亡者に成り果てていた。慎が自分の手に負える相手ではないと悟り、家や自身の尊厳に傷が付く前に、逃げるしか道は無いと思い込んだのだ。だが、去り際にその毒牙だけを麗奈に残していくことこそが、歪んではいるが、彼女なりの最後の意地だった。


『……先生。将来あいつの嫁にでもなって、骨の髄までしゃぶり尽くしてもらえばいいわ。あんたのような、お人好しの平和ボケした女にはお似合いよ。せいぜい機嫌を損ねないようにしなさいな。さようなら……もう二度と会うことはないでしょうね』


「あっ!も、もしもし!?織田川さん!!おだ……」


一方的に電話は切れた。麗奈は力なくソファに沈み込んだ。


芳子が暴露した過去は、確かに尋常なものではない。しかし、麗奈の脳裏に浮かぶのは、慎のどこか寂しげな背中や、あの学園祭での穏やかな珈琲の香りだった。 彼は常に、自分の身を守るため、あるいは他人を守るためにその「力」を振るってきた。六歳の時も、虐待という地獄から抜け出すために、最善の選択をしたに過ぎないのだろう。


(けれど……あまりにも……)


定食屋で真田施設長が見せた、あの何とも言えない苦い表情。その理由が、今ようやく合点がいった。


教育者として、一人の女性として、彼にどう接すれば正解なのか。麗奈はますます解らなくなった。


――――――


同じ頃。児童養護施設「□□□園」の自室。 慎は窓辺に立ち、夜の闇を見つめながら、スマートフォンの画面を耳に当てていた。


「ああ、織田川芳子は転校したよ」


慎は、小さく溜息を吐いた。


「俺の所為? まぁ、そうかもな……()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

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