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久遠慎について

入学式と初日のホームルームを終え、麗奈はへとへとになりながら職員室へと戻った。デスクに座った瞬間、どっと疲れが押し寄せてくる。


(初日から、なんて姿を生徒に晒してしまったのかしら……)


今日の出来事を思い出し、麗奈は深く溜息をついた。生徒である慎の落ち着き払った態度が、彼女自身の未熟さを浮き彫りにしたようで、羞恥が収まらない。初日からこうでは、先が思いやられると重い気分に沈んだ。


そんな麗奈の心情とは裏腹に、午後の職員会議は年度初めの緊張感と喧騒に包まれていた。教務主任が資料を読み上げ、各クラスの担任が新入生の情報共有を行う。そして、その会議の中で、ある生徒の名前が麗奈の耳に飛び込んできた。


「一年A組、久遠慎くんについてですが」


麗奈は思わず背筋を伸ばした。


(えっ? 彼がどうして……)


教務主任の報告によれば、彼は前籍の×××中学を、全教科トップの成績で卒業しているという。部活動や生徒会活動への目立った参加記録はないが、その学力は群を抜いていた。


「頭脳明晰で、非常に優秀な生徒だと報告を受けています」


しかし、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、職員室の空気は一変した。数人の教師が顔を顰め、隠しきれない囁き声が漏れる。


「おい、×××中学って……」


「あの…例のいじめ事件の……」


「最近、警察沙汰になった学校ですよね?」


「あそこの卒業生か」


麗奈は、同僚たちの過剰な反応に目を丸くした。その×××中学が、昨年末に起きた凄惨な事件で世間を賑わせたことは、彼女の記憶にも新しい。


あの中学校では、常態化したいじめ問題が発覚し、最終的に警察が介入するという教育現場としては異例の事態に発展していた。通常、こうした問題は学校内での指導や教育委員会による調整で幕引きを図るのが通例だが、その事件は違った。いじめの被害者である生徒側が、自分の訴えを無視し続けた学校組織に怒り、彼らを一切信用せず、ボイスレコーダーなどを使った徹底した証拠収集に基づき、法的手続きを優先させたのだ。


学校側の「事なかれ主義」な発言までもが録音されており、隠蔽工作の証拠が司法の場に提出されたことが決定打となった。結果として、隠蔽に荷担した教師達は懲戒免職、加害生徒たちは家裁送致という、徹底的な法的制裁が下された。勝利した被害生徒は、卒業と共に遠方の高校へ進学し、地域を離れたと聞いている。 久遠慎はその当事者ではないようだが、地獄のような混乱の最中にあった学校を、彼は不動のトップとして卒業してきたのだ。


慎の指導要録には、前任校からの特筆すべき評価が並んでいた。


『非常に大人びており、物事の捉え方が極めて論理的』


『行動力は大人顔負けであり、常に冷静沈着』


麗奈には、それが単なる称賛ではなく、どこか「扱いづらい生徒」への警告を含んだ意味深な言葉のように感じられた。あの騒動を、彼はどのような視点で見つめていたのか。


(彼、きっと大変な環境の中で、頑張ってきたんだわ……)


麗奈が思案に暮れていると、追い打ちをかけるように次の情報が共有された。


「それから、久遠くんは六歳から児童養護施設で生活しており、身寄りのない天涯孤独の身です。卒業まで施設長が身元保証人を務めることになっています」


「…!天涯孤独……」


慎が、その若さで親の庇護がない環境に置かれているという事実は、麗奈の胸を締め付けた。 同時に、職員たちの視線が一斉に担任である麗奈に集中する。「施設の子供」かつ「騒動のあった中学のトップ」という背景を持つ生徒を預かる彼女への、同情と好奇の目が入り混じっていた。


「佳山先生、実際に接してみて、久遠くんはどうでしたか?」


年長の教員からの問いかけに、麗奈は内心の動揺を悟られないよう、言葉を選びながら返答した。


「た、確かに……今朝、少し話したのですが、他の生徒より非常に落ち着いているという印象を受けました。それと……」


麗奈は言いかけて、言葉を飲み込んだ。電車での一件を話すわけにはいかない。


「……非常に礼儀正しく、こちらの話を正確に理解してくれる、頼もしい生徒だと感じています」


彼女はそう結んだが、胸の鼓動は早まるばかりだった。彼女の担任の日々は、あまりにも底の知れない少年との対峙から始まろうとしていた。

学校名を〇〇〇とか×××にしているのは、良い架空の名前ができなかったからです。(汗)

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