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芳子の失敗

現れた慎は一歩踏み出すと、手にしていた自分の上着を脱ぎ、服が破れて身を震わせている麗奈の肩へと優しく被せた。


「すみません、先生……大丈夫ですか?」


「久遠くん」(やっぱり、来てくれた……)


低く、けれど温かみのある声に、安堵した麗奈は強張っていた体の力がふっと抜けるのを感じた。慎はそのまま、視線を射抜くような鋭いものへと変え、芳子の目の前に自分のスマートフォンを突きつけた。


「……何よ、それ」


「織田川先輩。今、あなたが先生を脅迫し、逆上して服を破いた一部始終を記録させてもらいました。立派な強要罪と暴行罪の証拠です」


画面に映し出されたのは、芳子の醜い絶叫と、麗奈の服が無残に裂ける瞬間の鮮明な映像だった。芳子は一瞬、言葉を失って絶句したが、すぐに狂ったような笑い声を上げた。


「……それがどうしたっていうのよ! 私だって持ってるのよ、この女とあんたが夜中に密会してた証拠を! これをバラまかれたくなかったら、さっさとその動画を消しなさい!」


震える手で自分のスマホを掲げる芳子。しかし、慎の表情は、まるで道端のゴミを見るかのように冷淡だった。


「その画像ですか。調べれば、隣にいた施設長の姿を消した加工跡なんて、すぐに見破れる。現代のデジタル技術と警察の解析能力を、あまりに舐めすぎだ。それに、さっきの会話を記録したことで、捏造ねつぞうした画像を用意して強請ゆすりを行った事実も、こちら側に記録されてますよ?」


「な、なんですって……?」


「いいですか。俺と先生が被害届を提出すれば、警察は間違いなく動きます。教師に暴行したんだ。先輩の家がどれだけ金を積もうと、一度ついた刑事事件の記録を消すなんてことは不可能です。『織田川家の令嬢が教師を脅迫していた上に暴行』……このご時世、あなたの家が受けるダメージは、金で解決できる範囲を優に超えますよ」


慎の言葉は現実的だった。取り巻きたちも顔を見合わせて怯えている。芳子は、自分が握っていたと思っていた「最強のカード」が、実は自分自身を切り刻む諸刃の剣であったことにようやく気づき、顔から血の気が引いていった。


「う、嘘よ……そんな、私を脅すつもり……!?」


「現実を言っているだけです。頭を冷やしてください、織田川先輩。あなたの軽率な行動が、取り返しのつかない事態を招きかけているのを理解するべきですよ」


「う……うう……!」


「拒否するなら仕方ない。出るところに出ますか?」


頭から冷や水を浴びせられたような衝撃に、芳子はガタガタと膝を震わせ、その場に崩れ落ちそうになった。完敗だった。論理でも、度胸でも、この年下の後輩には逆立ちしても勝てそうにない。


「……分かったわよ。もういい、こんな写真、消せばいいんでしょ……!」


芳子は悔しさに唇を噛み切りそうな表情で、スマホを乱暴に操作し、画像を削除した。しかし、慎の追及はそこで終わらなかった。


「待ってください。最後に一つ……この破いた先生の服を、今すぐ弁償してください」


「っ……! こ、これくらいの服、後でいくらでも買ってあげるわよ!」


「『後で』ではありません。『今』です。先生をこの格好のまま帰らせるわけにはいかない。ただでさえ人が多いんだ、このままだと結局面倒なことになりますよ」


またしても正論だった。屈辱に顔を歪める芳子。


(このガキ、いちいち五月蠅いのよ……!)


そこへ、ずっと沈黙を守っていた東雲宏美が、静かに一歩前に出た。


「宏美?」


「芳子さん、私が買ってきます。お金、預かってもいいですか?」


「ああ、もう……!ほら、勝手にしなさい!!」


芳子が財布から万札を投げ出すように渡すと、宏美はそれを拾い上げ、慎に一瞬だけ深く、確かな意志を込めた目配せをしてから、倉庫を飛び出していった。


静まり返った倉庫。芳子たちが這うようにして去っていくと、ようやく二人きりになった。


「あ、ああ……」


張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、麗奈はその場に膝をついた。腰が抜けたように動けない彼女の傍らに、慎がそっと寄り添う。


「おっと……先生。もう、大丈夫ですよ」


「あ……久遠くん……ごめんなさい、それと、ありがとう……」


麗奈は慎の上着をぎゅっと掴み、ただ安堵の溜息ためいきを漏らした。

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