第96話「悪夢の終わり」
ロミート邸。
ユアは天蓋付きのダブルベッドの上で目を覚ました。
「お目覚めね」
昨夜リムジンに乗せられる時、暴れないように睡眠薬を飲まされたのだ。
「何でさらったの……? 動画で世界中に知られたし、園長と警察が入ったんだから契約も切れるはずでしょ?」
「ええ、時間の問題ね。でも、このまま自由にさせるのはムカつくの」
そう言うと、リマネスは果物ナイフを取り出した。
ユアは血の気が引いた。
「あなたを殺して、私も死ぬわ」
「な、何、言ってるの?」
「このまま契約が切れたらあなたは喜ぶでしょう? それが気に入らないのよ!!」
リマネスは金切り声で怒鳴ると、ナイフの先をユアへ向けた。
「やめて……」
ユアは逃げ場所を探すが、出入口はリマネスに塞がれていた。
残っているのは窓のみだが、ここは二階。飛び降りる勇気はないし、鍵を開けている間に刺されるかもしれない。
その時、部屋内に警告音がけたたましく鳴り響いた。
リマネスは舌打ちをすると、壁に取り付けてあったモニターで確認をした。
玄関の様子が映し出され、ドアの前にディーン(ディンフル)の姿があった。
「ディン様!」
叫ぶユアをよそに、リマネスはマイクを出すと玄関にいるディーンへ呼びかけた。
◇
「やっぱり来たのね」
玄関にリマネスの声が響いた。
「ユアを返してもらう」
「ダメよ。ユアを殺して、私も死ぬんだから」
「何をふざけたことを。ここを開けろ!」
「開けないわ」
「言うと思った。なら……」
ディーンはドアに向かってファイティングポーズをした。打ち破るつもりだ。
そこへリマネスが食い気味で言った。
「扉を壊したら器物損壊、屋敷の中に入ったら不法侵入で訴える! あなたが犯罪者になったら、ユアと暮らせないわよ!」
ディーンはリアリティアの法律についてはある程度勉強していたので、内容は理解出来た。
しかし、自分よりリマネスの方が罪が重いので動じなかった。
「先日、醜態を晒された者に言われても響かぬ」
「そんなこと言っていいのかしら? あなただって同じでしょう?」
「何?」
彼が聞き返すと、リマネスは一拍置いて自信たっぷりに言った。
「あなた、ユアの本当のお兄さんじゃないんでしょ?」
ディーンは目を見開いた。
「何故、それを……?」
「調べさせてもらったわ。“ディーン・ピート”という名前の人間は、海外では同姓同名がいたけど、あなたのデータは出て来なかったわ。偽名なんでしょう?」
図星で言い返せなかった。
「血が繋がっていないのに偽名を使って十代の子を引き取ろうとするなんて、ますいんじゃない? 誘拐だわ!」
さらに彼女は「変な真似をしたら、あなたの情報を世界中にばらす」と吐き捨てるとマイクを切った。
◇
モニターの映像も消したリマネスは、再びユアへ向いた。
「殺す前に質問してあげる。あの人、誰なの?」
ユアは当然答えられなかった。
ディーンの正体は異世界から来たゲームのキャラだが、空想に反対しているリマネスが信じてくれそうにないからだ。
「答えなさい!!」
リマネスはナイフの先を向けながら近づいた。
恐怖心でいっぱいになったが、ユアは無言を貫いた。
「あぁ、そう。死期が近づくけどいいのね? 言っておくけどリマネス、本気だから!」
ナイフの先がどんどん近付く。
ユアは覚悟を決めていた。
痛い思いをして死ぬのは怖くてしょうがないが、大好きな人を捨ててまで助かる方が不服だった。
どちらにせよ、リマネスが自分たちを助けるつもりが無いこともわかっていた。
目をつぶり、ユアは身構えた。
「覚悟を決めてくれるなら、こちらとしてもありがたいわ。なら、遠慮なく」
リマネスの足音が近づいて来る。
「良い人生だったわねぇ。何の取り柄もないくせに愛されて、勉強も出来ないくせにヘラヘラ笑えて、このリマネスに引き取られたのよ。最後は、兄を偽るコスプレ趣味の男が来たけども」
リマネスは近付きながら皮肉を言い続けた。
コスプレ趣味の男とは、ディーンのことだ。
ユアが目を閉じたままでいると、玄関でドアが開く音がした。
歩み寄る足音もピタリと止んだ。
「は……? “海外から来た”って言ってたけど、“不法侵入”の意味をわかっていないのかしら?」
リマネスは苛つきながら言うと踵を返し、部屋のドアを開けた。
そして、吹き抜けになった階段から階下へ向かって叫んだ。
「鍵の開け方を知っているとは大したものね。泥棒の経験でもあるのかしら? どっちみち、不法侵入には違いないわよ!」
すると、視線の先に立派な髭を生やした一人の男性が姿を見せた。
その人物を目にしたリマネスは息をのみ、ガタガタと震え始めた。
「お父様……?」
「三年会ってないだけで不審者扱いとは残念だ。父の顔も忘れたか」
リマネスの父親だった。
彼は二階にいる娘を睨みつけ、厳しい口調で言った。数年ぶりの再会を喜ぶ素振りは見られない。
その後ろには父親の取り巻きが十人前後、さらに後方にはディーンの姿があった。
「ディン様!」
ユアはリマネスの横を通り過ぎ、階段を降りて来た。ディーンも彼女へ駆け寄った。
「ケガは無いか?」
「うん。でも、怖かった……」
ナイフを向けられ、恐怖でいっぱいだった彼女は涙声で訴えた。
ディーンは震えるユアを強く抱きしめた。
二人の様子を見届けたロミート社長は、再びリマネスへ向いた。
「お前の動画を見つけた。我々がいない間に、好き勝手やっていたそうだな?」
「好き勝手など……。動画は単なる趣味で、お父様やお母様が望むように勉学に励んでおりましたし、ビジネスについても学んでおりました。大学ももう決まっております」
リマネスはこれまでに見せたこともないぐらいに怯えながら、父へ言い返した。
「単なる趣味?! 先日上がった生配信とやらで暴露されていたではないか!」
ロミート社長は声を荒げた。
「あ、あれは……」とまで言い掛けるリマネスだが、すぐに話題を切り替えた。
「そもそも何故、お父様が動画を? あのようなサービスには興味を示さなかったではありませんか!」
「取引先の娘さんが動画のサービスを好んでおり、私が見ても面白そうなものをいくつか紹介してもらった。動画鑑賞も悪くないと思ったよ。そして最近、お前のアカウントを娘さんから教えてもらった。被写体に使われる子があまりにも不憫に感じ、急いで帰国した!」
リマネスの動画は主にユアを出し、自分は仮面で顔を隠し、「マリー」と名乗っていた。それなのに、父親にばれてしまっており、混乱した。
娘の納得がいかない様子を察した父が説明し始めた。
「ユアさんと言ったかな? 娘さんの話では被写体の子の後ろに鏡が置かれている時があってな、そこに、仮面をしていないお前の顔が映っていたのだ!」
リマネスはユアさえ苦しめればいいと思っていたので、細かいところまでは気が付かなかった。
「帰りの飛行機で目にしたのが、先日の生配信だ。世界的人気のアーティストまで巻き込みおって!」
「あ、あれは、向こうが勝手に……」
父本人は動画のサイトには興味は無かったが、取引先の家族に紹介されていたのは盲点だった。
リマネスが弁解しようとすると、ディーンが割って入った。
「事情を話せば協力してくれた。あちらから見ても、お前の行動は滑稽なのだ!」
「あなたは黙りなさい!!」
怒号を上げる娘へロミート社長が「誰に口を聞いている?!」と彼女を上回るほどの声量で怒鳴りつけた。
「彼の言う通り、お前は滑稽だ! いつまでそのような刃物を持っている?! 恥を知れ!!」
社長に言われるとリマネスはしゅんとなり、手の力も抜けて果物ナイフを床に落としてしまった。
「暴露の内容もそうだが、里子の話も聞いていない! よその子を引き取る余裕が、今のお前にあるのか?!」
「そ、それでは……?」
社長の言い方について、ディーンが相手へ疑問を投げかけた。
「ユアさんが望むなら契約は解除だ。今まで、娘が申し訳なかった……」
ロミート社長はユアへ向かって深々と頭を下げた。
これで正式にユアはロミート家から解放されることが決まった。
ユアは嬉しさのあまり、再びディーンに抱き着いた。
その目からは喜びの涙が溢れ出ていた。