第77話「悲願の再会」
動画撮影が行われる庭に出た。
リマネスたちが住むロミート邸の庭は植物園並みに大きい花畑や、そこでお茶会が出来るガゼボもあったりと「さすが豪邸」と言わんばかりに広大だった。
野球が出来そうなほどに大きい広場には、自転車が一台だけ置いてあった。
「今日は、この自転車を使って撮影するからね」
庭にはユアとリマネスとヴァートン、そして撮影に関わるスタッフが数人いた。
外で撮影するのは初めてだった。
もちろんユアは、撮影よりもリアリティアに来たであろうディンフルで頭がいっぱいだった。
先ほど見た動画はニュースに上がるぐらいなので、作り物でないのは明らかだった。
彼と会うにはここを抜け出さなければならないが、脱走を試みるとリマネスのボディガードが動き出す。
ユアはふと、目の前の自転車に目をやった。
リマネスがスタッフらと一緒にカメラやマイクなどの機材をチェックをしてる間に、試しに自転車に乗って漕いで見せた。
サドルの位置もちょうど良く、チェーンも異常がなく、タイヤに空気も入っており、問題なく動いた。
今度はヴァートンへ話しかけた。
「ヴァートンさん。さっき、学校から帰る時に入口の門から変な音がしたんですけど?」
「変な音とは?」
「開く時に“ギギギ”って聞こえた気がするんです。錆びてるんじゃないでしょうか?」
「かしこまりました。ロミート家で錆びがあるのは良くありませんからね。ご報告ありがとうございます」
ヴァートンはユアに無表情で感謝すると、リマネスたちに一声掛けてその場を離れた。
リマネスたちはまだ機材の確認をしており、誰もユアを気に掛けていなかった。
玄関の門にはヴァートンがいた。先ほどユアが言っていたことを確認をするためだった。
門はスイッチ一つで開閉出来るようになっており、彼女がスイッチを押すと、門は両開きに動き出した。
「よしっ!」
門が開いた瞬間、ユアは猛スピードで自転車を漕いでロミート邸の外に出た。
「ユア様?!」
驚いたヴァートンが声を上げる。
「お戻り下さい!!」
いつも冷たく静かな彼女が声を荒げた。
もちろんユアは止まらず、遠くへ向かってひたすら漕ぎ続けた。
ヴァートンは急いで広場に戻り、リマネスに報告した。
「あなたがついていながら何やっているの?!」
「申し訳ございません……。どうやら、出て行くためのウソをつかれたようです」
「言い訳しないで!」
リマネスは眉間や鼻の頭にしわをよせ、思いきり怒りをむき出しにした。
すぐさまボディガードを手配し、ユアを探しに行かせた。
「逃がさないわよ、ユア……!」
◇
街中を自転車で猛スピードで駆けるユアだが、GPSがついているのかすぐにボディガードが乗るリムジンに見つかってしまう。
速さでは負けてしまうが、リムジンは車なので移動できる範囲は限られている。
ユアはすぐに狭い路地へ入って行った。そこなら大きいリムジンは入れない。
「絶対に捕まるもんか!」
◇
その頃、ディンフルは人通りの少ない町中を歩いていた。
少数でもすれ違う者には必ず凝視された。
(イマストのせいだろうな。初めて来る世界なのに名が知られているとは、何と歩きにくい……)
だいぶ歩いたが、疲れてはいなかった。
しかし色々な人から怒られたり、じろじろと見られたりして精神的には疲弊していた。
(そろそろ、何か口に入れねば。リアリティアでは何が主食なのだ?)
小腹が減って来たところで、自分と同じ背丈ほどの縦長の箱を見つけた。
それはミラーレでも見たことがない代物で、中には色とりどりの模様の筒がニ十本ほど入っており、それぞれボタンがついていた。
ディンフルはその物体に目が釘付けになった。
大きな箱を見ていると、下の方から視線を感じた。
三つ編みにした桃色の髪を片方だけ下げ、紺色のスクールバッグを肩に担ぎ、紺色のブレザー姿の少女がディンフルを見つめていたのだ。歳はユアより下の中学生ぐらいだ。
その目は憧れに満ちており、目が合うと彼女は「キャッ!」と両手で顔を隠した。
(このシチュエーション、どこかで……?)
ミラーレでユアと出会った時も、彼女は推しのディンフルを前にすると両手で顔を隠していた。それと同じだった。
そして、もう一つ気付いたことがある。
少女の片方の三つ編みという髪型は、亡き恋人・ウィムーダと同じだった。
彼女は手を少しずつ開き、指の隙間からディンフルを見つめた。
まだ目を合わせるのが恥ずかしいのか、再び指同士をくっつけてしまった。
「あ、あの……、ディンフルのファンですかっ?」
少女は顔を隠したまま、質問をした。
ディンフルは答えに困り、「ファンと言うか……」と言ったところで、言葉が出なくなった。
「本人だ」と言えば、間違いなく面倒になると思ったからだ。
何も言わずにいると、少女の方から話し始めた。
「わ、私は、ディンフルのファンです! 初めて見た時からカッコ良くて、好きになりました! この髪型もウィムーダとお揃いです! あ、イマストはまだやってないけど、ネットで情報を集めてます!」
少女はいつの間にか顔を覆っていた両手を外し、嬉しそうに話していた。
髪型についても、やはりウィムーダを意識していた。
ディンフルは過去の事情まで知られていることに驚いた。自分で話す手間は省けるが、見知らぬ者に把握されているのは喜ぶべきなのか疑問に思っていた。
「自販機で何か買うんですか?」
少女は目の前の箱を指して言った。
「じはんき?」
ディンフルが聞いたことが無い名前をオウム返しすると、相手は再び訪ねた。
「もしかして自販機、初めてですか?」
「こちらには疎くてな……。あ、使い方がわからぬのだ」
ディンフルがわかりやすく言い直すと、彼女は自動販売機の使い方を説明してくれた。
「こちらは自動販売機、略して“自販機”です」
正式名称と略称を教えてくれた少女はスクールバッグから財布を出すと、小銭投入口にお金を入れた。
中に並んでいるのは飲み物で、お茶やジュース、紅茶、コーヒーなど色々あることがわかった。
ディンフルが無糖のコーヒーをリクエストすると、少女は喜んでボタンを押した。取り出し口から缶コーヒーが出て来た。
彼女はそれを取ると、笑顔でディンフルに差し出した。
「どうぞ!」
「あ、ありがとう……」
少女の気遣いと飲み物が出て来る自販機の両方に驚きながらも、ディンフルは礼を言った。
彼女は缶の開け方まで教えてくれると、スキップをしながらその場を去って行った。
そして走って行く際、「私、リビム! また会おうね、ディンフル!」と叫んだ。
ここまで「ディンフルの人」「本人そっくり」とコスプレ扱いされて来たが、初めて名前だけで呼ぶ者が現れ、何故かすがすがしい気分になっていた。
そして、教えてもらった通りに缶を開け、初めてリアリティアのコーヒーを飲む。
すると……。
「な、何だ、これは?! フィーヴェのより美味いぞ!!」
彼に良い意味で電撃が走った瞬間だった。
◇
ユアは追って来るリムジンから逃げるため、必死に自転車を漕ぎ続けていた。
しかし、どこへ逃げてもGPSで場所が知られているため、見つかってしまう。
「しつこいな、もう……!」
歩道にボディガードが数人、目の前に立ち塞がった。
手前に歩道橋があり、ユアは方向を変え、スロープを上り始めた。
運動が苦手なはずなのに、ユアは上り坂を猛スピードで上がれる自分に「こんな体力があったのか」と驚いた。これが火事場の馬鹿力だろう。
ボディガードたちも一生懸命スロープを駆け上がってくる。
ユアは歩道橋の上まで着いた。
本来ここで自転車に乗ってはいけないが、ボディガードに捕まらないために必死で漕ぎ続けた。
階段の下りに来ると、下の方でボディガードが待ち構えていた。
先ほど歩道の前に立った一人が先回りをして来たのだ。
(このままじゃ捕まる……。でも、あの屋敷には帰りたくない! ディンフルに会いたい!!)
必死にペダルを漕いだ。
下り坂と言うのもあり自転車のスピードはどんどん上がり、疾風の如くボディガードに突っ込んで行った。
相手は大の字のポーズで立ち塞がるが、自転車のスピードに少し怯んでいた。
「と、止まって下さい、ユア様!」
どく気が感じられないので、ユアは思わず叫んだ。
「どいてくれたら帰ってあげる!!」
相手はその言葉を真に受け、避けて道を譲ってしまった。
彼の横を自転車が猛スピードで駆け抜けて行く。
ユアはまた彼らの手の届かない距離へ離れてしまった。
その後、「何してるんだ?!」とそのボディガードが叱責されたのは言うまでもなかった。
◇
時刻は夕方。
ユアとボディガードの追走劇はまだ続いていた。
ペダルを漕ぐ彼女の体力も限界が近く、新品でない自転車もたくさん走ったのでガタが来ていた。
場所は土手。
リムジンからボディガードの一人が何度も「止まって下さい!」と叫ぶ。
逃げ続けるユアに堪忍袋の緒が切れたのか、ついにボディガードが銃を取り出した。
「可哀想ですが、やむを得ません!」
ボディガードが発砲した。
銃弾が自転車の後輪に命中し、タイヤの空気が一気に抜けていく。
「え?! ……うわうわうわうわ!」
ハンドルの操作がきかなくなり、ユアは左右へフラフラした末に転倒した。
リムジンも止まり、中から数人のボディガードが出てきて彼女の体を押さえつけた。
「離して!」
「リマネス様がご心配されております! お戻り下さい!」
「いや! あいつは私をいじめるの……!」
ユアの体は担がれ、リムジンに押し込まれてしまった。
(どうしよう……。せっかく脱走出来たのに、これじゃあまた手を打たれてしまう。もう屋敷から出してもらえなくなるかも……)
ユアは悔しさのあまり、大声で叫んだ。
「ディン様ぁーーー!!」
その時、ボディガードの一人が後ろから肩を掴まれ、そのまま引き倒された。
「な、何だ?!」
さらに、隣にいたもう一人も蹴り飛ばされてしまった。
突然やって来たその者は、車内にいるユアへ手を差し伸べた。
「大丈夫か、ユア?!」
ディンフルだ。
ユアがずっと会いたがっていた顔がそこにあった。