第50話「緑界の家族」
森の中。
ティミレッジとディンフルは、フィーヴェの戦いが始まる前にあったことを振り返っていた。
「まさか、あの時の白魔導士と再会し、共に旅に出るとは思わなかった」
「僕もあの時の魔王が異世界で働いて、みんなにも優しさを振りまくとは思いませんでした」
「やめろ……」
ティミレッジがミラーレでの出来事を思い出させると、ディンフルは眉間にしわを寄せて唸った。
彼がここ数日で一番思い出したくないことだった。
「しかし、ジェムが動かなくなった原因がお前だったとは……」
ディンフルは自身にトドメを刺そうとしたジェムの一つを、ティミレッジが壊したことを初めて知った。
「何故そのようなことをした? 私を庇えばどうなるか、頭の良いお前ならわかる筈」
「自分でも驚いています。理由は今でもわかりません、体が勝手に動いたので……。だけど後悔はしていないです」
「馬鹿だな。その結果、私はお前たちの故郷を消した。もし家族に何かあっても、同じことが言えるか? 何よりジェムを壊した後、何か言われたのではないか?」
ディンフルがそう聞くと、ティミレッジは声を弾ませた。
「やっぱり、お優しいですね!」
「何……?」
「異次元へ送った僕たちの家族や、僕の身を案じて下さってるじゃないですか。普通の魔王なら、敵の心配なんてしませんよ」
「し、心配などしていない!! 少し気になっただけだ!」
ディンフルはすかさず否定した。
「優しい」と指摘されるのは、いつも通り不服だった。
「僕なら大丈夫です。黒魔導士のソールネムさんって人に助けてもらったんですけど、彼女は気付いていませんでした。何でも“最後の抵抗”として、あなたが魔法で壊したことになっているので」
「濡れ衣だな……」
どちらにせよジェムに携わった六人の魔導士もすぐに村ごと消されたため、ティミレッジの罪は誰にも知られていない。
「僕、ずっと考えていたんです。あなたのような優しい方が世界を制圧するのは、よほどの理由があるんじゃないかって」
「私は優しくなどない。もう人間どもに媚は売らぬ」
「じゃあ、何で僕と母を助けたのですか? あの時、母は瀕死でしたし僕も攻撃出来ない白魔導士で魔力も底をついていたんですよ。あなたなら簡単に倒せたはずです」
「不利な親子を助けたから優しいと? とんだ勘違いを。厄介事を増やしたくなかったからだ。お前たちを殺したり異次元へ飛ばせば、ビラーレルの者から怒りを買うだろう?」
「すでにフィーヴェ中から買っていたと思いますが……?」
ティミレッジの指摘にディンフルは「そうだな……」と少々焦りながら納得した。
「魔王なら敵を無傷のまま故郷へ帰しません。本当は、ユアちゃんと会う前から優しい人だったんじゃないですか?」
ユアの名前を出した途端、ディンフルは視線をそらし、無言になった。
突然、相手の様子が変わり、ティミレッジは困惑した。
「そ、そんなに……?」
「当然だ。魔法が使えぬせいでどれだけ大変だったか。お前に一番怒る権利があるのだぞ。何とも思わぬのか?」
「お、思ってないことはありません。ただユアちゃんも、すごく反省しています」
「口で言うだけなら簡単だ。これまで会って来た奴らもそうだったが、“反省してます”だの“次から気を付けます”だの、その場しのぎの言葉を使うだけで内心は悪びれていない。叱責される間をどうやり過ごすかしか考えていない。あいつもそうだ。”敵同士を戦わせたくない”など、自分の都合で皆を振り回すとは自分勝手にもほどがある!」
「ぜ、全員がそうとは限りませんよ。ユアちゃんは本気で悪いと思っているはずです! 元々悪い子じゃないこと、ディンフルさんも知っていますよね?」
ディンフルはティミレッジに背を向けた。
「パーティに戻すための思い出話なら、もうよい。何を言われても戻らぬ」
「ち、ちょっと待ってもらえませんか?」
「一つ伝えておく。先ほど一件の村で聞いたところ、ここは”緑界”という緑で生い茂った世界だそうだ。まだ歩き回るなら覚えておけ」
最後に今いる世界の説明をすると、ディンフルはマントの飛行能力で飛んで行ってしまった。
「そんなぁ……」
説得に失敗し、ティミレッジは膝から崩れ落ちてしまった。
◇
その頃、ユアは切り株の上に座って休憩を取っていた。
ディンフルとフィトラグスを怒らせただけでなく、ティミレッジとオプダットを置いて来てしまった。
「これで、あとの二人からも嫌われるに違いない」と不安に駆られていた。
(みんなに会わす顔が無い……。リーブルとクレイスを使って、私だけ他の世界へ飛ぼうかな?)
逃げることを承知で一人だけ他の世界へ飛ぼうと考え始める。
(いや。そんなことしたらもっと嫌な思いさせてしまうし、もう二度と会えなくなるかもしれない……)
考え込んでいると、頭の上で鋭い声が聞こえた。
「何をしているんですか?!」
顔を上げると、全身緑の服を着た若い男性がいた。この世界の住民のようだ。
表情は切迫していた。おそらく部外者の自分を警戒しているのだろうと思い、ユアは咄嗟に謝った。
「ご、ごめんなさい! 今すぐここを去りますから!」
「いや、去らないで下さい! むしろ一緒に来て下さい!」
「へ?」
青年は慌ててユアの腕を引っ張って、走り始めた。
◇
連れて来られたのは小さな村。
村を囲う柵やそれぞれの家は丈夫な木で出来ていた。村民は皆、緑、茶色、青など自然を思わせる色を基調とした服を着ていた。
村に着いた途端、青年は先ほどと打って変わって態度が和らいだ。
「もう大丈夫ですよ。この村にいれば、巨大虫に襲われることはありません」
「きょだいむし……?」
いきなり連れて来られた上に、初めて聞く言葉にユアは頭をひねった。
「やはり知りませんよね。巨大虫と言うのはこの緑界で五〇〇年ほどに一度現れる、異様な巨体をした虫です。ここは”緑界”という自然に溢れた世界ですが、基本は虫と共存しています。でも、今話した巨大虫は人間を襲って来ます。その巨大虫が先ほど目撃されたらしいのです」
「は、はぁ……」
事情を聞くと、ユアの脳裏には四人の仲間が思い浮かんだ。
いつも誰かが困っている時はフィトラグスやオプダットが率先して助けようとするが、今はどこにいるかわからない。
特にフィトラグスは今、行動を共にしてくれるかは不確かだった。
どちらにせよ、今はここを動けそうにはない。
その時、長く伸ばした濃い緑色の髪に、緑色と黄緑色のドレスを身にまとった女性がやって来た。
「ご無沙汰しております、リーフ」
「り、緑王様?!」
リーフと飛ばれた青年は、目の前にいる緑界の王に向かって跪いた。
「緑王……? 女性なのに王様?」
ユアが目を丸くしているとリーフが「失礼だぞ!」とたしなめ、緑王へ跪くよう促した。
「良いです、リーフ。彼女は異世界から来たのでしょう? 王であるわたくしを知らないのも無理はありません」
緑王はユアへ向かって優しく微笑むと、すぐに視線をリーフへ戻した。
「今日はあなたへ用があります。リーフ、例の件ですが……」
緑王は真剣な眼差しで彼に話を持ち掛けた。
リーフは跪いたまま頭を上げようとしない。
「あなたの気持ちはわかります。ですが、この緑界を救うには、どうしても必要なのです」
「……いくら緑王様のご要望でも、これだけは……」
両者とも、神妙な面持ちだった。
この世界に来たばかりのユアは話が読めず、重々しい空気も流れていたので迂闊に聞くことも出来ない。
明らかに二人共、困っていた。「こんな時、フィットたちがいたらな……」と思った。
そこへ、黄緑色のショートヘアに緑系統の色の服を着た女性が息せき切ってやって来た。
「リーフ、大変よ!」
「ミドリ?! 緑王様がお越しだぞ!」
「あ、緑王様……」
緑王はミドリと呼ばれた女性に向かって会釈をした。
だが、彼女に向けられた顔はユアの時とは違って、憐れみを含んでいてどこか悲し気だった。
「緊急事態のようですね。何かおありになったのですか?」
「あ、はい。ミントがいなくなってしまいました!」
「何っ?!」
ミドリの知らせで、王がいる前にもかかわらずリーフが声を上げた。
そして緑王に背を向け、ミドリへ向き合った。
「ミントはずっと抱いてたんじゃなかったのか?!」
「お手洗いに行きたくなって、村人に預けている間に“巨大虫が出た”って知らせが来たの。みんなが逃げ出す時にその人、“ミントを置いて来た”って……」
詳しく聞くと、彼とミドリは新婚の夫婦で半年前に娘のミントが生まれたばかり。
その子を預かっていた者は巨大虫が出る前に「お母さんがすぐに戻るから」とミントを元の安全な場所に戻しており、巨大虫が出て避難する際に助けに戻ろうと考えたが、怖くて行けなかったそうだ。
事情を知らないミドリはまっすぐ村へ帰って来てしまった。
聞いていたユアは「母親が戻るまで一緒にいるべきだった」とその村人へ苛立ちを覚えた。
「ミントはまだ半年だぞ!!」
父親のリーフも憤慨した。
「ミントちゃんの安否が心配です。リーフ、急いで下さい」
リーフは返事をせず、急いで剣や防具の準備を始めた。
ユアは急ぐ彼に合わせて、早口で話しかけた。
「あの、今ははぐれているんですけど、私も仲間と一緒に来たんです。その人たちも戦えます!」
「でも、はぐれているんですよね? 居所はわかっているんですか?」
リーフは武具の準備のために、ユアを見ずに聞き返した。
「断定はできませんが、どこかで会えると思います。彼らもこの世界が初めてなので。私も一緒に行ってもいいですか?」
明らかに戦えなさそうなユアが同行の意思を示すと、鎧を着けている最中のリーフが手を止め、怪訝な顔で彼女を見た。
「あ、足手まといは承知しています! でも私、他の異世界にも行ってたので、戦うことは出来ませんが逃げることは出来ます。もし赤ちゃんを保護した後に敵が現れたら、私が抱いて逃げます。」
「……わかりました。その時はミントをお願いします」
「ありがとうございます!」
承諾を得たユアへミドリが「ミントの好きなものだから」と薄いピンク色の液が入った哺乳瓶を手渡した。それは緑界で作られる「花のミルク」という赤子用の飲み物だった。
ユアとリーフはミントを探すため村を出た。