騎士団 3
最初に動いたのはリーズフェルドの方だった。ゆらり、ゆらりと左右に揺れる。まるで幽霊のような気味の悪い動き。
(なんだ……この動きは……? さっきまで見せていた動きと全然――)
ダイムが訝し気にリーズフェルドの動きを見ていた時だった。急にリーズフェルドの姿が見えなくなった。
(消え――)
そう思った時にはもう遅かった。リーズフェルドの剣が、ダイムの喉元に突き立てられている。剣先と首元までの隙間は皮一枚ほどしかない。神業のような寸止め。
「そこまで! 勝者、リーズフェルド様ッ!」
ガーランドが大きな声で決着を言い渡す。
「…………ッ」
ガーランドの声で、リーズフェルドがスゥーっと剣を引き戻す。そして、何事もなかったかのように元の位置に戻ると、静止した状態で待機する。
「ダイム。今の攻撃、何をされたか分かっているか?」
ガーランドはダイムの元に歩み寄り、どれだけ理解できているのかを確認する。
「い、いえ……。気が付いた時には、剣が喉に突き立てられておりました……」
ダイムは冷や汗をかきながら答える。何が起こったのかまるで理解できていない。唯一分かることは、実戦なら死んでいたということだけ。
「惑わされたのだよ、お前は」
「惑わされた……ですか?」
「最初のゆらゆらとした不気味な動きに目を取られていただろう?」
「はい……」
「あの後、低い姿勢から、爆ぜるように突進してきて、お前の喉に向けて剣を突き出した。ゆっくりとした動きから、急激に速度を上げられ、至近距離にまで来られたから、お前はリーズフェルド様を見失った」
「そ、そういうこと……でしたか……」
「しかも、あの精度での寸止めだ。相手がリーズフェルド様でなければ、しばらくは水を飲むのも苦痛だっただろうな」
「…………はい」
ダイムは力なく返事するしかなかった。ダイムも腕に覚えた剣士だ。リーズフェルドにやられたことが、どれだけの技量のものなのか理解することはできる。
「ダイム。まだやれるな?」
ガーランドが厳しい目を向けてくる。これで終わりになどさせてはくれないという意思がひしひしと感じられる。
「くっ……。分かりました。私も騎士団の端くれ。君主の姫様の稽古台くらいは、果たさせていただきます」
たった一振りで分からされたダイムだが、それでも騎士団としての矜持はある。何も恵まれた体躯だけでここまできたのではない。積んできた鍛錬も人一倍だ。
「リーズフェルド様、模擬戦闘の2本目、よろしいですか?」
静かに待っているリーズフェルドに、ガーランドが声をかけた。この状況で、これほどまでに静かにしているのは、普段のリーズフェルドからは信じられない光景だ。
「はいッ! いけます!」
気合の入ったリーズフェルドの返事が返ってくる。
「それでは、双方構え! はじめ!」
ガーランドの掛け声によって、模擬戦闘の2戦目が始まる。
リーズフェルドがすぐさま動いた。まっすぐダイムに向かっていく。
もうダイムに油断はない。がっしりと防御の構えを取って、リーズフェルドの攻撃に備える。
一足飛びに距離を詰め、間合いに入ったリーズフェルドが、大きく足を前に出して、両手に持ったショートソードを体ごと斜めに斬り下ろした。
ガキンッ!
金属同士が激しくぶつかる音が響いた。
「ぐ……ッ!?」
ダイムの口から思わず苦悶の声が漏れた。
リーズフェルドの斬撃は、先ほどと違い、至極単純なものだった。まっすぐ突っ込んできて、思いっきり剣を振り下ろす。それだけ。
それだけなのだが、その剣が恐ろしく重い。とてつもなく速く、鋭い剣。リーズフェルド自身が一つの剣であるかのように、体全体が連動して、今の一撃が繰り出されている。
ダイムは、両手でしっかりとショートソードを構えて、リーズフェルドの斬撃を受け止めたが、後ろに飛ばされ、膝をついてしまう。
「ま、まだまだあー!」
だが、これで終わるわけにはいかない。次の攻撃に備えて、ダイムがすぐさま立ち上がる。
続けてリーズフェルドの斬撃が飛んでくる。両手でしっかりとショートソードを持って、横一閃。降り抜いた姿勢は、倒れこむほどのものだが、軸がしっかりとしており、その体勢でもどっしりとした安定感がある。
「ぐあ……ッ!」
ダイムはこれも受け止めるが、耐えきれずに後ろ倒しになってしまう。
姿勢を崩されてしまったダイムは慌てて立ち上がると、そこには次の攻撃を仕掛けようとしてくるリーズフェルドの姿があった。
すぐさま構えをとって、ダイムが何とか攻撃を受けるが、また転がされる。リーズフェルドの攻撃は、どれも単調なものんばかりなのだが、その技量が凄まじい。全ての攻撃が、大柄の男を弾き飛ばすほどの強撃。
しかも、無駄な動きは一切なく。余計な力も全く入っていない。尋常ではないほど速く、鋭く、重い。
そして、幾度となくダイムが転がされていく。
「それまで! 勝者、リーズフェルド様!」
模擬戦闘を止めるガーランドの声が響いたことで、やっとダイムが解放される。
「はぁ……、はぁ……、はぁ……。(防御すらままならないのか……。いや、違うな……。防御しているところしか狙われなかった……。手加減されていたのか……、俺は……)」
膝を着いたまま立ち上がれないダイムが、今の模擬戦闘を振り返った。リーズフェルドの攻撃を受けて、無様に転がされたのだが、一度も攻撃を食らってはいない。全て防御しているところに攻撃が飛んできていた。
「両者前へ!」
ガーランドが号令をかけると、ふらふらの体に鞭打って、ダイムが元の位置に戻る。
「ありがとうございましッ!」
リーズフェルドが威勢よく頭を下げて礼をする。
「あ……ありがとう、ご、ございました……」
ダイムが何とか声を出して、礼を返した。
「ダイム、ご苦労だった。どうだった? お嬢様の剣は」
ガーランドは、ダイムの肩にぽんっと手を置いて、声をかけた。
「手加減されていました……。リーズフェルド様は、まだ本気を出していません……。自分の未熟さが悔しいです……」
ダイムは歯噛みしながら答える。
「ああ、そうだな。それが分かれば十分だ。精進しろ。お前は強くなる」
「はい……。ありがとうございます」
ガーランドの意図を察したダイムは深々と頭を下げた。そして、持ち場へと帰っていく。
「さて、リーズフェルド様。先ほどの模擬戦闘、実に素晴らしいものでした。これほどまでにお強いとは、流石に予想できませんでした」
「恐縮っす」
「ここまでお強いと、部下との模擬戦闘では少々物足りないと、感じてはおりませんか?」
ガーランドはニヤリとした表情で、リーズフェルドに問いかけた。この言葉に周りの騎士団達に動揺が走る。リーズフェルド様の奇行に一番慌ててたのは、あんたじゃないのかと。
「って、それは、もしかして……」
「よろしければ、私がお相手いたしましょう。いかがですか?」
「マジっすか!? マジでいいんすか!? めっちゃやりたいっす!」
この日一番の笑みを浮かべてリーズフェルドが答えた。リーズフェルドには最初から分かっていたことがある。ガーランドを見た時から、強いということが。とにかく軸が安定している。とても強い足腰だ。並の鍛え方ではない。
「そう言っていただけると光栄です。ただ、模擬剣といえども、リーズフェルド様に向けて振るうわけにはいきませんので、そこはご了承いただきたい」
「ああー……。まあ、そうなるんすよねえ……」
残念そうな顔でリーズフェルドが言う。本音は実戦形式でやりたいのだが、如何せん、自分はまだ子供だ。
「申し訳ございませんが、そこだけは、お譲りすることはできませんので」
「しゃーないっすよね……。分かりました。それでいいっすよ。騎士団長の胸を借りさせていただきます!」
若干渋った様子だが、案外聞き分けよくリーズフェルドは納得した。
「はい。どうぞ全力でかかってきてください」
ガーランドはニヤリとしながら返事をした。ガーランドは騎士団長という立場があるが、根は武人だ。目の前に強い奴がいれば、それを見たくなる。相手が10歳の少女でも。
「よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします! それでは、模擬戦闘開始いたします! どうぞ、どこからでもかかってきてください!」
ガーランドの掛け声で、模擬戦闘が開始される。
リーズフェルドはここでも、すぐさま動いた。しっかりと両手で剣を持ち、地面を力強く蹴って、一気にガーランドの懐まで潜り込む。
そこから、体全体を連動させての斬撃を放つ。柔らかい体の動きだが、飛んでくる剣は半端なく重い。
ガーランドは、その斬撃を正面から受ける――と見せかけて、半歩足を引きながら、リーズフェルドの斬撃を流した。
(本来なら、ここで反撃を入れるんだが……。そんなことさせてもらえる隙なんてないな)
最初からこの模擬戦闘で、ガーランドは手を出さないことになっている。だが、これが実戦だったとしても、手が出せない。もう次の攻撃が来ている。
リーズフェルドが横薙ぎの斬撃を繰り出す。これをガーランドは半歩下がりながら受け流す。
(これだけの剛剣を流されても、体幹は全くブレないか……。10歳の少女が、どんな鍛錬を積んでいるんだ?)
そもそも10歳の少女が、大柄の男を転がせることが既に異常なのだが、その攻撃を連続で出しても安定していることの方が恐ろしい。
「へへへっ、凄いっすね。やっぱ、強ぇっすわ、団長!」
やる前から分かっていたが、やはりこの騎士団長は強い。リーズフェルドは、数回の攻撃でも相手の技量の高さが伝わってくる。
「お褒めいただき、光栄です。リーズフェルド様の剣捌きも見事なのです。いつの間にそのような剣技を身につけられたのですか?」
「ああ、これっすか? こういう両刃の直剣ってのは、初めて持ったんすよね。適当に振ってるだけなんで、剣技ってほどのもんじゃないっすよ」
「初めて……、持った? 適当に振ってる……ようには見えませんが?」
流石にこの返答にはガーランドも顔を顰めた。どう見ても達人の剣技だ。一朝一夕で振れるような剣ではない。
「単純な話っすよ。このショートソードは簡単な形状ですし、扱いやすいんで、戦闘技術があれば、即興でも使うことができる。そんだけの話っすわ」
「はあ……。まあ、言いたいことは分からないでもありませんが……。要するに、リーズフェルド様は、剣に限らず戦う術をお持ちであると、そういうことで?」
「まあ、そういことっすね」
「その技術をどこで身に付けたのか……。それは聞いてもよろしいですか?」
「どこでって、聞かれると……。う~ん……。答えにくいっすねえ……」
「そうですか、まあ、答えにくいことなのでしたら、これ以上の追及は止めておきましょう」
あくまでリーズフェルドは主君の娘だ。騎士団の身分でこれ以上聞くことは止めておくべきと判断した。
「そうしてくれると、ありがたいっす」
「いえいえ、こちらこそ、出過ぎたことを聞いてしまいました――では、続きと参りましょうか」
「うっす!」
気合の入った声で、リーズフェルドが返事をすると、すぐさま動き出した。さっきまでとは違い、ショートソードを片手で持ち、倒れこむほど前のめりになって、地面を駆ける。
今度は、正面からではなく、弧を描くような動きでガーランドの側面から攻撃をしかける。まるで蛇が獲物を狙うかのような挙動。騎士が習う剣術では見ることのない動きだ。
リーズフェルドの掬い上げるような攻撃をガーランドが受け流す。
(やっかいだな……)
ガーランドが内心で舌打ちをする。一般的な剣術とは全く違く角度からの攻撃に、上手く対処しきれない。
リーズフェルドの攻撃はさらに続いていく。体を大きく捻っての斬撃から、円を描く動きで連撃を重ねる。そこから体を回転させての横払いや斜めの袈裟斬り。変幻自在の剣が次々と飛んでくる。
しかも、飛んでくるのは剣だけではない。大振りになって、隙ができたと思ったところに、中段の後ろ回し蹴りが来る。
ガーランドは左籠手で受けるも、遠心力を付けたリーズフェルドの後ろ回し蹴りは、骨が軋むほどに重い。
「ぐっ……(剣より、こっちの方が堪えるぞ……ッ!?)」
ガーランドが思わず苦悶の声を漏らしてしまう。
一歩、また一歩と、ガーランドは後ろに押されていく。
今のリーズフェルドの攻撃は、つい先刻に見せてもらった剣舞だった。まるで踊っているかのように軽やかで柔らかく、美しい動き。だが、実際には凶悪極まりない戦場の剣だ。
多少腕に自信がある程度だと、手も足も出ないまま、案山子同然に切り刻まられて終わり。
ガーランドも後退しながらで、やっと対処できているかどうかというところ。反撃など、針の穴ほどの隙間もない。
リーズフェルドの連撃で、ガーランドが大きく後退した時だった。リーズフェルドが地面すれすれまで姿勢を低くして、一気にガーランドの足元にまで迫った。
そこで、大きく剣を薙ぎ払う。狙いは足。
ガーランドはすかさず足を上げて、リーズフェルドの足払いを回避――と思った瞬間、唐突にリーズフェルドの姿が消えた。
(上かッ!?)
それはほどんど勘だった。下段攻撃に注意を払っていて、姿を消したから、上にいるはず。その勘は当たっていた。
すぐさま目線を上にあげると、リーズフェルドの背中が見えた。
「フンッ!」
足払いを回避したことでバランスが安定していない体勢であったが、ガーランドは無理やり体を、くの字に曲げる。
ガーランドが頭を下げたのと同時に、リーズフェルドの斬撃が頭上を掠めた。遠心力をつけた強烈な横の回転斬り。当たれば模擬剣といえ、ただでは済まない。
そこからガーランドは大きく後ろに飛んで距離を取った。
だが、リーズフェルドは間髪入れずに迫ってくる。低い姿勢のまま、砲弾のような速度で襲い来る。
リーズフェルドの狙いは、またもや足払い。地を這うような体勢から、鋭い横薙ぎが飛んできた。
ガーランドは後ろに飛んでこれを回避。兎に角、リーズフェルドとの距離を確保しないことには、対処が難しくなる。距離が近いと、視界が狭くなり、急激な動きが見えずに、消えてしまったような錯覚になるからだ。
リーズフェルドの次の攻撃もさっきと同じ、顔を狙った攻撃だ。違うとすれば、飛び上がらずに地上から剣を斬り上げていること。
(上段攻撃……。同じ手は通じないと分かるはずだが……?)
顔面を狙った攻撃をガーランドは難なく受け流す。
カキンッ。軽い金属音が響いた。
(軽ッ……!?)
それはあまりにも軽い攻撃だった。今までの重たい攻撃からは想像もつかないくらいに軽い。それが何とも言えない違和感だった。
その違和感の正体。ガーランドはすぐに気が付いた。
(剣を投げた!?)
受け流した剣は、明後日の方向へと力なく飛んでいる。そして、剣の持ち主であるリーズフェルドは……。
「どこだッ!?」
ガーランドは思わず声を上げた。完全にリーズフェルドの姿が見えない。一瞬だけ視界から消えたとかそういうのではない。上にも下にも横にもリーズフェルドの姿が見えないのだ。
「荒神流、首狩り」
声が聞こえてきたのと同時にガーランドは後ろから首を掴まれていた。
「なッ!?」
リーズフェルドは背中合わせの状態で手を上に伸ばし、ガーランドの首を掴んでいた。そして、体を深く沈み込ませえると、ガーランドをエビぞりにする。
そこからリーズフェルドが一気に腰を浮かせて投げる。
(ま、まずいッ!?)
ガーランドは思いっきり地面を蹴った。エビぞりに投げらる方向に合わせて、バク宙の要領で空を舞う。
「がッ……ハッ……」
ガーランドは何とか膝を着きながらも着地に成功。首からもリーズフェルドの手が離れされている。
「はははー! すげえよ、あんた! これを見たの初めてだろ? よく外せたな!」
ガーランドの前には、嬉々として笑う獣がいた。
「…………」
ガーランドは返事ができないでいた。目の前にいるはの可憐な少女などではない。正真正銘の化け物だ。笑みを返す余裕なんて微塵もない。
「こんなに強い奴を見たのは久々だ! いいぜ! お前最高だ!」
牙を剝きながら笑う獣――リーズフェルドは、続きを再開させようと姿勢を低くした。
「ここまでです!」
そんなリーズフェルドに向けて、ガーランドは静かに手で制した。
「あん?」
興ざめたことを言ってくれるな、そんな表情でリーズフェルドがガーランドを睨む。
「リーズフェルド様……、口調」
ガーランドは口を指さしながら言った。
「口調?」
「口調が荒くなっておりますよ。これ以上は、お互いに怪我では済まないでしょう。今日は、あくまでベゼルリンク家の慣習で行われたものです。本来、模擬戦闘も予定にはございませんでした。ここで引いておきましょう」
「荒くなってる……? あっ、やべっ……。っつか、あの……、すんません。なんか、テンション上がってて……。その……、すんません……」
言われて気付く。リーズフェルドが興奮してしまっていたことに。少々やり過ぎたかもしれない。
「いえ……。模擬戦闘を申し出たは私の方ですので。お気になさらず。今日は、私も騎士団も良いものを見せていただきましたので」
リーズフェルドが理性を保っていてくれて助かった。あのまま戦っていたら、どうなっていたか。ガーランドも手を出さなくてはいけない状態になっていただろうか。
(いや……、手が出せる状態なら、まだリーズフェルド様は手加減をしてくれているということだろうな……。まったく……。子供だったから何とかなったものだ……。リーズフェルド様が大人だったら、どうなっていたことか……)
先ほどガーランドを投げようとした技も、リーズフェルドの身長と体重が低かったから対処できた。大人の身長と体重で同じことをされたら……。ガーランドは背筋が凍る思いだった。
「あの……。ありがとうございました!」
リーズフェルドが深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
ガーランドも頭を下げる。こうして、素直に礼を言っている姿だけを見れば、本当に美しい少女なのだが……。ガーランドは複雑な思いを秘めながらも、今日の演習を終えたのであった。