騎士団 1
1
ベゼルリンク家は名門貴族なだけあってか、屋敷のいたるところに調度品が飾られており、家具だけでなく、壁や窓、扉にも凝った意匠が施された、住む芸術品といったところ。
リーズフェルドの私室においても、それは同じなのであるが、リーズフェルド本人が装飾品というものに一切興味がない。
椅子や机は見た目よりも実用性を重視し、必要最低限の物しか置いていない。ベッドに天蓋はなく、枕もマットも堅い物に変えられている。
元からあった壁や床、窓以外はシンプルな物に変えられているのだが、ここ最近では部屋の様子に変化が起きっていた。
やたらと花が飾らるようになったのである。赤や青、紫や黄、白といった色とりどりの花がリーズフェルドの私室を彩っている。
「おはようございます。リーズフェルド様」
早朝、東から入る朝日を浴びながら片手腕立て伏せをしているリーズフェルドに向けて、専属メイドのメアリーが入ってきた。両手に山ほどの花束を持って。
「はよーございます!」
片手で腕立て伏せをしたまま、リーズフェルドが返事をする。
「今日もアルフレッド様から、お花が届きましたよ。綺麗ですね」
メアリーはそう言いながら、慣れた手つきで花瓶の花を入れ替えていく。
「なんで、あいつはこんなにも花ばっかり贈ってくるんっすかね?」
贈られてきた花束には目もくれずに、リーズフェルドは片手腕立て伏せを続ける。
「それは、リーズフェルド様に喜んでいただきたいからですよ」
「花なんて貰って嬉しいもんっすかねえ?」
「ええ、嬉しいですよ。あんな素敵な王子様から花が贈られてきたら、女の子なら誰だって喜ぶと思いますよ」
「メアリーさんも、花を貰ったら嬉しいもんなんすか?」
「当然嬉しいですよ! 女なら花を贈ってもらえることを一度は夢見るものですから」
「それなら、いつか俺が花を贈りましょうか? って、あ、別に口説いてるわけじゃないっすからね」
片手で腕立て伏せの体制からリーズフェルドが笑う。
「そうですね。もしリーズフェルド様から花を貰えたら、すごく嬉しいと思いますよ。リーズフェルド様は、アルフレッド様からの花を嬉しく思わないんですか?」
リーズフェルドからの申し出が冗談であることは分かっているが、実際に貰えたのならそれはとても嬉しいだろうとメアリーは思う。それと同時に、アルフレッドから贈られた花に関心を持たないリーズフェルドに疑問も覚える。
「俺は花って柄でもないでしょ? 趣味じゃねえし。女なら花を貰ったら嬉しいんでしょうけど。俺はねえ……」
「ええっと……。そう……ですか……? リーズフェルド様に花はよくお似合いだと思いますし、そもそも女の子ですし……。言いたいことは、分かる気もしますが……」
見た目だけで言えば、リーズフェルドは存在そのものが美しい花だ。これ以上の物はないほどの極上の花なのだが、如何せん中身が猛獣である。
「俺が花を見て、『わーきれい』なんて言ったら、迷わず病院に連れて行くっすよね?」
「ええ、まあ……。命に関わる病なのかと思いますね……」
メアリーが入室する前から、片手で腕立て伏せを続けるリーズフェルドを見ながらメアリーが頷いた。
「だから、今度、アルに会ったら花なんていらねえって言おうかと――」
「それはなりません!」
リーズフェルドの無神経な発言にメアリーの口調が厳しくなる。思わず腕立て伏せを止めてしまうほどに。
「いいですか、リーズフェルド様! アルフレッド様が頻繁に花を贈ってこられるのは、婚約者だからという理由だけではないのです! そこのところは理解なされていますか?」
メアリーの顔つきが闇色に染まりつつあることが分かる。このまま行くとヤバい。メアリーを怒らせてしまうとリーズフェルドに対処する術はない。
「うん……、まあ、一応は? 友達だから……」
リーズフェルドがアルフレッドと初めて会った日、一緒に木に登ってオレンジを食べた。それはもう友達だ。
ただ、リーズフェルドが思っていることと、他が思っていることには大きなズレがある。
アルフレッド側、つまりはバルドロード家は、将来を約束したものと考えている。当人であるアルフレッドがリーズフェルドのことを本気で気に入ったため、バルドロード家とベゼルリンク家の関係が大きく進展したのだ。
何故、アルフレッドがリーズフェルドを婚約者として受け入れてくれたのかは、リーズフェルドの両親であるラガルドとミリーゼには想像もつかなかったが、深堀はしないと決めた。このまま押し通すと決めた。知らなくていいことは知らなくていい。藪を棒で突くような真似はしない。結婚さえしてしまえば、娘は幸せになれる。ただその一心だった。
「はぁ……。私の口から言うのは、野暮なのでなのにも申しません……。ただし、アルフレッド様には真剣に向き合ってくださいね」
「え? あ、はあ。まあ、そうっすね……」
何かよく分からないが、切り抜けたようだ。リーズフェルドはそう判断すると、再び片手腕立て伏せを再開させる。
「それと、本日の予定ですが」
「あッ! 騎士団の訓練に参加できるってやつっすね!」
「訓練に参加と言いますか、形式的なものですが、一応はそういうことになりますね。ベゼルリンク家の慣行ですので。今日は、そちらにアルフレッド様もいらっしゃいます」
「ん? ああ、アルが遊びに来るんっすね。了解っす」
楽しみにしていた騎士団の訓練に友達も来るなら、その方が楽しいだろう。リーズフェルドはその程度にしか考えていなかった。
(あ、そうだ。花はもういらねえって言わないとな)
そして、メアリーが何に怒っているのかも全然理解していなかった。
2
ベゼルリンク家は軍閥の家系だ。そして、バルト王国の中でも王家直属の黒騎士団に並んで、最強と謳われるのが、ベゼルリンク家の家紋である赤い鷲の紋章を冠した騎士団、赤鷲騎士団だ。
有事の際には王家直属の黒騎士団と並んで出動する、国の防衛の要でもある。
そういった家の事情もあり、ベゼルリンク家で生まれた子は、10歳になれば騎士としての教育を受けることになっている。
基本的には男児が受ける教育なのであるが、女児であっても形式的な騎士としての教育を受けるのが、ベゼルリンク家の習わしだ。
そのため、10歳になって数カ月たったリーズフェルドは、この日、初めて騎士としての教育を受けることなったのである。
「アルフレッド様ならびに、リーズフェルド様に敬礼!」
曇り空の午後、騎士団の屋外訓練場で赤鷲騎士団の団長、ガーランドは低いがよく通る声を上げた。ガーランドは40歳前後の灰褐色の髪をした男性だ。髭と鋭い眼光のせいで実年齢よりも上に見られるが、その方が威厳があるということで、本人は気にしていない。
「「「アルフレッド様ならびに、リーズフェルド様に敬礼!」」」
ガーランドの号令に合わせて数十人の騎士達が赤鷲騎士団式の敬礼をする。ここにいるのは騎士団員のほんの一部。騎士団の幹部や、実力のある者が選出されてリーズフェルドとアルフレッドの前に立っている。
「よろしくお願いしますッ!」
騎士団以上に気合の入った挨拶をするのはリーズフェルドだ。気をつけの姿勢から深々と頭を下げている。
「リ、リーズフェルド様!? 顔を上げてください!」
慌てたのはガーランドだ。他の騎士団員も一応に困惑した表情を浮かべている。主であるベゼルリンク家の令嬢にここまで頭を下げられては、どうしていいものか分からない。
「はいッ!」
状況を理解しているのかしていないのか、リーズフェルドはハッキリとした口調で返事をし、そして、直立不動の姿勢を維持。
「リーズフェルド様、ここでは、もっと楽にしていただいて結構なのですよ」
付き添いのメイド、メアリーが耳打ちした。
「大丈夫っすよ。こういうのはちゃんと理解してるんで」
何も分かっていないリーズフェルドが自信気に返した。前世が武術家であったリーズフェルドにとっては、騎士団という武闘派集団での礼儀も弁えている――つもりなのだが、それは前世での常識。名門貴族の令嬢が、自分の家に所属している騎士団に深々と頭を下げて挨拶することの意味をまるで分かっていない。
「リーズ、赤鷲騎士団はベゼルリンク家所属の騎士団なんだから、主君の娘である君に畏まられると騎士団も困ってるんだよ」
理解していないことを察知した隣のアルフレッドが、細かく説明をした。普通はこんな説明しなくていいのだが。
「お前、何言ってんだ? 俺らはこれから鍛えてもらう側なんだぞ! こっちが頭を下げるのが筋だろうがよ!」
間違ったことは何も言っていない。リーズフェルドが貴族ではなく、相手が直属の騎士団でもなければの話だが。
「いや、まあ、言いたいことは分かるんだけどさ……。騎士団長にも立場っていうのがあってね……」
「立場って言うなら、今日は、お前も教えてもらう側だろうが! ちゃんと頭下げろよ!」
リーズフェルドそう言うやいなや、アルフレッドの頭を掴んで強引に下げさせようと――
「リーズフェルド様ァーッ!!!」
慌てたのはガーランドだ。客人として迎えている王族の嫡子に頭を下げさせるなど、大問題になる。当然、周りの騎士団員もリーズフェルドを止めようとするが、ガーランドの動きが速かった。
ガーランドはリーズフェルドの腕を掴んで止める。同時にメアリーも動いており、リーズフェルドを離す。
「リーズフェルド様! よいのです! 頭を下げずともよいのです! ここは穏便に! 何卒、何卒穏便に済ませてください!」
顔面蒼白に冷や汗をかきながら、ガーランドは懇願した。これほど焦ったのはいつぶりだろうか。初陣の際に敵に囲まれた時よりも焦っているような気がする。
「いや、でも、今日は俺らが教わる側なんで、そのへんのケジメはしっかりと――」
「よいのですッ! よいのですリーズフェルド様ッ! 何も問題はございませんッ! これでよいのですッ!」
ここでバルド王国の王子に頭を下げさせたとなると、ガーランドがケジメをつけないといけなくなる。
「そうっすか? 団長がそう言うなら……。分かりました。こいつには後でしっかりと礼儀を――」
「リーズフェルド様ッ! よいのです! アルフレッド様はそれでよいのですッ!」
ガーランドがかぶせる様に言ってきた。もうこの時点で、ガーランドは一月分の疲れが出ていた。
「リーズ、ここはガーランド騎士団長の器の大きさに甘えさせていただこうじゃないか。僕たちはまだ子供なんだしさ。これ以上食い下がると、逆に騎士団長に失礼だよ?」
説明しても理解できないと判断したアルフレッドが切り口を変えてきた。普段は子供だからという言い訳など絶対に使わないアルフレッドだが、この場を収めるためなら、それくらいの道化は演じることができる。
「ったくよお。仕方ねえな。団長に感謝しろよ?」
渋々だがリーズフェルドが納得したことで、ようやく騎士団の訓練に入ることができるようになった。