転生 3
1
リーズフェルド・ベゼルリンク10歳。
この日は、朝から専属のメイドであるメアリーが、付きっきりでリーズフェルドのおめかしをしていた。
「なあ、メアリーさん。俺、こういう服ってあんま好きじゃないんっすよね……」
リーズフェルドが着ているのは赤を基調とし、ところどころ白い布が見え隠れするフリフリのドレス。大きな鏡の前に立たされて、着付けが終わったところだ。
「よくお似合いですよ。とても可愛らしいです」
メアリーと呼ばれたメイドは、可愛い妹を見るような目でリーズフェルドの姿に微笑んでいる。
栗色の髪の毛を後ろで纏めたメアリーは、18歳のメイド。リーズフェルドが5歳の時、騎士団の敷地にまで走って行ったときに追いかけてきたメイドだ。
その時、暴れ馬のリーズフェルドが大人しくメアリーに手を引かれていたことを見たラガルドとミリーゼが、即決で専属メイドにしたことが、見習いメイドだったメアリーが大抜擢された経緯である。
それから5年間、ずっとリーズフェルド専属のメイドをやっている。リーズフェルドが使う独特の敬語にもすっかり慣れてしまった。
どういう訳か分からないが、リーズフェルドは年上に対して妙な敬語を使う。敬語を使わないのは家族か同い年の子か年下の子に対して。要するにバリバリの体育会系なのだが、そんなことはメアリーには分からない。
一つ分かったことは、どうやらリーズフェルドという人間には、身分という概念がないということ。
「その、可愛いっていうのが嫌なんっすよ。俺はかっこよくなりたいわけで……」
鏡の前でため息を付きながら、リーズフェルドが返事をした。リーズフェルドの前世は大柄の格闘家。強面で筋肉モリモリのゴリマッチョ。
それが今はどうだ。鏡に映る自分の姿は可憐の一言。深紅の長いストレートヘアに切れ長で大きな瞳。小顔で神の作ったバランスといえるほど整った顔立ち。細身だが、最近では胸が少し大きくなってきた。
「かっこよくですか……。でも、今のご自身の姿を見られて、可愛いとは思うんですよね?」
リーズフェルドの髪をとかしながらメアリーが話を続ける。
「そりゃあ、まあ、可愛いとは思いますよ。でもそれが、俺なんすよねえ……。鏡の前にいる女の子が俺じゃなけりゃ、すっげえ嬉しいんっすけど……」
「そう……なんですか……? 私には分かりかねます……。こんなにも可愛いんですから、もっと可愛さを振り撒いてもよろしいのではと思いますが?」
いつもならがリーズフェルドの思考は不思議だ。メアリーがリーズフェルドの姿になれるのであれば迷わずなりたいと願う。誰が見ても完璧な美少女なのだ。
「可愛さを振りまく? 似合わねえっすよそんなの。俺が求めてるかっこよさとは方向性が全然違うんですよ」
「リーズフェルド様の求めるかっこよさっていうのは、どういったものなのですか?」
これだけ完璧な美しさを持ちながらも、求めているものが全然違うリーズフェルドが、本当はどんなものを欲しいと思っているのか。メアリーは無性にそれが知りたいと思った。
「俺が求めるかっこよさってのは、一言でいうと、ここですよ!」
リーズフェルドはどういいながら自分の胸を親指で指した。
「心……ですか?」
「そう、心っす! 見てくれがどんなに不細工でも、心がかっこいい奴はかっこいいんすよ! 心に一本強い芯が通ってる奴って言うんすかね。自分の信念みたいなのを持ってて、弱い奴のために戦える心を持った奴ですよ!」
少し照れたような表情でリーズフェルドが答えた。
「なるほど。確かにそれはかっこいい方ですよね」
メアリーはリーズフェルドの髪をとかしながら返事をした。本当にこのリーズフェルドという人間は不思議な貴族だ。メアリーは改めてそんなことを思う。
「っていうか、メアリーさん。いつまで髪いじってるんすか? 髪なんて適当でいいじゃないっすか」
「いけませんよリーズフェルド様。髪は女の第二の命なんです。これから大事な方にお会いするのですから、しっかりと整えておきませんと」
メアリーがはっきりとした口調で反論をした。とはいえ、リーズフェルドの髪は整える必要などないほど綺麗な髪をしている。単にメアリーがサラサラの髪を触っていたいだけでもあった。
「第二の命ねえ……。俺には邪魔なだけなんですけどねえ。バッサリ切ってしまいたいっすよ」
「止めてくださいね! 5年前のことお忘れではないでしょうね? 二度とあんなことはしないでくださいね」
「えっ……。ああ、すんません……。勝手に髪を切るようなことはしないので……」
鏡越しに闇底のような顔をしたメアリーが見え、リーズフェルドが大人しくなる。
メアリーが言う5年前のこととは、リーズフェルドが記憶を取り戻し、心の中で決意表明をした次の日に起こした事件のことだ。
突然何かを思い立ったリーズフェルドが、自分の髪をバッサリと切ってしまったのだ。それを見た母親のミリーゼが卒倒してしまい、家中が大騒動になった。
それ以来、リーズフェルドが勝手に髪を切ることはなくなり、5年間伸ばし続けた髪は腰のあたりまで来ている。
「分かって頂いているなら結構です。はい。これで完成ですよ。とても美しいお姿です」
「あざっす……。それじゃあ、気乗りはしませんが、行ってきますわ……」
装いとは裏腹に、とても気だるそうな顔をしたリーズフェドが部屋を後にした。
2
晴れた日の昼下がり。雲がゆっくりと流れ、爽やかな風が色とりどりの花壇を揺らす。
「ようこそおいでいただきました、ゼーベン様。それにマリアンヌ様、アルフレッド様も」
リーズフェルドの父、ラガルドが両手を広げて客人を歓迎する。
「こちらこそ、今日という良い日にお会いできることを喜ばしく思いますよ」
ゼーベンと呼ばれた顎鬚の男が笑みを返す。
「本当に今日はいい天気にも恵まれて、女神様からも祝福されているようですわね」
リーズフェルドの母、ミリーゼも機嫌よく挨拶をした。
「私もそう思いますわ。これは良い運命の巡りあわせなのではと」
マリアンヌと呼ばれた女性も笑顔で答える。
ベゼルリンク家の中庭に集まったのは6人の男女。うち二人は10歳の子供。リーズフェルドとアルフレッドと呼ばれた少年だ。
アルフレッドは緊張しているのか黙ったまま直立しているが、見た目はまさに美少年。軽く癖のある金髪と碧眼。優しく穏やかそうな顔をしており、周りのメイドからは、庇護欲を掻き立てられるような存在だ。
この日、6人が集まったのは、この少年アフルレッドの婚約者に会うためである。
そして、このアルフレッド・バルドロードこそが、現バルド王国の国王であるエドワード・バルドロードの孫にあたり、いずれ王位継承権を得ることになる少年だ。
「さ、さあ、リーズフェルドも挨拶しなさい」
少し冷や汗を流しながらも、ラガルドがリーズフェルドの肩に触れながら挨拶を促した。
ラガルドとミリーゼにとってはここからが正念場。貴族の常識が全く通用しないリーズフェルドが、王族相手に挨拶をしなければならない。しかも、相手は婚約者とその両親だ。一応の礼儀作法は教え込んだが、どこまでできるのかは予想がつかない。
「あー、リーズフェルドです。よろしくお願いします」
淡々とした挨拶。背筋は伸びており、お辞儀もしているが、なんというか、淡白だ。一応形だけは保っているという感じ。
「ふ、ふふ……。リーズフェルドったら、緊張しているのかしらね」
ミリーゼが堪らずフォローに入る。リーズフェルドは身分に関わらず、年上には妙な敬語を使うので、何とか体裁は保てただろうが、フォローなしではやはり厳しい。
「ははは、リーズフェルド様も10歳になられたのだ。未来の夫に会うとなれば緊張しても仕方ないでしょう。さあ、アルフレッドも挨拶をしなさい」
ミリーゼのフォローが効いたのか、ゼーベンは違和感を覚えることなく、息子に挨拶をするように言葉をかける。
「お、お、おお、お初に、お目、お目に、かかかかっかかります。アルフレッド・バルドロードです」
本当に緊張してるアルフレッドがカミカミの挨拶をした。
これはアルフレッド自身も想定外のことであった。アルフレッドは非常に聡明な子だ。自分の容姿がどのようなものかも理解している。だから、婚約者に会いに行くと聞いても、自分が緊張するなどとは思いもしなかった。相手の方が自分の容姿を見て緊張するだろうと高を括っていたのである。
だが、実査に婚約者に会ってみて驚愕した。天使――いや、女神か? とにかく自分の知識が及ぶ範囲を逸脱した存在が目の前にいる。
完全に目を奪われた。親同士が挨拶をしている時など完全に見とれてしまって、呼吸すら忘れていたほどだ。
「ふふふ、アルフレッドの方が緊張しているようですわね。でも、無理もありませんわ。これほど美しいお嬢様だとは。噂には聞いておりましたが、噂の方が控えめなのは初めてですよ」
アルフレッドの母マリアンヌがクスクスと笑いながら言った。我が子がここまで狼狽えた姿など、今までに一度も見たことがなかった。
「本当に美しいお嬢さんだ。このような美しい方を家族として迎えることができれば、バルド王国も安泰ですな。実に喜ばしい」
ゼーベンも大満足の表情で応えた。
「そんな、勿体ないお言葉。こちらの方こそ、娘をバルドロード家に迎えて頂ける栄誉は、感謝の言葉もありません。まだまだ至らぬ点が多い娘でございます。ご迷惑をおかけすることの方が多いですが、よろしくお願いします」
将来、本当に多大な迷惑をかけることになるだろうが、この婚約は何としてでも成立をさせたい。ラガルドの必死の思いが、その言葉の中にはあった。
(はあ……。婚約ねえ……。なんで俺が男と婚約しなきゃならねえんだよ、ったく……。あの少年もなんか、気まずそうにしてるしよお……。なんか、あれだな。王族ってやつの柵でもあんだろ。そう思うと、あの少年も可哀そうだよな……)
両親の思いなど知る由もないリーズフェルドは退屈そうにしていた。アルフレッドの方に目をやるが、まともに目を合わせてくれない。
(よし、俺が少年の遊び相手になってやろう! 子供は嫌いじゃねえしな。それに、俺も同年代の男友達いねえし、丁度いいわ)
「おい、少年。えっと、名前は何だったけか?」
「えッ!? は、はいッ!? ア、アルフレッドです」
両親が談笑中に急に声をかけられたアルフレッドが、豆鉄砲を食らった鳩のような顔で応えた。
「ここにいても退屈だろ。ちょっと付き合えよ」
リーズフェルドはそういうや否やアルフレッドの手を取った。
「父さん、ちょっと行ってくるわ」
「――んッ!? お、おい!? どこにだ!?」
いきなり何を言い出すのか。いったい何をするつもりなのか。我が子ながら、リーズフェルドの行動が全く読めない。
「ほら、行くぞ!」
「え、っちょ、え、ええぇ」
父ラガルドの質問に答える間もなく、リーズフェルドはアルフレッドの手を引いて走り出してしまった。
どこに連れて行く気だ? 止めるべきか? ラガルドとミリーゼが判断に迷う。
「あらあら、こういう時は女の子の方が積極的ですのね」
マリアンヌはニヤニヤとしながら、赤面する息子を見送ったことで、この場はリーズフェルドに一任するという、ラガルドとミリーゼに取っては不安しかない選択肢が選ばれてしまった。