そして幕は開ける
1
夜の帳が降り、雲が覆う空からは星は見えず。時折強く吹く風が窓を叩く。
ベゼルリンク家の当主であるラガルト・ベゼルリンクの書斎は、大きな屋敷の最上階にあった。
大きな本棚には数々の書籍が収納されており、それらの本の横には趣味で集めている蒸留酒の瓶が綺麗に並んでいる。
どうも最近酒量が増えている――とは思いつつも、寝る前に飲まなければ寝付けない毎日が続いていた。
だが、今は酒を飲むわけにはいかない。メイドに用意させた紅茶を飲みながら、ラガルトは書斎の執務机に肘をつきため息を付いた。ブランデーを入れたらもっと旨いのになと思いつつも、紅茶をもう一口含む。
コンコンコン
「入れ」
ノックを聞き、ラガルトが入室を許可する。
「失礼します。父上」
やってきたのはベゼルリンク家の長男、ユリウスだった。リーズフェルドと同じワイズ学院に通っている。姉とは違い、成績優秀で品行方正。剣術はイマイチだが、魔法に関しては学年でも有数の術者になっていた。
「ユリウス。よく来た。まあ座りなさい」
「はい」
「茶は飲むか?」
「いえ、結構です――それより、お話とは……姉上のことですよね?」
ラガルトの憔悴したような顔を見て、ピンッときたユリウスは。猛獣(姉)の顔を思い浮かべながら尋ねた。
「ああ、そうだ……。リーズフェルドのことだ……」
ラガルトは一口紅茶を飲んだ後、はあ……っと深いため息を付いた。
「姉上が何をやらかしたのですか……?」
ユリウスとしてもあまり聞きたくない内容だ。姉はその綺麗すぎる容姿で、ユリウスの学年でも有名人。何か問題を起こしたら、ユリウスは根掘り葉掘り聞かれる。
「今日、昼前にセシル・システィーナ様と一悶着あったそうだ……」
「セ、セシル様とッ!? またですか!?」
ユリウスは驚いて、思わず立ち上がりそうになる。
「リーズフェルドが働いている現場からの報告だ……。どうやら、セシル様のクルセイダーと揉めたらしい。さらにはセシル様をシスターと呼んだとか……」
「えーッ!? クルセイダーと!? しかも、セシル様をシスター……ッ!?」
ユリウスは立ち上がって声を上げた。百歩譲って、ベゼルリンク家の長女が土木工事の現場で働いていることは目を瞑るとしても、教会と揉めるのは論外だ。
「現場の責任者の話では、セシル様が引いてくれたようだが……。ユリウス……学院での様子はどうなんだ? セシル様はリーズフェルドのことをどう考えているか分かるか?」
リーズフェルドのワイズ学院での生活については、ユリウスから逐一報告を受けている。少し前に、セシルがリーズフェルドに何か報復をするかもしれないという情報が上がって来たばかりだ。
そこに来て今回の揉め事。教会がベゼルリンク家に抗議を出してくるようなことが起こっていると見て間違いない。ラガルトはそう考えていた。
「その……、僕もよく分からないところがありまして……。どうやらセシル様は姉上の派閥に入っているそうなのです」
「リーズフェルドの派閥? セシル様がか?」
腑に落ちない、といった顔でラガルトが聞き返した。
「はい。そのようです。何故なのかは分かりませんが、セシル様は姉上の派閥に入っているということで、確かな情報のようです」
「セシル様の派閥があるのではなく、セシル様がリーズフェルドの派閥に……?」
「確かに、セシル様の派閥ができそうになったことはあるようですが、セシル様が早々に姉上と接触して、派閥に入ったとか……。どういう経緯なのかは詳しくは知りませんが……」
「妙だな……。リーズフェルドが派閥を作るとも思えんが?」
「はい。僕もそう思います。姉上はこういう派閥争いには一切興味を示しません。自分のやりたいようにやるのが姉上です。周りの目など気にしませんし、メリットで人を選ぶようなこともしません。ですが、事実としてセシル様が姉上の派閥に入っております。そして、姉上がクラスの頂点になっています」
「つまり、リーズフェルドの意図とは関係なく、派閥が出来上がり、その中にセシル様が入っていると……。まあ、こんなところか」
報告を受けたラガルトが推論を組み立てていく。リーズフェルドが進んで派閥を作るとは考えられないため、リーズフェルドの与り知らぬ所で勝手に派閥ができたと考えるのが自然だ。
「僕もそう思います。ただ、セシル様との間で問題ごとが起きていることも事実。これをどう見るか……」
「セシル様の意図するところが読めぬな……。教会のトップが他国の貴族の下に付くということに何の利点がある?」
「それが僕も不気味に思っていることでして……。姉上のクラスはワイズ学院の中でも特に大陸の国家間の縮図のようなクラスです。そこで教会がベゼルリンク家に付くという意味が分かりません。どちらかといえば、セシル様が姉上を自分の派閥に入れて、力を誇示しようとするものと思っていましたが」
「いや、そう簡単にはいかんよ。いかに教会といえ、バルド王国のベゼルリンク家相手に軽率な動きはできない。下手をすれば、バルドロード家が出てきて、大きな派閥争いになる。お互いに干渉しないことが現実的な着地点だ。セシル様もそれは分かっているはず。その上でセシル様がリーズフェルドに付いたわけだが……」
ラガルトが顎に手を当てて考える。だが、考えれば考えるほど答えが分からない。
「表立って派閥争いをされるよりはマシだとは思いますが」
「ああ、そうだな。それはそうなのだが……。裏がないと思うか?」
「……いいえ。何か考えがあってのことでしょう」
神妙な面持ちでユリウスが答えた。
「こちらとしても、リーズフェルドとセシル様が一切接触をせずに、何も問題を起こさないことが理想だったのだが、リーズフェルドにそれを望んでも無理なことだ」
「不可能ですね。姉上が何かやると、無自覚に周囲を巻き込みます」
「あいつは何かやるごとに問題を起こす……。そして、セシル様との間に問題を起こした。それなのにセシル様がリーズフェルドに付いている理由……。解せぬな……。ユリウス、引き続きリーズフェルドとセシル様の情報を集めてくれ。お前が頼りだ」
「承知しました」
「助かる。お前がベゼルリンク家に生まれてくれたことを感謝する」
「もったいないお言葉です。父上――それでは、僕はこれで失礼します」
ユリウスは一礼して書斎を後にした。
一人残ったラガルトが棚にある酒瓶に手を伸ばす。
グラスに注がれた琥珀色の液体が揺れ、芳醇な香りが鼻孔をくすぐった。
ラガルトはそれを一気に飲み干すと、倒れこむように椅子にもたれた。
(しばらくは酒がなければ眠れぬ日が続くか……)
頭痛にも似た頭の重さを感じながら、深くため息をついた。
2
休みが明け、ワイズ学院ではいつもの朝がやってくる。昨夜は雨が降ったのか、校庭は濡れており、花壇の花には雨粒が残っていた。
少し湿気を帯びた空気の中、アルフレッドが今日も早めに登校して教室に辿り着くと意外な人影があった。
「うーっす」
リーズフェルドが先に教室に入っていたのだ。アルフレッドを見つけると軽く手を挙げて挨拶をしてきた。
「お、おはようリーズ……。今日はどうしたんだい?」
いつもはギリギリか遅刻してくるリーズフェルドが朝一で教室にいた。いったい何があったのだろうか。
「ああ、それがな。俺が毎日ギリギリに登校してるのが、メアリーさんにバレたんだよ」
「ああ、そういうことか」
「それで、メアリーさんに説教喰らって、早く学校に行けってことになってよぉ。こんな時間に学校に来てるってわけなんだが……」
リーズフェルドは手を頭の後ろに組んで、背もたれに体重を預けながら理由を説明した。
「リーズはさ、朝は苦手じゃないよね? 早く登校しようと思えばできるんじゃないか。だったら、毎日この時間に登校したらどうだい?」
「それは無理だ」
「どうして?」
「朝はトレーニングがある」
「それは知ってるけど、トレーニングを早く切り上げたらいいんじゃないかな?」
「夜明け前から山に行くんだぞ? そう簡単に戻れねえって」
「そんなことしてたの!? 前は走ったり、そんなんじゃなかった!?」
アルフレッドもリーズフェルドが早朝から鍛えていることは知っているし、一緒に朝のトレーニングをしたこともある。だが、その時は夜明けから走って、筋トレして、組手をしたくらいで、山にまでは行っていなかった。どうやらリーズフェルド一人の時は山にまで行くようだ。
「走って山に登って、朝飯捕まえて、筋トレして、シャドーして、走って戻ってきたらギリギリになる」
「逆に、よくそれでギリギリで登校できるよね……」
「だから、今日は山には行ってねえよ。その分、只管サンドバッグを叩いてたら、壊しちまったけどよ」
「バッファローの皮で作ったやつだよねそれ? 壊したの何個目だよ……」
「そんなの覚えてねえよ。殴るんだから、いずれ壊れるんだよ」
「普通は壊れないんだけどね……。まあ、それはいいとして、リーズが遅刻しなったのはいいことだと思うよ。その調子で、今週末のダンスパーティーも遅刻しないようにね」
アルフレッドが満足げに言った。何はともあれ、リーズフェルドが遅刻しないことは良いことだ。メイドのメアリーには感謝しないといけない。
「ダンスパーティー? お前、そんなのに行くのか?」
ダンスという単語にリーズフェルドは興味なさげに尋ねた。
「当然行くさ――って、リーズも行くんだよ? 分かってる?」
「は? 俺が? 何で? 行くわけねえだろ」
「いや、行かないと! え? リーズ、行かないつもりだったの!?」
「行かないつもりってか、ダンスパーティーなんてあるの今知ったし」
「いやいや、今週末にワイズ学院主催のダンスパーティーがあるって、前から連絡あっただろ! 最近じゃ皆がダンスパーティーの話で持ちきりだったじゃないか!」
「今週末? ああ、無理。バイトだ」
「バイトって……。そんなことやる必要ないだろ、リーズは……。それよりも、ダンスパーティーだよ! 今年の新入生の歓迎と懇親を兼ねた大事なパーティーなんだ! 有力貴族達の正式なお披露目の場でもある大事なパーティーなんだよ! 分かってるのかい?」
ことの重要性を全く理解してそうにないリーズフェルドに、アルフレッドはまくし立てるようにして説明した。
ワイズ学院は大陸各国の縮図でもあると言われる。そして、年に一回開かれるワイズ学院主催のダンスパーティーは、貴族間での格付けを行うという意味合いもあり、今後の学院生活に大きな影響を及ぼす大事な催しだった。
「興味ねえな」
だが、リーズフェルドにとってそんなことはどうでもいい。既に入っているバイトのシフトの方が大切だ。勝手に休んだら、仕事場に迷惑が掛かる。
「いや、興味ないって……。リーズは確かにそう言うだろうけど……。このダンスパーティーは本当に大事なんだ! それは分かってほしい!」
アルフレッドにとっては、リーズフェルドとダンスパーティーに出席するのは当然のことであると思っているし、周り生徒たちも同じことを思っている。この二人がダンスパーティーで優雅に踊る姿をとても楽しみにしているのと同時に、もの凄く期待されている。
「ああ、分かった、分かった。じゃあ、楽しんで来い。俺は邪魔しねえからよ」
リーズフェルドは手をヒラヒラと振ってあしらった。パーティーがどれほどの意味を持っているのか、まるで理解をしていない。
「だから、リーズも出席するんだって――あっ! もしかして、踊れないから、行きたくないのかい? 皆の前で踊れない姿を見せたくはないんだね?」
ここでアルフレッドは手を変えてきた。負けず嫌いのリーズフェルドの性格を利用して、挑発をすれば乗ってくるだろうという算段だ。
「そうだな。踊ったことねえし。踊れねえだろうな」
だが、以外にもリーズフェルドは乗ってこなかった。勝負事にはかなりムキになる方なのだが、素直に踊れないことを認めている。
「そうだよね――えっ? 踊ったことないの?」
予想外の回答にアルフレッドが間の抜けた声を上げた。
「だから、興味ねえって言っただろ。踊ったことなんてねえよ」
「いや、だって、家で習わなかったのかい? それに、子供の頃に赤鷲騎士団に剣を教えてもらった時に踊ってたじゃないか?」
リーズフェルドが10歳の時に、アルフレッドと共にベゼルリンク家所属の赤鷲騎士団に剣の手ほどきを受けたことがある。その際に、リーズフェルドは初めて触った剣で見事な舞を見せたことがあった。
「あれは踊りじゃねえよ! 演武の一種だ。適当に思いついた型をやっただけだ」
「そうだったんだ……。それにしては凄かったけど。まあ、それは分かったよ……。でも、家で踊りは習ってるはずだけど?」
「習ってねえよ」
「本当に? 踊りの稽古をすっぽかしたとかじゃなくて?」
「本当だ……いや……。ああ……そうか。あれがそうだったのか……」
リーズフェルドが記憶を辿ると、何やら先生のような人が家に来ていたような気がする。ただ、勉強と違い、踊りは趣味でやるものという認識があった。そのため、やりたい奴がやればいいという考えの下、リーズフェルドは踊りの練習を一切しなかった。
では、勉強の方はちゃんとやっていたのかというと、当然やっていない。
「すっぽかしたのか……」
「そういうことだな。だから、俺は踊りができねえ」
「やればできると思うんだけど」
リーズフェルドの運動神経を持ってすれば、踊るくらいわけがないはずだ。一流のダンサーにだって引けを取らない実力があると思う。
「そもそも、踊りとか絵とか、そういう芸術系のことは苦手なんだよ」
「そうは思わないけどね……」
「美的センスってのがないんだよ、俺には」
「……なるほど。それを言われれば、確かにそうだ」
アルフレッドは妙に納得した。リズム感、身のこなし、バランス感覚、どれもとっても抜群のリーズフェルドだが、美的センスを問われれば、壊滅的としか言いようがない。
剣を使った演武も、あくまで戦闘技術という面で卓越した動きをした結果、美しさという副産物ができたに過ぎない。
「お二人とも、ダンスパーティーの話ですか?」
そこに入ってきたのはソフィアだった。時間的にもソフィアが登校してくる時間になっていた。
「ソ、ソフィアッ!?」
リーズフェルドの声が裏返る。いきなり話しかけられて、緊張で心臓がバクバクといっている。
「おはよう、ソフィア。今週末のダンスパーティーの話だよ。リーズはダンスがあまり好きじゃなさそうなんだけどね」
対して、落ちつた様子でアルフレッドが返事をする。その姿をリーズフェルドが恨めしそうに見ていた。
「そうなんですか。リーズフェルド様はダンスが苦手なんですか?」
ソフィアが首を傾げながら聞いていた。とても可愛い。
「おッ? え? あッ、ああ、え? いや、そんなことはないぞ。めっちゃ得意……」
しどろもどろになりながらも、リーズフェルドは何とか答えた。踊ったことなどないので、いい恰好をしたいだけの返事なのだが。
「ふふ、そうですか。それでしたら、今週末のダンスパーティーが楽しみですね」
ソフィアはそう言うと自分の席へと向かって行った。その姿をマチルダ等、クラスの生徒達が睨む。
それは、大胆な挑発行為だった。リーズフェルドとアルフレッドの会話に割り込んで、パーティーの主役になるであろうリーズフェルドに宣戦布告とも取れる行為をした。平民風情がやっていいことではない。
クラス中がそう思っている中、一人だけ的外れな人間がいた。
「アル……。ダンスパーティーって、ソフィアも来るんだよな?」
「多分、来ると思うよ」
(僕と話をしている姿を見られているからかな。周りもソフィアに手を出し辛くなってるんだろう)
ソフィアはダンスパーティーに参加しないと思っていたが、意外にも参加するような態度だった。自分がソフィアの傍にいたことが功を奏したようだと、アルフレッドは少しほっとした。
「そうか……。来るんだな……」
リーズフェルドは神妙な面持ちで考えこんだ。
(どうやら、リーズもパーティーに参加する気になってくれたようだね。これは、ソフィアに感謝しないと)
リーズフェルドもどうやらダンスパーティーには参加する方向で考えているようだ。そのことにアルフレッドは満足する。
(バイト終わってからになるか……。間に合うか……?)
だが、アルフレッドの期待とはズレたことをリーズフェルドは考えていた。




