嵐の前の一幕
晴れ渡る休日の午前中。小鳥が風と共に木々を越えて行くなか、地上では労働者達が朝から力仕事に精を出していた。
ベゼルリンク領にある街と街を繋ぐ街道の整備が行われている最中だ。先々代の頃から使われていた街道であるのだが、道の老朽化が進み、舗装が剥がれ、ガタガタとした道になっていたため、ラガルトの命により舗装作業が進められているところだった。
「おい新入り! 木槌持ってこい!」
土木作業現場で大きな声を上げている少女がいた。長く綺麗な深紅の髪をポニーテールにした少女だ。口調は荒いが、その見た目は恐ろしく美しかった。むさくるしい男達の中にいるのが物凄く不自然な少女。ゴツゴツとした岩の中に宝石でできた花が一輪咲いているような場違い感。
「は、はいッ!?」
新入りと呼ばれたのは、先日、この作業場に入ってきたばかりの14歳の少年。線は細いが、なかなか根性がある少年だった。
少年が言われるがままに木槌を探すが、どこに置いてあるのか分からず、右往左往とすると――
「おい! 早く持ってこい! そこにあるだろうがよ!」
深紅の髪の少女がまた大声を上げる。
「は、はい……。すみません!」
慣れない現場でオロオロする少年。だが、『そこにある』と言われても、『どこにあるの?』という感じだった。
「もういい! お前はこっちを手伝え!」
そう言うと、深紅の髪の少女は別の指示を出し、自分で木槌を取りに行った。
「……はい」
叱られてしょんぼりとする新入りの少年。そこに髭を蓄えた筋肉質の男が現れた。
「そう落ち込むな。リーズは別に怒ってるわけじゃねえ。あいつなりの指導だ」
「親方……。すみません」
「いいから、お前はこっちを手伝え。リーズの仕事を手伝うのはまだ早え」
「は、はい……」
そう言われて、少年は親方の元について行く。ちらりと深紅の髪の少女の方を見ると、大きな石畳を一人で担いでいるところだった。大人が二人がかりでも重労働なのに、軽々と持ち上げている光景が信じられない。
「あいつは別格だ」
「えッ!? あ、はい……」
「気になるか?」
親方が少年を横目で見ながら言った。どうも少年はあの深紅の髪の少女が気になった仕方がないようだ。
「いや、あの……。あの人……って、リーズフェルド様ですよね? ベゼルリンク家の……」
「ああ、そうだが?」
「えっと……。その……、何をしてるんですか……?」
それは至極当然の疑問だった。バルド王国でも有数の名門貴族の令嬢が土木作業の現場で働いている。気にならない方が不自然だ。
「仕事だ」
「え、はい――じゃなくて! なんで街道の舗装なんてしてるんですか?」
「金が欲しいそうだ」
「金……?」
「金だ」
「リーズフェルド様はベゼルリンク家のお嬢様ですよね……?」
「お前の疑問はもっともだ。俺も最初に話を聞かされた時には、馬鹿げた夢でも見てるんじゃないかって思ったぜ。だがな、事実だ。リーズはここで働いて、金を稼いでいる」
「いや、それが分からないんですが? あれだけの貴族なら、金なんて吐き捨てるほど持ってるんじゃないんですか?」
少年はますます分からなくなっていた。絶対に金に困るような生活はしていないはずの令嬢が、お金欲しさに仕事をしている意味が不明だ。
「自分の金は自分で稼ぐんだとよ。言ってることは普通だ。誰だって自分の金は自分で稼ぐ」
「はい……そうですけど……」
「まあ、分かんねえだろうな。だが、リーズはああいう人間だ。貴族だが、自分のことを貴族だなんて微塵も思ってないだろうな。お前に対しては乱暴な口を利くが、俺には常に敬語だ。リーズより先輩の奴には敬語で話す。これがリーズの上下関係だ」
「貴族なんですよね……」
「正真正銘、貴族中の貴族だわな。だが、あんな細い体して、力は大の男以上だ。手先も器用で、教えたことはすぐにできる。仕事も丁寧だ。しかも早いときた。なんで貴族になんか生まれてきたのかねえ」
親方が遠目からリーズフェルドの方を観察した。今でも大きな木槌を使て、石畳を綺麗に埋め込んでいる。リーズフェルドが仕事をした個所はすぐに分かる。正確無比に並べられた石畳は、機械で測ったように水平で、凹凸がほとんどない。
「この現場にはどうやって入ってきたんですか?」
「ラガルト様の紹介だ。いきなりラガルト様がリーズを連れてやって来て、暫く仕事をさせてほしいと頼んできた。思わず、『何を言ってるんですか?』って聞きなおしたぜ。訳分かんねえだろ?」
「ラガルト様の要望だったんですか……」
「いいや、リーズがここで働かせてくれって、ラガルト様に頼んだらしい。普段は立派な領主様なんだが、あの時のラガルト様は完全に諦めた顔をしてたな」
「あの、それで、親方……。その、リーズっていう呼び方なんですが……」
「ああ、初日にな、リーズフェルドっていうのは長いから、リーズでいいって言うもんだからな。あいつは、ああいう性格だろ? 現場にもすぐに打ち解けてよ。皆もリーズって呼んでる。貴族相手にこんな口を利けるのはリーズだけだな」
「豪快な人なんですね……」
「豪快というか、豪傑と言った方が正確だろうな。それなのに、あの見た目だろ? 無茶苦茶だわな」
親方は笑いながらリーズとの出会いを話す。仕事には真面目で、礼儀もある。厳しいが優しいところもある。冗談を言って笑いながら一緒に仕事をする仲。だから、現場の皆はリーズフェルドの見た目以上に内面が好きだった。
「親方ーッ! 親方ーッ!」
そんな話をしている時だった、なんだか慌てたような雰囲気の作業員がやってきた。頭にタオルを巻いた20代の男だ。
「おう、どうした?」
「ちょっと、厄介なことになってまして……」
「厄介なこと? 何があった?」
報告に来た作業員の表情を見て、親方の目つきが変わる。
「あちらの方なんですが……」
作業員の男が目線を向けた先、親方もそちらの方へと目を向けた。そこには――
「おい! 貴様! 早く退けろと言っているだろ! 何をしている! ここの責任者は誰だ!」
馬が4頭で引く大きな白い馬車がそこにはあった。そして、礼服を着た男が馬車から降りてきて、現場の作業員に文句を言っているところだった。
「ッチ……。教会か……、面倒くせェ」
親方が舌打ちをする。馬車から降りてきた男が着ているのは、教会のクルセイダーが外出する時に着用する服だ。私用ではなく教会の用で来ているということだろう。おそらくは要人の護衛といったところか。
女神セレスの教会はバスティア聖国が本拠地であるが、バルド王国にも強い影響力を持っている。対応を間違えると厄介な相手だ。
「ここの責任者のダレンですが。どのようなご用件でしたか?」
現場の親方ダレンが話を聞くために前に出てきた。
「この道を通る。邪魔だから、さっさと作業を止めて、道を空けろ! これでは馬車が通れないではないか!」
教会の男が苛立ち交じりに声を上げた。街道の舗装のために用意された石畳や作業道具、隙間を埋めるための粘土質の土や水の入った樽等、様々な物が街道に置いてあるため、大型の馬車が通ることができなくなっていた。
「すみませんが、今は作業中でして。ここを片付けるとなると、時間も労力もかかってしまいます」
「それがどうした? ここにいる全員で物を退ければすぐに済む話だろう?」
「いや、そう言われましても、工期というのがありまして。結構ギリギリのところでやっているんです」
ダレンはムカムカする気持ちを抑えて、できるだけ下手に出る。ただでさえ重たい土木作業の物品を横に寄せるだけでも大変な労力がかかる。それを現場の親方として作業員に指示するわけにはいかない。
「だから、それがどうしたと言うのだ? 意味が分からん! さっさと退けろ! こっちは急いでいるんだ!」
だが、教会の男は聞く耳を持たない。
(このクソ野郎がァッ……! 言葉も通じねえのかよ!)
親方はキレそうになるのを我慢しながら話を聞く。
「いや、ですが。我々にもできることとそうでないことがありまして」
「私はこの瓦礫を退けろと言っているんだ! そんなこともできなのか?」
「あの、ですからね。今は――」
「おい、コラァッ! てめえ、ガキみてえに駄々こねてるんじゃねえよ! いい大人がみっともねえ!」
ダレンが何とか宥めようとしたところに、突如リーズフェルドの怒鳴り声が割り込んできた。
「リーズッ!? お前、下がってろ! ここは俺に任せておけ!」
ダレンが慌ててリーズを下げようとする。だが――
「親方、こんな奴の言うことなんてまともに聞くだけ無駄っすよ! こういうチンピラは言葉が通じない奴らなんっすよ! でかい声出して相手を脅せば何でも通せるって思ってるような輩なんすから!」
「リーズッ!? お前ッ!? いいから下がってろ!」
ダレンの顔が蒼白になる。チンピラ相手ならダレンは一歩も引かないし、喧嘩に持ち込んで、力で押さえつける。だが、相手は教会のクルセイダーだ。それを言葉の通じないチンピラ扱いなんてしたらどうなるのか。
「小娘! 今何と言った? チンピラだと? 私にはそう聞こえたが」
「おう、ちゃんと聞こえてるじゃねえか。言葉が分かるなら、言葉で返せ。できなけりゃ、チンピラ以下の猿だ!」
リーズフェルドが教会の男を睨みながら凄んだ。
「貴様ッ! 私が誰なのか分かっていないようだな!」
教会の男は怒気を露にしてリーズフェルドに詰め寄ろうとする。
「どうしました?」
そこに、馬車からもう一人、水色のロングヘアーの少女が下りてきた。紺青の瞳が何事かと周囲を見渡す。
「あ、お前!」
リーズフェルドが馬車から降りてきた少女に反応した。
「あッ!? えッ!? どうして、こんな所にいらっしゃるのですかッ!?」
少女がリーズフェルドを見て驚きの声を上げる。まさかこんな所で出くわすとは思ってもみなかったからだ。
「ここでバイトしてんだよ」
「バイト……ですか?」
リーズフェルドが言っている意味が分からず、首を傾げる。ただ、相手はリーズフェルドだ。そういうこともあるのだろうと納得する。
「それで、ルシアだったか? お前は何してんだよ?」
「セシルです。セシル・システィーナです。いい加減名前を憶えてください」
セシルの名前を聞いた親方一同は目を見開いた。教皇の娘であるセシル・システィーナが出てくるなんて予想外もいいところだった。
「ああ、そんな名前だったな。で、何してん――」
「お、おい! リーズ! お前、分かってんのか? 相手はセシル様だぞ! 分かってるんだろうな!」
ダレンは冷や汗を搔きながらリーズフェルドに問い詰めた。
「ああ、分かってるっすよ。こいつ学校の友達で、教会のシスターをしてるんですよ」
「ッガ――ッ!?」
ダレンの息が詰まった。そして、周りにいた作業員達の呼吸も止まってしまう。
この馬鹿は教会の頂点である教皇の娘をシスターだと言った。
「無礼者が! この方は次期教皇の座に就かれるセシル・システィーナ様だぞ! 礼儀知らずにもほどがある!」
教会の男は怒声をまき散らすやいなや腰に帯びている剣に手を伸ばそうと――
「止めておけ! 怪我だけじゃ済まねえぞ!」
リーズフェルドが教会の男を睨みつけた。それだけで場の空気が一変した。一瞬でこの場の支配者が入れ替わる。
「……クッ!?」
教会のクルセイダーとして厳しい鍛錬をしてきた男だ。目の前の少女が放つモノを瞬時に理解した。
だから、動けない。下手に動けば命がない。巨大な怪物でも相手にしているかのような感覚になる。
「ウェルター、下がりなさい」
セシルが教会の男に声をかけた。そこでようやくリーズフェルドが一歩下がり、ウェルターと呼ばれた教会の男も動くことができた。
「し、しかし、セシル様……。あのような無礼な言動を許すわけには!」
「あたなこそ、相手が誰だか分かっているのですか?」
セシルは冷たい目でウェルターを見やる。
「この娘ですか? 確かに、見た目が良いことは認めますが、こんな町娘のことなど私は存じあげません!」
「町娘とは、ウェルター。あなたも度胸がありますね。その点は評価しましょう。ねえ、リーズフェルド・ベゼルリンク様」
セシルは薄っすらと笑みを漏らしながら、町娘と言われた少女の正体を明かす。
「ベ、ベゼルリンクッ!? ベゼルリンク家の!?」
ウェルターは驚愕した。町娘にしては綺麗すぎるとは思っていたが、まさかバルド王国の有力貴族だったとは思いもしなかった。そもそも、上級貴族がどうして土木作業員の恰好をしいるのかが不明だ。
「ウェルター。あなたの言動は、バスティアとバルドの関係にどういう影響を与えるのかを考えてのことですよね?」
「そ、それは……。しかし、セシル様をシスター呼ばわりしたのは、向こうの方ですよ!」
「ああ、それですか。リーズフェルド様ったら、お茶目なんですよね。そういうことろも好き――あ、好きって言っちゃった!」
セシルは顔を赤くしながら、頬を両手で抑えてモジモジとしている。
「セシル様……?」
「コホンッ――それにですね、ウェルター。元はといえば、相手の話を聞こうともしない、あなたの傲慢な態度が問題なのですよ? クルセイダーである身で、品格を疑われるような振る舞いはどういうことでしょうか? リーズフェルド様の前で、私の顔に泥を塗ったことを理解していますか?」
気を取り直してセシルがウェルターの責を問う。
「そ、それは……。申し開きもございません……」
ウェルターは素直に頭を垂れた。だが、少しだけ違和感があった。以前のセシルであれば、馬車から降りてくるようなことはなかったはずだ。ここ最近で何かが変わったような気がしていた。
「それで、どういう了見だ? ここは今工事中だ。通ることはできねえ。面倒でも迂回しろ」
向こうの話が終わった様子なので、リーズフェルドは本題に入った。
「はい。そのようにいたします。リーズフェルド様、この度は私の護衛が無礼な真似をして申し訳ありませんでした。この者にはしっかりと話をしておきますので、今回はこれで引いて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、別に構わねえよ。この程度のことでとやかく言うつもりもない。仕事の邪魔をしなければそれでいい」
「ありがとうございます。それでは、私たちはこれで――行きますよ、ウェルター」
こうして午前の一幕は閉じた。一件落着と言いたいところではあるが、ダレンはこの間、常に肝を冷やした状態だった。
(なるほど、ラガルト様が直接頼みに来るわけだ……。代金に色を付けてもらってるが、これじゃあ割に合わねえな……)
これからも起こりうるであろうことを想像しながら、ダレンが心の中で項垂れた。




