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破滅の足音 5

      1


午後の授業が終わると、足早に帰宅する生徒もいれば、少し教室にの残って友人と談笑する生徒もいるし、部活動に勤しむ生徒もいる。


こういった学生の行動というのは異世界であっても特段変わりはない。


だが、帰宅するわけでも、友達と話をするわけでも、部活動をするわけでもないのに学院に残っていた生徒もいる。


広いワイズ学院の中で普段から人が来ることのない校舎の裏に珍しく人影があった。滅多に人が来ない故か、広すぎる敷地故か、半分雑木林のようになったその校舎裏をソフィアが落ち葉を踏みしめながら進む。


「リコ。出ておいで」


風に乗せて鈴のように綺麗な声が校舎裏に響く。


「ナー」


ソフィアの声にはすぐに反応があった。小さく可愛らしい猫の鳴き声が聞こえてくる。


「リコ。お待たせ。お腹すいたでしょ?」


ソフィアは、足元に擦り寄ってきた子猫に優しく声をかけた。


リコと名付けられたその猫は、以前カラスに襲われて瀕死の状態だったところをソフィアの治癒魔法によって救われた猫だ。今はこうして元気になり、ソフィアの足に顔をすりすりと寄せてきた。


「ふふ、くすぐったいよ。ちょっと待ってね。今おいしい物あげるから」


ソフィアはしゃがみこんで鞄の中から茹でた鳥のささ身を取り出した。包みを広げて、子猫の前に出してやる。


子猫にとってソフィアは命の恩人であり、時折こうして餌もくれる大切な人間だ。


ソフィアにとってもこの猫はとても思い入れがある。アルフレッドと話す切っ掛けになった猫であり、アルフレッドの優しさを知ることができた猫であもある。


「ほら、お食べ」


リコは少し匂いを嗅いだあと、ガツガツと勢いよくささ身肉を食べ始めた。よほどお腹が空いていたのだろうか、わき目も振らずに一心不乱にささ身肉を食べる。


「ふふ、美味しい?」


ソフィアはそんなリコを撫でながら優しく微笑んだ。


ワイズ学院の中でソフィアが話をすることができるのはアルフレッドと猫のリコだけ。アルフレッドは普段から忙しそうにしているため、話しかけるタイミングを逃すと暫くの間話をすることができなくなってしまう。


今日も放課後はリーズフェルドと一緒に帰ってしまったため、アルフレッドに話しかけることができなかった。


(傍目には仲の良い友達に見えるけど……)


ソフィアの第一印象は不思議な関係の二人だった。男女というよりは、男同士の友達。そんな風に見えた。


特にリーズフェルドの方はかなりフランクというか、雑というか、ガサツな態度をとっていたように思える。


(アルフレッド様は……どう思ってるんだろう……)


リーズフェルドの見た目は控えめに言っても美人だ。ソフィアもあれほど綺麗な人間を見たことがない。誰が見ても目を奪われる存在。ましてや年頃の男子からすれば、心を惹かれて当然だ。


(アルフレッド様は、リーズフェルド様の本当の姿を知らない……。知ってしまったらどんな……いや、止めておこう……。これはアルフレッド様を困らせてしまうだけ。もう答えは出てる。同じことを何度も考えるのは止めよう……)


もう何度目になるだろうか、この考察。アルフレッドがリーズフェルドの正体を知ったらどうするだろうか。失望するのだろうか、激怒するのだろうか。それとも困惑するだろうか。ただ、少なくとも悲しむことは間違いないだろう。


(アルフレッド様に悲しい思いをさせたくはない……)


「優しすぎるんだよ……。リコもそう思うでしょ?」


そんなことを呟きながら、ささ身肉を一生懸命食べる子猫を撫でてやった。



      2



次の日、今日も変わらずアルフレッドは早目の登校だ。軽く眠気を覚えるが、王族としてだらしない姿を見せるわけにもいかず、大きく伸びをしたい気持ちをグッと堪える。


「おはようございます、アルフレッド様」


教室に入ってから、朝一番に声を挨拶をしてきたのはソフィアだった。特待生ということもあって、早くから登校してきて、きっちりと授業の準備をするのが日課になっている。


「おはようソフィア。今日も早いね」


アルフレッドが笑顔で答えた。眠気があるなど微塵も感じさせない爽やかさだ。


この時間がソフィアにとって何よりも代えがたい時間になっていた。


まずリーズフェルドがいない時間である。アルフレッドと違い、リーズフェルドはギリギリの時間に登校してくる。遅刻してくることだってある。


他の生徒も少ないこの時間は、確実にアルフレッドに声をかけることができる時間だった。


「アルフレッド様ほどではないですよ。私は寮に住んでいますから、すぐに登校できますけど、アルフレッド様は王宮から通ってらっしゃるのですよね? それでこの時間に登校できるんですから、すごく早起きなんですね」


特に大した会話をするわけでもない。他愛のない世間話。それでも、平民出身で、しかも孤児院育ちのソフィアに対してアルフレッドは快く話をしてくれる。それがソフィアには堪らなく嬉しい。


「寝るのも早いからね。この時間に起きるのはそれほど苦じゃないよ」


「そうなんですね。あまり夜更かしはされないんですね?」


「そうだね。次の日のことを考えると、早く寝ないと辛いからね」


「立派ですよね。私は夜に寝付けないことが多くて、朝は辛いです。早く寝るコツとかあるんですか?」


それでもアルフレッドと話をするために早起きをしている。


「まあ、僕は鍛錬をしているからね。体を動かしているから、夜は自然と眠ることができてるんだよ」


「アルフレッド様は剣術がとても強いですもんね! この前の剣術の授業も凄かったです! 私は剣術のことがあまり詳しくないのですけど、アルフレッド様の強さは分かりました。毎日の鍛錬の賜物なんですね」


「大袈裟だよ。そんなに大したことはしていないよ」


あまり持ち上げられるのも、なんだかむず痒いものがある。それに、一番褒めて欲しい人からは、一度たりとも褒められたことがない。


「大袈裟ではありませんよ。鍛錬を続けることができるだけでも、とても凄いことだと思います」


お世辞でもなく純粋にソフィアはそう思う。才能もあるだろうが、何よりも継続こそが最大の才能だと思う。


「リーズに言われているからね」


「え……。リーズフェルド様に……?」


ソフィアの声があからさまに変わった。


「そうなんだ。僕が強くなれたのはリーズのおかげなんだよ。子供の頃の剣術は本当に褒められたものじゃなかったんだけどね。リーズがいてくれたおかげで僕は強くなれたんだ。といっても、まだまだなんだけどね。いつかはリーズが見ている世界を僕も見れるようになれたらなって思ってる。だから、リーズに言われた通り、毎日欠かさず鍛錬をしてるんだ。リーズが言うにはね、休み方も重要だっていうことなんだって。だから、早く寝ることも心掛けているんだよ」


アルフレッドの声もあからさまに変わった。リーズフェルドのことを話し出した途端に話し方が変わった。優しい声色はそのままだが、明らかに楽しそうだ。それこそ、ソフィアの声色が変わったことに気が付かないほどに。


「それは……。無理にやらされている……とかではないですよね……?」


ソフィアは言葉を選ぼうとしたが、結局そのまま思っていたことを口にしてしまう。バルド王国有数の貴族令嬢に対して、失礼な発言であることは承知の上だが、言葉を止めることができなかった。


「まあ、多少はね。辛いこともあったし、無茶なことをやらされることもあるけどね。それでも、強くなりたいって言ったのは僕の方だから、リーズの無理難題も今となっては良い思い出だよ」


リーズフェルドの鍛え方は、荒神流という実戦的な古武術を元にしているため、その修行もかなり厳しい。


夜の森の中で、肉食の猛獣に囲まれた状態で野宿することなんて、もうすっかり慣れてしまったくらいだ。


それでも、アルフレッドが五体満足で生きていられるのは、偏にリーズフェルドが同行していたから。猛獣と戦わされても、死にそうになれば助けてくれる。


「辛い思いをされたんですね……」


ソフィアの声音がさらに曇る。楽しい会話をしていたはずなのに、いつの間にか重しを乗せられたかのような気持ちになっている。


「最初はね。でも、リーズがずっと付き合ってくれてたから、僕は少しでも強くなれたんだと思ってるよ」


対してアルフレッドははにかむように話をする。


「優しすぎるんですよ……」


カーン、カーン、カーン


「おっと、予鈴が鳴ったね。今日の最初の授業は魔法数理学だったかな」


「ええ、そうですね……」


「リーズが苦手なんだよね、この魔法数理学。僕も得意ってわけじゃないけど、リーズにはちゃんと授業を――って、リーズはまだ来てないよね?」


ハッとなってアルフレッドが辺りを見渡さした。生徒が席についている中、隣の席にいるはずのリーズフェルドがいない。


「まだ、来られてはいないようですね」


「はぁ……。まったく。リーズは僕より早く起きるのに、どうして学校には遅刻してくるかなあ……」


山で野宿をした際には、必ずリーズフェルドが先に起きて、獣の皮を剥いだり、肉の処理をしている。普段から、日が昇ると同時には活動していると聞いるのに、学校には頻繁に遅刻してくるのが不思議だった。


「それでは私は、席に戻りますね」


「ああ、それじゃあ、また」


アルフレッドはリーズフェルドのことが気になるようで、教室の入り口を見ている。


席に着いたソフィアも周りを見渡した。


(そういえば、何かいつもと違うような……)


席に戻る時に何か違和感というか、不快感がなかったような気がしたた。その違和感のようなものの正体が何なのか、少しだけ気になって、あることに気が付いた。


(ああ、そうか。あの三人がいないんだ)


あの三人とは、リーズフェルドの指示によってソフィアを苛めている三人。マチルダとコーデリアとミラだ。


(今日は三人とも休み?)


不快感がなかった正体はこれだ。ソフィアはそう思うと、少しだけ笑みが零れる。


リーズフェルドが教室に入ってきたのは、それから数分後のこと。ギリギリ教師が入ってくる前だった。



      3



その日、マチルダとコーデリアとミラの三人は午後から学校にやってきた。三人が言うには、ミラが体調を崩したようで、友達として看病をしていたとのことだ。午前中休んだことで、体調が回復したから、午後から登校してきたとのこと。


午前中の平穏が終わりを告げてしまい、ソフィアは陰鬱な気分になるが、アルフレッドの近くにいれば、マチルダ達三人が何か仕掛けてくるようなことはない。


昼の休憩時間はリーズフェルドが一人でどこかに行ってしまうことが多いので、その間にソフィアがアルフレッドに話しかける。


どうやら、リーズフェルドは修練場に行っているとのことで、何故かは分からないがセシルもよくそこに行っている。


最近ではリーズフェルドとセシルが一緒にいるところをよく見かける。というより、セシルが付き纏っているようにも見える。


セシルに気を使ってのことなのだろうが、アルフレッドがリーズフェルドと一緒にいる時間が減ったのはソフィアにとっては都合が良かった。


アルフレッドと他愛のない会話をしてから、ソフィアは学生寮に戻る。ここ数日はこういった日々を過ごしていた。


バスティア聖国の学生寮の一階。セシルとは別の棟になる寮で、あちらと比べると造りは質素だ。窓からの見晴らしも悪い。窓の向こうはすぐに壁がある。


ソフィアが部屋のノブに手をかけようとして、ある異変に気が付く。


「――ッ!?」


部屋の中から水が染み出してきている。半分乾いているが、部屋の前の廊下が濡れている。


慌ててドアを開けて部屋の中に入った。そこには――


「ッエ……!? なんで……!?」


水浸しの部屋。家具は倒れ、割れた皿が散乱している。ベッドもグショグショ。床には大きな水溜まりが残っていた。


(どこから水が?)


そう思った矢先、水の侵入口はすぐさま判明した。窓が割れているからだ。割れたガラスの破片と格子の破片が散らばっている。


(誰がこんな……)


真っ先に思い浮かんだ顔はマチルダとコーデリアとミラ。ソフィアの部屋は一階であり、窓の向こうはすぐに壁があるので、人から見られるようなこともない。水の魔法を使えば、簡単に窓を壊して、部屋を水浸しにすることができる。


(午前中休んでいたのは、このために……)


セシルが住んでいる学生寮と違い、ソフィアの学生寮に専属のメイドや執事が常駐しているようなことはない。学校が始まれば無人になる。少しくらい大きな音を出したとしても、誰も気が付く者はいない。


悔しい思いが込み上げてくる。アルフレッドの近くにいれば、苛めを受けることはないと高を括っていた。だが、違った。直接的なことはできなくなったから、間接的な嫌がらせをしてきたのだ。


その時だった。廊下から嫌な声が聞こえてきた。


「あらぁ~どうしたのかしらソフィアさん? そんなところに突っ立て」


声の方に振り向いてみると、そこにはニヤニヤと嫌な顔をしたマチルダとコーデリアとミラの三人がいた。


「マチルダ……様……」


思わず歯噛みしてしまうが、相手は貴族だ。失礼な態度を取ると後々かなり面倒なことになる。


「うわァッ!? なにこれ!? びしょびしょじゃないの!」


ミラがわざとらしく声を上げる。


「えぇ~? 水溜まりになってるの? 汚~い」


続いてコーデリアが嗤いながら言う。


『お前らがやったんだろ!』――と言うことはできない。証拠はないし、あったとしても、平民のソフィアにどうこうする力はない。それこそ、アルフレッドに頼る以外には。


「……どうして、こちらにいらっしゃるのですか? ここはバスティア聖国の寮ですが……?」


振り絞って出てきた言葉はこれだけ。このタイミングでこの三人がいること自体が証拠だと言ってもいいくらいなのだが、不確実なことでアルフレッドを頼ったとしても、アルフレッドは裁きを下すことはしない。


「あれぇ~? もしかして、あなた、私達が犯人だとでも思っているのかしら?」


マチルダが詰め寄ってきた。この態度を見ただけでも犯人であると自白しているようなものなのだが、身分の差がそれを許さない。


「いえ……、そんなことはありません……」


「だったら何よ!」


今度はミラが詰め寄ってくる。


「……ここはバスティア聖国の寮ですから、バルト王国の貴族の方がどのようなご用件かと……」


「え? 何? バルト王国の者はバスティア聖国の寮に入ってはいけないの? ねえ? そう言いたいの? 女神セレス様はそんなことを教えてはいないはずだけど? あなた、教会で何を習ってたの?」


続いてコーデリアが声を荒げる。


「まあ、まあ、コーデリア様。それくらいにしておきましょう。何せ孤児院育ちですもの、セレス様の教えをまとも教わっているわけがありませんわ」


マチルダが笑いながらソフィアを見やる。完全に見下した目だ。


「――ッ!?」


孤児院のことを馬鹿にされ、さすがに腹の底が煮えるような思いになったが、それでもソフィアはぐっと拳を握って耐えた。


(耐えろ……。ここで我慢すれば、すぐに終わる……。だから、耐えるんだ……)


「そうですわね、孤児院ですものねえ。セレス様の教えを孤児院育ちが理解できるはずもありませんわ」


ミラも同様に笑う。ソフィアにはこの三人の顔が酷く醜悪に見えた。だが、もっと醜い存在がいる。


(……自分では手を汚さずに、取り巻きを使って、こんな……)


ソフィアは俯いたまま、歯を食いしばった。憎むべき相手は他にいる。この三人をどうにかできたとしても、別の駒を使われるだけだ。


「……それで、どのような用件ですか?」


相手を見ることなく、ソフィアはなんとか声を出した。


「用件? 何言ってるの? あなたみたいな孤児院育ちに用があるわけないでしょ! ミラ様が体調を崩したから、良い薬を持っていると聞いたので、バスティア聖国の方にお薬をもらおうと来ただけ」


マチルダはそんな取ってつけたような理由を述べた。あくまでここにいるのは、偶然であるということだ。


「私たちはこれで行くから、精々、掃除を頑張るのね」


最後にミラがそう言うと、三人は立ち去って行った。寮の外へと。


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