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破滅の足音 4

      1



翌朝。学生寮でソフィアが目覚めると、窓を開け、腕を上げて伸びをし、目覚めたばかりの頭に新鮮な空気を巡らせていく。


今日は朝からよく晴れている。小鳥たちの囀りも心なしか楽しそうに聞こえてくる。昨日まではそんなこと微塵も感じなかったが、どういうわけか、今朝は景色が綺麗に見える。


これから顔を洗い、朝食を摂って学院へと向かう。と、その前に、ソフィアは干してある白いハンカチに目をやった。


シルクで作られた高級なハンカチだ。平民が決して手にすることができないような奢侈品。ソフィアはそのハンカチを手に取って、優しく握りしめる。


ハンカチの皺を丁寧に伸ばして、包み紙に入れ、リボンで結ぶ。


その作業をしながら、ソフィアからは自然と笑みが漏れていた。今日は特別な日でもない。特別なことをするわけでもない。単にハンカチを貸してくれた人に対して洗って返すだけの話だ。


それだけのことなのに、朝が来るのが楽しみで仕方なかった。何気ないいつもの朝。毎日繰り返される同じ朝。なのにこの日は昨日までの朝とは違う。とてもキラキラとした朝に思えた。


ソフィア自身も何故にこれほどソワソワしているのか理解できなかった。こんなにも早く学校に行きたいと思ったことはなかった。


(別に何もない。ただハンカチを返すだけ。それだけ。それだけのこと。アルフレッド様には何も迷惑をかけるつもりなはない)


ソフィアが声に出さずに心の中で自分に言い聞かす。これはアルフレッドと話すための口実ではないと。



      2



いつもギリギリに登校してくるリーズフェルドとは違い、アルフレッドは余裕をもって登校してくる。


王族として、自国民の規範となるように。そして、他国に対してもバルド王国の恥にならぬように心がけているからだ。


ただ、王族が早く登校してくるのであれば、バルド王国内の貴族としても早く登校せざるを得ないというのは、その国の貴族特有の悩みだろう。


ただ、アルフレッドはそれも分かって早く登校している節がある。


「おはようございます。アルフレッド様」


生徒も疎らな朝の学院内。正門を抜けたところでアルフレッドは一人の女子生徒から声をかけられた。


「やあ、おはよう。ソフィア。今日はいい天気だね」


アルフレッドが爽やかに挨拶を返す。清々しい朝にふさわしい笑顔だ。


「はい。いい天気です。今日はとても目覚めが良くて。こんな日が続けばいいですね」


ソフィアはどこか饒舌に返す。どうやら機嫌が良いようにも見受けられる。


「そうだね。僕も今日はすっきりと目を覚ませたよ」


「アルフレッド様も、寝覚めが悪い時があるのですか?」


「そりゃあ、そういう日もあるさ」


「そうなんですか。アルフレッド様はきっちりとされているので、寝覚めが悪いようなことなんて無いと思っていました」


勝手なイメージなのだが、ソフィアにとってはアルフレッドの意外な一面に思えた。


「僕にだってそういう日もあるよ。それに、いつも予定通りの毎日が送れるわけでもないからね」


アルフレッドは少しだけ遠い目をしていた。思い出していたのは、リーズフェルドに山籠もりをさせられた時のことだ。ワイズ学院に入学する前も、修行と称して山籠もりをさせられた。


夜行性の魔物を警戒しながらだと、碌に睡眠を取ることもできない。


これから暑い季節になると、海にも行かされるだろう。当然、野宿で。


「アルフレッド様は王族の方ですから、国の民のために思うこともありますよね……。すみません、私が不躾なことを聞いてしまって……」


「いや、そんな大層なことではないよ。ソフィアが気にするようなことじゃない」


アルフレッドが軽く手を振りながら言う。本当に大層なことでも、ソフィアが気にすることでもない。


「私に何かお手伝いできることがあればいいのですが……」


「気にしなくてもいいよ。ソフィアがそう言ってくれるだけでも十分だよ」


「はい! あの、私も……アルフレッド様にそう言っていただけると……嬉しい……です……」


ソフィアは地面を見ながら呟いた。今の状態でアルフレッドの顔を直視することなんて到底できるはずもない。


「王族相手だからって、そんなに緊張する必要はないよ」


「い、いえ……。その、緊張は……。あの……、はい。してるかもしれません……」


「そんなに身構える必要もないよ。君はバスティア聖国の民であり、女神セレス様の信徒だ。僕も同じ女神様の信徒だからね。まあ、それでもお互いの立場っていうのがあるけどさ」


立場どころか身分があまりにも違いすぎる。アルフレッドも平民に対して気さくに話をする方だが、リーズフェルドのように身分という概念が皆無というわけではない。自分と相手のおかれている立場が違うことは意識する。


「はい。アルフレッド様がそう仰っていただけるのであれば、私も少し気が楽になります」


「それは良かった」


「あ、そうそう、アルフレッド様にお返しする物がありました」


急に思い出したかのようにソフィアが鞄の中を探り始める。


「僕に返す物?」


「はい。昨日、お借りしたハンカチです。洗っておきましたので、お返ししますね」


「ああ、昨日の……」


ソフィアがマチルダ達に詰め寄られていた件だ。ソフィア本人は、自分が転んで怪我をしたと言っていたが、状況から見て苛めを受けていたのは明白だった。


「はい。昨日は、その……。ありがとうございました」


ソフィアは頬を少し染めながら、ハンカチの入った包みをアルフレッドに渡した。


「いや。大したことはしてないよ」


「いえ、そんなこと。私はとても助かりました」


具体的なことは明言しない。あくまで、怪我をした時にハンカチで手当てをしてもらった。それの礼を言っただけ。


それ以上は語らなかったが、二人の間では意図は確実に伝わっていた。



      3



その日以降、ソフィアには久々に安息の日々が訪れた。


旧校舎でアルフレッドの助けが入ってから、ソフィアに対してマチルダ達が安易に手出しをすることができなくなっていたからだ。


ただ、ソフィアを無視するということは続いていたのだが、複数人で絡まれるよりはよっぽどマシだ。話しかけても無視されるのであれば、そもそも話しかけなければいい。


それにソフィアには話し相手になってくれる人がいる。


アルフレッドだ。


アルフレッドはリーズフェルドと一緒にいることが多いが、常に一緒にいるというわけではない。リーズフェルドも一人で行動することが結構あるため、自然とアルフレッドが一人になることがある。


ソフィアはそれを見逃さない。


リーズフェルドがいなければ、ソフィアがアルフレッドに話しかける。そうすれば、他の生徒達はソフィアに対して何かしてくることができない。


特にマチルダとコーデリア、ミラの3人組には効果覿面であり、正義感の強い自国の王族に疑われている以上、直接ソフィアを攻撃することができない。


アルフレッドもそれが分かっているため、ソフィアが近づいて来たらできる限り話をするようにしている。


そして、ある日の昼休み。リーズフェルドがいないところを見計らって、ソフィアがアルフレッドに声をかけた。


「アルフレッド様。今日の剣術の授業、凄かったですね。私は剣術のことはよく分からないのですが、アルフレッド様がとても強いということはよく分かりました」


ソフィアが目を輝かせてアルフレッドに話しかけてきた。


「それほどでもないよ。剣術は子供の頃からやっていてね。少し上手くできるだけだよ」


「そんなことないです。少し上手いとかいうレベルではないですよ。とても強かったです」


「そんなに褒めても何もないよ。それに、僕よりも遥かに強い人を知ってるからね。その人に比べたら、僕なんてまだまだだよ」


「アルフレッド様は十分強いと思います。確かにおっしゃる通り、世界にはもっと強い人もいるかもしれませんが、それでも、アルフレッド様の剣技は見事でした」


ソフィアが熱弁するのは、この日の午前にあった剣術の実技のことだ。それは少し時間を遡る。




      4



昼前の授業。この日、男子生徒は修練場で剣術の実技の授業があった。


女子生徒は別の授業があり、それは予定通り終わったのであるが、男子生徒の方は少々手間取っていた。


剣術の授業が難航していた理由、それはカラザス王国のリチャードが原因だった。


「いいから、アルフレッド王子とやらせろって言ってんだよ!」


剣術の教師相手にリチャードがクレームを入れていた。そのせいで授業が一時中断してしまったのである。


「そういうわけにもいきません! 組まれた通りの模擬戦をしてもらうことになっております! リチャード様からの申し出であっても、勝手に変更することはまかりなり通りません!」


30台前半の剣術教師がリチャードの要望を突き返す。


授業であっても、バルド王国の王族とカラザス王国の王族を戦わせるわけにはいかない。他の国ならともかく、カラザス王家は面倒なことにしかならない。


「ごちゃごちゃとうるせえな! なんで勝手に変えることができねえんだよ! 理由が分からねえ。俺が納得する理由を言ってみろ!」


教師がどうしてリチャードの要望を受け入れないのか。そんなことはリチャード本人もよく分かっている。分かっていて、問い詰める。カラザス王家が面倒だから、バルドロード家と対戦するようなことはさせられないということは。


「ですから、授業での対戦カードは組まれておりますので、私が勝手に変更することはできないのです! どうぞご理解ください」


「だから、変更ができない理由を説明しろって言ってんだよ!」


「り、理由と申されましても……。前もって今日やる授業の予定に組み込まれているものでして……。生徒間の実力等、色々と考慮した結果ですね――」


「実力で対戦相手を組んでるんだな? だったらアルフレッド王子と俺が対戦しても構わねえだろ?」


「いや、そういうわけには」


「ああ? なんだ? お前はアルフレッド王子が俺よりも大きく劣っているって言いたいのか? おい、アルフレッド王子、聞いたか? お前、こいつに馬鹿にされてるぞ!」


「い、いえ! そのようなことは言っておりません! 私はどちらの実力が劣っているようなことがあるとは思っておりません!」


ここで教師が墓穴を掘ってしまった。これはリチャードが言わせたかった言葉だった。


「なら、実力は拮抗しているってことだな! それなら俺とアルフレッド王子が対戦することが、授業の趣旨に合っているってことだ! よし、教師の許可はもらった。おい、アルフレッド王子、俺と対戦しろ!」


「ちょ、っちょっと待ってください!」


「ああ? 何だ? さっき、お前は実力を考慮して授業の対戦を組んでるって言ったよな?」


「え……。いや、あ……そうですが……」


「だったら、文句はないな!」


「で、ですが――」


「いいよ。この勝負受けて立とう!」


狼狽える教師とは違い、アルフレッドは堂々とした態度で返事をした。


「ほらみろ。アルフレッド王子もやる気みたいだぞ!」


リチャードはニヤニヤとしながら言った。思惑通りに事が運んでいる。


「ア、アルフレッド様……」


困惑した表情で剣術の教師がアルフレッドに目を向けた。完全に教師の威厳や年上の貫禄というものはなくなっている。


「すみません。この場を収める方法が他になくて。でも、心配無用です。彼にはきっちりと分からせますから」


「そ、そうですか……。アルフレッド様がそう仰るのであれば……」


リチャードと違い、アルフレッドには教師からの信用もある。アルフレッドが心配ないというのであれば、この場は任せる他に方法はない。


「おい、いいのかそんな大口たたいて。見てみろ、周りには授業が終わった女子生徒が見学に来てるぜ」


これもリチャードの狙いの一つだった。わざと授業を妨害して長引かせ、女子生徒の授業が終わってこちらへ見学に来ることを狙っていた。


男子生徒だけでなく、女子生徒も見ている中でアルフレッドを倒す。というのがリチャードの計画。


「まったく……。見世物じゃないのだけどね」


アルフレッドはリチャードの意図を理解して嘆息する。周囲に目を配ると同じクラスの女子達が緊張した顔で見ている。その中にはソフィアの姿があった。だが、リーズフェルドの姿は見当たらない。


(この程度の相手だと、リーズの興味を惹くことはできないよね)


できれば、リーズフェルドにも見ていてもらいたかったが、相手がリチャードではわざわざ見る価値もないと判断されたようだ。


「それでは、双方構え!」


剣術の教師が渋々ではあるが、アルフレッドとリチャードの模擬戦を認め、試合を進めていく。


お互いが距離を開けた間合いで睨みあう。冷静に相手を見据えるアルフレッドに対して、敵意をむき出しのリチャードは睨みつけるような鋭い視線を送っている。


「始め!」


剣術の教師が合図を出して模擬戦が始まった。


先に動いたのはリチャードだ。若干フライングをしているのだが、試合は止められることなく続行。アルフレッドも特段気にした様子はない。


リチャードはカラザス王国では槍術の評価が高い人物であるが、剣術も一級品だ。恵まれた体格から、力強く剣を振り下ろす。


豪快に空を斬る音を響かせてアルフレッドに襲いかかるが、アルフレドはこれを受け止めることはせずに後ろに下がって回避。


リチャードは続けざまに横薙ぎに剣を振ってくるが、これもアルフレッドが後ろに下がることで回避。


その後もリチャードが次々と剣戟を繰り出していくが、アルフレッドは慌てることなく回避し続ける。


「いつまで逃げ回ってるつもりだ? バルド王国の剣術は逃げることしかできねえのか?」


リチャードがあからさまに挑発してきた。だが、アルフレッドはそれを無視して回避を続ける。


「ッチ、腰抜けが!」


悪態をつくが、リチャード本人も分かってきている。アルフレッドが単に逃げているだけではないということを。


とにかく当たらないのだ。避け続けられている。追いつめて防御させることもできない。単なる坊ちゃんだと思っていた相手に手古摺っていることに苛立ちを覚えていた。


「そろそろかな」


アルフレッドは回避行動を取った矢先、突然反撃してきた。


「ッ!?」


リチャードが慌てて剣で防御をする。ガキンッと金属同士がぶつかる音が修練場に響いた。


(お、重い……!? な、なんでこんな甘えた奴が……ッ!?)


受け止めたリチャードの腕が振るえた。想像以上に重たい剣戟が襲い掛かっている。リチャードは強制的に一歩後ろへと後退させられていた。


アルフレッドは止まらず二撃目を打ち込んでいく。リチャードはその剣も受けざるを得なかった。アルフレッドのように余裕をもって回避することができない。


それだけアルフレッドの剣が速く、鋭く、重いからだ。


アルフレッドはそのまま止まらずに連撃を打ち込んでいく。


(思っていたよりはやるね。流石はカラザス王家の血を引いているだけのことはある)


数度の攻撃で終わると思っていたアルフレッドであったが、思いのほかリチャードが粘っていた。態度は悪いが、実力を誇るだけの技量は持っているようだ。


「クソッ」


リチャードが負けじと打ち返してきた。これをアルフレッドが正面から受け止める。力でも負けてないことを分からせるためにわざと正面から受けたのだ。そして、そのまま力任せに押し返した。


「調子に乗るんじゃねえよ!」


リチャードが再び踏み込んで斬撃を放ってきた。だが、アルフレッドに受けられないほどの斬撃ではない。アルフレッドはこれも正面から受け止めて――


ガキンッと金属音が鳴ったと同時だった。リチャードがアルフレッドの顔面目掛けてヘッドバットを繰り出してきた。


反則行為なのであるが、ちょうど教師の目には見えない位置に回り込んでいた。


至近距離からの頭突き。剣を受け止めている状態で、不意打ちの頭突きを躱すことは困難である。


(まあ、そういうこともしてくるよね)


だが、アルフレッドは冷静だった。実力差を見せれば、必ずラフプレーに走ると見込んでいた。


その見込み通り、反則の頭突きをしてきた。想定通りの行動だ。だったら、対処は簡単。アルフレッドは予測していた行動をするだけ。


頭突きを避けるフリをして、リチャードの顎に肘を入れた。


顎を肘で撃たれたリチャードは脳を揺さぶられて脳震盪を起こす。こうなってはまともに立っていることすら難しい。


アルフレッドは流す動作で、リチャードに膝を付かせたところに剣を振り下ろした。


「そこまで! 勝者、アルフレッド様!」


リチャードの首元で寸止めされた剣。それを見た剣術の教師が試合の終了を告げた。


「て、てめぇ……。やりやがったな……」


リチャードが恨めしそうに見上げて、睨みつけてきた。


「なんのことだい? 君が頭突きをしてきたから、僕は慌てて避けただけだよ。そこで態勢を崩したのは君だ」


この場でアルフレッドが肘内を入れたことに気が付いているのは、対戦していた二人だけ。剣術の教師からも見えない位置取りで肘打ちを入れており、周りの生徒もアルフレッドが何をしたのか分かっている者はいない。もし、リーズフェルドが見学していれば気が付いていただろうが、当人はとっくに昼休憩のために戻っていた。


「この野郎……ぬけぬけと……」


悔しそうに顔を歪めているリチャードだが、この場でアルフレッドの反則を追求することはできない。先に反則をしたのはリチャードであり、アルフレッドはいくらでも言い逃れをすることができる。


「単に経験の差だよ。だから、君の頭突きを回避することができた。それだけだよ」


アルフレッドはそう言って剣を引く。アルフレッドはリーズフェルドから訓練を受けており、常に実戦を想定した修行をしていた。


リチャードがやってきたようなラフプレーなど初歩的な戦法だ。リーズフェルドはもっとえげつない戦い方も教えていたし、その対処法も教えていた。


「経験の差だと?」


戦闘経験ならリチャードも相当な数を積んでいる。見えないところで反則する技術も、実戦さながらの訓練で身に着けたものだ。だが、それが簡単にあしらわれてしまっている。


「リチャード王子が研鑽を積んできたことは認めるよ。でもね、世界にはもっと上がいるっていうことを覚えておいた方がいい」


「その、上っていうのがお前だって言いたいのか!」


「違うよ。僕なんてまだまださ。登っていくほどに上にいる存在の高さを思い知らされる。まったく、嫌になるよね」


アルフレッドは苦笑しながらも剣を収め、この時間の授業は終わりを迎えた。




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