破滅の足音 2
1
リーズフェルドが教会の孤児院を見学してから、数日が経過していた。
当初の目的は、リーズフェルドがソフィアと話をする切っ掛けを作るため。教会の孤児院で育ったソフィアと共通の話題をもつためだった。
では、登校したらすぐにソフィアに話をしに行けばいいのであるが、今のところリーズフェルドは、まだソフィアに話しかけられずにいた。
(どういうタイミングで話しかけたらいいんだ……?)
今日の午前の授業は魔法数理学だ。術式の構築や発動時間、効果範囲等、魔法に関する様々なことを算術する学問だ。
数ある魔法学の中でも苦手な人が多い科目となっている。当然のことながら、リーズフェルドにとっては苦手以前の問題。
(前世の時はもっと、こう、女と簡単に話することできてたんだけどなあ……)
教師が黒板に複雑な魔方陣と方程式を書いている。それを見ているのか見ていないのか、リーズフェルドは考え事を続ける。
(ソフィアみたいな子なんて、前世では会ったことないからなあ……。違いすぎるんだよな……)
今日は朝からずっとそんなことを考えている。早朝のトレーニングの時から考えているのだが、どうしていいものか、答えは出てこない。
(とりあえず、何も考えずに突撃してみるか……?)
リーズフェルドが自問自答をしている最中、授業の終わりを告げる鐘の音が聞こえてきた。
「よしッ! 考えてもキリがねえ、行くか」
リーズフェルドは立ち上がると、無意識に声が出ていた。
「ん? どうしたんだい? 行くって?」
隣のアルフレッドが何となく聞いてきた。
「ソフィアに話しかけてみる」
「まだ話してなかったのかい?」
少し呆れた表情でアルフレッドが言う。
「うるせえな! 今から行くんだよ!」
リーズフェルドはそのままソフィアのいる席へと歩いていく。
ソフィアに近づくにつれて、心臓の音が大きくなっていく。体を叩かれているかのようにバクバクと心臓が鳴り響く。
呼吸が荒くなっていくのが分かる。口の中が乾く。手が小刻みに震えている。もうすぐソフィアのいる席に着いてしまう。
「あ、リーズフェルド様」
先に声をかけたのはソフィアからだった。優しい声音がリーズフェルドの耳をくすぐると緊張がより一層高くなった。
「よ、よお……」
リーズフェルドが裏返った声で返事をした。自分でも緊張してどうすることもできない。
「今の授業難しかったですよね。一生懸命ノートを書いてたんですけど、理解が追い付かなくて」
ソフィアは少し困った表情をしながらもそんな話をしてきた。
(か、かわええぇ……。仕草とか、かわいいなあぁ……)
難しい授業に苦戦しながらも、頑張っている姿がリーズフェルドには刺さった。健気でかわいい。
「リーズフェルド様でしたら、魔法数理学も得意だったりするんですか?」
少し首を傾げながらソフィアが聞いてきた。
「あ? 何が? え、あああ、ああ、そうだな……」
ソフィアが可愛くて話をちゃんと聞けてなかったため、曖昧な返事で誤魔化した。
「へえ、凄いんですね。リーズフェルド様は。私も見習わないとですね」
「え? ああ、おう。そうだな……。ところでさ、お前って……」
「なんでしょうか?」
「ええっと……」
「はい」
「ええ、あれなんだな……。あの、孤児院で育ったんだっけか……?」
緊張のあまり、何を話していいか分からないリーズフェルドは、唐突に孤児院の話題を切り出した。とても不自然な会話の流れだ。
「あ、はい……。そうですけれど……」
突然の孤児院育ちの話題に、ソフィアが少し戸惑った表情を浮かべる。孤児院での生活は良い思い出が多い。神父は優しかったし、シスターは厳しかったが皆の世話をよくしてくれた。
だが、この場でいきなりその話題が出ることに違和感を覚えることは否めない。どういった意図で聞いてきたのか。名だたる王族や貴族が通うワイズ学院で、ただ一人だけの孤児院育ち。方やリーズフェルドはバルド王国でも名門の貴族の令嬢。
(この後何を話せばいいんだー??? 何も思い浮かばねえー!)
話を切り出したはいいが、早々に行き詰ってしまい、リーズフェルドは心の中で絶叫する。
「孤児院では、皆さん良くしてくれました……」
ソフィアが少し暗い目をしてリーズフェルドを見た。
「ああとだな……。まあ、そうか……。それだけだ……」
結局リーズフェルドは何もすることができず、不自然な会話をしただけで終わってしまい、その場を後にしてしまった。
2
その日の放課後。どんよりとした鉛色の空が広がり始めていた。今夜には雨になるだろうか。湿気を帯びた匂いが風に運ばれてやってくる。
もうほとんどの生徒が下校した時刻。人気のない校舎の裏で、ソフィアはクラスメイトに呼び出されていた。
「あの、どういったご用件でしょうか?」
どうして呼び出されたのか分からないソフィアが、呼び出した相手に尋ねた。
ソフィアを呼び出したのはクラスメイトの女子3人だ。一人はマチルダ・バーンズ。大きな商会の娘だ。もう一人はコーデリア・メルト。そして、ミラ・カーシス。メルト家とカーシス家はバルド王国の元老院を輩出している家系だ。
そんなバルド王国の貴族様がソフィアに何の用があるのだろうか。
「あなた、自分の立場が分かってるの?」
3人の中央にいるマチルダが苛立った口調で言い放った。
「自分の立場……ですか? それは……、分かっています……」
言わんとしていることはソフィアにも分かる。貴族だらけのワイズ学院で一人だけ平民出身。そのことを言われているのだろうと。
「はあ? 本当に分かって言ってる? 適当に話を合わそうとしてるんじゃないの?」
次はミラが口を開いた。非常に高圧的な態度でソフィアに突っかかる。
「いえ、そんな……。話を合わそうとしているわけでは……」
ソフィアが困惑した顔で返した。
「じゃあ、自分の立場が分かってるなら、それを答えてみなさいよ!」
コーデリアが嫌味ったらしく言う。答えなど分かっていて、それでもソフィアの口から言わせようとしている。
「……私が……平民出身だから……」
ソフィアがボソッと答えた。悔しいという気持ちはある。だが、これが現実だ。ワイズ学院に特待生として入学した当初から、こういうことになる恐れは覚悟していた。もしかしたら、自分を受け入れてくれるのはないかという期待もあったが、そんなに甘くはない。
「平民だから。で、その続きは?」
マチルダが更に高圧的な態度で詰めてきた。平民だから、だけでは不十分。
「その続き……といいますと……?」
貴族と平民で身分が違う。それだけの話ではないのか。ソフィアは何を言えばいいのか分からず聞き返す。
「やっぱり、こいつ全然立場を理解してない! 分かってるみたいなことを言ってたけど、適当なことしか言わないのよ。これだから平民は」
ミラが小馬鹿にしたように言う。
「そんな、適当に答えた訳では……」
「じゃあ、立場が分かってないっていうのがどういうことか、ちゃんと説明しなさいよ」
コーデリアが睨みつけるようにしてソフィアを見る。口調もさっきより荒くなっていた。
「そ、それは……」
「やっぱり何にも分かってない! 平民どころか、孤児院育ちは! まともな会話もできないのね!」
マチルダが完全に見下した顔でソフィアを見ている。この言葉にソフィアも怒りを覚えた。
「孤児院の先生はしっかりと教えてくれました!」
溜まらずソフィアが反論するが、すぐに悪手であったことに気が付く。この手の貴族には盾突かないでやり過ごした方が無難だ。とにかくやり過してしまえば良かったのだが、もう遅かった。
「孤児院育ちの平民風情が、貴族に向かってなんて口の利き方をしてるの! それがまともに会話もできてないって言ってんの! 分かる? ねえ? 分かってる?」
マチルダがソフィアの襟首を掴んで捲し立ててきた。
「孤児院育ちじゃあ、貴族と会うなんてこともないから、社交界での会話なんてしたことないのよねえ。この程度の礼儀も知らずに、何を教えてもらってたのかしら」
ミラが侮蔑を含んだ声を出している。
「そんなんだから、嫌われるのよ!」
コーデリアが発したこの言葉に、ソフィアがハッとした。驚いたように目を見開いて、コーデリアを見る。
「き、嫌われる……って、私は何も……」
ここ最近のクラスメイトの態度はソフィアも気になっていた。もしかしたら、ここに答えがあるのかもしれない。知りたくもない答えだが。
「何もしてないって言いたいの? あんた、本当に頭が悪いのね! いい? 教えてあげる! リーズフェルド様は、あんたみたいな薄汚い平民が大嫌いなの! 二度とリーズフェルド様に近づかないで!」
「リ、リーズフェルド様が……私を……!?」
ソフィアにしてみれば予想外の名前が出てきた。平民の自分にも優しくしてくれたアルフレッド王子の友達の名前。
たしかに、入学初日にリチャード王子の暴力に対して暴力で返したという経緯があるため、乱暴な人だという印象はあるが、それでもアルフレッドが仲良くしている人物だ。信じられたないという思いが強かった。
「まさか気づいてなかったの? あれだけ避けられてたら、普通気が付くわよ」
コーデリアが嗤いながら言う。どこまで鈍感なのかと、他の二人も嗤っている。
「そんな……」
言われてみれば、その通りだった。確かに避けられていた。ソフィアが話しかけてもすぐにどこかに行ってしまうし、目も合わせてくれない。まともに会話したことなどない。
「あれ? ようやく気が付いたの? 思い当たることあるんじゃない。そういうことよ! あんたみたいなのがリーズフェルド様に近づこうなんて、思い上がりが過ぎるのよ!」
「…………」
ソフィアは何も言い返せなくなった。言われていることの全てに合点がいく。今日の不自然な会話もそうだ。自分が孤児院の出身だということをどこかで知ったのだろう。暗い泥沼のような嫌な気持ちが心の中をジワジワと蝕んでいくような気がした。
「ねえ、もしかして、リーズフェルド様の派閥に入れてもらおうとでもしていたの?」
コーデリアもソフィアに詰め寄り、蔑むような眼でソフィアを睨んだ。
「そんなことは……」
そんなことソフィアは一切考えていなかった。貴族同士での派閥など、ソフィアには関係のない話であり、無縁の世界だった。
「バスティア聖国のセシル様がリーズフェルド様に贈り物をされるそうね。それを聞いて、自分も中に入れてもらおうなんていう浅ましい考えでもしたんでしょうね。ほんと意地汚いはね、孤児院育ちは」
今度はミラも詰め寄って言ってきた。事実無根の言い掛かりでしかないのだが、ソフィアが言い返せないということは百も承知で言っている。
「私は…………」
そんなこと考えてません! と言おうとして、ソフィアは口を閉ざした。ここで歯向かっても身分の差を覆せるわけではない。余計な攻撃を受けるだけだ。
「いい? あんたはリーズフェルド様に嫌われてるの! それをちゃんと自覚しなさい!」
最後にマチルダがそう言い放ち、ソフィアを突き飛ばし、帰って行った。
一人、放課後の校舎裏に残されたソフィア。ただ俯いていることしかできない。
湿気を帯びた嫌な空気が流れてきている。これから雨が降りそうな気配がしていた。




