破滅の足音 1
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午前の授業が終わり、各々が昼休みを取る。ワイズ学院にも学食があるのだが、専属のシェフが常駐しており、毎日豪華なランチが振舞われる。
ビュッフェスタイルだが、頼めば給仕が好きな物を持ってきてくれる。至れり尽くせりの学食なのだが、リーズフェルドが学食を利用することはない。
理由は栄養バランスから。一応のバランスは考えられているものの、現代日本のように栄養学が発達していない異世界であるため、リーズフェルドからすれば不合格。特に脂質と糖質が多い。
リーズフェルドは高タンパク低脂質の物を好んで食べる。味付けもシンプルに塩のみ。学食の料理は絶品なのだが、油が多く、味も濃いため、リーズフェルドは持参した鶏むね肉や野菜をバターを使っていないパンで挟んで食べる。食後には季節の果物を食べるというのがお決まり。
すぐさま昼食を食べ終わると、昼の運動をするために修練場に行くのが日課だ。
この日も、いつも通りに修練場へと向かう途中、見知った顔から声をかけられた。
「姉上、どちらに行かれるのですか?」
弟のユリウスだ。子供のころのオカッパ頭とは違い、肩まで伸ばした髪を後ろで束ねている。落ち着いた雰囲気が姉とは大違いだ。
リーズフェルドがワイズ学院に入学したのは15歳になってからのことだが、ユリウスはもっと早くからワイズ学院で勉強をしている。
姉のリーズフェルドと違い、貴族として恥じぬ行動ができるユリウスはワイズ学院の初等部から入学して、周辺諸国の王族や貴族と切磋琢磨していた。
「おう、ユリウス。学校で会うのはなんか照れるな」
「それはこちらのセリフです。姉上、入学早々、色々と目立つ行動をされているようで」
「目立つ? 別に何もしてねえよ」
「カラザス王家のリチャード王子との一件ですよ。他にも姉上は目立つ容姿をされているので、こっちにも色んな話が入ってくるのです」
リーズフェルドがワイズ学院に入学して以来、ユリウスの元にも姉の話が入ってくる。今のところ、カラザスの狂犬相手に華麗に立ち回った話であったり、乗馬の授業で同級生を助けたりと、どれも良い話ばかりなので、目くじらを立てるほどではない。
だが、姉の美しすぎる容姿から、弟のユリウスはリーズフェルドのことを引っ切り無しに聞かれる毎日に少々うんざりしている。
「あの野良犬のことなんざほっとけ。俺のこともお前には関係ないだろ」
「そういう訳にはいきません! 姉上の評判はベゼルリンク家の評判に直結するのですよ。姉上がカラザスの狂犬を上回る猛獣であることが露呈するような真似はならさらないように気を付けてほしいのです!」
「へへへっ、猛獣か。悪い気はしないな」
「褒めてません!」
ユリウスが疲れた表情で返した。何故かは分からないが、この姉は自分のことを猛獣扱いされても怒らないどころか喜ぶのである。
何とかしてこの姉の正体が露呈しないようにと、父であるラガルトからも頼まれているのだが、学年が違うためユリウスが手を回すようなことが難しい。頼りは同じクラスのアルフレッドのみ。
ユリウスにとっては頭の痛い姉との会話に一人の人物が近づいてきた。
「お話し中申し訳ございません。少々よろしいでしょうか?」
そう声をかけてきたのは、長い水色の髪が綺麗な少女、セシルだった。
「セ、セシル・システィーナ様……!?」
声をかけてきた人物にユリウスが思わず声を上げてしまった。学年は違えど、学院内でも超有名人。バスティア聖国の教皇の娘。その名をユリウスが知らないはずがない。
「あら、驚かせてしまってすみません」
セシルはにっこりと微笑みで返した。
「あ、い、いえ、そんな。とんでもない。セシル様、あの、お会いできて光栄です。ど、どのようなご用件で?」
教皇の娘と直接対面するのはこれが初めて。思わぬ大物の出現にユリウスも緊張を隠せない。
「用件……というほどのことでもないのですが……。その……、リーズフェルド様に用と言いますか……。お話と言いますか……」
なんとも歯切れの悪い言い方でセシルが話す。ユリウスに対しての余裕とは正反対だ。
「俺に用? なんだ?」
対照的にリーズフェルドはフランクに返す。
「あ、姉上! セシル様ですよ! バスティア聖国の!」
ユリウスが慌てて言葉使いを注意する。明確にどちらが上ということはないのだが、決して対応を間違ってはいけない相手であることには違いない。
「それくらい知ってるぞ。女神教のところの奴だろ?」
「アッ、ネッ、ウッ、エェ……」
ユリウスが喉の奥から怨嗟のように声を絞り出した。額から嫌な汗が流れてくる。
「よろしいのですよ。ええと、確かベゼルリンク家のユリウス様ですね? 挨拶が遅れました。よろしくお願いしますね」
セシルは寛容な姿勢でユリウスに話しかける。怒っている様子は微塵も感じられない。
「あ、え、あああ、え、あ、あの、こ、こちらこそよろしくお願いします……」
「で、何しに来たんだ? 俺に用があるんじゃないのか?」
リーズフェルドは腕を組みながら素っ気なく言った。その態度にユリウスが顔を顰めるが、その前にセシルの方が話を始めた。
「あのですね、先日の教会のことでですね……」
もじもじとしながらセシルが話を始める。
「姉上ッ! 何をしたのですかーッ!!!」
溜まらずユリウスが声を荒げた。セシルが直接リーズフェルドに教会のことで話をしに来ている。それだけで十分だった。重大な問題が発生したということに違いない。
「何って? 別に何もしてねえよ」
「姉上が何もしてないわけがないでしょうがーッ!」
絶対に何か問題を起こしたに違いない。ユリウスは完全にリーズフェルドを犯人扱いしていた。
「ユリウス様大丈夫ですよ。私はリーズフェルド様にお礼がしたいだけですので」
セシルの笑顔がユリウスに向けられる。綺麗で自然な笑顔だ。
「お、お礼(報復)……!?」
ユリウスは笑顔の裏を読んでしまい、愕然となって膝を落とす。顔面が蒼白になり、目の焦点が合わない。
「礼って何だよ? お前に何かしてやったっけか?」
リーズフェルドとしては、セシルから感謝されるようなことは何一つした覚えがない。
「あ、お礼というのはですね……。その、孤児院の子供達と遊んでいただいたので……。あの子達は教会が預かっている子供ですので、リーズフェルド様には何かお礼を差し上げられたらなと……そう思っておりまして……」
セシルは頬を赤く染め、後ろ手にくねくねと動いている。
「ああ、そういうことか。気にすんな。俺が遊びたかっただけだ。礼なんてする必要は――」
「教会の代表として! リーズフェルド様には感謝の気持ちをですね、何か贈りたいなと! あっ、あれですよ、教会の代表としてですので、その、個人的にリーズフェルド様に何か贈り物をしたいとか、そういうことではなくてですね! あくまで教会を代表してということになるのですが、それでもですね、やはり、お礼をするのであれば、個人的に贈り物をした方が喜んでいただけるのではないかと思うのですけれども、リーズフェルド様は何がお好きなのかなと思いまして、あ、いえ、あの、個人的に知りたいとかそういうことではなくてですね、教会の子供達と遊んでいただいたのに、教会の人間である私が何もしないというわけにはまいりませんので、それに、リーズフェルド様とは同じクラスですので、ここは私が何か贈り物をするのが一番妥当かと思いまして、それなら、リーズフェルド様は何がお好きなのかなと。折角贈り物をするのですから、リーズフェルド様に喜んでいただきたいと思いますのですが、リーズフェルド様は何がお好きですか?」
要するに『贈り物をしたいが、リーズフェルドは何が好きですか?』。これだけだ。
「ん? 何? 俺が好きなもの?」
早口で捲し立ててくるセシルに若干押されながらも、リーズフェルドはセシルの意図は理解できたようだ。
「は、はい……」
「格闘技」
「格闘技……?」
「おう」
「格闘技……ですか……」
全く予想していなかった答えが返ってきた。思えば、入学初日にカラザス王家のリチャードを投げたのは格闘技だ。遠目に見ていたので、何をしたのかは全然分からなかった。リーズフェルドが位置を入れ替えただけにしか見えなかったが、それだけでリチャードが床に叩きつけられた。かなりの達人技であることだけは分かった。
「お前は興味ないか?」
「興味……、ですか? あ、はい……。あの、あります……」
あるわけがない。教皇の娘として教育を受けてきて、格闘技など真似事すらやったことがない。リーズフェルドの趣味に合わせるための虚でしかない。
「おお! そうか! いやー、なんかこの世界ってさ、格闘技に興味ある奴少なくてさあ。剣術とかやってる奴はいるんだけど、素手格闘やってる奴全然いないんだよな。なんだ、お前格闘技好きなのか」
リーズフェルドはとても良い笑顔で話をしている。
「え、ええ……。そうですね。格闘技は好きです……」
好きなわけがない。リーズフェルドが笑ってくれるので、好きだと言っているだけだ。
「それで、何が好きなんだ?」
リーズフェルドは何かを期待するような目でセシルを見た。
「何が……といいますと……?」
セシルは何を聞かれているのかも分からない。
「どんな格闘技が好きかってことだよ。やっぱ総合格闘技か? 柔術とかはやってそうには見えないな。ボクシングはこの世界じゃ見たことないし。そもそも総合格闘技ってのもあんのか? まあいいや。で、何が好きなんだ?」
「えっと……、格闘技は……全部好きです……」
超適当な答え。格闘技に関する知識がないため、全部好きだと答えるしかなかった。
「だよな! そうだよな! 格闘技のどれが好きでどれが嫌いとか言ってる奴は俄かだよな!」
どうやら、リーズフェルドはセシルの答えで満足したようだ。
「ええ、私もそう思います……」
「ははは、お前気に入ったわ! それじゃあ、俺は用があるから、またな!」
リーズフェルドはそう言って、修練場の方へと去っていった。
残されたのは、結局何を贈ればいいのか分からないセシルと、裏を深読みして愕然としているユリウスだった。
2
組織が大きくなればなるほど、所属する人数が多ければ多いほど、派閥というものは生まれてくる。
特にワイズ学院のような各国から王族や有力貴族の子息が通ってくる学校においては、どの派閥に所属できるのかというのは死活問題と言ってもいいだろう。
リーズフェルドのクラスはとりわけ派閥争いが激しいクラスであると目されていた。それはクラスの中心となる人物が、他のクラスにも大きな影響力を持っているからだ。
まずはバルド王国のアルフレッド王子。そして、バスティア聖国のセシル。まずはこのどちらかの派閥に入りたいと考える生徒が大半だった。
とはいえ、そう簡単に派閥に入れるほどアルフレッドもセシルも安くはない。特にセシルに関しては、教会という特殊身分のため、近づくことすら難しいだろう。
ならカラザス王国のリチャードはどうかというと、入学初日に脱落したため、止めておいた方が無難というのが他国の生徒の考え。
そうなるとやはり、アルフレッドかセシルのどちからの派閥に所属をしたいということになるのだが、ここ最近、このパワーバランスが瓦解した。
セシルがリーズフェルドに近寄ったからだ。どうやら、セシルがリーズフェルドに贈り物をしたいらしいという情報がどこからともなく出回った。というか、セシルが廊下で叫んでいたのを聞かれた。
ということは、セシルはリーズフェルドの派閥に入るということになる。そして、リーズフェルドはアルフレッドと親しい。どちらかといえば、アルフレッドがリーズフェルドに付いて行っているような感じだ。
必然的にクラスの頂点はリーズフェルドということになり、クラスの生徒はリーズフェルドに気に入られるかどうか、ということが最大の焦点となっていた。
だが、当のリーズフェルドはどの派閥に入るかどうかなど、一切の興味がないし、自分が派閥の中心であることにすら気が付いていない。
そしてもう一人、派閥に関心を持っていない生徒がいる。特待生のソフィアだ。平民の出身であるため、こういう派閥がどうとかいうことには疎い。
育った孤児院では神父を頂点に、シスターが子供達の中心にいて、派閥がどうとか考えたこともなかった。
「おはようございます」
ソフィアは、この日の朝もいつものように近くの席の生徒に挨拶をした。
「……………」
だが返事はなく。その生徒はすぐに自分の席へと歩いて行った。
「……?」
どうしたのだろうか、前は普通に挨拶をしてくれていた生徒のはずなのに。ソフィアは少し不思議に思った。もしかしたら体調が悪いのだろうか。
「あの、どうされたのでしょうか? 具合でも悪いのでしょうか?」
ソフィアは近くの生徒に聞いてみた。
「……………」
だが、聞かれた生徒は何も言わない。まるで最初から話しかけられていないかのように振る舞う。
ドンッ
そんな時、背中に誰かがぶつかった。
「邪魔。どいて」
登校してきたばかりの女子生徒だ。ぶつかっておきながら、この女子生徒はギロリとソフィアを睨んだ。
「あ、すみません……」
ぶつかられたソフィアが謝る。ぶつかってきた女子生徒は何も言わずにそのまま通り過ぎていく。
どうしたんだろうか。ソフィアは何が起こっているのか分からないまま、嫌な気持ちだけが残り、席へと着いた。
始まりはこのあたりからだろう。
クラスの頂点であるリーズフェルドに気に入られるためには、まず、リーズフェルドが嫌っているものを自分たちも嫌わなければならない。誰かがそんなことを言った。




