孤児院 2
1
教会の門をくぐってすぐに礼拝堂がある。規模としては小さいが、正面奥に女神セレスの像があり、後ろの壁にはシンプルながらもステンドグラスがつけられていた。
床に絨毯はなく、コツコツと足音が木の床を叩く。中央の通路を挟むようにして、備え付けの木製の椅子が数脚設置されているだけの質素な教会だ。
中に入ったセシルが礼拝堂を見渡した。
(犬小屋以下ね)
心の中でセシルが呟く。一言でいえばボロ礼拝堂。バスティア聖国にある大聖堂に比べれば、この程度では礼拝堂と呼ぶのも烏滸がましい。
「このようなむさ苦しい教会で申し訳ございません。御三方を向かえるにあたって、子供達も精一杯掃除をさせていただきましたが、元がこのような建物でございますので、お見苦しい所ですが、お許しください」
ヨハン神父は客人として招いているリーズフェルドやアルフレッド、セシルに対して申し訳なさそうに頭を下げた。
「俺はこういうのよく分かんないんっすけど、ここは好きっすよ。落ち着くっていうか、迎え入れてくれてる感じがするっていうか。うちの家なんか、無駄に豪華にしてるだけで下品なんっすよね。こっちの方がよっぽど綺麗だって思えるっすね」
リーズフェルドが高い天井を見上げながら呟いた。これは素直な感想だった。前世が日本で生活していたこともあってか、シンプルな物を好む傾向にあった。
「い、いえ、決してそのようなことは……。ベゼルリンク家の屋敷とは比べようにもありません」
ヨハン神父が恐縮した様子で言った。こんな小さな教会が、名門ベゼルリンク家の屋敷よりも綺麗だと評されるのは恐れ多いことだった。
「僕もこういう場所は好きだよ。大事に使ってというのがよく分かる」
アルフレッドもリーズフェルドと同意見。王族らしからぬ物の見方ではるのだが、リーズフェルドと出会って以降、野山を駆けずり回らされた経験から、屋根があるというだけでも評価することができるようになっていた。
「アルフレッド様も、お気遣いありがとうございます」
ヨハン神父が深く頭を下げる。酷く貶されるとものだと思っていたため、拍子抜けしたところがあった。
「そんなことはない。本当にそう思っただけだよ」
「勿体なきお言葉――それでは、礼拝の方を始めさせていただきます」
ヨハン神父がそう言うと、女神セレス像の前に立ち、聖典を手にした。
ヨハン神父は慣れた様子で聖典を読み上げ、女神セレスを賛美する。静かな礼拝堂にヨハン神父の低く落ち着いた声が響いた。
アルフレッドが横目でリーズフェルドの様子を伺うと、意外なことにちゃんと聞いていた。ただ、姿勢は正しいのだが、足が半開きの状態なのが残念だった。
その後、女神セレスに祈りを捧げる。リーズフェルドは祈りのやり方など知っているわけもないため、ヨハン神父から丁寧に教えてもらい、女神セレス像の前で祈りを捧げた。
「「「――!?」」」
リーズフェルドが静かに祈りを捧げる姿に、他の3人が言葉を失った。
その姿はまさに息を吞むほどの美しさ。ラフな格好をしているが、余計な装飾品がないことでリーズフェルド本人だけの美しさが際立つ。
ステンドグラスから入る太陽の光に、リーズフェルドの長い深紅の髪が照らされ、祈りを捧げる少女が神秘性を帯びる。
人の手には作り出すことのできない、神が与えし美麗。それ以外に表現する方法はなかった。
そんな中、外から子供達の声が聞こえてきた。
リーズフェルドは立ち上がって、子供の声がする方へと目を向けた。
「ああ、今日の勉強が終わったので、子供達が外に出て来たのですね。申し訳ございません。すぐに中に戻るように言ってきますので」
ヨハン神父が申し訳なさそうに言って、外に出ようとした。
「いや、ちょっといいっすか?」
そんなヨハン神父をリーズフェルドが止めた。
「いかがなさいましたか?」
「子供らが遊ぶんっすよね? だったら、俺も一緒に遊んできていいっすか?」
リーズフェルドは楽しそうに笑ってそう尋ねた。
2
孤児院の正面にある広場。土がむき出しになっており、所々に雑草が生えている。ただ平面になっているだけの広場。町中にある小さな公園程度の規模しかない。
広場に出てきた子供達は10数人。麻縄を丸く編んだ手作りのボールで遊んでいる。
「おーい、お前ら。何してんだ?」
そこにリーズフェルドが声をかけてきた。
「ボール遊びだけど……。お姉ちゃん誰?」
ボールを持った少年が不思議そうにリーズフェルドを見る。初めて見る顔だ。とんでもなく綺麗な顔なのだが、どこか馴染むような、人懐っこいような感じがした。
「俺か? 俺はリーズだ。今日は、ちょっと野暮用でここに来たんだがよ。お前ら、ボール遊びしてんなら、面白い遊び知ってるぞ。一緒にやらねえか?」
「一緒に? うん……。まあ、いいけど」
少年は周りの子供達に目配せをして答えた。他の子供達もリーズフェルドと一緒に遊ぶことには異論がないようだ。
「よし! そうこなくちゃな! どれ、そのボール貸してみろ。編みなおしてやる」
リーズフェルドが少年から麻縄製のボールを受け取ると、一旦解いてから、再度編み始めた。しっかりと芯を作って、縄を巻いていく。きつく縛って、均等になるように球体を作っていく。途中で縄が足りなくなったが、すぐに新しい縄を繋ぎ合わせて、元のボールよりも綺麗で頑丈な物に作り替えた。
リーズフェルドはこういうことはとても器用だった。
「うわー、すげえ! お姉ちゃん上手いな!」
まるで機械で作ったかのようなボールに作り直してもらって、子供達もはしゃいでいる。
「へへ、そうだろ! こういうのは得意なんだよ」
「それで、面白いボール遊びってなんだよ?」
「おう、それな。今からルールを説明するぞ。まずは――」
リーズフェルドは子供達を集めて、ボール遊びの説明を始めた。遊びのルールを聞いた子供達は、どうやら知らない遊びだったようだが、非常にシンプルな遊びであるため、すぐにルールを理解した。
そして、リーズフェルドは足で地面に線を引き、チーム分けをした。
地面に描いたコートで7人対7人のチーム戦が始まる。
「いいか、当たった奴は、外野だ。復活はなし。ただし、顔面に当たったら無効だからな!」
リーズフェルドが再度ルールを説明。子供達は各々に分かったという返事をする。
「それじゃあ、始めるぞ!」
リーズフェルドはそう言って、ボールを高く上に投げた。
両チームの代表が反対側のコートに入って、上に投げられたボールをジャンプして叩く。そうして、自分側のコートにボールを入れてゲームがスタートした。
まずボールを拾った少年が助走をつけて思いっきりボールを投げる。
それを相手チームの少年が見事にキャッチ。そして、すぐさま投げ返す。
狙われた少女は声を上げながら回避。外野がボールを取ってさらに同じ少女を狙い、避けきれずに当たってしまい、少女は敢無く外野へと退場。
そんな攻防を繰り返していき、相手チームを全て外野へと追いやれば勝ちというシンプルなボール遊び。
要するにドッヂボールだ。地域によって多少のルールは違うが、リーズフェルドは地元の小学校でやっていたルールを教えた。
子供達に交じって、リーズフェルドもドッヂボールに参加。基本的には避けるだけしかしなかったが、とうとうチームはリーズフェルド一人を残して、他は全員外野に行ってしまった。
「姉ちゃんが最後だな!」
ボールを持った少年がニヤリと笑う。この少年が一番ドッヂボールが上手い。単純に球速が速いため、どんどん相手を外野へと押しやっていった。
「おう、本気でかかって来いや!」
リーズフェルドが威勢よく子供を挑発する。
「うおりゃあー!」
少年が渾身の力でボールを投げた。正確にリーズフェルドを狙ってボールが飛んでいく。
「良い球投げるじゃねえの」
それをリーズフェルドは片手でキャッチ。いとも簡単に取ってしまった。
「はあ!? んだよそれ!」
少年が理不尽さに不満の声を上げる。
「んじゃあ、こっちの番だ!」
リーズフェルドは獣のように笑うと、ボールを投げた。とはいえ、さすがに子供相手に本気を出すことはしない。助走はなく、腕の振りだけでボールを投げる。当然力も抜いて。
それでも、子供からしたら剛速球。誰もボールをキャッチすることができず、たちまち相手チームを全滅させて逆転した。
「っしゃあああ! 俺らの勝ちー!」
大人げなくガッツポーズをするリーズフェルドとそれを囲むチームメイトの子供達。
「ズっりい! ズルだ! ズル! そんなの勝てるわけないじゃんかよー!」
対戦相手の少年は口々に抗議の声を上げる。あれだけ圧倒的な差を見せられれば、そうだろう。
「ズルくねえよ! 正々堂々だ!」
リーズフェルドが子供と同レベルで反論した。相手の言い分の方が正しので、子供以下の反論と言った方が正確か。
「もう一回! もう一回勝負だ!」
負けた側のチームが再戦を要望。子供達はドッヂボールが面白かったようで、すぐさま再戦が決定した。
「あ、ちょっと待ってくれ」
そこにリーズフェルドが一声入れた。
「ん? ああ、いいけど。何?」
「あいつらも入れてやってくれ」
リーズフェルドはそう言うと、少し離れた場所から見ているアルフレッドとセシルを指した。
「ん? あの二人……。いいけどさ……」
ラフな格好のリーズフェルドと違い、アルフレッドとセシルは明らかに恰好が違う。どう見ても貴族だ。身分が違いすぎることくらい子供でも理解できる。
「おし、ちょっと待ってろ。呼んでくる」
リーズフェルドは言いながら、すぐにアルフレッドとセシルの所まで駆け寄った。
「おい、二人とも、一緒にやるぞ」
「リーズならそう言うと思っていたよ。いいよ、一緒にやろう」
アルフレッドはこうなることを予見していたようで、すんなりと了承。上着をヨハン神父に預けて子供達のいる場所へと向かう。
「あの、私はこういうことには――」
「よし、行くぞ!」
セシルが断ろうとした所を、リーズフェルドは有無を言わさず手を取って、子供達の所まで引っ張っていった。
「ちょ、っちょと!? 私はこういうことは――」
「見てたんだからルールは分かるだろ? お前は俺と一緒のチームな。アル、お前は向こうのチームに入れ」
リーズフェルが強引にセシルをドッヂボールに参加させた。
だが、子供達の表情は少し暗いものがあった。貴族相手に自分たちが一緒に遊んでいいものなのか分からない。
「よし、僕達は仲間だ。あのリーズはとても強い。皆の連携がなければ勝てない強敵だ。皆、一緒にリーズを倒すよ!」
緊張している子供達に向かってアルフレッドが微笑みながら声をかけた。
「う、うん!」
少年の一人が返事をした。アルフレッドが声をかけてくれたことで、一緒に遊んでいいのだと理解する。
「いい返事だ。勝とうね!」
「ほう、アル。てめえ、俺に勝つつもりでいるのか? いい度胸だ! お前ら、舐められたままで終われねえ! 絶対に勝つぞ!」
対するリーズフェルドが子供達を鼓舞した。貴族相手にここまで啖呵を切ってもお咎めがないことを見て、安心した様子で、リーズフェルドと一緒に大きな声を上げた。
そして、二試合目が始まる。
試合は一進一退の攻防が続く。二試合目ともあって、子供達も慣れてきたため、ボールをキャッチする率が上がっている。
そうこうしていると、アルフレッドの手にボールが回ってきた。子供達を中心にボールを回していたが、内野の人数が減ってきたため、アルフレッドにもボールが回ってきたのだ。
「アル! 来い! 勝負だ!」
リーズフェルドが声を上げて挑発した。
「いいよ! 勝負だリーズ!」
アルフレッドがそれに応え、全力でボールを投げた。手加減なしの本気の投球。相手がリーズフェルドでなければ絶対に入れないような力で投げた。
お手本のような剛速球がリーズフェルドに飛んでいく。子供が投げる球とは段違いの速さだ。
パシッ
「お前、結構センスあるじゃねえか? 初めてにしては上出来だ」
それをリーズフェルドは片手でキャッチしていた。
「本気で投げたんだけどね……。リーズは参加したらダメだろ……」
この言葉に周りの子供達も頷く。
「よし、お前、投げてみろよ」
リーズフェルドはそう言いながら、セシルにボールを渡した。
「え? わ、私が……!?」
ボールを渡されたセシルが困惑した表情を浮かべる。子供の頃から遊びというものをしたことがない。当然ボールを投げたこともない。どうすればいいか分からない。
「おう、お前が投げてみろ。投げ方は分かるだろ?」
「え……、でも……私は」
「いいから早く! あいつらが待ってるだろ」
見ると子供達はセシルがボールを投げるのを待っている。
断ることもできるのだが、子供達の目を見るに、投げないわけにはいかないようだった。
仕方なくセシルは助走を付けてボールを投げた。生まれて初めてボールを投げた。見様見真似の投球だ。
「うわッ! 速ええ!」
セシルに狙われた少年が間一髪、ボールを避けた。思っていた以上に速いボールに周りの子供達も驚きを隠せずにいた。
「良い球投げるじゃねえか!」
アルフレッドの急速には及ばないものの、今やっている少年と同等の速度でボールを投げることができていた。
教皇の娘として教育を受けていたため、球技などやったことがないセシルだったが、生まれついての運動神経は抜群で、初めてのドッヂボールでも上手く対応することができていた。
「…………」
セシルがボールを投げた手を見た。固いボールの感触。投げる時の腕の感覚。飛んでいくボールの軌道。
特別なものは何もない。ただ、ボールを投げただけだ。ただそれだけなのに、セシルの内側から何か熱が込み上げてきた。だが、それは知らない熱だった。これが何なのか分からない。
「おい、避けろ!」
考え事をしているセシルに、相手側からボールが飛んできた。
「ッキャ!?」
セシルが慌ててボールを避けた。そして、飛んで行ったボールを外野が取ると、すぐさまセシルを狙って投球。これも何とか避けるが、相手の内野が再びボールを投げてくる。
これをセシルはキャッチすることに成功。
「お返しです!」
セシルは全力でボールを投げ返した。飛んでいくボールが相手の少年を捉えると、キャッチすることができずに、ボールが少年の体を跳ねる。
「やった!」
セシルが思わず声を出した。残念そうに外野へと移動する少年。
そうして、最後の一人となったアルフレッドを、リーズフェルドの大砲のようなボールが仕留めてゲームセットとなった。
その後も数試合ドッチボールをした後、子供達は孤児院へ戻ることとなり、この日は終わりとなった。
「お疲れさん。楽しかったな」
リーズフェルドがセシルに声をかけた。
「べ、別に楽しんではいません。孤児院の見学に来たのですから、これもお務めです」
セシルは素っ気なく返す。将来の教会を背負う者として教会が預かる孤児院を視察に来ただけなのだ。ただ、それだけのことだ。
「へへへっ」
そんなセシルを見て、リーズフェルドが笑った。
「な、なんですか? 私に何か言いたいことでもあるのですか?」
笑われていることに、少々不機嫌になりながらもセシルが問う。
「お前、良い顔で笑えるじゃねえか」
「はい? 笑える? 私は常に笑顔ですが?」
「そういう仮面みたいな笑顔のことじゃねえよ! さっき、ガキどもと遊んでた時のお前の顔さ、すっげえ良い顔で笑ってからな。そういう顔できるんだなって」
「そういう顔……。私が……」
言われて初めてセシルは気が付いた。自分が笑っていたということに。ただ、ボールを投げるだけの遊びで、こうも熱くなるのか。それが分からなかったが、ここで一つ理解した。
作り笑いではない、心からの笑顔。自分は、子供達と遊んでいて楽しかったのだと、ここで初めて気が付いた。
「普段から、そうやって笑ってればいいんだよ。それが本当のお前なんだよ」
「……本当の私ですか……。遊んで、笑って……」
「そうだよ、楽しかったから笑ってたんだろ」
「楽しかったから……。でも、いつまでも子供のままではいられないんですよ」
「子供じゃなくなってもさ、笑ってればいんだよ。大人になってもさ、人間の本質が変わるわけじゃねえ。いつまでも子供みたいに笑ってられるなら、それが一番だ。お前はそれができる人間なんだよ」
リーズフェルドがニカッ笑って言った。それは無邪気な少年のような笑顔だった。
「――ッ!?」
名門貴族の令嬢がこんなにも子供みたいな顔で笑うのか。その顔を見た瞬間、セシルの全身を何かが突き抜けていった。例えるなら突風が吹いたとでもいうべきだろうか。何かは分からないが、自分の周りを纏わりついていたジメジメとした気持ちの悪いものが、吹き飛ばされた感じがした。
「だからさ、またこういう風に遊ぼうぜ」
「……ですが、私は教皇の娘という立場が……。この立場を蔑ろにすることはできません……。教会というのは権力争いの渦なのです……。私がこんな子供みたいに笑ってたなど、見られるわけには……」
生まれた時からの宿命。教会内部の権力争いも貴族と同等かそれ以上に過酷なものだ。子供のような姿を見せるわけにはいかない。
「まあ、お前の立場ってのもあるのは分かるけどよ。だったらさ、俺の前だけでも、今日みたいに笑えよ」
リーズフェルドが微笑んだ。先ほどの少年のような無邪気さを残しつつも、包み込むような優しさもある。
「リ、リーズフェルド様……!?」
セシルの心臓が跳ねた。自分を縛り付けていたものから解放されたような気がした。だが、別の何かがまた自分を縛り付けるのを感じた。
心が痛むのを感じる。心が締め付けられるのを感じる。自分ではどうしようもない何かが、自分を縛り付けるような感じがする。しかし、それが心地いいものであるとも感じる。手放したくないと思える。とても大切なものだと分かる。
セシルはその日を境に、リーズフェルドから目が離せなくなった。




