転生 2
1
「オギャー! オギャー! オギャー! オギャー!」
真昼間から弾けるような赤子の鳴き声が響き渡るのは、バルド王国にある名門ベゼルリンク家の屋敷である。
ベゼルリンク家は、元は王族であるバルドロード家の養子の血族。主にバルド王国の軍部を担当する役割を担っており、先の戦争で大きな武勲を立てたフレデリック・ベゼルリンクが独立したのが、今のベゼルリンク家へと続いている。
王族に連なる家系のベゼルリンク家の屋敷は、バルド王国の中でも屈指の大きさを誇っている。
そんな大きな屋敷にある、豪奢な内装の広い部屋の、これまた大きな天蓋付きのベッドには、女性が大量の汗を流しながらも、ほっとした笑顔をしている。
「奥様、元気な女の子でございますよ」
産婆がタオルにくるんで、生まれたばかりの赤子を母親の前へに連れてきた。
「ええ、ほんと、元気な子……」
この瞬間に母となった女性、ミリーゼ・ベゼルリンクは優しい笑みを娘に向け、そっと抱き寄せた。
「おめでとうございます、ミリーゼ様」
周りに待機していた侍女からも祝福の声がかけれらる。急にお産が始まった時にはどうなることかと思ったが、結果は無事に出産。玉のような子供が生まれたきた。
「ありがとう。皆にも心配をかけましたね」
愛おしそうに我が子を抱きながら、ミリーゼは周りの侍女達に労いの言葉をかけた。
そんな時だった。
ガチャッ!
勢いよく扉が開くと、一人の男が足早に入ってきた。
「ミリーゼ! よくやった! おお、我が子よ!」
マナーも何もなく入ってきた男、ラガルト・ベゼルリンクは赤子を見るなり大喜びで声を上げた。
「女の子だそうよ。ほら、鼻の形なんてあなたそっくり」
ミリーゼは楽しそうに返事をした。
「目元はお前に似ているな。これは美人になるぞ」
普段は威厳を保っているラガルドもこの時ばかりはだらしなくニヤケた顔になっている。そんな二人を見ながら、周りの侍女達もつられて笑ってしまうのであった。
2
「お待ちくださいリーズフェルド様! 走ってはいけません! 転んで怪我でもされては!」
白昼のベゼルリンク家の屋敷の中、全速力で走る幼女を若いメイドが追いかけていた。
「ハハハハハハーッ!」
そんなメイドの苦労も一切気にすることなく、リーズフェルドと呼ばれた幼女は笑いながら疾走していく。
5年前に生まれた、ラガルドとミリーゼの長女はリーズフェルドと名付けられた。
深紅の髪の毛は母親譲り。絹のように滑らかな髪の毛が風に靡いて流れていく。顔はとても美しく、くりっとした大きな瞳と奇跡のようなバランス鼻と口。5歳という年齢もあってか、周りからは天使と言われるほど。
だが、問題は中身だった。王族に連なるベゼルリンク家の令嬢とは思えないほどのじゃじゃ馬。一瞬たりとも大人しくしていることができない。
今も屋敷のメイドを振り回して爆走している最中。無尽蔵ともいえるリーズフェルドの体力はまだまだ走り足りない。
広い屋敷の中庭を走り抜け、花園を通り過ぎ、やってきたのはベゼルリンク家所属の騎士団の敷地。
元々軍部を担っていたのがベゼルリンク家だ。隣接する土地にはお抱えの騎士団が常駐しており、戦時には出動することもある騎士団だ。
「トウ!」
「ハアッ!」
「てやあーッ!」
リーズフェルドがやってきた時には丁度戦闘訓練の最中だった。防具を身に着けた若い騎士が模擬戦闘を行っている。
まだ正規の騎士ではないのだろう。身に着けている防具にはベゼルリンク家の家紋である赤鷲の紋章がない。
「…………」
リーズフェルドは急に立ち止まって、模擬戦闘の様子をじっと見つめていた。
「まるでなってないな……」
リーズフェルドがボソッと呟いた。若い見習い騎士達の模擬戦闘。基礎訓練は終わっているので、素人目から見れば、それなりの動きはできているのだが、リーズフェルドの目からはダメダメにしか見えない。
「はあ……はあ……。リーズ……フェルド様……。ようやく、追いつきました……。さあ、こちらへ」
なんとか追いついたメイドが、息を切らしながらリーズフェルドの手を取った。
「あ、うん……」
メイドに手を取られながらも、リーズフェルドは模擬戦闘に目を向ける。
「騎士団が気になりますか?」
メイドは優しく問いかけた。リーズフェルドが屋敷の何かに興味を持つのは珍しいことだったからだ。洋服にも花にも興味を示さない。興味を持つとしたら食べ物くらいか。
「え……。ああ、うん」
リーズフェルドがじっと模擬戦闘の様子を注視していた。自分ならどう動くかを頭の中で思い描く。一人の騎士見習いが剣を振り上げるが、脇が甘い。剣を振り下ろすタイミングに合わせて手首と腕を掴んで背負い投げ。この時に手首を捻って剣を落とさせる。そして掴んだ腕は離さずにそのまま関節を極める。それが荒神流のやり方。
もう一人の方はどうか。こちらも動きが雑だった。勢いはあるが、隙だらけ。振った剣に合わせて、密着し、防具の上から掌底を叩き込む。荒神流古武術には、鎧を着た相手を想定した技がある。ほとんど零距離ともいえる間合いで、一瞬の体のバネを利用した技だ。爆発したかのような挙動で防具を貫通して衝撃が伝わり、息ができなくなったところで、顔面に拳を叩きつける。
「どうかされましたか?」
リーズフェルドが急に大人しくなったことに、メイドが不安を抱いた。どこか怪我でもしたのではないか。そんな心配をしてしまう。
「……今の……、荒神流の技で返すなら……。あっ!?」
湧き上げあるように蘇ってくる戦闘技術の数々。特に近接格闘の記憶が次々と頭の中によみがえってくる。それは、ある島国の古武術。決して表舞台に出てくることはなかったが、最強を誇っていた武術。
「リーズフェルド様?」
神妙な面持ちになっているリーズフェルドにメイドが再び声をかける。本当にどこか怪我でもしたのではないだろうか。そんな不安が頭をよぎる。
「なあ……、なんで俺、女になってるんだ?」
「は……?」
これはヤバい。メイドの不安は一気に確信へと至り、急いでリーズフェルドを屋敷へと連れ帰った。
3
その日は、帰ってからというもの散々医者に身体検査をされたが、どこにも異常はなく、外傷もないため、とりあえず安静にしておくようにということだった。
この時は、珍しくリーズフェルドは素直に医者の指示に従い、自室のベッドに横になり、日が沈んだ頃には深い眠りに落ちていた。
「…………」
ふと気が付くとリーズフェルドは屋敷の中庭にいた。夜が明けた直後だろうか、花壇の花には朝露が付き、朝日を反射してキラキラとしている。
「やあ、久しぶりだね尊。いや、リーズフェルドというのが今の君の名前だったかな」
突然背後から声をかけられる。そこにいたのは天使。長い白髪に白い肌、中性的で美しい顔立ち、薄手の白いローブと背中には純白の羽が生えた全身真っ白の天使だった。
「!? お、お前……。ん? お前は……? ん?」
もう少しで出てきそうで出てこない。リーズフェルドはもどかしそうに顔を顰めている。
「ハニエルだよ。久しぶり。元気そうでなによりだね」
「あああああー! お前! そうだ! ハニエル! 何かを司ってるとかいう奴だ!」
「愛と美ね。覚える気ないでしょ?」
久しぶりの再会だから、仕方がないとはいえ、出会った時から愛と美を司る天使であることを認識してもらえていなかった。
「って、なんでお前がここにいるんだよ!」
ここはベゼルリンク家の屋敷の中だ。天使は死後の世界にいるはずなのに、どうしてこんなところにいるのだろうか。
「大丈夫。ここは君の夢の中だよ。現実の君はベッドの上で寝息を立てているよ」
「夢の中……? ああ、言われてみれば確かに夢の中か……」
なんとなくだが、これがリーズフェルド自身が見ている夢だと認識できる。
「そうそう。君の夢の中だよ。それでね、記憶を取り戻した君に会いに来たってわけさ」
ハニエルは満面の笑みでそう答えた。
「ああーーッ! そうだ! それだよ! 今日、ずっと考えてたんだ! お前、俺を転生させただろ! ゲームの悪役になるとかいう奴に! なんで女になってんだよ!」
リーズフェルドが捲し立てるようにして怒鳴り声をあげた。ただ、声が凄く可愛いため、全然迫力がない。
「なんでって?」
「いや、だからおかしいだろ! 俺は男だぞ! なんで生まれ変わったら女になってんだ!」
「それこそ、おかしな発想だよ。生まれ変わったってことは、元の人間とは別の人間になるってことだよ? 男に転生するのか女に転生するのか、そんなことは決まってないじゃないか」
訳の分からないことを言われて、ハニエルが困ったように答えた。
「いや、それはおかしいって……ええー!? 別の人間って、性別も……ええー!? いや、俺は荒神流古武術の後継者で、道場とかやってて、喧嘩とかもよくやったけど、鍛錬は欠かさずやってて、強くなることを目指してて、そんでもって、ええっと、そんでもってから……。ゲームの悪役なんだろ! 女になるなんて聞いてねえぞ!」
混乱した頭をフルに空回りさせながらも、リーズフェルドは必死に言葉を繋いでいった。だが、結局のところ、まともな反論はできていない。
「乙女ゲームの悪役って説明したんだけどね。普通は令嬢を想像すると思うんだけどさ。まあ、確かに男の悪役がいないわけでもないから、絶対に女になるとは限らないんだけどね。それでもさ、乙女ゲームの主人公によって破滅を迎える運命にあるって聞いたなら、まずは悪役令嬢を思い浮かべるよね?」
今更何を言ってるんだか、とハニエルは少々呆れた顔になっていた。
「思い浮かぶわけがねえだろうが! 俺は乙女ゲームなんてものは何も知らねんだよ! 男が転生するっていうなら、また男になるって思うだろうが!」
「それは偏見だし、そもそも乙女ゲームのことに何も関心を示さなかった君に落ち度がある話だよね?」
「んなもん、関心を示す分けねえだろ! 俺は男なんだ! ちゃんと男に転生させろや!」
「そんなこと言われても、元から女性に転生してもらう予定だったからね。その体に宿る魂を探していて、君を見つけたってわけさ。それにさ、性別なんて別にどっちでもいいじゃない」
「よくねえわ! 全然よくねえわ! どうすんだよこれ! このまま俺に女として生きていけっていうのかよ!」
「その通りだよ」
ハニエルはあっけらかんと答えた。
「マジで言ってんのかてめえーッ!」
リーズフェルドが大声を巻き散らす。天使であるハニエルには何が問題なのか理解できないが、リーズフェルド・ベゼルリンクこと荒神 尊にとっては何よりも重大なことであった。
「私は真面目に話をしてるんだけどね。尊が転生してくれたからこそ、リーズフェルド・ベゼルリンクという人間は破滅の運命に抗うことができるんだ。君は一人の少女を救うことになるんだ」
「それでもよお……。クッソ……、俺がやらなきゃ、この子の運命は破滅しかないって……。ん? ところでよ、最初にこの体に入る予定だった魂はどうなった? まさか、消えてなんかいないよな?」
ここでふとした疑問が浮かぶ。破滅を迎えるはずだった元の魂はどうなったのかという疑問。
「ああ、そのことか。それなら大丈夫だよ。元の魂は別の人間として生まれてきている。まあ、性格には多少難があるだろうけど、破滅を背負うなんて言う過酷な運命にはなってないよ」
「ああ、そうか……。それなら良かった」
「ふふふ、やっぱり君は他人のことが気になってしまうんだね。それでこそ私が見込んだ高潔な魂だ」
ハニエルは嬉しそうに微笑みかける。
「っちょ、茶化すな! そもそも俺は女になったことを納得してるわけじゃねえからな!」
「今の君は生まれた時から女性なんだからさ、追々慣れていってよ」
「慣れるわけがねえだろ!」
リーズフェルドが項垂れるように声を出した。
――と、夢はここで終わる。
目を覚ましたリーズフェルドが当たりを見渡す。窓から入る月光が部屋を青白く照らしている。時刻は丑三つ時といったところか。
「はあ~……。くっそ……、この体でこれからの人生を乗り越えていくのかよ……」
大きなため息とともにリーズフェルドが独り言ちる。
ベッドから起き上がり、窓を開けて外の空気を吸う。入ってくる風は少しだけ肌寒さを感じるが、整理できていない頭を冷やすには丁度いい。
「破滅の運命か……。俺の魂だからこそ乗り越えることができる、過酷な運命……。ははッ、いいぜ、その喧嘩、買ってやるよ!」
尊が転生することによって破滅を回避できた人がいる。その魂が、どこの誰になっているのかなんて分からない。
だが、それで良かった。まったく見ず知らずの人であれ、自分が身代わりになることで助けることができた人がいる。
あとは自分がこの破滅の運命を乗り越えるだけだ。転生前から覚悟は決めていた。だから、やるだけ。
リーズフェルドは月に向かって拳を大きく突き出す。決意を胸に獣のような笑みを浮かべながら。