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教会

休みが明けて、ワイズ学院では今週も通常通りの授業が始まる。休み明けの学校というのは、少し気怠い空気が漂っている。それは、異世界であろうと変わらない。


窓から流れてくるそよ風も、晴れた午前の木漏れ日も、次の休日までの長さのを忘れさせてはくれない。


そんな週初めの宿命というべき憂鬱な時間にあっても、凛とした姿で授業を受ける生徒が少なからずいる。


そんなごく一部の生徒の中の一人がリーズフェルドと同じクラスにいた。ソフィアと同じく女神セレスの聖地ともいうべきバスティア聖国出身者であり、教皇の一人娘でもあるセシル・システィーナだ。


癖のない水色の長髪に白い肌。紺青の瞳は深い深い水底のように、見るものを飲み込みそうな色をしている。


神秘という言葉を人の形にしたのなら、このセシルという少女になるだろう。リーズフェルドとはまた違った近寄り難さというものがある。


「こんにちは、セシル・システィーナ様」


昼休みに入った時刻、アルフレッドは席にいるセシルに話しかけた。アルフレッドの隣にはリーズフェルドもいるが、極力黙っているように強く言渡されている。


「あら、ごきげんよう。アルフレッド様にリーズフェルド様。私のことはセシルで構いませんよ」


セシルはニッコリと微笑み返した。綺麗な顔をしているが、何を考えているのか分からないタイプの笑みだ。


「いえいえ、そんな滅相もない。僕も敬虔な女神セレス様の信徒として、セシル様を呼び捨てにすることはできませんよ」


アルフレッドは恭しく返事をした。何せ相手は教皇の娘だ。バルド王国の王子であっても、失礼な真似はできない特殊な立場の人間である。だからこそ、リーズフェルドには黙っていてもらわないといけない。


「そんなに畏まらなくてもよろしいのですよ。私たちはクラスメイトなのですから」


「お心遣い感謝します」


「それで、私にご用件があるのでは?」


「ええ、そうなんです。実は折り入ってセシル様にお願いしたいことが――」


「なあ、お前。教会の関係者なんだろ? ちょっと俺らを紹介してくれよ」


そこにリーズフェルドが割り込んできた。その言葉使いにセシルの笑顔が微妙に引き攣ったようにも見えた。


「リーズ! 黙っておくように言ったよね! ここは僕に任せて!」


「いや、でもよ。俺のことで話をするんだから――」


「いいから! ここは僕に任せておいて!」


「そうは言っても――」


「いいから!」


いつになくアルフレッドが強気な言葉でリーズフェルドを制した。それほど教会に対しての言動というものは、気を付けないといけないものなのだ。


「アルフレッド様、よろしいのですよ。私は気にしませんから」


ただし、教会側だからといってバルド王国に対して強く出れるかというと、決してそうでもない。バルド王国からの寄付金は馬鹿にならない額であるし、交易という点でもバルド王国はバスティア聖国にとって最重要国家だ。見返りとしてバルド王国は教会のお墨付きをもらえ、女神セレスの庇護がある国として、大陸で確固たる地位を手に入れる。


要するにお互いに立場を尊重しあわないといけない関係にあり、大陸全土の信仰対象となっている女神セレスの教会という特殊な立ち位置が、余計に話を複雑なものにしている。


「失礼いたしました。リーズには後でよく言って聞かせますので」


「そうですか。入学初日のこともありますので、どういう方なのかは存じておりました。ですから、あまり気になさらないでくださいね」


セシルはチクリと嫌味を入れてくる。最初から無礼な人間であることくらい承知の上だということだ。


「申し訳ありません――それで、本題なのですが、もしよろしければ僕達に教会を紹介してもえないかと思いまして」


セシルの嫌味もアルフレッドは軽く流して、本題に入った。


「教会をですか? それは構いませんが、バルド王国内にある教会でしたら、アルフレッド様もよくご存じなのでは?」


セシルが疑問に思いながら首を傾げた。アルフレッドは王族なのだから、礼拝に行く大きな教会がある。バルド王国内でも随一の教会なのだろうから、そこに行けば簡単なことだ。わざわざセシルに相談するまでもない。


「ええ、それはそうなのですが……。今回は少し目的が違いまして」


「目的が違う……とは、どういうことでしょうか?」


「はい。今回は孤児院のある教会を紹介していただきたいのです」


「孤児院ですか」


「そうです。僕達は孤児院のある教会を見学したいのですが、いきなり王族に来られても教会側に迷惑をかけてしまうと思いまして。そこで、セシル様に紹介していただければと思ったのです」


貴族が顔を出すような大教会に孤児院は併設されていない。孤児院があるのは、町の隅の小さな教会が多い。そんなところに、いきなり王族がやってくれば、何事かと大騒ぎになってしまう。


そこで、バスティア聖国の仲介が必要となるわけなのだが、教会のことでバルト王国の王子が直接頼みごとをするにあたって、同じクラスに教皇の娘がいるのに、他を頼ったとなれば、無用な勘繰りをされてしまう。そういうわけで、教皇の娘に話を通さないわけにもいかないという面倒な事情があった。


「確かに、私でしたらバルド王国内にある教会にも顔が利きますから。孤児院のある教会も紹介することができるでしょう。ですが、王族の方が教会の孤児院に興味を持たれるのは少々意外でしたね。そういうことには関心がないものかと思っておりましたので」


ここでもセシルは少し嫌味を入れていた。どうもリーズフェルドの言動をまだ気にしている様子だ。とはいえ、このクラスでのリーズフェルドの立ち位置というものをよく分かっている。面と向かってリーズフェルドに喧嘩を売るような真似はしない。


「耳の痛いことです。ですが、僕達は将来のバルド王国を担う存在です。教会の世話になっている孤児のことを何も知らないままというわけにはまいりません。この機会に普段目を向けることのない部分もしっかりと見ておかないといけないと思ったまでです」


アルフレッドは、息を吐くようにして嘘の理由を吐き出していく。本当の目的は、リーズフェルドがソフィアと話をするための話題作りだ。


「アル! お前、凄いな! そんなことまで考えてたのか! 見直したぜ!」


そんなアルフレッドが適当に作った理由に、リーズフェルドが感動して声を上げた。


「うん、リーズ。これは話しておいたことだよね? どうして、そんな知らなかったみたいな反応をしているのかな?」


事前の打ち合わせとしては、アルフレッドとリーズフェルドが孤児院に興味があるから、孤児院のある教会を紹介してもらうという設定。アルフレッドが話をするから、リーズフェルドは極力黙って頷いておいてくれ――というのが打ち合わせ内容だ。


アルフレッドはしっかりと考えて話をしているのだが、当のリーズフェルドは全く理解している様子がない。


「お二人の話はよろしいですか?」


セシルが無機質な笑顔を向けてきている。こちらに話をするなら、もっと纏まってから来いとでも言いたげだ。


「おう。こっちは大丈夫だ。それで、お前、教会を紹介してくれんのか?」


リーズフェルドは気にした様子は何もなく、自然体で答えた。


「リーズ。ここは僕に任せてくれって――」


「ええ、よろしいですよ」


セシルはあっさりと了承した。


「え……、よろしいので?」


これにはアルフレッドも驚いた顔を見せた。リーズフェルドの態度に腹を立てている可能性があったが、考えすぎのようだ。


「はい。孤児を預かるのも女神セレス様の御心です。その慈悲の心を学びたいという気持ちを蔑ろにするわけにはいきません。その申し出、受けさせていただきます」


笑みを崩さずセシルは答えた。教皇の娘として、神職者として、女神の教えを遵守する者として、快く申し出を受ける。


「ありがとうございます。女神様の慈悲に感謝いたします」


アルフレッドも笑顔で返す。リーズフェルドが失礼な態度を取っていたせいで、必要以上に媚びを売らないといけないことになっている。


「いえ、お礼を言われるほどではございません。これも女神様のお導きでしょう」


「女神とかは別に興味ないからどうでもいんだけどよ。いつ行けばいい? 次の休みでいいか?」


この一言で、またセシルとアルフレッドの笑顔が引き攣った。


「リーズフェルド様は、女神様のことは関心がございませんでしたか?」


セシルは笑っているが、どう見ても目が怒っていた。アルフレッドもどうやって釈明していいか分からない。


「俺にはどうでもいい存在だけどな。まあ、お前が大事にしてるものは否定しねえよ。それに、孤児院を紹介してもらえるなら、女神とやらにも感謝だな」


セシルは笑顔のままアルフレッドを見た。無言で見た。それだけで何を言いたいのかは分かる。『こいつは、どういう教育を受けてきたんだ?』と。


「す、すみません、セシル様。リーズは、その……。あまり、女神様の教えを勉強していなかったようで、女神様への感謝の心はあるのですが、それをどう言葉にしていいか分からずに……、ええと、感謝の心を表してはいるのですが、上手く伝わらなくて……。リーズは女神様に感謝をしているということですが……、それは……、要するに女神さまに感謝をしているのですよ……」


アルフレッドがここまで焦るのは珍しいことだった。リーズフェルドに振り回されて早5年。父である国王や母である王妃、その他の貴族達には何とでも立ち回れるが、相手は教皇の娘。バスティア聖国のトップの一族だ。物凄く慎重に言葉を選ばないといけない相手だ。


「え、ええ……。そういうことでしたか。感謝の気持ちを持っていらっしゃることは理解いたしました……」


これはセシルにとっても同じこと。相手はバルド王家の嫡子。ベゼルリンク家の失言ではあるが、バルドロード家が庇うのであれば配慮しなければならない。


とまあ、要するに面倒な関係なのである。


「なんか、面倒くせえなお前ら」


一瞬、空間が凍ったように思えた。アルフレッドとセシルの笑顔がリーズフェルドを睨む。誰のせいでこうなってると思ってるんだ! と、叫びたい気持ちを鋼鉄の意志で抑え込む。


「相手を気遣う心。それも女神様の教えなのですよ?」


笑顔のセシルの声に怒気が滲む。


「おう、そうだな。大事なことだ。女神もよく分かってんじゃねえか」


「ええ、そうですね。そうですね。そうですよね――そうそう、孤児院の見学の日取りでしたけれど、次の休みの日でしたら礼拝がございますので、どうぞご一緒に礼拝をされてはどうでしょうか」


「礼拝? ああ、そういうのは要らね――」


「是非とも参加させてください!」


リーズフェルドの言葉を遮るようにしてアルフレッドが声を上げた。リーズフェルドが礼拝に興味がないことなど、最初から分かり切っていたことだが、ここで礼拝まで断ることはできない。


「そうですか。それは良かった。それでは次のお休みの日を楽しみにしておりますわ」


セシルとしてもこの無法者に何とかして女神の教えを叩き込みたい。女神セレスの信徒として、それは使命のようにも思えた。


「まあ、いいか。礼拝って、何するのか知らねえけど。孤児院を紹介してもらえるなら、何でもいいぜ」


「ええ、楽しみにしておいてください」


兎にも角にも、礼拝に参加させることを優先すべき。セシルはそう判断し、女神セレスの信徒のはずのバルト王国の貴族が、礼拝を知らないという問題発言はスルーした。


「ああ、ありがとうな。助かるぜ」


「いえいえ、これも女神様のお導きですから」


セシルは気を取り直して、ニコリとほほ笑んで返した。


「おう、それじゃあ、次の休みにな。――それと、お前な。可愛い顔してんだから、そんな仮面みたい顔すんなって。施設の子供にはちゃんと笑ってやれよ。じゃあな」


リーズフェルドはそう言い放つと、さっさと教室を出て行った。


「――ッ!?」


その言葉を聞いた瞬間にセシルの頭は真っ白になった。この時、セシルがどんな顔をしていたのか、それはセシル自身も分からない。だが、酷い熱に浮かされるような、どうしようもない熱さだけを感じていた。ただ、去っていくリーズフェルドの後ろ姿を見ることしかできない。


そして、残されたのは、固まったセシルと冷や汗を流すアルフレッドの二人だった。



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