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優しい心

リチャードとの一件から一夜明けて、早朝からワイズ学院の生徒達が登校を始める。


リーズフェルドがカラザス王家の狂犬を分からせたという噂は、すでに広がり始めており、生徒たちは最新の話題を話しながら交友を広めている。


ただ、相手が狂犬国家のカラザスであるため、自然と小声での話になってしまうのは仕方のないこと。


話題の中心となっているリーズフェルドに関してはまだ姿を見せておらず、アルフレッドが先に登校してきた時には、件の噂が耳に入ってくるほどには広まっていた。


(……なんというか、少し居心地が悪いな……。僕は相手にしなかったんだけど……)


今回の噂の中心人物の一人であるアルフレッドにも周りからの視線が集まっているのが分かる。アルフレッドとしては、事を大きくしたくなかったので、リチャードを避けようとしていたのだが、喧嘩好きのリーズフェルドが話を大きくしてしまった。


勇敢な令嬢と腰抜け王子――とまでは言われていないだろうが、風に乗ってやってくる声には、どうやらリーズフェルドがかなり持ち上げられているようにも聞こえる。


リーズフェルドが高く評価されることに関しては、アルフレッドとしても嬉しいことなのであるが、今後のカラザスとの関係を考えると頭が重くなることには違いなかった。


(このまま教室に行くのもな……。多分、待ってましたとばかりにリチャードとのことを聞かれるんだろな……)


おそらく他クラスの生徒が教室の前で待っているだろう。昨日のことの詳細を聞きたいと思っているに違いない。周りからの視線もそんな目をしている。


(面倒だ。少し寄り道していくか)


アルフレッドはそう思い立つと、踵を返して教室とは反対方向へと歩き出した。授業が始まるまでにはまだ時間がある。それに、今日は晴れていて気持ちがいい。校舎裏の道を木漏れ日を浴びながら歩くのも悪くはないだろう。


ほどなくしてアルフレッドは校舎裏へとやってくる。朝の授業前なので、こんな場所に生徒はいない。聞こえてくる声も噂話ではなく、小鳥の囀りだ。


これで人心地つけるな、とアルフレッドが息を漏らした時だった。前方の木の下に蹲っている人の姿が見えた。


蹲っている人の服装を見るにワイズ学院の女子生徒だろう。なぜ、女子生徒がこんな時間のこんな場所にいるのか。自分のことを棚に上げておいて、アルフレッドは疑問符を浮かべながら、蹲っている女子生徒へと近寄った。


「どうしたんだい? 具合でも悪いのかい?」


アルフレッドが蹲っている女子生徒へと声をかける。体調が悪くなっているのであれば、医務室へと連れて行かなければいけない。


「えっ!? あ、アルフレッド様!?」


声をかけられ振り向いた少女が綺麗な銀髪を揺らした。朝の光に照らされた銀髪は、キラキラと輝く白雪のようだった。


「ソ、ソフィア……!? どうしてこんなところに? それよりも、大丈夫? 体調がすぐれないようなら、すぐに医務室へ連れて行くけど」


ぱっと見た感じでは、ソフィアの顔色は良い。元が色白だが、健康的な色をしているし、唇も薄いピンク色だ。声もはっきりとしている。


「あ、いえ、大丈夫です。私は大丈夫なんです。すみません、ご心配をかけたみたいで……。ただ、この子がちょっと……」


ソフィアはそう言うと目線を下げた。そこに居たのは子猫。まだ生まれて1か月ほどだろうか、小さな命がぐったりとしている。


「怪我をしているのかい?」


アルフレッドは子猫を覗き込みながら訊いた。薄汚れた体のあちこちに血がついているのが見て取れた。


「はい……。おそらくカラスに襲われたのだと思います。逃げることはできたようなのですが、かなり消耗しているようでして……」


ソフィアは事情を説明しながら、汚れた子猫を優しく抱きしめてやる。そして、ソフィアは目を閉じて意識を集中させた。


すると、子猫を淡い光が包んでいく。光は水色や黄緑、白へと色を変えながら子猫を温かく包んでいく。


「治癒魔法か。かなり高度な魔法のはずだが。凄いな、君は治癒魔法を使えるのか」


アルフレッドが関心しながら言った。一言で魔法と言っても様々な効果があり、その体系も多岐にわたる。その中でも難易度が高い魔法体系として治癒魔法がある。


炎を出したり、風を起こしたり、単に魔力を熱量にしてぶつけるような、“壊す”ということを目的とした魔法は比較的単純な術式で成り立っている。


逆に治癒魔法のように、“直す”というものは、術式も複雑であり、扱うにしても術者の感性や素質も重要になってくる。


例えば、時計をハンマーで壊すのと、壊された時計を修理するのでは、後者の方が圧倒的に難易度が高い。魔法でも同じことが言える。


「そ、そんな……。凄くなんてありません。私にできることはこれくらいですから」


ソフィアはそう言いながらも治癒魔法での治療を続けている。虫の息だった子猫の呼吸も安定してきているのが分かる。


「治癒魔法を使えること自体が凄いことだよ。自信を持っていい」


アルフレッドも身を屈めて、ソフィアが抱きしめる子猫を見やる。すでに傷は塞がっており、血も止まっている。


「それほどのことでは……」


少し照れているのだろうか、ソフィアはアルフレッドへは視線を向けずに、声も上ずっている。


「怪我の方はもう大丈夫そうだね。それよりも、泥と血でかなり汚れているな。ちょっといいかな」


アルフレッドはポケットから白いハンカチを出すと、汚れた子猫の体を優しく拭いてやった。


「ア、アルフレッド様!? ハンカチが汚れてしまいます!」


ソフィアは慌ててアルフレッドの方に目を向けた。王族が持っているハンカチだ。絹で作られた純白の高級品。それが子猫を拭くたびに赤茶色に汚れていく。


「ははは、おかしなことを言うね? そもそもハンカチは汚れを拭くためにある物だろ?」


「そ、それはそうですが……」


「だったら、何もおかしなことはしていない。この猫だって、汚れを綺麗にしてもらった方が嬉しいだろ?」


「いえ、そういうことではなくてですね……。王族の方が使うハンカチを汚してしまっては……」


子猫の治療はソフィアが勝手にやっていることだ。それに対して王族の私物を汚してしまうようなことになっては申し訳ないという気持ちがあった。


「そんなことは気にしなくていいよ。王族とか貴族とか、そんなこと、この猫には関係ないだろ? 君が助けようとしているこの猫を、僕も何とかしてあげたいと思った。それだけのことだよ」


アルフレッドが微笑みながら返した。幼少期の自分ならこんなことは思わなかっただろう。そう、リーズフェルドと出会う前の自分なら。王族、貴族、平民、財を持つ者、持たない者。利益になるかならないか。そんなことで物事を見ていただろう。


だが、リーズフェルドには身分という概念すらない。相手が貴族か平民かなんてことは、まるで関係がない。全てが平等なのだ。


もしも、この場にリーズフェルドがいたのなら、自分の服で汚れた子猫を拭いてやっただろう。ハンカチを持っていないから。


「……ふふっ」


ソフィアは一瞬目を丸くしたが、直後に思わず笑いが漏れてしまった。


「どうしたんだい? 何かおかしなことでも言ったかな?」


「ふふふ。ええ、おかしなことを仰いました」


「僕は何も変なことは言っていないつもりなんだけどね」


「ふふっ、確かに猫には王族とか貴族とか、そんなことは関係ないですよね」


「そうだろ? 相手は猫なんだからさ。僕が王族であることなんて知らないだろ?」


「ええ、そうですよね。ふふ、アルフレッド様は、面白い方ですね」


よほど面白かったのだろうか、ソフィアはまだ笑いながら言っている。


「面白いか。――まあ、変わった人間であることの自覚はあるつもりなんだけどね」


アルフレッドも笑顔で返した。あのリーズフェルドと一緒にいるのだ。変わっていることに疑問の余地もない。


「それに優しい方です」


ソフィアが微笑み返す。それはまさに聖女のような輝きを持っていた。


「優しい? 優しい……か。あまりそんなことを思ったことはないけどね。ただ、優しく振舞っているだけさ。王族として周りの目を気にするのは当然のことだよ」


リーズフェルドとの出会いによって、アルフレッドの価値観は大きく変わったのは確かだが、王族としての責務を忘れたわけではない。時と場所を考えて必要な振る舞いをしてきた。周りに良く見られるように打算で行動してきた。それを優しい自分だと思ったことはない。


「この子を拭いてやったのも周りの目を気にしてのことでしたか?」


少し悪戯っぽくソフィアが言った。


「……ああ、確かに。それは関係ないか……。でも、別に僕が優しい人間だとは、思わないけど……」


優しいと言われて、アルフレッドも少し照れ臭い。


「私はアルフレッド様が優しい方だと思います。損得もなく、自然に出た行動だと思います」


「買い被りすぎだよ。猫を拭いてやっただけだ」


「それが優しいということなんですよ」


「まいったな……。じゃあ、そういうことにしておいていいよ。でも、たまたま通りかかっただけだからね」


意地でも優しい人間であるとするソフィアに根負けしたアルフレッドが諦観しながら言った。


「あの、たまたま通りかかったというのは? 何かご用件があって、ここに来られたのではないのですか?」


朝の授業が始まる前の校舎の裏側。そんな場所に王族がやってくるなのど、ソフィアは考えもしなかった。


「用件ってほどのことじゃないよ。昨日の一件で、周りの声が聞こえてきたからさ。このまま教室に行ったら、居心地が悪そうだから、少し時間を潰そうと思ってね」


「そうでしたか……。昨日のことは、その……噂になってますから……」


「リーズと違って、僕はああいう輩には上手く対処できなくてね。もしかしたら、僕があの場で決闘をした方が良かったのか……って思うこともあるけど。今となっては、分からない……」


「そんなことありません!」


ソフィアが急に大きな声を出して、アルフレッドを凝視した。何かを訴えようとする力強い目だ。


「そ、そうかな……」


「そうです! あの時のアルフレッド様の対応は間違っていません! 暴力で物事を決めようとする相手に対して、暴力で返すなんて――いえ、あの……相手の話に乗らなかったアルフレッド様は凄く立派だと思いました!」


ソフィアが熱く語るが、途中で言葉を濁した。暴力に対して暴力で返すことを強く否定しようとしていたが、リーズフェルドが暴力で返しているため、そこは気を使って明言を避けた。クラスメイトのことはあまり悪く言いたくない。


「君にそう言ってもらえると助かるよ。でも、実際にはリーズが解決したっていうのも間違いではない。それに、僕はリーズがやったことを暴力だとは思っていないよ」


「それは……。そうかもしれませんが……。それでも、私はアルフレッド様が正しいと思っています」


「ああ、ありがとう。僕も間違ってはいないっていうことは分かっているつもりなんだけどね。こうやって他の人から肯定してもらえると、正直に嬉しいよ」


「はい。アルフレッド様にそう言ってもらえて、私も嬉しいです」


ソフィアの顔がぱっと明るくなるのが分かった。そんな中、ソフィアに抱かれていた子猫がふと意識を取り戻した。


「あ、目が覚めたみたいですね」


「そうみたいだ――」


ソフィアとアルフレッドの会話に子猫が耳をぴくっと反応させると、ソフィアの腕から勢いよく飛び出して、そのまま走り去って行った。


「良かった。元気になったみたいです」


すぐに遠くへ行ってしまった子猫の後を、ソフィアが優しく見つめる。


「それにしても、驚いた。凄いな君は……」


「え? どうかされましたか?」


何のことを言われているのか分からず、ソフィアが聞き返す。


「治癒魔法だよ。あの猫は、放っておいたら数日で命を落としていただろう。それくらいに傷ついていたはずだ。それをあんなに元気よく走り出せるくらいにまで治癒されている。並の術者にできることじゃない」


「そ、そんな……。私はそんな大した人間では……」


「いや、君は凄いよ。さっき、自信を持っていいと言ったが、それどころじゃない。どうして平民の君が特待生としてワイズ学院への入学を許されたのか。よく分かったよ。こんな短時間で、あそこまで回復させることができるのは君くらいのものだよ」


ただでさえ高度な技術を求められるのが治癒魔法だ。しかも、傷を一瞬で治すなんてことはほぼ不可能。時間をかけて治癒魔法をかけ続けないといけない。それを、二人が会話をしている間の時間で、死にかけの子猫が走り出すまでに治癒してしまった。


しかも、会話をしているということは、完全に集中していたというわけではない。話をしながら治癒魔法をかけて、命を救ったということだ。


リーズフェルドとは違った意味での規格外がここにいた。


「そ、それこそ買い被りすぎです」


「そんなことはないさ。正当な評価だよ。君がここにいなかったら、あの猫はどうなっていたか――そういえば、どうしてこんな所に?」


アルフレッドが校舎裏に来た理由はさっき話をした通りだ。だったら、ソフィアはなぜこんな場所にいるのだろうか。


「ええっと……。私は、その……。声が聞こえたので……」


「声?」


何の? アルフレッドは不思議そうにソフィアを見た。


「はい……。さっきの子猫の声が……」


「子猫の声? そんなに大きな声で鳴いていたのかい?」


ソフィアの言葉に違和感を覚えた。虫の息だった小さな命が、校舎裏から聞こえてくるほどの大きな鳴き声をあげられるものなのだろうか? もし、そんな大きな鳴き声ならアルフレッドも聞いていだろうし、他の人だって来ているはずだ。


「いえ……。そうではないのですが……。時折、聞こえることがあるんです。必死になって助けを呼ぶ声が……。誰にも聞こえない声が、私にだけ聞こえることがあって……」


ソフィアは俯きながら答える。あまり言いたくないようにも見える。


「他の人には聞こえない、君にだけ聞こえる声……。なるほど、それでここまで助けに来たっていうことか」


アルフレッドは妙に納得していた。これほどの力を持つ少女だ。他にも特殊な能力を持っていてもおかしくはない。


「すみません……。その……、気持ち悪いですよね……。他の誰にも聞こえない声なのに……」


伏し目がちにソフィアが続ける。声も小さくなっていた。


「気持ち悪い? どうして?」


「だって、私にしか声は聞こえていないんですよ? 変じゃないですか、そんなの……」


ソフィアは子供のころから、こういう不思議な力を持っていた。それ故、他の子とは違うという目で見られてきた。それは、奇異なものでも見るような目であった。


「何を言っているんだい? 君が声を聴いていなければ、あの猫は死んでいたんだよ? 一つの命を救った力を僕は尊敬するよ」


アルフレッドは至極真面目な顔で言った。変なんてものじゃない。これは優れた能力であるというのが、アルフレッドの評価だ。


「――ッ!? そ、そんな、私は――」


カーン、カーン、カーン。そこに授業開始を知らせる鐘の音が響き渡った。いつの間にか長い時間が過ぎていたようだ。


「まずい! すぐに教室に行かないと!」


「は、はい! い、急ぎましょう」


アルフレッドは慌てて、教室へと走り出した。その後をソフィアも追う。赤くなった顔を下に向けながら。







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