難癖
「……久しぶりだね、リチャード王子。僕の方はあまり覚えてないんだけど。子供の頃に会っただけだったかな」
アルフレッドの声はトーンが低く、感情のないような返事をした。嫌々対応しているのが見て取れる。
「そんなつれないこと言うなよ。俺はすぐに気づいたぜ。なんせ子供の頃から変わらず女みたいな顔してるもんで。体つきも細いまま、貧弱そうで――おっと、これは失礼。一国の王子に対して、貧弱は悪いよなあ。俺から見たらどうしても軟弱に見えてしまってなあ」
リチャードは厭味ったらしくニヤついた顔で挑発してきた。ただ、アルフレッドは細身だが貧弱というわけではない。鍛えられた体をしているが、リチャードは体つきも大きく、筋肉質の体をしている。だから、自分と対比して、アルフレッドが弱弱しいということを言っている。
「そうだね。君の体は丈夫そうで羨ましい限りだよ。それじゃあ、僕は用事があるからこれで」
リチャードのことはまともに相手せずに、アルフレッドはその場を立ち去ろうとする。
普通に考えて、バルド王国の王子であるアルフレッドにこんな横暴な態度は許されるはずがないのだが、相手はカラザス王国の王族。強さこそが至上の考えがある、喧嘩上等の狂犬国家だ。
実際に戦争になれば勝てる相手かもしれないが、受ける方も甚大な被害を被る。こんなことで戦争にならないにしても、相手にしたくない国の筆頭だ。
「だから、そんなつれないことを言うんじゃねえよ! 少しくらい時間あるだろ?」
立ち去ろうとするアルフレッドの前をリチャードが立ちふさがった。近くには取り巻きと思われる数人の男子生徒がニヤニヤとしている。
「僕は君に用はないんだけど?」
「俺にはあるんだよ」
「それに付き合う義理もないと思うけど」
「おいおい、折角こうして国を越えて会えたってのによ、バルド王国の王子は隣国との交流もしないってのか? お高く留まったものだなあ、おい」
リチャードはわざとらしく大きな声を出した。取り巻きの男子生徒もわざとらしくざわついている。
「はぁ……。そっちが何の用なのかは知らないけど。教室で大きな声を上げるものじゃないよ」
「お前が俺の話を聞いてくれないからなあ。ついつい声が大きくなっただけだ。バルド王国はそういう国だったのかよ?」
「そういう国っていうのが、どういう国のことを言っているのかは分からないけど。用事があるなら手短に話てくれ……」
これ以上問答していても埒が明かないと判断したアルフレッドは、とりあえずリチャードの要件を聞くことにした。どうせろくでもない話なのだろうが。
「最初からそういう態度でいればいいんだよ」
「いいから、要件を言ってくれ。こっちも暇じゃない」
うんざりとした表情でアルフレッドが言う。入学初日から嫌な奴に絡まれたものだ。
「そうなのか? 暇そうに見えたんだがな。まあいい、簡単な話だ。このクラスで一番上が誰なのかはっきりさせる。それが俺の要件だ!」
「はあ?」
アルフレッドは思わず乱暴な口調で返してしまった。何か因縁を付けれらるとは思っていたが、まさかクラスで一番上が誰なのかとか言ってきている。
「『はあ?』じゃねえよ! バルド王国の王位継承権を持つ王子とカラザスの王位継承権を持つ俺が一緒のクラスになったんだ。上下関係は早いうちから明確にしておかないとな!」
「何を言っているんだ君は? ここは学び舎であって、勉学や実技でお互いを磨く場だ。クラスで一番上が誰とかそういうことをやりに来たわけじゃ――」
「いいじゃねえか、アル! 面白そうだ。やってやれよ」
そこに割り込んできたのはリーズフェルドだった。実に楽しそうな顔をしている。
「リーズ!? どういう状況か分かってるのか? こんなことにいちいち構っているわけにはいかないよ!」
アルフレッドの頭がさらに痛くなるようなことをリーズフェルドが言っている。こうなるだろうとは予想していたが、やはりリーズフェルドは荒事が好きなようである。
「なんだアルフレッド王子様よお? お前の女は王子様のかっこいいところが見たいって言ってるんじゃないのか? それともバルド王国は腰抜け王国だったか?」
リチャードはここぞとばかりに挑発的な言葉を投げかけてくる。周りの生徒もヒヤヒヤとしながらその光景を眺めていた。
「安い挑発には乗らないよ。バルド王国は、どこにでも喧嘩を売るような狂犬の国とは違うんでね」
それでもアルフレッドはリチャードの要望には応えない。
「ほう――で、その狂犬の国ってのはどこの国のことを言ってんだ?」
「さあてね。そういう国もあるってことじゃ――」
「お前のことを言ってんだよ」
アルフレッドの言葉を遮るようにしてリーズフェルドが割り込んだ。
「おい、女! お前いい度胸してるじゃないか! ええ? 俺が狂犬だって言いたいのか?」
「ごちゃごちゃとよく吠えるなお前は。ツンツン頭のお前以外に狂犬がいるのかよ? アルもやってやれよ。どっちが上かはっきりさせるだけなんだろ? いいじゃねえか。初日だからこそだろ」
「リーズ……。そう簡単に話に乗るもんじゃないんだよ……」
ワイズ学院は諸国同士の縮図のようなものだ。将来の国家を担う者が、学校生活を通じて大きく成長していく場所。その後の諸国関係にも影響が出てくるような場所だ。そんな場所でリチャードの挑発を簡単に受けるわけにはいけかない。
「ここまで言われて、引き下がるのか? 折角、相手から喧嘩を吹っ掛けてきたんだから、乗ってやれよ」
「だから、そんなわけ――」
「おい、ツンツン頭のお前。どこでやるんだ? この近くにやれる場所あんのか?」
アルフレッドの抗議も聞く耳持たず、リーズフェルドはリチャードと話を進めようとする。
「リチャードだ! 口の利き方に気をつけろよ! 俺の国じゃあ女相手でも容赦はしないぞ?」
「いちいち吠えるな。そういうところが犬だって言ってんだよ。とりあえず場所を変えるぞ。どこでやるのか、当てはあるんだろ? そこに連れて行け」
リチャードのペースには付き合わず、リーズフェルドは自分のペースで強引に話を進めていく。
「場所を変える? おかしなことを言うな? ここでやるんだよ!」
「は? ここで? まだ人が残ってるだろうが?」
リーズフェルドは怪訝そうな顔で言った。喧嘩をするのに、人がいる中でやるとはどういうことなのか。立会人の前でやるならともかく、ここに残っているのは全く関係のない生徒ばかりだ。
「言っただろ。このクラスで一番上が誰なのかはっきりさせるってよ! だから、クラス全員の前で力を見せないと意味がないんだよ!」
「クラス全員に力を見せるだと? おい、それはただ自分の力を誇示したいってだけじゃねえのか?」
「そう言ってるだろ! 俺がこのクラスで一番上だってことを早い段階から分からせてやるんだよ!」
「なんだそれ……。クッソつまんねー男だなお前は。いいか、喧嘩ってのはな、プライドを賭けてやり合うもんだんだよ。その中で、どっちが上なのか、お互いが納得して決めるもんなんだよ! わざわざ力を見せびらかすために喧嘩をする奴はな、喧嘩を何も分かってない! 下の下だ! 矜持も信念も男気も何もない! ただのクソ野郎なんだよ!」
リーズフェルドが目つきを鋭くして言い放った。職業としての格闘は別として、一対一の真剣勝負をただ自分の立場を上げるだけのために利用しようとするのは、喧嘩の美学に反する。そんなことをしなくても、実力があれば人は後から付いてくる。見せつけるようなものではない。それがリーズフェルドの論理。
「おい、お前! さっきから犬だのクソ野郎だの、随分と舐めた口をきいてくれてるな! 俺が誰なのか分かってないのか? ええ? さっきも言ったが、相手が女であろうと容赦はしねえぞ!」
リチャードは凄んでリーズフェルドを睨みつけた。二人の体格差は歴然。力の差もリチャードの方が圧倒的に強そうだ。どうみても細身のリーズフェルドがどうこうできる相手には見えない。周りの生徒たちも戦々恐々としている。
「お前が誰なのかなんて知らねえよ! 野良犬に名前なんてあんのかよ?」
リーズフェルドは睨み返しながら言う。カラザス王家の嫡子に対して臆することなく。ただ、挑発のように聞こえるが、実際に誰だか分かってはいない。
「ああー、終わりだ。お前終わりだわ! もう俺を止められねえわ! 完全にキレたわ!」
リチャードは完全に頭にきていた。女相手だから、多少は手加減しようとは思っていたが、その必要はなくなったとばかりに、腕を捲し上げた。
「リチャード、悪いことは言わない。リーズに手を出さない方が身のためだよ」
ほとんど諦観しながらではあるが、アルフレッドが一応忠告だけしておいた。
「今更何を言っても遅えんだよ! こいつの次はお前だアルフレッドォー!」
リチャードは怒気をまき散らしながら、本気でリーズフェルドに殴り掛かった。恵まれた体格と鍛えられた筋肉から放たれる拳。そこに情けや容赦はない。早く鋭い一撃だ。
リーズフェルドは冷めた目で飛んでくる拳を見る。そして、その手首を掴み、最小限の動きでリチャードと体の位置を入れ替える。
周りからはリーズフェルドが何をしたのかは理解できなかっただろう。ほとんど動いていないようにしか見えなかった。
「ぐがぁッ!?」
だが、結果は一目瞭然。リチャードの体が空中で回転して、盛大に床に叩きつけられた。ついでに手首と肘の関節が外されている。
リチャードはまともに受け身を取ることもできず、背中を強打。呼吸もできず、動くことすらままならない。
そこに追い打ちをかけるようにして、リーズフェルドの貫手がリチャードの首に――
「リーズ! もういい! 十分だ!」
止めを刺そうとしているところにアルフレッドが慌てて声を上げた。
「心配するな。最初から寸止めするつもりだ」
リチャードの首までほんの数ミリというところで、リーズフェルドの貫手は止められていた。
「……本当かい? 本気でやろうとしていたように見えたけど……」
アルフレッドが若干疑いの目をリーズフェルドに向ける。事実、紙一重のところまでいっていた。
「俺の寸止めの腕は知ってるだろ? それに、この程度の奴に俺が本気を出すわけねえだろ。ちゃんと手加減はしてある」
リーズフェルドの寸止め技術に関しては嘘はない。アルフレッドも子供の頃に赤鷲騎士団との模擬戦で、神業のような寸止めを目の当たりにしている。
「関節を外すのは手加減とは言わないよ……」
あらぬ方向へと曲がっているリチャードの右腕を見ながら、アルフレッドは嘆息交じりに言う。
「リチャード、立てるか? 仕掛けたのはそっちからなんだ。文句は言わせないよ」
アルフレッドはそう声をかけながら、リチャードを起こしてやる。その顔は痛みによる油汗でびっしりだ。
「ガハッ……、ガハッ……。て、てめえ……」
介抱されながらにも関わらず、リチャードがアルフレッドに対して恨めしそうな目で睨みつけた。
「僕は忠告したよ。それでも君はリーズを攻撃したんだ。自業自得ってやつだよ。観念するんだね」
アルフレッドが肩を貸すと、外された関節を庇いつつも、リチャードは何とか立ち上がることができた。
「……クソがッ」
これだけの醜態を晒されたのは生まれて初めてのことだ。この上ない屈辱だ。リチャードは毒を吐きつつ周りを睨むと他の生徒たちは視線を外した。
「おい、コラ! お前の相手は俺だろうが! 関係ない奴を睨むんじゃねえよ!」
そんなリチャードの視線をリーズフェルドが遮った。毅然とした態度でリチャードを圧迫する。
「くッ……」
リーズフェルドに凄まれ、リチャードは何も言えなくなってしまった。ほんの一瞬だけの対峙だったが、その実力差が歴然であることは自身の身をもって分からされた。
掴まれた手首の痛みがまだ残っている。痛みからその握力がどれほどのものなのか推測できた。鍛えてきたリチャードよりも遥かに強い力だ。まるで巨人にでも掴まれたかのような錯覚を覚える。
何よりも驚愕すべきは、投げられた時の技術だ。投げられてリチャード本人ですら、何が起こったのか理解できていない。一瞬、景色が回転したかと思った次の瞬間には床に叩きつけられていた。しかも、手首と肘の関節まで外してくれるおまけつきだ。
「で、どうするんだ? これ以上は、やっても意味ねえぞ」
腕を組みながらリーズフェルドが言い放つ。おそらく、リーズフェルドが腕を組んだ状態で戦っても、リチャードに勝ち目はないだろう。リチャードも武人の端くれだ。それくらいのことは想像がつく。
「…………」
リチャードは黙ったまま数秒固まっていた。リーズフェルドに視線を向けることもできない。
そして、何も言わないまま、ヨロヨロとした足取りで教室から出て行ってしまった。
その後をリチャードの取り巻きと思わしき数名の男子生徒が追って教室を出て行った。
「「「わあああああーーーーー!」」」
リチャードが教室を出て行って数秒後、教室内からは歓声が上がった。
「リーズフェルド様、凄いです! とてもカッコ良かったです!」
真っ先に声をかけてきたのはマチルダだった。その目をキラキラと輝かせて、羨望の眼差しを向けている。
「ん? ああ、別に大したことはしてねえよ……。えっと、たしか教室入ってきた時に話しかけて来た奴だよな?」
「マチルダ・バーンズだよ。覚えておいてあげてよ」
絶対に名前を憶えていないだろうと、アルフレッドがフォローを入れる。
「ああ、確かそんな名前だったな」
リーズフェルドが曖昧な返事をする中、他の生徒も次々とリーズフェルドを称賛する声をかけてきた。
カラザスの狂犬ぶりは、周辺諸国でも悪い意味でよく知られていることだ。まさか、ワイズ学院に入学してまでその狂犬ぶりを発揮するとは思ってもいなかったが、そんなリチャードを初っ端から叩き伏せたリーズフェルドは、まさにこのクラスの英雄となった。