動揺 2
1
教室を出て少し行った場所にある階段の踊り場。リーズフェルドはそこで、頭を抱えて項垂れていた。
(あああああーー! なんで逃げてきたんだー!? 中坊かよ、俺はーッ!)
一目惚れした少女の顔をまともに見ることができずに、どうしいいか分からず咄嗟に教室を飛び出してきた。
前世ではそういう少年時代などとっくに通り過ぎている。転生したからといって、前世の記憶がある状態なので、今更何を狼狽えているのだろうかと恥ずかしくて仕方がない。
(まだ心臓が収まらねえ。なんか、ソフィアが近づいてきた時、すっげえ良い匂いしたな……)
化粧や香水ではない、ふんわりとした優しい匂いだった。決して人工的なものではない。包み込まれるような甘い匂いだった。たとえて言うなら虹色のそよ風が頬を撫でたような感じだった。
(ダメだー! 脳に匂いが焼き付いてるー!)
ソフィアの見た目も声も匂いも、話し方も、仕草も、どれを取っても可愛い。というか可愛い。いや、むしろ可愛い。
「リーズ、ここに居たのか」
後を追ってきたアルフレッドが、頭を抱えながら妙な動きをしているリーズフェルドに声をかけた。
「うぐおあッ!? あぁ? ああ、アルか……。何の用だ?」
人の気配を感じて、一瞬ソフィアが来たのかと思ったが、アルフレッドの顔を見て、リーズフェルドは明らかに落胆した表情を見せた。
「『何の用だ?』じゃないだろ? どうしたんだい、急に?」
「うっせえ、お前には関係ねえよ……」
リーズフェルドはぶっきらぼうな態度で応えた。
「急に教室を出ていくから、驚いたんだよ。クラスの皆も心配してるよ」
リーズフェルドが突拍子もない行動に出ることは昔からよくあることだが、今回の行動はいつもと少し毛色が違うように思えた。
「クラスの皆って……? ソフィアもか……?」
バツの悪そうな顔でリーズフェルドが視線を向けた。
「そうだね。ソフィアも心配そうな顔をしていたよ」
「う‟ッ……」
ソフィアにも心配をかけてしまった。そのことがリーズフェルドにとって、非常に申し訳なく思うし、自分自身でも情けなく思ってしまうところだ。
「問題ないなら、教室に戻ろう。大丈夫かい?」
アルフレッドが優しく声をかける。同い年のはずだが、アルフレッドの落ち着きが実年齢よりも大人に見せていた。
「あ、ああ……。分かった。分かったよ……」
「うん。じゃあ、行こうか」
アルフレッドがそう言って歩き出そうとした時だった。
「いや、待て」
「どうしたんだい?」
まだ何か問題でもあるのだろうか。アルフレッドが振り返る。
「やっぱ、今日はサボるわ」
「なッ、何言ってんだよ! 今日は初日だよ! 入学式終わったばかりでサボるって――いや、入学式とか関係なく、無断で休むわけにはいかないから!」
アルフレッドが慌てた声を上げた。リーズフェルドが無茶苦茶なことを言うのはいつものことだが、流石に入学初日からサボるなんて言うとは思っていなかった。
「いやあ、何て言うかさ……。今日はもう顔見世づらいわ」
「だから、理由もなく休むのはことはできないよ。どうしたんだい? いつものリーズらしくないね」
普段のリーズフェルドなら、周りが自分をどう見ようなど一切関係がないという生き方をしてきた。それが、教室を飛び出したくらいで、顔を見せづらいなど、リーズフェルドらしからぬ言動だ。
「どうしたって……。別にいいだろ。なんか顔出しづらいだけだ……」
「それがリーズらしくないんだよ。いつもなら、もっと堂々としてるだろ? まあ、普段から、それくらい周りの目を気にして行動してほしいっていうのは異論はないけどさ」
「そうだけどよぉ……。お前の言うことも分かるけどさあ……」
「ソフィア達も心配してるようだから、リーズが戻ってくれば安心できるよ」
ここでアルフレッドは手札を切ってきた。どういう理由なのかは不明だが、リーズフェルドがソフィアのことを気にしているように思われる。なら、ソフィアの名前を出して引っ張っていこうという作戦だ。
「うっ……。それな……。あああああ! 分かったよ! 分かった、戻る。戻ればいんだろ!」
「うん、そうだね。それじゃあ、今度こそ戻ろう。もうすぐ先生が来られる時間だ」
「先生とかはどうでもいいんだけどよ」
「一番よくないよ!」
そんなやりとりをしつつ、二人は教室へと戻っていった。
2
リーズフェルドとアルフレッドが戻ってきた時、教室内は少しざわついていたが、二人の姿を確認すると、一瞬で静まり返る。
そんなことはリーズフェルドにとっては気にするようなことではないが、視線は勝手にソフィアを探していた。
リーズフェルドの席の近くでソフィアが座っているところを発見。少し俯いた様子で静かに待機している。
(ダメだ……。やっぱり直視できない……)
ソフィアを発見するも、リーズフェルドはすぐさま目を逸らしてしまう。だが、すぐにソフィアの姿を確認し、そしてまた目を逸らす。
チラチラとソフィアの様子を確認するリーズフェルドの行動は、周りからは少しばかり奇異なものに見えた。
だが、それもすぐに別のことに目が移ることとなる。このクラスの担任となる教師が教室に入ってきたからだ。
カツカツと革靴が床を鳴らしながら入ってきたのは、20代半ばの女性だった。長い茶髪は後ろにまとめられており、細い眼鏡をかけた知的で長身の女性だ。
「皆さん、ご入学おめでとうございます。このクラスの担任となりますクロエ・ジェファーソンといいます。これから楽しい学院生活を――と言いたいところですが、まず一つ宣言をしておきます。王立ワイズ学院には各国から優秀な血筋を持たれた方々が学に来られております。それぞれの国の事情もありましょう。それらの事情について我々が口出しするような真似はいたしません。そして、評価は公平かつ平等にさせていただきます。どこの生まれで、どこに領地を持っているのか。どこの誰の親とどういう関係にあるのか。そういった事情は一切考慮いたしません。ここは学びの社。互いに切磋琢磨し、よりよい関係を築き上げ、自らを磨き上げていただきたく存じます」
地味な見た目に反して、クロエと名乗った女教師ははっきりとした口調で言い放った。身分など関係なく、あくまでワイズ学院は実力主義で評価するということだ。
(学院側はそういう姿勢なのは最初から知っていたけど、さて、学生同士でその理想が保てるか……)
クロエの話を聞きながらアルフレッドは視線で周りを確認する。バルド王国の見知った有力貴族の顔がある。他にも交流のある隣国の王子の顔や武力で知られる国の王族。さらにはバルド王国や周辺国に国教として広く布教されている、創世の女神セレスを崇める教会からも知った顔が見受けられた。
(まるで大陸主要国の縮図だね。評価は公平でも、クラス分けには色々な意見が反映されてそうだけど。この学院での勢力図はこのクラスが中心となるだろう……。僕も慎重に動かないと。下手にクラスを刺激するような真似は控えておく必要があるな……)
事実、アルフレッドがリーズフェルドと同じクラスになるように手は回したし、席順も配慮されている。とはいえ、口出しできるのはここまでといったところか。クロエがわざわざこういうことを言ったのは、これ以上の配慮はないと釘を刺したのだろう。アルフレッドはそんなことを考えながらリーズフェルドの横顔に視線を移す。
周りのことなど全く興味がなさそうな顔だ。何も考えていないことがよく分かる。
(まずはリーズがクラスを荒らさないことを願いうばかりなんだけど……。よっぽどのことがない限りは、僕は大人しくしておいた方がいいだろうな……。僕が下手に介入すると、勢力争いに発展しかねない)
リーズフェルドもかなり有力な貴族の一人なのだが、何か問題を起こした時にアルフレッドが介入するかどうかは大きな影響を与える。下手をすると隣国の王族まで相手するようなことになりかねない。よっぽどのことがない限りは避けるべきだ。
(それに、リーズは自分の喧嘩に横槍を入れられることを凄く嫌がるしね。僕が介入したら、リーズが不機嫌になって、余計に話が難しくなる可能性がある)
リーズフェルドは制御不能な猛獣だ。かろうじて本気で怒った時のメアリーが抑止力になりうるが、メイドのメアリーが学院内に入ることはできないし、リーズフェルドの方も本気ならメアリーでも止める術はない。
「先生ェー。確か授業には実技もあったよなあ? 俺らの国同士の事情を考慮しないってことはさあ、どこぞの国の甘えた坊ちゃんを実技で叩きのめしても、正当に評価してくれるってことだよなあ?」
大声でクロエの話に割り込んできたのは、端の席に座る飴色のツンツン髪をした男子生徒だ。横柄な態度で席に座っており、取り巻きと思われる数人の男子がニヤニヤとしている。
(カラザス王国の確かリチャードか。この年齢になってもあの態度は変わらずか。面倒な奴と同じクラスになったな……)
バルド王国の隣国カラザス。移民族が武力により国を興した歴史の浅い国だ。最近ではようやく周辺国と 協調する動きを見せてきたが、ひと昔前はいつ宣戦布告してきてもおかしくない国だった。
アルフレッドも父でありバルド国王であるゼーベンと一緒にリチャードと会ったことがある。子供の頃、リーズフェルドと出会う前に会ったのだが、その時の印象は最悪の一言。見た目から腕っぷしが弱いと判断され、見下した態度を取られていた。
「その通りです。ただ、“正当”な判断というのは学院が決めること。行き過ぎた行為には厳粛に対処しますので、そのつもりで」
クロエが鋭い目つきでリチャードを見る。カラザス王家の嫡子に対してこの態度を取れるのはなかなか肝が据わっている。
「まあいい。こっちは正当な判断さえしてくれればいいんだからな」
リチャードは不敵に笑って言った。
「今、この時も授業の一環であることをお忘れなく。不適切な発言は、それこそ“正当”な評価を下すことになりますよ」
「ッチ。ジョークも分からない奴だとはな」
リチャードは太々しく背もたれに身を預けて言い放つ。それ以上は特に何も言ってこなかった。
「おい、見てみろよ。早速、バカ1号が名乗りを上げたぞ」
その様子を嬉々として見ているのはリーズフェルドだ。アルフレッドに小声で話しかけているが、どう見ても面白がっている。
「リーズ……。頼むからリチャードに余計なことをするのは止めてくれ……」
リーズフェルドとリチャードが揉めた場合は、アルフレッドも当然出ることになる。ただ、リーズフェルドがそれを許すわけがない。そうなるとまた面倒なことになる。
「心配すんな。俺はあの程度の奴と喧嘩するつもりはない」
「リチャードがあの程度? 武勇で知られた国でも有名な人物なんだけど……」
リーズフェルドの言葉にアルフレッドが少々驚いていた。武力を誇るカラザス王国の王子だ。子供のころから武術の訓練を受けている。特に槍の技術はバルド王国でも耳にするほどの腕前だ。
「あのバカの名前は知らねえけど、別に強くはねえよ。そこら辺の奴と比べたら弱くはないが、本当に強い奴が纏ってる空気じゃねえよ」
バカが猿芝居をしているのを面白がっているだけで、戦う相手としては雑魚でしかない。というのがリーズフェルドの評価。
「リーズがそう言うなら、そうなんだろうね」
リーズフェルドの基準で考えれば、多少腕に覚えがある程度では、大したことないという判定になる。それはアルフレッドもよく分かっていることだ。
「それでは本日はこれで終了いたします。明日からは本格的に授業を開始いたします。この後はどのように過ごされてもかまいません。これから学友となられる方と親交を深めるのもよいでしょう。それでは、明日お会いできることを楽しみにしております」
クロエは最後に一言そういうと教室を出て行った。リーズフェルドとアルフレッドがコソコソ話をしているうちに担任からの話が終わっていたようだ。
「よし、それじゃあ帰るか」
ようやく終わったとばかりにリーズフェルドが教室を出ていこうとする。
「ちょっと待ってよリーズ! そんなに急がなくてもさ。もう少しゆっくりして行こうよ」
それを止めたのはアルフレッドだ。できれば少し校内を回っておきたい。特に生徒会には顔を出しておいた方がいいだろう。
「今日は怠い。帰る」
「そう言わずにさ。初日だし、まだ時間はある――」
スタスタと歩き出すリーズフェルドを追いかけようとした時だった。横柄な態度の人影がアルフレッドに近づいてきた。
「よお! これはこれはアルフレッドのお坊ちゃん王子じゃないですかぁー! 久しぶりだなあ。子供の頃に見たまんま何も変わってねえな」
声をかけてきたのは先ほどHRで目立つ発言をしていたリチャードだった。