動揺
1
王立ワイズ学院の大講堂。かなりの広さを誇る講堂は豪華な内装をしており、並べられた椅子も意匠を凝らしたまものだ。大きな窓には赤いカーテンと並べられた花の数々。高い天井には絵画が描かれている。
もうすぐバルド王立ワイズ学院の入学式が始まる。大勢の新入生たちが鎮座している中、アルフレッドの隣に座るリーズフェルドはキョロキョロと周りを見渡していた。
(ソ、ソフィアって、どこに座ってんだ? もしかして、近くにいたりするのか!?)
「どうしたんだい、リーズ?」
いつになく落ち着かない様子のリーズフェルドを見かねて、アルフレッドが声をかける。
「うおッ!? え? あ? いや、ああ……。別になんでもねえよ……」
「そうかい? ならいいんだけど」
明らかに落ち着きのない様子のリーズフェルドだが、アルフレッドはそれ以上特に追及することはなかった。
そんなやり取りをしていると、講堂の奥の舞台の袖から一人の男が姿を見せた。重厚なローブを纏った長い白髭を蓄えた初老の男だ。初老の男は舞台に備え付けてある演台の前に来ると、コホンと一息ついた後話を始めた。
「皆様、お初にお目にかかります。私がこのバルド王立ワイズ学院の学長を務めております、エルハンス・ゴルドバーグでございます。まずは、ご入学おめでとうございます。皆様方をお迎えできることを心より光栄に思います。さて、このバルド王立ワイズ学院は、各国から高貴な血族を迎え、高度な教育と崇高な精神、上に立つものとしの資質を磨き上げることを目的とした学びの舎でございます。これから皆様方は、このワイズ学院で共に学び、ともに競い合い、ともに助け合っていただきます。そういった関係を築いていく中で、長い人生においては、ほんのひと時の間でしかないかもしれませんが、この学院で学んだこと、紡がれた絆は、とても大切な宝となるものでしょう。皆様がこれから歩んでいく道を自らの意思で切り開いていくため、私から5つのお願い事がございます。まず、一つ目は――」
「くっっっそ長えな……」
薄暗い講堂の中、足を広げ、腕を組みながらリーズフェルドは退屈そうに髭のおっさんを眺めている。
「リーズ、学長の話の最中だから、もう少し姿勢を正してさ。せめて足は閉じようよ」
学長の長話を大人しく聞いているわけがないというのはアルフレッドにも分かっていたことだが、周囲からの目は気にしてほしい。
「なあ、アル。どこの世界でもこういう奴の話って、無駄に長いよな」
「うん、言いたいことは分かるけど、もうしばらく間だけでも静かにしていてくれないかな?」
普段はリーズフェルドに甘いアルフレッドでも、ここは家とは違う。他国からも有力な王族や貴族がやってくる場所だ。そういった事情は弁えてもらわないと困る。
「分かってるよ、それくらい」
本当に分かっているのかどうか。リーズフェルドは頭の後ろで手を組むと、再びキョロキョロと周囲を見始めた。
(はあぁ……。で、ソフィアはどこに座ってんだ? こう数が多いと、見つけるもの大変だな……)
終始落ち着きなく周りを探していたが、結局ソフィアの姿を見つけることはできなかった。
それもそのはず、リーズフェルドの身分は名門貴族の令嬢であり、バルド王国の王子の婚約者。対してソフィアは平民出身。その才能を見出されて特例でワイズ学院への入学を許可されたに過ぎない。当然座る場所にも大きな差が出る。前列の中央に座るリーズフェルドに対して、ソフィアは最後尾の端の席だ。見つかるわけがない。
2
入学式を終えて、リーズフェルドはアルフレッドと共に教室へと向かうが、道中、完全に上の空だった。
ソフィアという名の少女。たった一目見ただけなのだが、その姿が完全に脳に焼き付いていた。どうにかして近づきたい。話がしたい。でも、どうしていいか分からない。
前世の時は女と話をする時に何か考えて話をしたことなどない。何時の間にか仲間内にいた女に声をかけて、適当に付き合っていた。相手もそれで応じていた。
一人目に付き合った彼女は同い年だった。半年くらい付き合ったが、彼女がある種のクスリに手を出していたことが分かり、警察の世話になったことで別れた。
二人目の彼女は年上で、1年近く付き合ったが、ホストにハマって、借金が多くなって突然姿を見せなくなった。
三人目の彼女………は、一晩だけの関係だったからカウントしない。その後も何人かと付き合ったが、軽いノリの女が多かった。それはお互い様であるため、長続きしたことはない。
とまあ、リーズフェルドが前世で関わってきた人間とソフィアという少女の住む世界が違いすぎるため、どうやって声をかけていいのか見当もつかない状態であった。
「ここだよ、リーズ」
アルフレッドに声をかけられて、ふと我に返るリーズフェルド。やってきたのは大きな教室。教室内は階段状になっており、正面の教壇を囲むようにして扇形に長机が配置されている。大学の大教室と同じような作りだ。
「あ……。ああ、ここか」
未だに上の空のリーズフェルドが適当な返事を返した。前世では一応高校は卒業しているが、知っている教室はもっと狭くて、安っぽいものだ。
「こっちだよ。席は僕の隣だからね。これからもよろしく」
アルフレッドは爽やかな笑みを浮かべながらリーズフェルドをエスコートしていく。席は教室のほぼ中央だ。黒板が見やすい席を確保してもらっていた。
「真ん中か………。チッ、寝にくい………。後ろが良かったんだけどな」
「だから、真ん中の席にしてもらったんだけどね。最前列にしなかっただけ温情だと思ってほしいな」
リーズフェルドの勉強嫌いは、アルフレッドもよく知っている。だからこそ、真面目に勉強ができるよう、教壇からも一番見やすい位置を取ったのだ。
「お前が手を回したのかよ! 余計なことしやがって、クソッ」
「これでも王族だからね。ワイズ学院の学長とは話がしやすいんだよ」
「それなら、後ろの席にするくらいの気を回せってんだよ」
「屋敷でちゃんと勉強をしてなかった分をここで取り返さないとね。僕の親切心だと思ってほしいな」
「それが余計なことだって言ってんだよ!」
ぶつくさと文句を言いながらもリーズフェルドは席へと着席する。階段状の席から見る教壇は確かに良い位置だ。勉強をする気さえあればだが。
「あ、あの……、リーズフェルド様、ですよね? お隣はアルフレッド王子」
隣にアルフレッドが座った時だった。3人の少女がリーズフェルドに声をかけてきた。一人はオレンジ色の髪を後ろで束ねた少女。もう一人は茶色いボブカットの少女。三人目は黄土色のロングヘアの少女だ。
「あん? 俺か?」
「は、はい。リーズフェルド、様……ですよね?」
ぶっきらぼうなリーズフェルドの返事に、少し戸惑いながらもオレンジ色の髪の少女が再度尋ねた。
「ああ、そうだが」
「ああー! やっぱり! 噂はかねがね聞いております! 凄い! 噂通り――いえ、噂以上ですー!」
オレンジ髪の少女はテンション高めの声を上げている。他の二人も同じようにきゃーきゃーと甲高い声を上げていた。
「誰だ、お前ら?」
当のリーズフェルドはいきなり現れた3人の少女に鬱陶しそうな声で返した。勝手に現れて、勝手にはしゃいでいる。
「あっ! 申し訳ございません。あの、リーズフェルド様が噂以上に綺麗な方だったので、つい興奮してしまいまして」
オレンジ髪の少女が頭を下げて謝罪している。
「別に謝る必要はねえよ。で、何の用だ?」
「はい。申し遅れました。私、バーンズ家の長女で、マチルダ・バーンズと申します。この度はアルフレッド王子とリーズフェルド様と同じ教室になりましたので、ご挨拶をさせていただきたく、やってまいりました」
マチルダと名乗った少女は、制服のスカートを摘み綺麗な挨拶をしてみせた。リーズフェルドには真似のできない所作だ。
「私、メルト家のコーデリアです。この度はアルフレッド王子、リーズフェルド様とご一緒に勉強できることを光栄に思います」
続いて、茶色いボブカットの少女が挨拶をした。こちらもマチルダに負けず劣らず、丁寧な所作で挨拶をしている。
「最後に、私はカーシス家のミラ・カーシスと申します。マチルダとコーデリアとは幼い頃から一緒でした。こうしてアルフレッド様とリーズフェルド様にお会いできて光栄です」
最後にミラと名乗ったのは、黄土色のロングヘアーの少女だ。こちらも礼儀正しく挨拶をしている。
「初めまして、アルフレッド・バルドロードです。丁寧に挨拶してくださり感謝いたします。これからも学友として共に頑張りましょう」
アルフレッドは、柔らかい笑みを浮かべて挨拶を返した。
「わざわざ挨拶しに来たのかよ。そんな堅苦しいことしなくていいぞ」
リーズフェルドとしては、こんな格式ばった挨拶は好みではない。もっとフランクに声をかけてくれればそれで友達だ。
「まあまあ、リーズ。そう言わずにさ。これから一緒に勉強をするクラスメイトなんだから、最初の挨拶くらいはきっちりしておこうよ」
アルフレッドがこの三人の少女をフォローするのには理由があった。まずバーンズ家は大きな商会を持っている。バルト王国でも有数の商会であり、経済会での発言力が大きい。そして、バルド王国の元老院にはメルト家とカーシス家の出身がいる。
そういった理由から、格下の貴族であっても無下にすることはできないという事情があった。
「そっか、まあ、礼を尽くしてくれてるわけだから、こっちも礼で返すのが筋だわな――リーズだ、これからもよろしくな」
リーズフェルドは立ち上がって、笑顔を向けた。
「は、はわあ、は、はいぃッ! はい! よ、よろしくお願いします!」
不意に向けられた笑顔に、マチルダの顔が沸騰したかのように赤くなった。他の二人も同じだ。突然向けられた完成された笑みに、心臓が破裂しそうになっていた。
「あの、すみません。少しよろしいでしょうか?」
そんなやり取りの中、別の声が入ってきた。とても綺麗な声だ。優しくて、儚くて、透き通るような声。リーズフェルドはその声に、どこか懐かしさも感じていた。
(ああ、そうか、この声。風鈴みたいだなって……)
その声に誘われるようにして、リーズフェルドが視線を向けた。そこにいたのは――
「アルフレッド様とリーズフェルド様、ですよね? 初めまして、ソフィアといいます。よろしくお願いします」
銀髪の美少女、ソフィアが優しい微笑みを向けている。
リーズフェルドの心拍数が跳ね上がった。バクバクと心臓が鳴り響き、顔が蒸気機関のように熱くなった。
「――ッ!?」
リーズフェルドは堪らず顔を逸らした。到底直視することなどできない。
(やっべええええ! なんで、ソフィアがここにいんだよ! ってか、めっちゃ可愛いいいいぃぃぃ! 間近で見たらこんなに可愛いのかよ! 声、やべえええ! 声かわええええ! なんだあの可愛さ! どうする? どうすんだこれ? どうしたらいいんだ?)
ソフィアから顔を逸らしたまま、リーズフェルドの頭がぐわんぐわんと回る。
「君が特待生のソフィアだね。とても優秀だと聞いている。歓迎するよ」
リーズフェルドとは正反対に、アルフレッドは落ち着いた様子で会話をしている。
ソフィアは確かに綺麗な少女だが、アルフレッドにとってはリーズフェルドの方が何倍も美しいと思う。
「ありがとうございます。アルフレッド様」
ソフィアもにこやかに話をするが、リーズフェルドが顔を背けたままだ。一向にソフィアの方を向こうとはしない。
「あの……リーズフェルド様……?」
ソフィアが不思議そうに声をかけると、リーズフェルドはビクッと体を揺らした。
(声があああ、声がぁー! 声が可愛いぃー! 顔を見たいぃぃ! やべええ、見れねえええぇ! なんでだ!? なんで見れねえんだ? 女なら前世でも何人か付き合ってきただろうがよお! ああああああ、分かってんだよ、全然違うって、分かってんだけどよおお! 話をしてみてええええ! 何を話せばいい? 何を話せばいい? 何を話せばいい? 何を話せばいいか分からねえぇぇぇ!)
リーズフェルドの心の中がぐちゃぐちゃに引っ掻き回されている。もはや言語すら怪しくなってきたレベルで収集がつかない。
「どうかなされましたか……?」
再びソフィアがリーズフェルドに声をかけた。
(うがあああ、やべえええ! やべえええ! とにかくやべええええ! クッソおお、アルのやつ、なんであんなに自然に喋れるんだよ! クソが! 顔がいいから、女には苦労しないってか? あああああ、クッソ! 俺だってソフィアと話がしてええよおーーー!)
声にならない心の叫びがリーズフェルドの中で響き渡る。だが、そんな心の声など、ソフィアも周りの者も知る由はない。
「……?」
ソフィアもどう声をかけていいか分からず困惑する。リーズフェルドの様子がおかしいということは分かるが、どうしてそうなっているのかが分からない。
もう一度声をかけるべきか。ソフィアは少し困った顔をしてながらも、顔を背けているリーズフェルドに近寄って――
ガタッ
ソフィアが近づいたことを気配で察知したリーズフェルドは、椅子を跳ね除けて距離を開ける。
「…………」
そして、リーズフェルドは、何も言わないまま、ソフィアの方を見ることなく、その場を立ち去ってしまった。
その様子を周りの生徒たちが見ている。その中心にいるソフィアが困惑の表情を浮かべる。
「私……、何か失礼なことをしてしまったのでしょうか……?」
ソフィアから心配そうな声が漏れた。誰に尋ねるというわけでもないが、何となくアルフレッドの方を見ていた。
「いや、大丈夫だよ。君が心配するようなことはない。すまないね、せっかく挨拶に来てくれたのに……。僕はリーズのところに行ってくるから、少し外させてもらうよ」
アルフレッドはそう言うと、リーズフェルドの後を追って教室を出て行った。