主人公
1
リーズフェルドが前世の記憶を取り戻してから10年。15歳になった春の夜。満月が煌々とベゼルリンク家の屋敷を照らす。
静かに寝息を立てているリーズフェルド。彼女は今夢を見ている。
何の変哲もない、ただの夢だ。誰もいないベゼルリンク家の玄関に立っている。これからどこかに行こうとしていたのか、それとも今帰ってきたところなのか、それすらも定かではない。ただ、玄関にやってきただけの夢。
ガチャリ
突然、両開きの玄関が開いた。今日は、誰か来る予定だったか? それを迎えに来たのか? 夢の中ではそんなことも曖昧な状態。
「やあ、尊。また会ったね」
玄関に入ってきたのは、髪も肌も服も羽も真っ白、全身白ずくめの天使だった。
「……あッ!? お前! 知ってるぞ! あれだろ!」
リーズフェルドはハッとなって、入ってきた天使を指さす。だが、その後の言葉が続かない。
「ハニエルだよ。いい加減覚えてよ」
「ああー! そうだ、ハニエルだ! 美しい自分を愛してるって天使の!」
「愛と美を司る天使、ハニエルだよ! 美しい自分愛してるって、結構イタイ奴じゃないか! そんな覚え方しないでくれよ!」
相変わらず、ちゃんと覚えてくれないリーズフェルドに、ハニエルは不満を抱く。
「お前がいるってことは、夢の中だよな?」
「そうだね」
「やっぱそうか……。何か変だなと思ってたんだ……。それで、何の用だ?」
ぶっきらぼうな態度でリーズフェルドが尋ねる。
「私の要件の前にさ、一つ言わせてほしいんだけど」
「なんだよ?」
「君は本当に綺麗になったね! 深紅の長い髪なんて、真っ直ぐで絹のようじゃないか。切れ長の大きな瞳も整った小顔も、しなやかな手足も、細い腰も、全てが完璧だ! 完全な美を君は体現してるんだ! 美を司る天使としてこれほど嬉しいことはない!」
ハニエルは大げさに手を広げて、15歳になったリーズフェルドを絶賛した。
「俺は、別に嬉しくねえよ……」
前世はゴリマッチョのリーズフェルドとしては、目指している方向が全然違うため、嬉しくともなんともない。
「そうかい? そんなこと言いながら、本当は嬉しいんじゃないの? こんなに綺麗な女性は他にいないよ?」
ハニエルはニヤけた顔で、リーズフェルドの表情を伺う。何ともウザい。
「その綺麗な女が、俺じゃなけりゃ嬉しいんだよ!」
「どうしてだい? これほど美しくなれたんだよ?」
ハニエルが不思議そうな顔をしながら訊ねる。人間なら、美しくなりたいという願望があるはずだ。
「鏡見ながら、自分を口説けんのか? って話だ。どんだけ綺麗でも、この女は俺自身なわけなんだから、付き合うこともできねえだろ」
「確かに、鏡を見ながら、自分を口説いている人がいたら、尋常じゃないレベルで引くね」
「だろ? ――で、わざわざ、そんなことを言いに来たのか?」
少々呆れた顔で、リズフェルドが聞き返した。本来の要件はこんなことではないはずだ。
「そうそう、君があまりにも綺麗になってたから、言わずにはいられなかったけど、本来の目的は、当然別にある!」
「無駄話なんかしてないで、それを早く言えよ!」
「それじゃあ、話をさせてもらうけど――君は、明日からバルド王立ワイズ学院に入学することになってるよね?」
「ああ、そうだな。ずっと学校に行かずに、家庭教師入れて勉強してたけど、今年からは、学校行くことになってんだよ」
「5年前、私が言ったことを覚えているかい?」
「俺が15歳になった年に、破滅の運命が動き出すってやつだろ? 覚えてるぜ。そのために、毎日欠かさず鍛錬してきたんだからよ」
破滅の運命がなくとも、リーズフェルドは鍛錬を欠かすようなことはないのだが、破滅の運命があることで、より一層気合の入った鍛錬を行ってきた。
「この時のために鍛錬してたんだ? 趣味でやってるんだと思ってたけど――まあ、いいや。それよりも、本題は、尊の言う通り、破滅の運命が動き出すのが、この年――もっと細かく言えば、明日だ」
「明日ッ!? 急だなおい!」
いきなりの情報にリーズフェルドが驚きの声を上げる。
「そう、明日、君はバルド王立ワイズ学院に入学する。ワイズ学院は名門学校でね、バルド王国内だけでなく、周辺国からも王族や貴族の留学生がやってくる格式高い学校なんだよ」
「らしいな。俺もベゼルリンク家の人間として、学院は卒業しておかないといけないって言われてよお……。学校は嫌いじゃねえんだけど、勉強は嫌いなんだよな……」
「そうだね、特にベゼルリンク家は王族に次いで、名門貴族だ。その嫡子がワイズ学院を卒業していないなんてことは通らないだろうね」
「俺としてはどうでもいいことなんだけどな……。それで、明日からの学生生活が、どう破滅と関係してくるんだ?」
リーズフェルドは、破滅の運命と学校での生活がどうしても結びつかない。
「さっきも言った通り、ワイズ学院には周辺各国からの留学生も来る。その中に特待生として、平民出身の女子がやって来るんだ」
「特待生か、すげえじゃねえか。俺とは正反対だな」
「その特待生……、ソフィアという名前の少女だ。ソフィアは特別な力を持っているから、平民であるにも関わらず、特待生として貴族の名門学校で学ぶことを許された」
「へえ、頑張ってんだな」
「ああ、かなりの頑張り屋さんだ。ソフィアこそが乙女ゲームの主人公でね、リーズフェルドに破滅の運命をもたらす存在なんだよ」
「……はあッ!? 明日らか同級生になる奴が、破滅の原因ッ!? なんだそれ!? なんでそうなんるんだよ!?」
突然の情報に、リーズフェルドの頭は混乱してしまう。そもそも、ソフィアという少女のことは全然知らない。名前も今初めて聞いた。
「ソフィアが何故、リーズフェルドに破滅をもたらすのか。それは君次第だ! いよいよ、明日からが本番だ。健闘を祈るよ」
ハニエルがそう言ったのを最後に、リーズフェルドが夢から覚める。
「……ったく、自分の言いたいことだけ言って、消えやがって……。何が『健闘を祈る』だ! もっと詳しいこと教えてもらわねえと、どうしようもうねえだろうが……」
リーズフェルドは体を起こして、独り言ちる。ふと窓際に目をやると、カーテンの隙間からは、月光が漏れていた。
窓を開けて、夜風に当たる。混乱した頭を少しでも冷やせればと思ったが、結局のところ明日になってみないと何もわからない。
「……っふ。いいだろ! 前から覚悟してたことだ。やってやろじゃねえか! 破滅の運命だろうがなんだろうが、ぶっ飛ばしてやればいいんだからよお!」
満月に向かって、獣のような笑みを浮かべながら、リーズフェルドは改めて決意を固めた。
2
バルド王立ワイズ学院。バルド王国に住む上級貴族であれば、この学院を卒業することは、高貴な者としての当然の責務であった。逆に、バルド王立ワイズ学院を卒業していないとなると、今後の社交界にも影響が出るほど。
上級貴族だけでなく、中級、下級の貴族であっても、その実力が認められれば、バルド王立ワイズ学院への入学が許可される。中級、下級の貴族としては、貴族社会でのし上がっていくために、必死で勉学に励むことになる。
さらには、勉学だけでなく、魔法や武術においても、高レベルの教育機関でもあるため、周辺各国から、王族や貴族が留学生としてやってくる。超名門学校なのである。
春の陽気な日差しが温かい朝の時間。広大な敷地を有するバルド王立ワイズ学院の正門を、多くの学生たちが登校してきた。
その中でも一際目立つ存在があった。一見して次元が違うと分かる容姿。長く真っ直ぐな深紅の髪は、春風に踊るように、サラサラと流れる。切れ長の大きな瞳と、奇跡のようなバランスで整えられた顔立ち。細くしなやかな手足で、背筋を伸ばし、堂々と歩くその姿は、誰もが目を奪われた。
(今日、この学校に、俺の――リーズフェルドの運命を破滅に追いやる存在が入学してくるはずだ。名前は確か、ソフィアとかいったな……。まずはそいつを探さないと……)
いつになく真剣な表情のリーズフェルドが、周囲に気を張りながら歩いていく。そのため、余計に周囲からは近寄り難い存在と認識されてしまう。
「やあ、おはよう、リーズ。制服似合ってるね」
そんな、別次元に目立っているリーズフェルドに、これまた高レベルで整った顔をしたアルフレッドが声をかけた。15歳になったアルフレッドは、綺麗な顔立ちはそのままに、幼さが抜けて、より一層りりしくなっていた。
「ん? ああ、これか……。制服なんて、誰が着ても同じようなもんだろ」
白い線の入った紺色のブレザーとスカート。インナーは白色のブラウスに、胸元は赤いリボン。まったくもって自分の趣味ではない。
「そんなことないよ。リーズは、よく似合ってる」
爽やかな笑顔でアフルレッドが言うが、当のリーズフェルドは何とも思わない。かれこれ5年の付き合いになるので、アルフレッドもよく分かっているのだが、どうしても諦めきれないものがある。
「別に、どうでもいいことだ……」
「どうかした? 考え事でもしてた?」
いつもと少しだけだが、様子が違うリーズフェルドにアルフレッドが違和感を覚える。少し反応が鈍いような気がした。
「あぁ……、ちょっとな……」
昨日からずっと、ソフィアという名前の子のことを考えている。そもそも、破滅の運命をもたらす者の情報は、ソフィアという名前と平民出身であるということだけだ。周囲を見渡したところで、全員が同じ制服を着ているのだから、誰がソフィアなのか分かるわけもない。
そんなやり取りをしていると――
「まあ、あのお二人、アルフレッド様とリーズフェルド様ですわよ!」
「なんて綺麗な方なのかしら!」
周りの女学生達が騒めき始めた。ただでさえ目立つ容姿をしているのだ。それが二人並ぶとどうしても周りがざわめきだしてしまう。
「おい、あれがリーズフェルド様だと! 噂以上だな!」
「あのアルフレッド様が、熱心になるのも頷けるな」
男子生徒たちも、この二人が一緒にいるところを目撃すると、やはり黙ってはいられない。特にリーズフェルドへの話題が沸騰中だ。
「ここで立ち話もなんだし、講堂に行こうか」
周囲からの視線や話し声を気にしても仕方のないことなのだが、入学初日からここまで注目を浴びるのは想定外だったアルフレッドは、早々に講堂へと行くことを促した。
「ああ、そうだな……。とりあえず入学式か。ええっと、講堂はどこ――」
今は情報が少なすぎる。まずは入学式を済ませて、その後教室に行って、誰がどのクラスになるのか、情報を集めないとどうしようもない。リーズフェルドが講堂の場所を確認しようと、周囲に目を向けた時だった。リーズフェルドの視線は、一人の少女に釘付けになってしまう。
銀髪のセミロングに大きく綺麗な碧眼。白く美しい肌と愛らしい鼻と口。小顔で小柄なその少女が、リーズフェルドの前を通り過ぎた。
一瞬でリーズフェルドの目が奪われた。その少女を一言で表すなら『優しい』だ。特に目が優しい。吸い込まれそうなほどに深く、優しい目をしている。
「お、おい……、アル……」
「どうしたんだい、リーズ?」
リーズフェルドがアルフレッドの肘を、チョイチョイと引っ張った。
「あの子……誰だ!?」
「あの子?」
リーズフェルドの目線の先をアルフレッドが追う。そこには小柄な銀髪の少女がいた。
「ああ、彼女か。確か、特待生だったかな。名前は確か……、ソフィアとかいったっけ。彼女がどうかしたのかい?」
アルフレッドが記憶を探しながら、その少女の名前を告げる。
「お前、なんであの子の名前知ってんだよ!?」
「いや、聞いたのはリーズだよね?」
「いいから、なんで知ってんだって!?」
「先日、入学前に父と一緒に学長に挨拶に来たんだよ。その時、丁度彼女も来ていてね。話はしてないけど、学長から、平民出身の特待生だっていう話を聞いたんだよ」
これは多分、他の女性のことを知っていることに、リーズフェルドが嫉妬しているわけではない。長い付き合いだから、そういうことくらいはアルフレッドには分かる。悲しいけど、分かってしまう。
「めっちゃ、可愛いなあの子!」
リーズフェルドは、去っていくソフィアの後ろ姿を見ながら呟いた。それは意識せず漏れてしまった声だった。
完全にリーズフェルドの好みのタイプだった。というか、前世でもああいうタイプの女の子とは付き合ったことがない。
突然現れた少女が、リーズフェルドの理想を全て上書きしてしまった。
そして、破滅の運命をもたらす者の名前が、ソフィアであることなど、完全に消し飛んでいた。