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転生 1

暖かく優しい風が頬を撫でる。まず最初に感じたことは温もりだった。


「…………ん」


ぼんやりとした視界が徐々に鮮明になると、柔らかな日差しが目に入ってきた。


「……どこだ、ここは……?」


目を覚ました男がゆっくりと上半身を起こす。どうやら寝ていたらしいということに気が付く。だが、今いる場所が全く見当がつかない。


右を見ると一面の花。左を見ても一面の花。正面も同じ、視界に入るのは花、花、花。淡い色の花が多い。空を見上げると雲一つない青空が広がっている。


「なんだ? これ……」


男は訝し気に呟いた。まるで自分には似つかわしくない空間。男は自他ともに認める強面だ。体つきも筋肉質で身長も高い。猛獣のような人間であるため、花とは対極の存在である。


「うっ……。頭が……」


立ち上がろうとした時に酷い頭痛が襲ってきた。金属で殴られたような強烈な鈍痛だ。思わず膝をつきそうになるが何とか立ち上がる。


「誰かいないのか」


男が声を上げるが、返事をするのは微風のみ。人の気配はまるで感じられない。


「誰かいないのかー!」


もう一度大きな声を上げる。だが、結果は同じ。


「なんなんだよこれ……。どこだ、ここ……?」


立ち上げって遠くを見るが、地平線の先まで花が咲き誇っている。まるで果てというものが見えない。ここまでくると逆に不気味だ。


「まるで死後の世界だな……」


「正解だよ」


唐突に聞こえてきた声に、男はハッとなって振り返った。


そこにいたのは美しい女性――いや、男性にも見える。中性的と言えばいいのだろうか。白く長い髪と色素の薄い肌。薄手の白いローブと背中には純白の羽。とにかく、全身が白い。


「……誰だ……てめえ……」


男は背中に嫌な汗を感じていた。理由は、その人間離れした白さや羽があることだけではない。男の後ろから声をかけてきたことだ。男が気配を感じることなく、後ろから声をかけてきたことに驚愕した。


「そう警戒しなくてもいいよ。私の名前はハニエル。愛と美を司る天使だ」


ハニエル名乗った天使は、薄っすらと笑みを浮かべながら答えた。


「天使だあ……? 俺に気配を悟られずに後ろを取った奴だ。警戒するなと言われても、はい分かりましたなんて言えるかよ!」


「まあ、危害を加えるつもりはないっていうのは信じてほしいかな。それよりも、聞きたいことがあるんじゃないのかな?」


ハニエルは微笑を崩さずに話を続けた。


「聞きたいこと……? あっ! そうだ! ここは何処なんだ! 俺は何でこんなところにいる?」


「ここは死後の世界。まあ、その入り口ってところかな。こののまま行けば、君の魂は分解され、新しい魂として生まれ変わるために輪廻の流れに戻っていくことになる」


「あん?」


男ま全く意味が分からず、盛大に疑問符を浮かべている。


「分かりやすく言うと、君はもう死んでいるんだ。それで、もうすぐ君の魂がバラバラになって、新しく――」


「っちょっと待てッ!」


「どうしたのかな?」


「死んだ? 俺が? いやいやいやいや、おかしいだろ! 俺はこうして、ここにいんだろうが!」


言いながらも男は半分理解していた。自分が死んだということが事実かもしれないということを。目の前にある光景が、自分の知っている死後の世界と酷似している。しかも、天使まで現れているのだから、否定するほうが難しい。それでも、感情は全力で否定しようとする。


「君が死んだ理由。思い出せないかい?」


「俺が死んだ理由……」


「そうだ。まず、君の名前を思い出せるかい?」


ハニエルは優しく問いかけてきた。


「俺の名前……俺の名前……? あれ……? 俺の名前って……」


男の声が小さくなる。自分の名前をすぐに出すことができない。それがどうにも気味悪い。


「焦らなくてもいい。ゆっくりと自分の名前を思い出してみて」


「俺の名前……。荒神……。そうだ、荒神だ! 荒神……ええっと……。なんだ? 俺はなんて呼ばれていた……?」


「うん。いい調子だよ。荒神っていう苗字だね。荒神流古武術の道場の跡取りとして生まれてきたのが君だ。両親は、人を思いやり、価値のある人間になってほしいという願いを込めて名前を付けた。その名前を思い出してみて」


「人を思いやり……価値のある人間に……。人を尊い、尊い人間になってほしいって……そう言われて……尊っていう……!? そうだ! 尊だ! 荒神 尊が俺の名前だ!」


名前を思い出した尊が大きな声を張り上げる。まるで今、自分が生を受けたかのような感覚になる。


「そう。尊だ。いい名前だね。それじゃあ、尊。次の質問をするよ」


「あ、ああ……」


「どうして君は死んでしまったのか。それは思い出せるかい?」


ハニエルは変わらず優しい声色で質問をしてきた。


「俺が死んだ理由……。なんだったか……?」


ハニエルの言葉に誘導されて、尊が自身の記憶を辿っていく。さっきまで忘れていた頭痛が今になって痛みが増してきた。


「君の友達が関係していたはずだよ」


ハニエルが静かに言葉を添える。


「俺の友達……。ああ、あいつか。確か闇バイトに手を出して、抜けられなくなったって。それで俺のところこに泣きついてきて、俺も何とかしてやりたくて、手を貸してやることにしたんだったか」


少しずつだが尊の記憶が蘇ってくる。欠けていたパズルのピースが一つずつ嵌っていくように、記憶の輪郭が浮かび上がってくる。


「そうだ、君はその友達を助けることにした。相手は闇バイトを仕切る危険な集団なのにね」


「だからだろ。そんな危ない集団に弱み握らて、逃げることができなくなってたんだ! 俺が助けてやらないで、誰が助けてやれるっていうんだ! 警察も当てにならねえしよ」


尊の声に力が入っていた。そもそも尊は正義感が強く、曲がったことは大嫌いな性格だ。強面で体も大きいから勘違いされやすいが、根は優しいし、面倒見も良い。弱い者の味方だった。


「うん、うん。そうだね。君はそういう人間だ。それはよく知っている」


「それで、あいつが呼び出されたところに俺も行って、何とかあいつを闇バイトから抜け出せるようにしようと、喧嘩をしに行ったんだけど……」


ここで尊のトーンが落ちた。あまり思い出したくない記憶が蘇ってくる。


「友達を人質に取られたんだよね。抵抗しなければ友達を抜けさせてやるって言われて、君は手も足も出なくなった」


言い淀んでいた尊に代わって、ハニエルがことの経緯を話した。


「……ああ、そうだったな……。俺が好き放題殴れらる代わりに、あいつを開放してくれるっていう約束だった……」


続けて尊が話を進めたが、ここで止まってしまう。この先の記憶が全くないからだ。自分が殴られた後にどうなったのかまるで記憶がない。


「君が死んだ理由はそれだよ。君は友達を助けるために、代わりに命を落とすことになった」


ハニエルは微笑のまま答えた。


「……そういうことかよ……」


納得のいった尊はため息交じりに返事をする。妙に頭が痛いのも、闇バイトの半グレども殴られたせいだろう。


「それで、ここからが本題だ」


「ここからが本題? 何が?」


命を落とした理由がはっきりとした今、本題もなにもないのではないかと、尊は不思議そうな顔でハニエルを見る。ハニエルがどこか嬉しそうにしているのも気味悪い。


「さっきも言ったけど、このままだと、君の魂は分解されて、別の新しい魂として生まれ変わるために、輪廻の流れの中に戻されることになる」


「輪廻とかそういうの分かんねえんだけど?」


そもそも無宗教な上に教養もない尊に輪廻がどうとか、魂がどうとか言われてもピンとこない。


「ざっくり言うとだね。このままだと君という存在が消えてしまって、別の何者かになるっていうことさ」


「はあ? 俺が消える? って、ああ、そうか死んだんだったな。そうか、死んだら消えんのか……」


「理解してもらえたかな?」


「理解はしてねえし、納得もしてねえよ……。消えてなくなるなってまっぴらごめんだ。だから、死ぬのが怖いんだなって思っただけだ……」


尊が深く考え込む。今まで死について考えたことなどほとんどなかった。ただ、漠然と死に対する恐怖があっただけだ。だが、消えてなくなると分かって、その恐怖が実体化して、感覚として理解できてしまった。


「それで本題だ。私と取引しないか?」


「取引?」


尊が顔を上げてハニエルを見やる。ニヤけた顔が何となく腹立たしかった。


「私が尊の前に現れた理由は、その死因によるところが大きい」


「どういうことだよ?」


ハニエルの言っていることが分からず、尊は眉間に皺を寄せながら聞き返した。


「私は愛と美を司る天使だ」


「そうなのか?」


「自己紹介の時に話したよね? 愛と美を司るってさ! でだ、私は君の魂に強く惹かれたんだ」


「俺の魂に……?」


ますます分けが分からず、尊は難しい顔になる。


「友達を助けるために、巨悪に立ち向かう正義感。自己犠牲も厭わない高潔さ。君は、その顔に反して、とても気高く美しい魂をしているんだ!」


「ん? 褒められてるのか……?」


なんだろう、小馬鹿にされた気分になりながらも尊は話を聞くことにした。


「このまま、その高尚な魂が消えて別の何かに生まれ変わるのはもったいない! だからこそ、今、私が君の前に現れたんだ!」


声を高らかにハニエルが言う。


「……で、なに?」


「分からないかな? 私が君の魂を貰い受けて、その魂と記憶を残したまま転生をさせてあげようっていうことさ!」


ハニエルは少年のようにキラキラとした笑顔で答えた。


「転生……? 転生って……なんだっけ? 生き返るってことか?」


「生まれ変わるってことだよ! それくらいは教養として知っておいてよ!」


「ああ、そういうことか。で、生まれ変わるってことは……、別の誰かになるってこと、だよな?」


「そうだ。だから取引なんだよ。君には特別に転生先を用意してある。前世の記憶と魂を残したまま、それに転生してほしい」


「転生先を用意してる……? おい、それって日本なんだよな? 生まれ変わるって、外国人になることもあり得るんだよな? 俺は日本がいいぞ!」


尊はここで一つの疑念が浮かんできた。別の誰かっていうのは、どこの国の人なのか。どこの国であろうと同じ人間なのだから、日本人に生まれ変わるとは限らない。


「取引だと言っただろ。どこの国の人間に生まれ変わるのかを選択する権利は君にはない」


「日本じゃないってことか? 仕方ねえ……。とりあえず先を聞かせてくれ。それから考える」


相手は取引と言っている以上、尊の要望の全てに応えるわけではない。逆に言えば、尊の方も内容次第では断れるということだ。


「まず一つ、残念だけど、転生先は君のいた世界じゃない。君のいた世界、つまり地球と呼ばれる惑星がある世界は、主たる神が作り出した最初の世界だ。管理しているのは最上位の天使。私ではその権能は及ばない」


「???」


当然のことながら尊に理解できる話ではない。盛大に疑問符を浮かべている。


「要するに、地球は管轄外ってこと。だから、私の管理する世界に転生をしてもらう」


「宇宙人になるってことかッ!?」


「全然違うから! まあいい。兎に角だ。私の管理する世界。もっと言えば、私が作った世界の人間として生まれ変わってもらいたい」


「お前が作った世界の人間だあ? なんなんだそれ? どんな世界なんだよ?」


話のスケールが大きくなりすぎて、もはや尊にはついていくことができないレベル。とりあえず分かりそうなことだけを聞いて理解しようとする。


「よくぞ聞いてくれた! 私は地球に存在する乙女ゲームが大好きで、その乙女ゲームを具現化させた世界を作ったんだ!」


「はあ? 乙女ゲーム?」


なんか、急にスケールが小さくなった。尊は知らないが乙女ゲームなるものが地球には存在しているらしい。まあ、昔、友達の家でゲームをやったことあるので、色々あるゲームの中の一つなのだろうと理解する。


「そして、君にはその乙女ゲームに登場する悪役キャラクターに転生してもらいたい!」


「おい! 悪役ってなんだよ! 俺の魂は正義の魂じゃねえのかよ!」


ここで尊が異議を申し立てた。自分が品行方正な人間でないことは百も承知だが、それでも悪役に転生するのは聞き捨てならない。


「そう言うと思ったよ。ここからが取引の具体的な内容だ。その悪役キャラクターは、いずれ乙女ゲームの主人公によって破滅の運命を迎えることになる。だが、その悪役が持っているポテンシャルは非常に高くてね。破滅を迎えることがなければ、私の作った世界で偉業を成し遂げることも可能な器なんだよ」


「でも、悪役なんだろ? 破滅して当然だろ」


「そうだね。でも、その悪役が破滅に向かう原因は、その歪んだ魂にあるんだ。強欲で傲慢、嫉妬深く、気に入らないことがあれば憤怒をまき散らす。そんな魂だから、破滅を迎える運命にあるんだ。だけど、その魂が高潔なものになった場合はどうだろう?」


「…………」


尊は答えない。黙ってハニエルの言葉の続きに耳を傾ける。


「君の魂なら、破滅の運命が待っていたとしても乗り切ることができるはずだ。これが取引だ。どうだい、やってくれないか?」


「……魂さえ正義のものなら、破滅を乗り越えて、偉業を成し遂げることができるか……」


「実際に偉業を成し遂げるかどうかは君次第なんだけどね。だけど、その正義の魂は偉業を成し遂げるには十分な素質がある。それは保証しよう。だからこそ、君の魂に惹かれたんだ」


「……このまま消えるか、悪役だけど、俺次第では何とでもなる人間になって、もう一度生きるか……」


「端的に言えばそういうことだね」


尊は深く深呼吸をした。混乱した頭をゆっくりと落ち着かせる。


「それしか選択肢がねえんなら、やるしかねえな。結局、俺は何も成し遂げることもできないまま死んでしまったわけだしよ。もう一度チャンスをくれるって言うなら、悪役でもなんでも転生して、今度こそ大きな何かを成し遂げてやる!」


覚悟は決まった。ここで消えてなくなるより、悪役であろうと、もう一度チャンスをもらうほうが遥かに有益だ。尊ははっきりとした意志をハニエルに示した。


「君ならそう言ってくれると信じていたよ! それじゃあ、さっそくだけど君を転生させる。さあ、私の手を取ってくれ!」


ハニエルの白い手が差し出される。綺麗だがか細い手だ。まるでガラス細工のように壊れてしまいそうな手をしている。


「ああ」


尊はそっとハニエルの手を取った。暖かいとも冷たいとも感じない無機質な手。そんな感想を抱いている最中、尊の視界は白い光に包まれた。


数秒で光が消えると尊の姿も消えていた。


この時、尊には知る由もなかったことだが、人間の性別など天使にとっては器の違いに過ぎない。だから、転生先が男であるのか女であるのか、そんなことはハニエルにとって考慮すべき点はない。天使にとって重要なのは魂だからだ。


こうして、尊の魂はハニエルが作った世界へと旅立った。破滅の運命を背負った悪役令嬢として生まれ変わるために。






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