全部斬ります
エアルリンはお茶をもう一口飲み込み、カップをローテーブルに置いた。
「しっかし、シルティも嚼人にしちゃかなりちっちゃいな。誓って言うが、悪口じゃないぞ? めちゃくちゃかわいいと心底思ってる。駄目元で聞くんだけどさ、うちでメイドとして働かないか?」
「え」
「どうだ? 給料は結構出すぞ?」
「いや、その、すみません、私は狩りが好きなので」
「狩りが好きか。好きならしゃーないな。ちなみにあたしはちっちゃいのが大好きだ。ヒーちゃんもすげーちっちゃくてかわいいだろ」
「ヒーちゃ……えっ……っと。……そ、そうです、ね?」
察するに、ヒーちゃんとはヒースのことだろう。
シルティはエアルリンの右後方に控えるヒースをちらりと見ながら、疑問形で肯定した。
確かに、森人の中でも背が高いエアルリンからすれば、岑人のヒースはかなりちっちゃい。それは純然たる事実である。
しかしそれはそれとして、男性にかわいいと言うのはどうなんだろうか、とシルティは思ったのだ。
男性は強いとか格好いいとか言われることを好む生物である、というのがシルティの認識なのだが。
「恐縮です」
唐突に話題に上げられたヒースは優雅に頭を下げた。特に気にした様子もなく、言われ慣れているような態度だ。
エアルリンは愉快そうに笑いながら手を伸ばし、ローテーブルのクッキーを一度に三枚も摘まみ上げ、口にまるごと放り込んでザクザクと咀嚼。さらに残りのお茶を飲み干して、唇をぺろりと舐める。
シルティが来るまでなにやら仕事をしていたようだから、小腹が空いているのかもしれない。
すぐさまヒースが天峰銅の触手を動かし、お茶のお代わりを注ぐ。
「よし。雑談も済んだところで、仕事の話だ」
「えぁ、はぉ、はい」
シルティは話題の急転換に置いて行かれそうになったが、狩猟者として必死に食いついた。
「エミリアから聞いてると思うけど、鷲蜂が人里近くに巣を作りやがってな。一人、腕を肩から切り落とす羽目になった」
「早めに駆除しなきゃですね」
「おう。住人たちにゃすぐ駆除するから家ん中で大人しくしてろって言いはしたが、あいつらにも生活っつーもんがあるからな」
「急ぎましょう。距離は?」
「こっから歩きで二日半ぐらいんとこだ」
「走ります。私たちなら二日かかりません」
レヴィンの身体ももう随分と成長している。持久力も付いて来たので、長距離走も楽しめるようになってきた。レヴィンの体力に合わせる速度でも半日以上は日程を短縮できるだろう。
「ありがとよ。巣の場所はわかってる。村からちょっと森の中に入ったところ、デカい楢の木の根元だ。あとで簡単な地図も渡す」
「はい」
「巣をぶっ壊すのと、できるだけ多く鷲蜂を殺してくれ。でも無理はするなよ。あいつら、一匹殺すとすげー勢いで集まってくるからな」
鷲蜂の魔法は未だ不明だが、ある分隊が獲物に苦戦していたりすると、周囲にいた分隊が迷うことなく援軍に向かうのがわかっていた。遠方や風上にいた分隊も漏れなく迅速な反応を見せるのである。匂いや音による情報伝達では到底説明がつかない。
また、異常なほど協働が巧みで、一つの荷物を集団で持って空中を飛ぶことすらできるのだとか。
エアルリンはそれらの内容を説明しながら、腕を組んで目を閉じた。
「あたしは、『各個体が取得した情報を距離を超越して即時に群れ全体が共有できる』とか、そんな魔法じゃねーかなって思ってんだ」
「情報……。なるほど」
「だとしたらいろいろと便利な使い方ができると思うんだよなー」
豪邸に住み、さらには使用人まで従えているが、エアルリンはれっきとした魔術研究者だ。
今回の駆除で鷲蜂の死骸を大量に集め、その魔法について研究するつもりらしい。
「じゃあ、できるだけ綺麗に斬りますね」
「おん? いや、そりゃありがたいけど、本当に気にしなくていいぞ。マジでやばい数で襲ってくると思うから、安全第一で頼む。巣を潰し終わったら、状態の良さそうな死骸を〈冬眠胃袋〉に詰められるだけ詰め込んできてくれ」
「はい。……鷲蜂って、巣の中に何匹くらい居るんでしょうか?」
「あーすまん、正確にはわからん。でかい巣なら秋口に五百ぐらいまで増えて、冬になると百以下に減って越冬するって言われてる。ただ今回は、寒くなってんのにむしろ被害は増えてるしな」
「そうですか。……。私は、多い方がいいなぁ……」
「……多い方がいいのか?」
「はい。その方が楽しいので」
シルティは艶っぽく微笑みながら答えた。
対多数の戦いはシルティの大好物である。
普通ならば避けられないようなタイミングの連携を、自らの脳と眼球の性能を振り絞って漏れなく把握し、動きのキレと判断の冴えに任せて無理矢理切り抜けることに、シルティは脳髄が蕩けそうになるほどの快感を覚えるのだ。
「……狩猟者に仕事の手順聞くのもどうかと思うんだけどよ、どうやるつもりなんだ?」
エアルリンはマルリルの勧めでシルティに仕事を依頼している。マルリルが自信を持って紹介する相手なのだから、その能力に問題はないのだろう。だが、エアルリン自身はシルティがどれほどの腕なのか、どういう技能を持っているのか、全く知らない。
マルリルならば、創出した鎧を着て鷲蜂の巣をボコボコにできるが。
このちっちゃくてかわいい嚼人の娘はどういうプランなのだろうか。
「もちろん、全部斬ります!」
心配するエアルリンを余所に、シルティは特に気負いもなく答えた。
「ぜんぶきります? どういう意味だ?」
「群がってくるのを一匹一匹全部刀で斬ります!」
「……え、マジで言ってる? 多分、百匹単位だぞ?」
「マジです。大丈夫ですよ。私、蜂の巣壊すの得意ですから!」
「……つまり、実績があるのかぁ……」
「はい!」
シルティは得意気な顔をして大きく胸を張る。
言葉通り、シルティはノスブラ大陸にいた頃に何度か蜂の巣を壊滅させたことがあった。
魔物の蜂もいたし、魔物でない蜂もいたが、相手が獰猛な真社会性の蜂であるならばシルティ流の蜂退治の手順はそう変わらない。巣にちょっかいを出し、迎撃に出てきた何百匹という蜂を漏れなく全て斬って捨てるだけだ。今回ももちろんそのつもりである。
シルティは自らの愛する刃物たちが鷲蜂の外骨格に歯が立たないとは全く考えていないし、自らの刀捌きが羽虫如きに置き去りにされるとも全く考えていない。
「それにレヴィンの魔法も、蜂みたいな体形の虫とは相性よさそうですから」
「体形?」
尻の先端から生える毒針を武器とする者たちは、それを扱うのに適した身体を持っている。つまり、尻を動かし易い身体だ。
例えば蠍の類で言えば、細長く関節の多い尾部(後腹部)を持ち、真正面からでも背の上を迂回させて針を刺すことができる。
例えば蜂や蟻の類で言えば、胸部と腹部の間が著しく括れているため可動域が広く、敵にしがみ付いたまま身体を大きくくの字に曲げて針を刺すことができる。
鷲蜂もその例に漏れずボンキュッボンな体形をしており、その括れを蠱惑的にくねらせて情熱的に毒針を使ってくるというが……レヴィンにとっては、このウエストこそが格好の狙い目となるだろう。
(※厳密に言うと、蜂の身体の括れている部分は腹部第一節と第二節のあいだです)
「レヴィンなら、蜂のお腹の括れたとこを珀晶で掴んで生け捕りにだってできますよ。ね?」
シルティが同意を求めると、レヴィンは自信ありげに喉を鳴らしつつ頭を擦り付けてきた。望み通り、頭と頬と喉を掻き撫でてやる。
魔法を使い始めた当初から、レヴィンはシルティの放つ投石を魔法『珀晶生成』で防ぐという訓練を勤勉に繰り返してきた。最近では投石の速度もかなり極まっているが、レヴィンが被弾することはほとんどない。両手に十五個ずつの小石を握り込んで一度に投げた時だって、この優秀な妹は漏れなく全てを弾くことができたのだ。
そして、鷲蜂の飛翔はパワフルだが、速度はさほどでもないと聞く。
今のレヴィンならば、襲い来る鷲蜂たちの括れに嵌る輪状の珀晶を生成し、空中に拘束することなど朝飯前だろう。
単純な箱や籠のような形状で囲った場合はおそらく破壊されてしまうと思われるが、ウエストを拘束する輪ならば位置的に大顎も毒針も届かないので、破壊される恐れも少ない。
「掴むって……琥珀豹の魔法ってそんなことできんのか? 見えねーとこには出せないんだろ?」
「はい。でも工夫次第で、輪っかを嵌めるみたいな出し方はできるみたいなんです」
シルティが人差し指を真っ直ぐに伸ばし、レヴィンの顔の前で緩く左右に振る。
意図を察したレヴィンはすぐに魔法を行使した。
その瞬間、シルティの人差し指に黄金色の指輪が嵌り、腕の動きがかくんと止まる。
「おッ……おおおっ! すっげー!」
エアルリンは興奮して勢いよく立ち上がり、ローテーブルの上に身を乗り出してシルティの指輪を凝視した。
「ほぉぉぉ! これが珀晶か! いいな! 綺麗だな! というかあれだよ、あたし琥珀豹の魔法も研究してーんだよ! レヴィンこの仕事終わったらちょっとあたしに協力、いやでも、あたしも時間がねえんだよなぁ! だーくそ! あたしの身体がもう一個あったらいいのによう!」
絹糸のような金の髪を両手でぐしゃぐしゃと掻き回し、盛大な溜息を吐くエアルリン。
シルティは親近感を覚えて笑った。
「私も、身体がもう一つあったらなぁってよく思います」
自分がもう一人いたら自分と思う存分に斬り合えるのになぁ、と日頃から思っているシルティである。




