槐樹のエアルリン
「お待たせしました、フェリス様」
二杯目のお茶を半分ほどまで減らした頃、ヒースが応接室の扉を開くと、間髪入れず一人の女性が飛び込んできた。よほど急いできたのだろう、かなり慌ただしい様子だ。
シルティはそちらへ顔を向け、
(ぅおっわ)
そして、目を大きく見開いた。
(な、え、なん……)
長い手足を持ち、背が高い。
きりりとした切れ長の目。
斜め上に向かって伸びるほっそりとした長い耳介。
森人だ。
それも、マルリルがかつて涙ながらに語った『美人の条件』に、悉くこの上なく一致する森人の女性だ。
(こ、この人、ちょーきれい……)
衝撃的なまでの美女を見て、シルティは内心の動揺を隠せなかった。驚愕の表情を浮かべたまま、つい、まじまじと見てしまう。
虹彩の色は深みのある瑠璃色。明るい金の髪は腰のあたりまで伸ばしており、絹糸のようにするりと滑らか。同色の睫毛もとても長く、切れ長の目と合わせて色気たっぷりだ。磨き上げた真珠のような肌にはシミ一つない。大き過ぎず小さ過ぎずの胸とお尻、そしてきゅっと括れたウエストが、全体のシルエットに素晴らしい凹凸を与えている。
年齢は、二百歳から三百歳ぐらいだろうか。森人の年齢を他種族が推測することは特に難しいので、正確にはわからない。
身長、頭の大きさ、目や口などの位置、耳の長さと角度、腕と脚の長さ、胸やお尻の大きさ。全ての寸法の比率が、バランスが、甘美なほどに整っている。
シルティは機能美以外の美をあまり理解できない残念な娘であるが、それでもなお、彼女の身体には理屈を超えた美しさを感じた。
とにかく、総じて、綺麗過ぎる。
(すっごー……)
綺麗過ぎて、シルティはもはや雄大な絶景を見ているような気持ちになって来た。
この女性がいれば、応接室に高価な調度品などいらないのではないだろうか……などと、感動していたシルティだったが。
「すまんっ! 待たせちまった!」
その声を聞いた瞬間、唖然としてさらに固まった。
いっそ神秘的とも言える美しい外見からは想像もつかない、低く、掠れ切ったハスキーボイスだったのだ。口調のせいもあってか、一瞬、男性だったのかと思ってしまうほど。
だが、薄手のカーディガンの裏からでも確かに存在を主張する乳房がシルティの疑念をはっきりと否定する。
シルティから見ても、とても形のよさそうなおっぱいだ。間違いなく、女性のはず。
「……あんだぁ?」
森人の女性は怪訝そうに眉を顰め、唸るように声を出した。
「森人を初めて見たみてーな顔しやがって。お嬢ちゃん、マルリルの弟子なんだろ?」
「い、いえ、その、すみませ、え? マルリ? ……んンッ!」
困惑を振り払うように咳払いをし、お茶のカップをローテーブルに戻して、シルティは気を取り直す。
「すみません。なんでもありません。確かに、私はマルリル先生の弟子です。お知り合いですか。……あ、森人って大体みんな知り合いなんでしたっけ」
人類種と呼ばれる魔物たちの中でも、森人は個体数が少なく、寿命が長く、そして同族間の移住や交流が非常に盛んだ。
さすがに他の大陸となれば滞りはあるとはいえ、マルリル曰く、サウレド大陸に生きる成年を迎えた森人はほとんど全員が知り合い同士といっても過言ではないらしい。
「おーよ。まあ、マルリルとの付き合いは六年ぐらいだけどな。お嬢ちゃんのこと聞いたのもあいつからだぞ。昨日、ちょっとデートしたんだよ。そん時にな」
「はっ? で、デート?」
「おっと、勘違いさせたらすまん、言葉の綾だ。別に同性の恋人とかじゃないぞ? 友達な、友達」
森人の美女はずかずかという擬音が似合う豪快な足取りで室内を進み、シルティの対面のソファにドスンと腰を下ろす。
エミリアに鷲蜂駆除の話が持ち込まれたのは昨晩だという話だから、この森人の美女はマルリルからシルティの情報を得たその日のうちに『琥珀の台所』へ向かったということか。
「あたしはエアルリン。外向けの名乗りだと槐樹のエアルリンな。ちなみに三百七歳だ。よろしくな、お嬢ちゃ……じゃない、えーと、シルティ・フェリスさん」
「よ、よろしくお願いします」
「それと、琥珀豹の。確か名前はレヴィンさんだったな?」
「はい」
「よろしくな、レヴィンさん。よし。挨拶も済んだところで、雑談の続きだ。ちっちゃくてかわいいよな、マルリル」
「ええ……そん……そうですね?」
その話を続けるのか。というか『ちっちゃくてかわいい』はマルリル本人からすれば悪口なのではないだろうか。シルティはそう思ったが、エアルリンの目がなんとなく怖かったので、この場では同意しておいた。
「あたしの故郷とあいつの故郷はけっこう遠くてさ、アルベニセで初めて会ったんだけど、いやー、心底びっくりしたぜ。こんなにかわいい森人がいるとは! ってな。あたしもそうだけど、森人ってのはみんなヌボーっとでかくていまいちかわいくねーだろ? 森人で一番かわいいのは間違いなくマルリルだ。なっ?」
「はは、は……そう、ですね?」
怒涛の勢いでかわいいかわいいと連呼するエアルリンに、シルティは愛想笑いを返す。
「で、そんなかわいいマルリルが最近弟子を取ったっつーからさ。気になって、ちょっといろいろ聞いたんだよ。あ、もちろん、深い個人情報は聞いてないぞ。マルリルも言わなかったしな。名前と、あと強いってことぐらいだ」
「!」
その言葉を聞いた瞬間、シルティは愛想笑いを消し去り、代わりに輝かんばかりの笑顔を浮かべた。
マルリルはエアルリンに、シルティのことを『強い』と紹介してくれたらしい。あれほどの強者に腕前を認められたのだ。蛮族の戦士にとっては最上の喜びである。
エアルリンはシルティの表情の変化に気付かぬまま、中性的なハスキーボイスで言葉を続けた。
「そしたらそれが、琥珀豹を猟獣にしたっつー最近話題の娘と同じ名前だろ。あんときはびっくりしたわ。でな、元々この駆除はマルリルに頼もうと思ってたんだよ」
「あ、そうなんですか? 確かに、マルリル先生なら楽勝ですよね」
「うん。あいつなら絶対に楽勝だ」
森人以外の生命力を霧散させるという霧白鉄の反則的な特性は、虫の類にも当然のように有効である。
仮にマルリルに鷲蜂の駆除を任せた場合、二人の言うように『楽勝』だ。全身を厳重に覆い隠す鎧を創出してしっかりと着込むだけでいい。
生命力が霧散して強化を失った大顎や毒針で、強靭極まる霧白鉄の装甲を貫けるはずもないのだ。蜂たちの迎撃を全く意に介さず巣をボッコボコに殴って壊せるだろう。
群がってきた個体についても、群がらせたまま放置しておけばいずれ生命力が枯渇して動けなくなるので、あとからゆっくりと止めを刺せる。
「でもまぁ、マルリルがシルティさんに頼んだらどうだって言うもんでな。あいつの紹介なら安心だ。あの娘なら蜂くらい余裕だって笑ってたぐらいだしな」
どうやら今回の仕事は、マルリルが金欠のシルティに譲ってくれたというのが実情のようだ。
エアルリンはそこで一旦言葉を切ると、ローテーブルに置かれていたシュガーポットを左手で持ち上げつつ魔法『光耀焼結』を行使した。創出した小さなティースプーンをシュガーポットに深々と突き刺し、自分のお茶に砂糖を山盛り三杯も落として掻き混ぜる。甘いものが好きらしい。
「で、シルティさんが『琥珀の台所』でよく食ってるっつーのは有名だからさ、デートの終わりに飯食いにいってな、エミリアに伝言を頼んだわけだ。ちなみに、琥珀の蒐集家ってのは本当なのか?」
「いえ全く。一個も持ってません」
シルティは苦笑しながら答えた。
自分が収集するならば、対象は刃物以外あり得ない。
「やっぱりか。琥珀蒐集家が琥珀豹を猟獣にして『琥珀の台所』って、そりゃあさすがに韻を踏みすぎってもんだよな」
「はは。まぁ、レヴィンがいたから『琥珀の台所』に入ったのは本当ですけどね。琥珀には別に興味ないです」
「噂話ってのは面白さが先行すっからなぁ」
エアルリンは愉快そうに笑いながらティースプーンをぽいと投げ捨てた。ティースプーンは空中で朽ちて迅速に崩壊し、跡形も残らない。
「それはそうと。なあ。シルティ、レヴィンって呼び捨てで呼んでいいか?」
「え。……は、はい。どぞ」
「よっしゃ」
「……なんというか、その……ぐいぐい来ますね?」
「おん? そりゃあだってよぉ、嚼人て寿命が短いだろ?」
「……なるほど」
「仲良くなりたくなったらすぐ仲良くならないとな。……すまん、ちょっと飲むわ」
エアルリンは一言断りを入れ、ティーカップを口に運んだ。
音もなく半分ほどを飲み込み、はふぅ、と満足そうに吐息を吐き出す。
「うん、美味い」




