原質支配
「シルティ、ちょっと見てて」
そう声を掛けて湯船から上がったマルリルは、浴槽の縁に腰かけながら魔法を行使し、追加のバゼラードを四本創出した。
最初の一本も含め、一つの鋳型で鋳造したかのように均一な出来栄え。一見するだけではまるで区別がつかない。
相変わらず綺麗なバゼラードだなぁ、とシルティは熱っぽい視線を向けた。
マルリルは合計で五本となったバゼラードを両手に割り振り、左右順番に次々と上へ放り投げる。放物線を描いて落下してきた長短剣の柄を器用に掴み取ると、肘を中心として腕を回し、間髪入れず再度上へと放った。これを滑らかに繰り返す。
くるくると回転しつつ、空中とマルリルの手を往復する五本のバゼラード。
実に見事なトスジャグリングだ。大道芸人たちが交叉投げなどと呼ぶ技術である。
一定の周期と回転で放物線を描くバゼラードを追いかけ、シルティとレヴィンの視線が縦長の楕円を描く。
「お、おお、すごいですね……」
唐突に芸を披露し始めたマルリルに、シルティはしばし困惑していたが。
「あっ。なるほど」
すぐに、その意図を察した。
森人が魔法『光耀焼結』によって創出する霧白鉄は、創出者からある程度離れると速やかに朽ちて崩壊してしまう不安定なもの。マルリルのジャグリングをよく見れば、最高点に達したあたりでバゼラードが醜く黒ずみ始め、しかしマルリルが掴んだ瞬間に再び美しい乳白色に戻っている。
放り投げたバゼラードが崩壊する前に掴み直し、上書きするように光耀を焼き付けているのだろう。
つまりこれは、シルティの精霊の目の訓練とマルリルの手遊びを兼ねたジャグリングなのである。
シルティはすぐに、自身の愛の対象たるバゼラードから、マルリルの手へと視線を移した。
こうして気合いを入れて見ると、なんとなく、魔法と使っている時と使っていない時とでマルリルの手の見え方が違う。
……ような気もする。
いや、やっぱり、気のせいかもしれない……。
「わか……。らない……!」
「景色でも眺めるような感じで、広く見た方がいいかもしれないわよ?」
「広く見る、ですか……んんん……」
唸り声を上げ始めた愛弟子を微笑ましく思いながら、マルリルはほとんど無意識にジャグリングを継続した。
この霧白鉄を用いたジャグリング、実は森人にとっては極めて一般的な手遊びである。大陸を問わず、全ての森人が子供の頃に嗜むものと断言しても決して過言ではない。
というのもこれ、魔法『光耀焼結』を練習をするのにぴったりな動作なのだ。
同じ形のものを寸分違わず複数創出するのも、自分の生み出した霧白鉄が朽ち始める距離と崩壊する時間を把握するのも、身体を動かしながら魔法を行使するのも、消えかけた霧白鉄を精密に上書きするのも、全て森人にとっては必須の技能なのである。
マルリルも幼少期はジャグリングに明け暮れており、今でも五個の交叉投げぐらいであれば朝飯前だった。短時間であれば目を閉じていても熟せるだろう。
そして、魔法を繰り返し行使するという関係上、こうして精霊の目の構築にも流用できる。マルリルが精霊の目を構築する際も同じく、師匠の森人がジャグリングするところを眺めたものだった。
バゼラードを淀みなくひょいひょいと放り投げながら、マルリルは口を開く。
「それから、精霊言語の勉強も進めましょうね。一応、ローザイス王国では四大精霊の四言語を理解できないと、たとえ精霊と契約していても霊術士とは名乗れないことになってるわ」
霊術士の仕事には、精霊術を用いた超常の作業とは別に、不意に遭遇した精霊種との折衝ないし交渉が織り込まれているのが普通だった。
火精霊、風精霊、地精霊、水精霊。四大精霊と呼ばれるこの四種以外にも、精霊種に分類される魔物は数多く存在する。
彼らは種族それぞれで別の言語を使っているが、ほとんどの言語は四言語のうちいずれかとは不思議と類似性を持つため、四言語さえ修めていれば大抵の精霊とはギリギリで意思疎通が可能なのだ。そのため、霊術士は最低でも四言語を理解できることが求められる。
「……まあ、それで誰かを取り締まったって話は私も聞いたことないけれどね」
マルリルが苦笑を漏らした。
精霊言語の習得状況を調べるためには、霊覚器(精霊の耳)の構築と四言語の深い知識が必要だ。取り締まる役人側にもそんな人材は多くない。野放しになっているというのが実情である。
「とりあえず、あなたは水精霊特化でいいわよね?」
「はい。今のところ、霊術士を名乗るつもりもないですし」
霊術士としての仕事を請け負うならばともかく、シルティにその予定はない。
「そうね。あまり時間が開き過ぎると忘れちゃうでしょうから、半月に一回くらいの頻度でどうかしら?」
「わかりました」
「もし水精霊の言語を勉強し終わって、それでも時間が余ったら他の精霊の言葉も勉強しましょうか」
マルリルの言葉を聞き、シルティが輝かんばかりの笑顔を浮かべる。
「いいんですか!? 嬉しいっ! ぜひお願いします! 実は私、雷を使いたいんですよね!」
「か、……かみなり?」
シルティの言葉を聞き、マルリルはぎょっとしたように目を真ん丸に見開いた。継続していたジャグリングが僅かに乱れる。
「……もしかして、単独の『原質支配』を目指すつもりなの?」
「はいっ!」
「……しかも雷って……それ、水精霊関係ないわよ? 精霊三種と契約するの?」
「せっかく先生に会えて霊覚器を構築できたんですから、目指すは四大精霊制覇ですよ!」
両の拳を握り締め、シルティが轟々と気炎を吐く。
「海から〈虹石火〉を引き上げたら、死ぬまでに必ずやってみせます!」
マルリルは弟子に対して心からの尊敬を抱き、朗らかに笑った。
「……あなたって本当に、志が高いわね」
原質支配。
二種の精霊種を協調させること、もしくはそれによって実現可能な超常現象を指す呼称だ。
本来は馴れ合わない異種族同士の共同作業となるためか、単一の精霊種が魔法を使うよりも影響を及ぼせる範囲は著しく狭くなる。だがしかし、原質支配は単一精霊の魔法に比べ、より本質的な超常を引き起こすことが可能だった。
かつてシルティが当てにしていた水中での呼吸の確保、これもまた原質支配の一種である。
水精霊と風精霊。彼らの仲を取り持ち、二種の魔法を緻密に重ねれば、形なき流体を強固に支配することができるのだ。
魔法『冷湿掌握』と魔法『熱湿掌握』とを相乗させれば、流体をちょっとばかり押し退けて空隙を生み出すことなど、まさに赤子の手を捻るように容易い。たとえそれが、想像もつかないほど膨大な水を湛える大海の底であっても、である。
他にも、水と風の原質支配では水を練り固めて敵を一方的に掴んだり、陸上に限りなく空気の薄い領域を作り出して獲物を包み込み、窒息させることも可能だとか。
一方、シルティが言及した『雷』は、火精霊と風精霊による原質支配の一種だ。彼らの仲を取り持ち、二種の魔法を緻密に重ねれば、重さなき熱を強固に支配することができる。
最も有名な火と風の原質支配は、金属をとろりと溶融させるほどの青い灼熱を燃料もなく生み出すというもの。冶金や鍛冶を生業とする者たちからすれば垂涎の超常である。
そして、さらに繊細で高度な仕事として、瞬きの間に大気を貫き奔る白熱……つまり、雷を発することができるというのも、非常に有名な話だった。
「んふふ。私、雷で死にかけたことがあるんですよね。ほぼ直撃しまして」
「……。よく無事だったわね……」
「素直に死ぬかと思いました!」
「……なんで嬉しそうなのかしら」
「滅多に経験できることじゃありませんから!」
シルティは幸運にも落雷を体験したことがある。九歳の頃のある日に俄か雨に遭い、木の下で雨宿りをしていたところ、頼りにしていた木に雷が落ちたのだ。
音もなく目の前がカッと真っ白に染まったと思った瞬間、全身を貫かれたとしか表現のできない衝撃を受け、シルティはその場に頽れた。即死はおろか気絶すらしなかったのはまさしく奇跡と言っていいだろう。頭頂から両脚の爪先までの皮膚と筋肉が万遍なく引き裂かれ、そしてその割れ目が乾燥しながら沸騰するような、えも言われぬ熱い感触。鼓膜が破れたのか耳鳴りが止まず、目も焼けたのか視界は暗くなり、当然のように身体も動かせない。
しばし、呼吸すらも止まった。
本当に、死ぬかと思ったものだ。
だが同時に、この天空はなんて素晴らしい攻撃方法を持っているんだと、心の底から感動した。
「そのあとに、火精霊と風精霊が協調したら雷を出せるって聞いて。ずーっと憧れてたんです」
無邪気な笑顔を浮かべながら、シルティは語り続ける。
シルティが精霊術および原質支配の存在を知ったのは十一歳の頃。先達が語り聞かせてくれた自伝的な叙事詩『かつて俺の出会った猛者たち』の中だった。バイロン・ヘイズという名の彼は、シルティと同様に十二歳の頃に技量優秀者として認められ、遍歴の旅に出発し、十五年の月日を経て無事に帰還した勇者である。
バイロンは旅の途中で様々な猛者と斬り合い、時には負け、時には勝利を収めてきた。
その数多の猛者たちの中でも特に強かった相手が、火精霊と風精霊、二種の精霊と契約を結んだ鉱人の男だったという。
さすがに天より地へ落ちる自然雷とは比較にならないほど小規模だが、それでも充分な殺傷能力を備えていた。
瞬きの間に敵まで到達し、さらには数多くの物質を侵して伝わる迅雷は、殺しの技としてはまさに最高峰のものだった。
あいつは俺の剣をその分厚い筋肉で受け止め、自分の身体ごと、俺を焼いてくれた。
バイロンはまるで恋焦がれる乙女の如く、熱を込め、長々と語ってくれた。
先達の勇者からそんなことを楽しそうに刷り込まれては、蛮族の童女が雷に強い憧れを抱くようになってしまうのも無理からぬことである。
「……まあ、あなたなら、本当に制覇できちゃうかもしれないわね」
マルリルは微笑んだ。
複数の精霊種と契約できる幸運な人物などそうはいない。千年の寿命を持つ森人ですらそこまで至る者は稀だ。寿命の短い嚼人ともなれば尚更である。原質支配についても、普通は一種類ずつ契約した霊術士二名が協力することで実現するものだ。
だがシルティは、四大精霊全てと契約してみせると宣言した。
ならば、精霊術の先生としてできることはただ一つ。
「それじゃあ、ますます早く覚えなきゃね?」
「はいっ」
「それはそれとしまして。あの、マルリル先生。……我儘言っていいですか」
「……内容によるわね。なにかしら?」
「その綺麗なバゼラード、ちょっとだけ握らせて貰えませんか?」
「……これ、私が近くに居ないとすぐ消えちゃうわよ?」
「つまり私がマルリル先生に抱き着いてたら大丈夫ってことですよね!」
「いやまぁそうだけども……だ、抱き着くの? 私に?」
「どうかお願いします! 初めて会ったときからずっと綺麗だなって思ってたんです!」
「その……」
「あとその、もしよかったら霧白鉄を食べてみたいんですけど、だめでしょうか。私、霧白鉄も輝黒鉄も食べたことなくて」
「え、ええ……」
バゼラードはとても美しく、そして霧白鉄はとてつもなく苦かった。




