シルティは見た
削磨狐狩りを開始した日から数えて十日目、昼の終わり頃。
シルティとレヴィンは六匹目の削磨狐を発見した。
四匹目五匹目と同様の作戦で、レヴィンが囮役を担う。
削磨狐の縄張りを堂々を歩き、見つかったら挑発。襲ってきたところに霧状珀晶を展開、目を潰す。面食らって跳び退いたらその足元へさらに珀晶を生成。体勢を整える暇を与えず絶え間なく珀晶を生成し、動きを止める。力不足を痛感したレヴィンは嫌がらせに徹し、決して深追いしなかった。業を煮やした削磨狐が致命的な隙を晒したところに、シルティが横合いから一瞬のうちに踏み込み、右袈裟の一撃。首を落とす。
シルティたちは目標数を達成した。
「んむむ……? これは、どう見ても……」
削磨狐の頭部を検分しながら、シルティは疑念を漏らす。
閉じられた瞼を指先で持ち上げれば、そこには完全に潰れた眼球が。さらに、鼻腔からも出血がある。四匹目と五匹目に喰らわせた時よりも明らかに深刻な損傷具合。
これはつまり、霧を構成する珀晶がより硬くなっているということ。
珀晶の強靭さは、琥珀豹の生命力の多寡および密度と、珀晶自体の体積に強く依存する。前者については肉体の成長や健康状態によるものなので、一朝一夕で大きく変化するような要素ではない。
となれば、この攻撃力の変化は後者、体積の大小によるものだろう。
シルティは空中に固定された霧状珀晶に目を向けた。
削磨狐が突っ込んだ部分の珀晶は破損して消滅しているが、まだ多くが残っている。
陽光を浴びて黄金色を呈する霧。今までと、見え方が違う。
自然に発生する霧のような均一なぼやけ方ではなく、純度の高い透明な繊維石膏などが示す絹糸光沢のような、明確な方向性を持つ平行なぼやけ方だ。
「針かぁ……」
シルティの呟きを聞き、鼻息を吐き出すレヴィン。どうやら正解らしい。
レヴィンは、霧を構成する個々の珀晶を単純な粒子から短針形に変更することで、霧状珀晶の強度を改善しようと企んだのだ。見れば睫毛ほどのごく短い針だが、それでも粒子と比べれば数十倍の体積を持つ。強度は桁違いに向上する。
難点を言えば、粒子に比べれば目視しやすいことと、攻撃性能を十全に発揮できる方向が限定されることか。
単純な粒子に比べればどうしても看破されやすくなるし、相手の動線に対してぴったりと平行に針を並べなければ攻撃力が著しく落ちる。
要するに、レヴィンの腕の見せ所だ。
「ほんと……いや、ほんとに……ほんっとに凄いな、レヴィン……」
シルティはもはや称賛の声しか出せなかった。
更なる高みを目指し創意工夫を欠かさない、まさしく戦士の鑑である。
◆
港湾都市アルベニセを発った日から数えて十七日目、夕方のはじめ頃。
シルティたちは無事にアルベニセへと戻ってきた。
重種馬ルジェアの牽引する馬車には〈冬眠胃袋〉に包まれた五匹の削磨狐が積載され、そしてシルティが背負う〈冬眠胃袋〉にも削磨狐が一匹。二十日足らずの期間で得たにしては充分すぎるほどの成果だ。荷運び業者コンラッド・フィンチに運搬料金を支払ったうえで大幅に大幅な黒字である。
シルティは西門で女衛兵ルビア・エンゲレンに出迎えられ、削磨狐六匹分の税金を納めつつ、ついでにこっそりにお土産の林檎ジャムを渡した。
衛兵としてこういったものは受け取れないんだよなぁ、などと嘯きつつ、ルビアはいそいそと懐に仕舞い込んだ。
軽く談笑しながら、赤罅山の削磨狐が狐粉による目潰しという凶悪な手段を用いてきたことを報告する。
ルビアはシルティの報告内容を神妙な顔でメモし、近日中に広めると約束してくれた。
そうして、都市内へ。
この都市での狩猟者の仕事は、各所食事処の掲示板に貼り付けられた紙片を元に魔物を狩り、依頼者である魔術研究者に死骸を直接持ち込むという流れが一般的だ。
望みの魔物が納入された際は、依頼者が紙片を剥がして回るのだが、狩猟者が掲示板を見るタイミングによっては重複が発生し、一匹だけ欲しいところに二匹三匹と持ち込まれることもある。研究者の予算も無限ではないため早い者勝ちが原則で、後から持ち込まれた方は余裕がなければ買い取って貰えない。
実際、シルティが蒼猩猩を狩っていた頃は何度か先を越されたことがあった。
まぁ、今回の削磨狐はとても人気のない魔物なので、全く問題は無いのだが。
コンラッドと連れ立って、事前に記憶していた各地の魔術研究所を訪問し、削磨狐を納入していく。
西門からほど近い『グローヴァー魔術研究所』に一匹、『ランプリング魔術研究所』に一匹、大通りを進んで中央部付近の『ウォルポール魔術研究所』に一匹。
重複など発生するわけもなく、売買はスムーズに進んだ。研究所の職員たちは予想外の納入に大いに喜び、今度こそ魔法『弥磨尻尾』を再現してみせると息巻いている。なお、二度目に訪れた『ランプリング研究所』の職員は紙片を貼り出したことを忘れていた。紙片を貼ったのが半年以上も前だというから仕方がない。
六か所の魔術研究所を回り終える頃には空は暗くなっていた。仕事終わりにはちょうどいい時間だ。
星と月の灯の下で、シルティはコンラッドと握手をする。
無事に六匹の削磨狐を狩り、全て捌き切った。運搬料金も支払い済み。
これにて、今回の契約は終わりだ。
「ほんとに助かりました。ありがとうございます」
「こっちこそ、美味え仕事だったぜ」
コンラッドとルジェアがいなければ、シルティたちが狩れるのは一度に一匹の削磨狐だけ。六匹狩ろうとすれば赤罅山とアルベニセを六往復しなければならないのだ。片道三日ほどかかることを考えると、この上なく順調に進んだとしても五十日から六十日ぐらいは必要になる。現実的に考えれば七十日。効率が段違いだ。
一方でコンラッドも、ルジェアと遊んで貰ったり、シルティやレヴィンが狩った小動物を食事として分けて貰ったり、貴重な狐粉を使わせて貰ったりと、実に気分の良い日々を過ごせた。
お互い、とても割のいい仕事だったと言えるだろう。
「ルジェアちゃんも、助かったよ。レヴィンに付き合ってくれてありがとね」
シルティがルジェアの首筋を撫でると、ルジェアはプルるヒンと可愛らしく嘶き、頬擦りをしてきた。可愛い。
その前肢付近では、話題に上げられたレヴィンが三つ指座りをし、ルジェアの胸元を……いや、彼女の逞しい上腕頭筋や僧帽筋を見上げている。
とても熱い視線だ。
出会った当初から、レヴィンはルジェアに興味津々だった。山麓の集落にいる間も、纏わり付くように身体中の匂いを入念に嗅ぎ回っていたり。前肢の手根伸筋や腹部の深胸筋など、低位置の筋肉をザリザリと愛おしげに舐め回していたり。率直に言ってかなり無礼な態度だった。
都度それを窘めてルジェアに謝罪しながら、もしかして食欲由来の興味なのではないかとシルティは戦々恐々としていたのだが。
どうやらこの行動は、逞しい筋肉への羨望の表れらしい。
レヴィンは、筋骨隆々になりたいのだ。
現在のレヴィンは筋肉と筋力を強く信奉している。おそらく、蒼猩猩に鉤爪が通らなかったあの日から始まった信奉だろう。
死に別れた親豹や、あわや食われかけた恐鰐竜を除けば、レヴィンがこれまで出会った中で最も筋骨隆々な生物がルジェアである。皮膚の表面にくっきりと影を作るムッキムキの筋肉に、ついつい、触りたくなってしまうらしい。
そんなに焦らなくてもすぐに筋骨隆々になるし爪も牙も鋭くなるよ、とシルティは内心では思っていたが、筋肉信奉をやめさせるつもりは全くなく、むしろ推奨した。
あんな風になりたい、こんな力が欲しい、こういう戦い方をしたい、そういった願望は戦士にとって非常に大切なもの。いわば強みの種子だ。それをしっかりと抱いたまま身体を虐め鍛えていけば、願望はいずれ確固たる自信として花咲き、その身に生命力の作用を齎すのである。
レヴィンのスキンシップが悪戯心などではなく無垢な憧憬から来るものと理解したのか、今ではルジェアも穏やかに幼少の豹を受け入れている。シルティとしてはもうルジェアには頭が上がらない心境であり、赤罅山の麓の集落でも頻繁に林檎を差し入れしていた。
「それじゃあな、嬢ちゃん。今後ともご贔屓に。森ん中はちょっと無理だが、馬車で行けるとこならどこでも付いてくからよ」
「はい。ありがとうございます。またお願いしますね」
シルティはコンラッドとルジェアを見送ったあと、レヴィンを連れて公衆浴場へ向かう。
久しぶりの入浴を前に、レヴィンはご機嫌だった。
◆
入浴を終えたシルティたちが『頬擦亭』に辿り着く頃にはすでに周囲は真っ暗だった。微かな星明りも背の高い建物に遮られ、頼りない。
『頬擦亭』の内部も灯が落ちている。女主人エキナセア・アストレイリスも既に眠っているだろう。
シルティは『頬擦亭』の宿泊者に渡される合鍵を用いて裏口から静かに侵入。レヴィンには隠密を指示し、こそこそと自室へ向かう。
廊下をそろりそろりと忍び足で渡っている、その時。
シルティの耳が小さな音を捉えた。
「……やん、もぅ……かゎいいんだからぁ……」
くすくすと笑うような響き。囁くような声量だが、聞き覚えのある声だ。
(おっと。エキナセアさんまだ起きてたんだ)
シルティは知っている。エキナセアは動物を可愛がるとき、こんな猫撫で声になるということを。
宿泊客の誰かの猟獣と戯れているのかな、とシルティは声の方向へ目を向け、そして。
(……んあ……)
シルティは見た。見てしまった。
灯りの落ちた『頬擦亭』の正面広間、その隅っこで。
頬擦亭の宿泊客ネオリ・ラウレイリスとエキナセアが寄り添い、イチャイチャしていた。
二人の岑人はくすくすと笑いながら、さらに自分たちの身体から伸ばした天峰銅の触手を盛大に絡ませ合い、一部を同化させていた。
(おぁ……)
シルティは動きと息を完全に止め、全力で気配を殺す。
こちらに気付かれたら、気まずいなんてものではない。
(……まじかぁ……)
シルティは知っている。
岑人にとって、成人した男女がそれぞれの操る天峰銅を同化させるというのは……かなり性的なコミュニケーションだということを。
エキナセアは、まだわかる。彼女はシルティからすれば幼くも見えるその外見とは裏腹にやたらと色っぽく、か細い肌着を愛用していたり、太腿や肩を晒す服装を好んだりと、そういうことにも積極的な雰囲気があった。
だが、ネオリは意外過ぎる。普段のネオリはとても寡黙で真面目な男だ。正直、蕩けた表情を浮かべ、エキナセアに甘い言葉を囁いている今の彼と同一人物とは思えない。
「……もー、えっち……」
エキナセアの発する嬌声一歩手前の艶っぽい囁きが、薄暗い『頬擦亭』の正面広間に響く。
(あ、やっぱりあれってえっちな事なんだ……全然わからないけど……)
岑人にとっては性的なコミュニケーションでも、嚼人のシルティには全くそう感じられない。
なんというか、珍しい蛞蝓や蛇の交尾を目撃したような、学術的な心境だった。
(見なかったことにしよう……)
シルティはレヴィンに手振りで追従を指示し、忍び足で自室へ向かう。
途中、ネオリの相棒である紅狼のルドルフと出会った。ルドルフは万が一に備え、いつもネオリの部屋の扉の前で眠っているのだ。今も床に身体を伏せ、瞼を閉じている。
しかし、接近するシルティの気配を察知したのか、耳介がぴくりと動いた。
どうやら今は、瞼を閉じているだけで頭は起きているらしい。
主人の逢瀬を見ぬふりをしているようだ。
「……おやすみ、ロロ」
シルティが親近感を込めて囁くと、ルドルフは一度だけ尻尾を振った。




