発注
翌日。
シルティはレヴィンと共に、『ハインドマン革工房』を訪れた。
マルリルより鎧の調達を仰せつかったが、元々、シルティは革職人ジョエル・ハインドマンに鎧を注文する予定だったのだ。予定通りと言えば予定通りである。
鎧の発注費用は雷銀熊の頭三つ分で賄える……はずだったのだが、レヴィンの朋獣認定試験の受験料という嬉しくも予定外の出費があったため、現在の所持金では僅かに足りない。琥珀豹の魔法の新情報に対する謝礼金がどれほどの金額になるかはわからないが、大きな期待はしないでおく。追加で蒼猩猩あたりを何匹か狩る必要があるだろう。
今日はジョエルへのレヴィンの顔見せも兼ねて発注を済ませ、費用のうち何割かを前払い。完成を待つ間に狩りに行く予定だ。
ジョエルの手により、シルティの全身の採寸、筋肉の付き方の確認が行なわれ、最終の打ち合わせに入った。
レヴィンはシルティから離れ、工房に展示されている数々の革製品を興味深そうに眺めている。認定証を取り付けた首輪と同様のものだとわかるのだろうか。
「じゃあ、素材は鬣鱗猪ということでいいかい?」
「はい! よろしくお願いします!」
鬣鱗猪。シルティが鱗猪と仮称していた、あの魔物の名だ。
彼らがその身に宿す魔法は『操鱗聞香』と呼ばれている。鬣鱗猪は、自らの鼻先から尻尾の先まで一列に生えた黄土色の鱗を自発的に剥がし、自由自在に操作することができるのだ。
シルティは殺し合いの最中、これを『獲物を追尾して切り裂く鱗』と予想していたのだが、自動的な追尾ではなく意識的な操作らしい。視界にはあまり依存しない魔法のようで、正確性は落ちるものの、目視せずとも操作は可能だという。
そしてこの鱗には、空間的隔たりを完全に無視する鋭敏な嗅覚が備わっているのだとか。
つまり鬣鱗猪は、自らが操作する鱗付近の匂いを、離れていながら即時的に認識できるのだ。
食性は草食傾向の強い雑食で、夏季になると水分の多い果実を特に好むようになる。彼らはあまり目が良くないうえ、木に登ることも全くできないのだが、飛鱗に備わった超常の嗅覚を利用して樹上から果実を探し出すことができた。果柄をすぱりと切断して地面に落とし、思う存分に貪るのだ。
もちろん、襲いかかったシルティにそうしたように、捕食者に対する防衛手段としてもこの鱗は使われる。超常金属ではないが充分に硬質であり、そのままでも刃物として通用するほど縁が鋭い。
高速で回転させることで切断力を増す、というのは、どうやら本能的に行なっているらしい。
意識的に物体を操作できる魔法というのは、それだけでとても汎用性がある。操作する対象が頑丈かつ鋭利ともなれば尚更だ。
もしやと思い、シルティは蒼猩猩を売却するついでに魔術研究者に確認したことがある。すると、鬣鱗猪の魔術研究は進んでおり、『操鱗聞香』を再現しつつ鎧に組み込むことは不可能ではない、との回答を得ることができた。
ちなみに、鬣鱗猪から作られる魔道具で最も有名なのは〈猪鼻〉と呼ばれる商品である。これは鱗の操作性よりも鱗に備わった遠隔嗅覚を再現することに重きを置いた魔道具であり、鱗を飛ばしたり空中で曲げたりはほとんどできないのだが、使用することで鬣鱗猪に匹敵する鋭敏な嗅覚を一時的に得ることができるというもの。発見することが難しい対象を狙う際の狩猟や採集で使われる、嗅覚の増幅器だ。
シルティはこれまでの人生で二つ、魔道具の鎧を購入したことがある。
一つは遭難時に身に纏っていた跳貂熊の革鎧。
魔法『空跳』を劣化再現し、膨大な生命力を対価に空中を踏むことができた。
もう一つは、その前に装備していた王冠守宮の革鎧。
魔法『攀援肢』を劣化再現し、短期間ではあるが壁や天井を走ることができた。
どちらも、特殊な足場を装備者に与えるものである。
動きのキレと速さを身上とするシルティは、こういった足捌きの選択肢を増やせる装備を好むのだ。
鬣鱗猪の魔法『操鱗聞香』も、使いようによっては空中での足場とすることが可能だろう。事実、シルティが鬣鱗猪と殺し合った際は襲い来る飛鱗を空中で蹴り、反動を利用して跳んでいる。角度が悪くて左足の指を落としてしまったが、次はもっと上手くやれる自信があった。
飛鱗を足場とする場合の懸念は、空中での粘り強さか。魔道具が再現する魔術は、本来の魔法に比べれば性能が劣化してしまうのが普通だ。劣化した『操鱗聞香』でシルティの体重を支えられるかどうかは、使ってみなければわからない。
少なくとも純粋な足場としての使い勝手は、跳貂熊の『空跳』にかなり劣るだろう。
だがシルティは、全く躊躇することなく、この鬣鱗猪を鎧の材料とすることに決めた。
最悪、足場としては使えなくともいい。
なにせ、刃物のように鋭い鱗を、大量に身に纏えるのだ。
超最高である。
想像するだけで興奮してしまうシルティだった。
にまにまと口元を緩めるシルティに、ジョエルは更なる追加説明を行なう。
「鬣鱗猪の鱗は個体と紐付けされてる。別個体の鱗では代用できないってことだね。生きている鬣鱗猪なら生え変わるけど、魔道具の場合、紛失したらどうにもならない。歯抜けになってしまうから、気を付けるように」
「気を付けます。……これって、完全な消耗品でしょうか?」
「いや、ある程度の欠けなら修繕できる。お客さんは身体の再生を促進できるだろう?」
意識的な再生の促進は、武具強化と並ぶ戦士の必須技能だ。
「はい。集中すればなんとか」
「なら大丈夫だ。補修材で埋めて皮膚を再生する要領でやれば、鱗が再生できる。補修材は、鬣鱗猪の脂から作った膠と鱗を削った粉末を練り合わせた塗料だ。別個体の素材から作ったものでも大丈夫だよ」
「よかった……」
傷付くことこそが鎧の仕事だとはいえ、決して安くはない買い物である。できるだけ長く使いたいので、補修の手段があるのはありがたい。
「その補修材って、ハインドマンさんに注文したらいいですか?」
「僕でもいいけど、ヴィンダヴルに注文した方がいいかな。そっちの方が早くて安そうだ」
魔道具専門店『爺の店』の店主ヴィンダヴルは、長生きしているだけあって、この手のコネが太い。ジョエルはあくまで革職人。魔道具系の素材ならば、ヴィンダヴルの方がずっと安く仕入れることができるだろう。
「わかりました!」
「うん。完成まで……そうだな。ひと月、貰えるかい」
「えっ? ひ、ひと月、ですか?」
「まぁ、それぐらいはかかるかな」
「いやその、短すぎでは……?」
「大丈夫だよ」
自分で鎧を作ったことのないシルティでも、鎧を一式仕立て上げるのに一か月というのが短すぎるというのはわかる。シルティがかつて跳貂熊の革鎧を発注した時は、製作に二か月半を要したのだ。
他の仕事を全て後回しにし、最優先で進めなければ無理な日程だろう。
それを察したシルティは、ジョエルに深々と頭を下げた。
「すみません、ありがとうございます……!」
「構わないよ」
遭難という不幸に見舞われながらも、それをおくびにも出さずに逞しく生きていること。自らの作品である半長靴に早くも武具強化を乗せている、つまり身体の延長と見做せるほど愛着を持ってくれていること。そしてなにより、かわいい大姪の友人であること。
いくつかの理由により、ジョエルはシルティを大変好ましい人物だと捉えていた。友人としてルビアと末永く付き合って欲しいと考えており、命に係わる怪我などなるべく負わせたくない。そんな彼女の身体を守る鎧の製作依頼だ、多少優先することに躊躇はなかった。
もちろん、他の仕事も落とすわけにはいかないので、睡眠時間を削ることになるだろう。
「魔道具の注文は久々だからね。僕も楽しみだ」
しかし、ジョエルは素知らぬ顔で頼もしく微笑んだ。
彼は落ち着いた風貌とは裏腹に、かなり格好つけたがりであり、見栄を張りがちな男である。
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
「確かに。いいものを仕上げておくよ」
シルティは料金の七割を前払いし、ジョエルから割符を受け取った。




