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死にゆく獣



(さて……どうしよっかなぁ……)


 頭部を失ったまま立ち竦んでいる蒼猩猩の死骸をじっと見つめながら、シルティは葛藤した。


 シルティには金が必要だ。そして魔物たちの素材――つまり『死骸』には、高値が付くのだ。

 強力な魔法や、有用な魔法を宿す種の死骸は、殊更に高く売れる。


 魔物の死骸の用途は、大まかに分けて三つ。

 食肉用、加工用、そして魔術用だ。三つ目のものが最も大きい。

 『魔術』とは、魔物たちが生まれながらに身に宿す種族固有の『魔法』や、厳しい訓練を積んだ上で幸運に恵まれた結果身に付けることができる『精霊術』といった超常の力を、個人の技量や才能に依存しない外付けの()()で再現しようと試みる学問体系のことである。

 製作される装置によって再現される現象自体も、慣例的に魔術と呼ばれた。


 この魔術の発生源となる装置――『魔道具』は、要するに魔物の肉体の模造品である。

 最も原始的かつ基本的な魔道具は、魔物の身体から切り出した種々の部位を素材として、防腐を始めとする多種多様な処理を施し、()のように組み上げることで完成する。これに外から生命力を注ぎ込むことで、素材となった魔物が宿す魔法を再現できる……ことがあるのだ。

 大抵の場合、魔術の効果は元の魔法(オリジナル)に比べれば劣化版も良い所だが、別種の魔道具を組み合わせて全く新しい現象を構築することも可能であり、その将来性は計り知れない。

 ちなみに、シルティが身に纏っている跳貂熊(とびクズリ)の革鎧も魔道具の一種である。残念ながら現在は破損しており、魔法を再現する機能は失われているが、万全な状態ならば跳貂熊の魔法『空跳(そらはね)』を再現し、膨大な生命力を対価に空中を()()ことができた。

 戦闘用から便利雑貨まで、シルティは他にもいくつかの魔道具を所有していたのだが、既に海の藻屑と化しており、手元にはなに一つ残っていない。


 シルティにはサウレド大陸での細かい相場まではわからないが、蒼猩猩の死骸も、然るべきところへ持ち込めばそれなりの値段で売れるだろう。その身に宿した『停留領域(消音消臭)』の効果を僅かでも再現することができれば狩りの効率は飛躍的に向上するだろうし、再現度が高ければ虫の侵入も防げるのだから、シルティのような狩猟者たちにとってはまさしく垂涎の的のはずだ。


 魔物の死骸を魔道具の素材として売るならば、内臓も毛皮も肉も、まるごと持ち込むのが一番である。

 また、魔道具の素材としてではなく、蒼猩猩はその美しい色合いからシンプルに毛皮製品としても結構な需要があるという。

 交易品として、少数ながらノスブラ大陸へも流れていた。


(……まぁ、持ってはいけないよね)


 だが、今のシルティは人里がどこにあるかもわからない遭難状態である。

 いくら高値で売れそうだからといって、この巨大な死骸を担いで森の中を歩くわけにはいかない。重量的には余裕で背負えるが、戦闘に著しく支障がある。毛皮も、商品価値を保てるほど綺麗に(なめ)すことは到底不可能だろう。であれば、持って行く意義は薄い。


 折角の肉なのでできれば食べたいところだが、それもできない。解体作業はどうやっても血の臭いが強く移ってしまう。そして、血の臭いは獣を惹き寄せる。どんな動物がいるかもわからない森で、それはまずい。

 シルティは強者との全力での戦いを尊び、殺し合いの果ての死を誉れとする道徳の下で生まれ育った蛮族であるが、さすがに現状では強者に出会いたくはなかった。

 なにせ、得物が木刀(木の枝)である。

 これでは本当の意味での全力など出せるはずもない。それでは楽しくない。死ぬとしても悔いが残る。

 せめて付近に水場があれば血の臭いを洗い流せるのだが、今のところ見当たらない。わざわざ入り江にまで引き返すのも躊躇(ためら)われる。


 シルティは溜息を吐きながら、蒼猩猩の死骸を捨て置くことに決めた。

 そうと決まれば早く離れるに限る。解体せずとも既に周囲には濃厚な血の臭いが漂っているのだ。なにが近寄って来るかわかったものではない。

 シルティは気落ちしながらも、速やかに歩みを再開した。

 肉を食えなかった侘しさを紛らわせるために、足元の(した)()えを適当に毟って、口元へ運ぶ。


(おっ? これ、美味しいな。ピリ辛だ)


 予想外に美味しかったので、同じ葉をひと掴みほど採取しておく。

 道中、つまみ食いしながら進むにはぴったりのおやつである。




 シルティがこの場を去ってから、しばらく経ち。

 (サル)同士の戦いを密かに観察していたとある獣が、木の陰からぬっと姿を現した。


 馬鹿げた大きさの四足獣だった。

 頭胴長(とうどうちょう)がシルティの身長の三倍ほどもある。

 黄金にも見える明るい飴色の毛が全身に生えており、黒色の大きな輪のような斑紋模様が、広い間隔でいくつも入っていた。

 大きな顔は比較的丸みを帯びた輪郭で、鼻面は太く、口吻(マズル)は短く、見るからに咬合力には自信がありそうだ。

 上向きに立った漏斗のような耳介は絶え間なく動き、周囲の音を執拗に拾っている。尻からは頭胴長の半分ほどの長い尾が伸び、地面すれすれで揺れていた。

 四肢は太くも長く、肩幅もがっしりと広い、全体的に力強さを感じさせる骨格だ。


 だが、屈強な骨格とは裏腹に。

 その姿は、悲惨の一言だった。

 毛皮の色艶はすこぶる悪く、尻尾に至ってはかなりの割合で毛が抜け落ちている。尋常ではないほどに痩せていて、自らの体重を支えることも難しいのか、頼りなくふらついていた。筋肉が痩せた分、余ってしまった皮膚がだらりと垂れ下がっており、肋骨はつまめそうなほどくっきりと浮き出ている。

 衰弱の原因は、怪我や病ではない。純然たる老いだ。

 魔物に分類される動物は総じて生命力に非常に富んでおり、魔物以外の動物に比べると凄まじく長生きなのだが、限度はある。その個体は、既に種族的平均寿命を遥かに超えていた。

 心臓も肺腑も衰えるばかり。筋力は加速度的に落ち、狩りの成功率も下降の一途。特にこの二か月、老獣はまともな食事にありつけていなかった。このままでは早晩、餓死という最期を迎えるであろう。


 しかし今、新鮮な肉が目の前にある。


 老獣はシルティと蒼猩猩の戦いを全て見ていた。

 戦いの場に居合わせたのは全くの偶然というわけではない。老獣の方が先に樹上の蒼猩猩を発見していたのだ。これを狩りの対象として追跡していたところ、蒼猩猩がシルティを発見して襲いかかり、敢え無く返り討ちにあった、という流れである。

 老獣は嚼人(グラトン)を見るのは初めてだったが、襲ってきた相手を殺し返したにもかかわらず、その肉を一切食すことなく草を咀嚼しながら去っていったことから、嚼人(シルティ)を『蒼猩猩(サル)よりも遥かに強い草食動物』だと誤認した。

 老獣は目を閉じ、この巡り合わせに深く感謝する。

 おかげで、労せず新鮮な食い物にありつけそうだ。


 老獣は立ち往生している蒼猩猩の死骸を注意深く(あらた)め、死骸や周囲をフンフンと嗅ぎ回り、完全に息絶えていることを確認すると、さらに近寄ってその身体を頭で押した。湿り気を帯びた重低音を響かせ、蒼猩猩の死骸が血溜まりに倒れ込む。

 老獣は首の断面に顔を近づけ、口吻から伸びる洞毛(ヒゲ)をピクピクと動かしながら、山吹色(やまぶきいろ)の目を嬉しそうに細める。

 久しぶりの、まともな食事だ。



 久方ぶりの食事を終えた老獣は、重くなった腹を揺らしながら、食事前より随分としっかりとした足取りで来た道を引き返した。

 歩き、歩き、ひたすら歩き、老獣は背の高い草藪に辿り着く。

 中へ分け入ると、そこには老獣をそのまま物凄く小さくしたような幼い獣が一匹。安らかな表情ですやすやと眠っていた。

 それを見た老獣は、気が抜けたようにほっと息を吐く。


 その幼獣は、老獣の血を分けた実の仔であった。

 出産適齢期など途方もなく超える、もはや老齢出産とでも呼ぶべき高齢出産だ。老獣は、奇跡的に授かった最後の仔をこの上なく溺愛していた。

 幼獣に寄り添うように横たわり、鼻の先で優しくつついて起こす。

 眠りから覚めた幼獣は、くああと盛大に口を開けて欠伸を披露したあと、よたよたと頼りない足取りで老獣(母親)の腹に近寄り、乳首を探し出して吸い付いた。

 そして、ケブッケブッと咳き込む。

 かつてない勢いで出てきた母乳に、驚いて()せてしまったらしい。

 母体が酷く飢えていれば母乳は満足には作られない。だが今、出産後では初めて満腹感を覚えるほど血肉を摂取し、長時間の散歩を経たことで、老獣の乳腺は活発に母乳を生産していた。

 老獣は尻尾を器用に使って、幼獣の背中を撫でてやる。

 咳が収まった幼獣は、改めて母乳を貪り飲んだ。


 老獣が愛情たっぷりに我が仔を見つめる。

 その視線には、愛の奥に、隠しきれない諦念がこびりついていた。

 もう間もなく自らの寿命が尽きるであろうことを、老獣は察している。仔を出産した時はもっと体調が良かったのだが、出産後に急激に衰弱が進み、この体たらくになってしまった。


 幼い我が仔を一人前に育て上げる時間など、もう残されてはいない。



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― 新着の感想 ―
[一言] この豹らしきものとどこかで邂逅し子を預かるとかなのかな? 今後が楽しみな作品だ
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