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昇天



 真竜(エウロス)の頭突きに弾かれ、華奢な肉体が宙を舞った。


「こぱッ」


 内圧により唇から飛び出した血と空気の塊が泡を作り、膨張、破裂して微かな音を鳴らす。

 嚼人(グラトン)がその身に宿す『完全摂食』は()()()()()()()体内に取り込んだ万物を無害に消化吸収する恒常魔法。消化器(はらわた)の中に直接(あふ)れた血液はそのままでは消化されないので、場合によってはこうして吐血する。


 その瞬間、シルティは完全に意識を失っていた。

 だがそれでも、彼女は唇をしっかりと閉じた。

 喉から迫り上がってくる吐血の圧を強引に突破。濁った音を鳴らしながら口腔内の血液をゴグンと嚥下。嚼人(グラトン)の生き血という食料を得て、客観的には膨大な、しかし状況的には焼石に水というべき生命力を生産する。


 死にそうな時は飯を食え。

 もっと戦うために飯を食え。

 空気でもいいから飲んで食え。

 シルティは蛮族の継戦理念を血に刻み、肉に刻み、骨に刻み、命に刻んできた。既にその行為は反射に置換されており、たとえ意識を失っていても死にそうならば自動的に嚥下を行なう。


(うっ?)


 嚥下行為と慣れ親しんだ血の味が気付けとなり、シルティは覚醒した。

 揺らぐ視界に飛び込んできたのは、揺らいでいても明らかな、自身の何倍もある暗橙色の巨体。


(んっ!!)


 瞬間、意識を失う直前の記憶が鮮明に蘇り、寝起きの頭に雷鳴のような(かつ)が入った。

 そうだ。ファーヴさんを殺すんだった。

 両手の刃物は放していない。私はまだ生きている。生きているなら生き物を殺せる。

 吹き飛ばされた身体を飛鱗たちの助けを得て制御、右足と視界に違和感を覚えながらも辛うじて天地を正す。

 負傷箇所を認識しなければ再生の促進はできない。

 主観的に世界を止め、求愛にも近い熱烈な視線をファーヴに注ぎながら、シルティは感覚だけで自身を(あらた)めた。


(あ。これ、お腹ないな)


 目が覚めてからどうにも上半身と下半身の正中線が一致しないなとは思っていたが、()もありなん。この感じ。どうやら右の脇腹が半円柱状にごっそりと消滅しているようだ。大玉の林檎(リンゴ)ぐらいならすっぽり収まってしまうだろう空間が出来上がっている。

 凄腕の革職人ジョエル・ハインドマン謹製の革鎧も真竜(エウロス)の角の前には紙切れ同然だったらしい。首を(すく)めるような何気ない動きで()り付けらられただけなのだが、さすがは六肢動物といった破壊力である。


「ファー、ヴっ……は、ぁっ」


 幸いにも脊椎や骨盤は無事のようだが、右肋骨の下から四本が完全に行方不明。横隔膜が結構な範囲で断裂しているらしく、右の肺腑が重力に負けて垂れ下がる感覚があった。

 ありがたいことに肺自体に傷は付いていないようだが、どうにも呼吸が上手くいかない。吸うのはいいが、吐くのができない。咄嗟に背中を丸めて右肘を突っ込み、肺を直接押し上げて呼吸を補助する。


(あー。こりゃひどい)


 肋骨下方に守られていた肝臓も半分近くが消滅していた。無論、肝臓に隣接する腎臓、胃や腸もだ。

 消化器に少々の穴が開く程度の負傷は大抵の魔物にとって軽症の範囲。再生能力に長ける嚼人(グラトン)となれば尚更である。強力な嚼人(グラトン)の個体は身体を(へそ)で上下に分断されても即死はせず、処置が迅速であれば五体満足にまで再生できるほど。

 しかし、この穴は少々、位置が悪かった。

 消化器だけならともかく、横隔膜がやられたことで呼吸機能にも甚大な障害が出ている。蛮族の基準でもそこそこに重傷だ。すぐさま生命力を補給して再生促進に専念すれば間に合うだろうが、今のこの状況では。

 と、ファーヴが動きをぴたりと止め、瞼を閉じて小さく吐息を漏らした。


〝しまった。壊しちゃった〟


 しまった。壊してしまった。

 つまり、手加減を間違えた。

 ファーヴはそう言っている。


「ぶふっ。ふっ、くふっ、ふふふっ……」


 右足の爪先から粘性の血液を(したた)らせながら、蛮族の娘は大きく吹き出し、堪え切れずそのまま笑い出した。

 残存する内臓が重力と腹圧に負け、傷口からでろりと(こぼ)れ出る。肝臓はともかく、腸は長くて絡まりそうだ。シルティは右手の指で引っ掛けた腸をずるりと引き出すと〈銀露(ぎんろ)〉を振るい、足手纏いにならないよう切断した。それをくるくると振り回すようにして小さく丸め、口へ運んで喰らい付く。

 幸いにして、嚼人(グラトン)の腸に内容物は詰まっていない。ぬるぬるでぐにぐにとした食感の、灼熱の生肉だ。

 未処理の臓物(モツ)など決して美味しいものではないが、今のシルティに味覚に気を配る余裕など存在していなかった。

 嬉しい。

 とにかく、嬉しい。


 この殺し合いでファーヴが手加減をしているのはもちろんわかっていた。話に聞く六肢竜の身体能力はこんなものではないし、シルティを積極的に仕留めようとしていない。なにより、彼は〈素質殺し〉を握り、拙い斬撃を主としている。慣れない武器をわざわざ使っている時点で遊びであることは明白だ。真竜(エウロス)が本気で陸上動物を殺そうとするならば、立派な翼で空を飛んで『咆光』を降らせればいいのだから。

 だから、先ほどの言葉が、この上なく嬉しい。

 ()の竜に手加減を間違えさせることができた。

 それはつまり、シルティの動きがファーヴの予想を超えたという証左だ。

 口内の食物を嚥下。戦意と生命力に変換する。


「壊れて、すみません。でも、壊れ切ってはいませんから。手と、頭が……残ってるなら、それで充分、私は刃物」


 ああ、お腹が痛い。

 痛みを友とし糧とする蛮族といえど、神経の集中した腹部を丸ごと削滅(さくめつ)させられればさすがに肉体に影響が出る。

 出血も深刻な問題だった。長年に亘り再生促進を繰り返した人類種は造血能力が自然と向上するとはいえ、さすがにこの量はまずい。一方、ファーヴの方はほとんど無傷。シルティが頑張って斬った傷はどれもすでに完治しており、喉元に斬り込んだ〈永雪〉の切先も筋肉と皮膚に完全に埋まっている。

 それでもなお両目を爛々と輝かせ、シルティは狂気的で親愛に満ちた笑みを浮かべた。

 血に(まみ)れていない部分のなくなった身体を飛鱗たちに支えて貰い、ファーヴの胸の高さに浮かぶ。左手と左足を前に出して半身に構え、右手を側頭部に添える。〈銀露(ぎんろ)〉の切先でファーヴの額を射抜きつつ、屈曲させた右腕と肩甲骨に渾身の力を蓄えた。

 腸を食べて獲得した生命力を、再生促進ではなく身体と武具の強化に費やす。


刃物(わたし)は……死ぬ、れは、斬、斬ら、り……んンッ。斬ります!」


 思考と意識は確かなのだが、呂律(ろれつ)が回らなくなってきた。

 幸いにも相手は魔法『真意真言』をその身に宿す六肢動物、真竜(エウロス)。たとえ乳児が呟く喃語(なんご)のような音の連なりであっても、シルティの求愛を完全に理解してくれるだろう。

 伝えたい内容は単純明快。

 殺したいです。殺されたいです。

 あなたを殺して私も死にます。


〝まあ、付き合ってあげるよ〟


 その時、ファーヴは確かに笑った。


「んふふっ。ありが、と、ございます。……すぅー……ぅぅ……」


 (まぶた)を閉じ、大きく、大きく、息を吸う。

 胸郭が広がり切っても吸気は終わらない。命を燃やして生産した生命力を肺腑に(そそ)ぎ込み、肺胞や血管の破裂を防ぎながら、空気をごくんごくんと飲んでひたすらに詰め込んでいく。

 横隔膜という物質的な制約を失った右の肺腑は際限なく膨張し、胸腔をはみ出して腹腔にまで侵入した。

 ああ、痛い。物凄く痛い。胸と腹に有毒の海栗(ウニ)をたらふく詰め込んだように痛い。

 だが、とてもいい気分だった。

 中身が減ったおかげか、身体が軽い。これほどの血を流しているというのに、全身が燃えるように(とろ)けている。

 ファーヴとの殺し合いでは幾度も生涯最高を更新し、それを真正面から叩き伏せられたが。

 私の暴力の上限は、きっと、こんなものではない。

 吸気を終え、止め、瞼を開く。


【行きます】


 蓄えた空気が勿体ないので、精霊の喉で宣言する。

 対するファーヴは〈素質殺し〉を()()()()()()、それを右の肩部に担ぐように構えた。


〝どうぞ〟


 ああ、本当に、なんて素敵な竜だろう。

 シルティは唇を緩ませ、そして、跳び出した。

 私には飛鱗たちがいる。もはや地面など不要だ。足裏に食い込ませた二枚を全力で踏み締め、ただの一歩で超音速の領域へ突入。加速という過程を完全に省略し、静止状態から最高速度へ瞬時に移行する。

 常人には視認すらできないであろう、瞬間移動に等しい踏み込み。

 だが、六肢竜たちが棲むのはさらに上の速度域だ。


(!)


 ファーヴの重心が滑らかに前へ動く。沈むような踏み込み。

 シルティにはわかる。まだ拙いところはあれど、あれはシルティの動きそのもの。

 どうやら学ばれてしまったようだ。最高に最高である。

 棒立ちの唐竹割りすら超音速に達する真竜(エウロス)の身体。それが多少なりとも剣術の理合に則れば、切先は比喩抜きで天雷(かみなり)の落下に等しい。

 次の機会があれば天雷を斬る自信のあるシルティだが、斬るのと避けるのはまた別である。音速など遥か後方に置き去りにする鈍い斬撃は空中を奔るシルティの正中線を完全に捉えた。


「ぁはっ」


 極限の集中。

 静止した世界の中、それでも馬鹿げた速度で墜落してくる巨大な至金(アダマンタイト)の太刀。左腕を伸ばして〈銀露〉を傾斜させ、切先付近の峰を折れた〈永雪〉の()()で支えた。

 接触。

 脱力。

 喉を緩める。

 巨太刀〈素質殺し〉と直接触れ合った〈銀露〉はその刀身を()()()と削がれ、峰を支えていた〈永雪〉の刀身は縦に引き裂かれた。

 愛する二刃と両腕の骨を砕きながら浸透する衝撃を関節で捕獲。肩甲骨から脊椎に流し、大量の血液を含んだぐずぐずの筋肉と衝撃を同一視して螺旋を描かせる。


 岑人(フロレス)()(けい)すら比較対象になり得ない真竜(エウロス)の膂力。筋骨で保持することも体内で霧散させることも到底不可能な暴力である。その致命的な力流を、シルティは横隔膜を越えるほどに肥大化した肺腑に叩き込んだ。

 そうしようと思っていたわけではない。だが、それは予定調和のように滑らかだった。

 べこりと凹む艶やかな肺腑。呼気に乗せられた衝撃が気管を引き裂きながら流出し、体外へと排出される。


 直後、孤島の砂浜が爆散した。

 ファーヴの巨体すらも覆い隠すような砂塵が朦朦(もうもう)と舞い上がる。人類種ほどもある肉塊が雷の速度で叩き付けられたのだから当然の光景だ。常識的に考えれば嚼人(グラトン)の身体など一滴すら残っていないだろう。

 だが、その煙を貫通して、シルティは跳び出した。


 左肩は大きく抉れ、皮膚が捲れて鎖骨の断面が見えている。右腕も(ひしゃ)げて三分の一ほどの長さになり、皮膚は蛇腹(じゃばら)状に波打っていた。着地に使ったのだろう、左足も関節が三つほど増えている。革鎧や〈冬眠胃袋〉のハーネスは鎧下ごと消し飛び、真っ赤に染まった裸体が惜しげもなく露わに。両足の裏に刺さった四枚こそ今もなお健在だが、上半身に纏っていた八枚の飛鱗は見当たらない。

 それでも、まだ生きている。

 身体を壊しながら熟した受け流しのおかげで、右足と胴体と頭部が命が残っている。


〝お、お〟


 ファーヴが一歩後退した。

 振り下ろした〈素質殺し〉を引き戻し、もう一度、肩に担ぎ直す。その予備動作すら音速の域。再びの唐竹割りを見舞うつもりだ。

 だが、それはよくない。遅い。もはやシルティに回避する術はない。そのまま斬り払うべきだった。

 相手の悪手により僅かに延命された蛮族は砂浜を転がるように跳ねながら、(ひしゃ)げた右腕を前方に伸ばし、爛々と輝く両目で何かを見つめていた。

 声にならない何かを叫ぶ。


にじのぜっあ゙ァア(まだ斬れる)ッ!!」


 かちっ。

 微かな金属音が響いた。


〝あ?〟


 呆気に取られたようなファーヴの真意。

 産まれながらの最強は迂闊(うかつ)にも頸部を(たわ)ませ、音源――自らの足元を視認した。

 瞬間、三枚の飛鱗に握られた輝黒鉄(ガルヴォルン)の太刀が半回転しつつ跳ね上がり、真竜(エウロス)の喉元へと突き立つ。


〝がッ?〟


 美しく昇天する黒輝の剣閃は竜の筋肉に囚われていた銀煌の切先を正確に捉えた。

 真銀(ミスリル)輝黒鉄(ガルヴォルン)に押し込まれ、竜の脊椎に確かに食い込む。


 ファーヴの長くしなやかな尾が波打つように震え、地面を強く叩いた。

 死力の全てを絞り出した蛮族の娘はそのまま転倒し、地面にへばりついて動かなくなった。



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― 新着の感想 ―
手刀という言葉もあるように、自分と飛鱗を刃物としたら もはや四刀流開眼したと言ってもいいのでは、これ
虹石火使うんだろうなとは思ってましたが、とうとう刃物で刃物扱い始めましたわよこの蛮族ちゃんw
もうこんなん相思相愛じゃん… なお相手にとってはただの遊び相手のもよう
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