誠心誠意を込めて正直に
呼び出されたローゼレステは真竜に対し気の毒なほど怯えていたが、真竜が発した〝お前は退屈そうだからどうでもいいよ。精霊なんか食っても腹膨れないし〟という真意により、すぐに冷静さを取り戻した。
何がどう転んでもこの竜は自分を害するつもりがない、ということを理解させられたのだ。真竜自身の思考を一切の損失なく伝達する『真意真言』の説得力はまさしく超常的である。
波打ち際で砂と塩水の混合物をジャリジャリと捕食しつつ、シルティはローゼレステと情報を共有した。
深海の底で無事に家宝を発見したこと。ローゼレステが認識していた通り六肢竜が傍にいて、〈虹石火〉を抱き枕にしていたこと。
それが魔法『真意真言』を宿す真竜だったので返却を交渉したこと。素気無く断られたこと。
力づくで奪おうとしたこと。鎧袖一触に打ちのめされたこと。
気がついたらこの孤島に運ばれていたこと。竜がシルティの凄さを認めてくれたこと。
そして、これからもう一回殺し合うこと。
この孤島はいい感じの広さなので、最高の殺し合いができるだろうこと。
【毛の少ない猿は本当に動物なのか?】
目を爛々と輝かせるシルティに、呆れを通り越して愉快になってきたのか、ローゼレステは笑いの混じった声を響かせた。
意思を持つ生命体ならば『危険を避けて生存する』という本能は当然備えているべきものだ。物質的な肉体を持たぬ精霊種であってもそれは変わらない。
しかしローゼレステが見る限り、シルティは『危険を避ける』本能を完全に喪失しているようにしか思えなかった。それどころか、むしろ大喜びで危険に向かって走り出そうとする。今も、生物の頂点を前にして恐怖など微塵もなく、せっかく奇跡的に拾い上げた命をそのまま六肢竜という超絶的な危険に向かって全力で投げようとしているのだ。
その思考回路を理解しようとするのはとっくに諦めていたが、いよいよ以て理解不能過ぎる。ローゼレステからすると、もはや嚼人は動物かどうかも怪しかった。
全ての嚼人が蛮族というわけではないのだ、と訂正できる者は、残念ながらここには存在しない。
【えー、と? 私、どう見ても、動物……ですよね?】
【……いや、いい。忘れろ。……それで? なぜ私を呼び寄せた?】
【はあ。……えーと、レヴィンがここからどのくらい離れてるか、わかります?】
【ああ。わかる。おおよそ――】
ローゼレステはここに来る前に、レヴィンの〈冬眠胃袋〉の外側に設けられた小ポケットに契約錨を残してきた。ゆえに、レヴィンと現在地の距離も当然把握している。
しかし、それはあくまでローゼレステが主観的に認識しているもの。水精霊たちは計量単位という概念が希薄らしく、『だいたいこんくらい』という非常に曖昧な情報しか伝えてくれないので、人類種たちが定義した距離に換算するのは少し手間がかかる。
【んん。なるほど。かなり遠いですね】
脳内でなんとか換算したところ、どうやらレヴィンは『シルティが立って目視する水平線までの距離』の七倍ほどの位置に居るようだ。
嚼人の平均的な歩数ではおおよそ四万二千歩ほどか。真竜は気絶したシルティを咥えた状態で随分な距離を泳いでくれたらしい。
シルティは視線を真竜に向けた。
【真竜さん】
ジャリジャリと咀嚼を継続しながら精霊の喉で発声する。
魔法『真意真言』による意思疎通に言語は必要ない。これは強制的かつ完全な以心伝心を成立させる魔法である。だからこそ、音によるコミュニケーションを行なうような生態を持たぬ胡麻粒ほどの羽虫であっても真竜は意思疎通ができるのだ。
しかし、言語文化を持つ身としてはやはり言葉を介する方がやりやすいので、シルティはわざわざ水精言語を発していた。
【あなたの『咆光』は、ここから水平線の七倍のところまで届きますか?】
竜の『咆光』は接触する物質を悉く消滅させる破壊の光線だが、流石に無限に空間を直進するわけではない。物質を消滅させることによって緩やかに減衰され、最終的には霧散するとされている。重竜がシルティに向けて放ち両断された『咆光』も、猩猩の森にちょっとした三叉路を作るだけに留まった。
もちろん、六肢竜が放つ『咆光』の規模は四肢竜の比ではないが、しかし、四万二千歩は生半可な距離ではない。
届くのだろうか。
もし届くのならば、次に控えた『陸の上でちゃんとやる殺し合い』の流れ弾でレヴィンが死ぬ可能性がある。
この世界が球形なのは蛮族でも知っている常識だ。レヴィンは素晴らしい反射神経を備えているが、水平線の向こうから海中を貫通して飛んでくる破滅を察知して躱すのはさすがに困難だろう。
〝届かせるだけなら、届かせようと思えば〟
シルティの問いかけに対し、交差させた前肢を枕にしていた真竜は事も無げに答えた。
【んふっ。ふふふっ。いや、さすがですねっ! 最高です!】
ああ。素晴らしい。世界最強種はまさしく世界最強だ。
私もいつかは水平線の向こうを斬れるようになりたい、とシルティは脳を蕩けさせた。
届かせようと思えばという表現からして真竜も毎回その威力で放つわけではないようだが……もしかして、六肢竜が真下に向けて本気で『咆光』をぶっ放したら世界も壊せるのではないだろうか?
世界を壊せる破滅の光線。なんとも心躍る響きだ。是非とも私に撃って欲しい。
文字通り、命を賭けて斬ってみせる。
にまにまと笑いながら、シルティは視線をローゼレステに戻した。
やはり、レヴィンたちにはもう少し離れて貰っておいた方がいいだろう。
【ローゼ。この島の位置、契約錨抜きで覚えられますか?】
水精霊は自らが作り出した契約錨の座標を即時的に認識できるが、シルティの肉体が回復した暁にはここで六肢竜が暴れ回るのだ。明夜には孤島自体が綺麗に消滅している可能性だってある。そうなれば、シルティの持つ契約錨など跡形も残らない。
ローゼレステが確実にこの場所へ戻ってくるためには、契約錨に頼らぬ基準でこの孤島を記憶して貰う必要があった。
【……まあ、おおよその位置ならば】
【ありがとうございます。それじゃすみませんが、レヴィンにあの入り江に戻るよう伝えてください。それから、殺し合いが終わったくらいで迎えに来て欲しいので、えーと……明後日になったらレヴィンをここまで先導してあげてくれますか】
幸いにもシルティが倒れているのは柔らかな砂浜だ。簡単に掻き集められる粒子状の食料がいくらでもある。
全力で再生を促進させて、骨折や脊髄損傷が完治するのが、おそらく明日の昼ごろ。そこから、真竜と殺し合う。
どちらが勝つにせよ、決着に時間はかからないはずだ。一瞬で終わるかもしれない。
入り江を出発する時刻を明後日の朝にすれば、万が一にでもレヴィンたちを殺し合いに巻き込むことはないだろう。
【私が死んでたら、報酬はレヴィンから貰ってください。レヴィンもお酒は冷やせるので】
【レヴィンは私の言葉を解さんのだが】
【そこは、そのー……心苦しいのですが『冷湿掌握』とかで、こう、水の塊で象ったり、動かしたりして……なんとかなりません?】
【……面倒な。期待はするなよ】
【ふふ。そう言いながらも蛮族に根気強く付き合ってくれますからね、ローゼちゃんは】
【なんだお前は。くそ忌々しい】
返ってきた言葉自体は刺々しかったが、なんだかんだでもうそれなりに長い付き合いである。気安さが多分に含まれた憎まれ口であることがシルティにはわかった。思わず食事を中断し、くすくすと笑いを溢してしまう。
【それじゃ、お願いします】
【わかった。……まあ。頑張れ】
【んふふ。頑張らない殺し合いなんてないですよ。動物も植物も、生き物はみんな頑張って殺し合ってます】
【……確かにな】
苦笑の混じったような声を響かせたあと、青虹色の球体は滲むように薄まり、初めから居なかったかのように消えた。
ちょうどその時、レヴィンは腿白鷹との殺し合いを終え、仕留めた猟果で腹ごしらえをしている最中だった。
契約錨が収納されたレヴィンの〈冬眠胃袋〉は戦闘の流れで遥かな海面へと投下されていたため、それを基準として移動したローゼレステは当然のように波間に出現する羽目となり、不意の海水(水精霊からすれば汚水)を浴びて悲鳴を上げた。
想定外のなにかが起きたのだと察したローゼレステは、覚悟せずに浴びてしまった汚物に憔悴しつつも〈冬眠胃袋〉を『冷湿掌握』で持ち上げ、半泣きのような心持ちでレヴィンを探し回ることになった。
◆
ジャリジャリ。
浜に俯せになり、両腕で抱き寄せるように砂を掻き集め、ひたすらに貪り、嚥下していく。
砂。決して美味しいものではない。嚼人は美食を愛する魔物だ。いかに粗食に耐える蛮族といえど、普段ならば早々に嫌気が差していただろう。
しかし今、六肢竜との殺し合いが控えているという事実が最高の調味料となってシルティの味覚を狂わせていた。
妙に美味しい砂だ。
いくらでも食べられる。
ジャリジャリ。
〝それ見たい〟
「ヴェッ?」
唐突に脳に叩き込まれる理解。
突然だったのでつい聞き返してしまったが、魔法『真意真言』のおかげで真竜が何を求めているのかは完全にわかっていた。
「ん、ぐ。……んンッ」
唾液を集めて口内の砂を改めて嚥下し、咳払いを一つ。
【〈永雪〉ですか? いいですよ】
シルティは俯せから仰向けになり、鞘に納めていた〈永雪〉を世界に見せびらかすように抜き放った。我が愛刀ながら本当に美しい。抜くたびに背筋を快感と歓喜が駆け登る。
上身の中ほどに左手を添え、捧げるようにして差し出す。
【どうぞ。まだ動けないので、すみませんが受け取ってください】
〝うん〟
真竜が右前肢を伸ばし、爪の先で〈永雪〉を摘まみ上げた。ゆっくりと眼前に持って行き、しげしげと観察する。縦長の瞳孔は大きく拡がり、細かい鱗に覆われた口唇が少し捲れ上がっていた。
〝うーん。綺麗だ〟
「でっ! すよねッ!!」
愛刀が世界最強に褒められた。
嬉しさが許容限度を一瞬で振り切り、シルティは生命力の補給すら忘れて絶叫気味に賛同する。
〝森人の鉄もいいけど。鉱人の銀もいいね〟
「わかります!」
〝俺、人類種の作るやつの中でも、刀と剣は特に好きなんだよね〟
「死ぬほどわかりますッ!!」
竜の中には人類種の作る工芸品を好む傾向を持った種がいくつか存在するのだが、真竜は特にその傾向が強かった。この個体も例に漏れず工芸品を好むようだが、中でも刀剣を愛好する感性の持ち主らしい。なんだか運命的なものを感じてしまう。
「くふっ。うふふふ。真竜さんは刀を作ったりしないんですか? 至金で!」
幸運にも真竜との交流が叶った人類種が、奇跡的にも彼らに気に入られた場合、魔法『至金創成』により誕生させられた至金を御下賜されることがある。長い人類種の歴史の中でも千に届かぬ程度しか存在しないだろう、国宝級の逸品だ。
ちなみに、港湾都市アルベニセが所属するローザイス王国の王の象徴は至金製の長剣らしい。お目通りしてみたいものである。
〝んー。俺、まだ若いからね〟
「若い……とだめなんですか?」
〝若いやつが人類種のものなんか生み出したら、生意気だと思われるからね〟
「生意気……?」
シルティにはよくわからなかったが、真竜たちにはそういう文化があるのだろうか。
黙って作ったらバレないのでは、と一瞬思ったが、すぐに思い直した。真竜たちには『真意真言』がある。嘘はつけない。
「思わせとけばよくないです? 好きなものは好きなんですから」
真竜が目を細めた。
〝お前は、生意気だね?〟
魔法『真意真言』のおかげで過不足なく伝わって来る。真竜は今、シルティを愉快かつ生意気な馬鹿だと思い、好意と威圧を七三ぐらいの割合で放っている。
シルティは得意げな笑みを返した。
「生意気って思われるのより刃物を愛でられない方が億倍は嫌ですから。私に刃物を愛でるなって言うやつには近付きませんし、あっちから近付いてきたら斬ります」
真竜の巨体がぐらぐらと揺れる。魔法『真意真言』がシルティに強い快意を理解させた。どうやら笑っているらしい。
〝単純でいいね〟
「せっかくだし、真竜さん用の一振り、ここで作ってみませんか?」
血の色に染まったシルティの脳は完全に蕩け切っていた。
刀剣は世界で最高の芸術品である。
六肢竜は世界で最強の動物である。
じゃあ、刀剣を竜が使ってくれたら、最高に最強なんじゃないだろうか。
「誰もが認めざるを得ないようなとびっきりの剣を作ったら、大人の真竜さんたちだって生意気なんて思えないですよ! まあ私が見たいだけですけど!」
シルティは誠心誠意を込めて正直に唆した。
生涯で一度くらいは至金製の刀剣を愛でたい。至金という超常金属の存在を知ったその日から抱き続けているシルティの夢なのだ。
「それで、私を斬ってください!」
さすがのシルティも、至金の剣で斬られることなんて今の今まで考えたこともなかった。
だが、思い至ってしまえば、この上なく最高の死に様に思える。
しかもそれを竜が振るうというのなら、最高に最高が掛け合わさって最高の二乗である。
〝狂ってるね〟
真竜は一頻り笑ったあと、溜め息のように長々と鼻息を吹き出し、右前肢で摘まんだ〈永雪〉を改めて見分して――そして、左前肢の先に、巨大な至金を誕生させた。




