八分の一
昼行性。
鉤状に曲がった鋭い嘴。
屈強な脚部と頑丈な鉤爪。
こういった特徴を持つ肉食性の鳥類のことを、人類種は総じて鷲や鷹と呼ぶようだ。
大きければ鷲で小さければ鷹、と書物では読んだが、レヴィンが実際に遭遇した経験のある種は宵闇鷲ぐらいである。眼前の猛禽たちは果たして鷲と鷹の閾値を超えているのだろうか。宵闇鷲よりはかなり小さいのだが……判断が付かない。
さらに言えば、鷹の中にも鳶やら鵟やら沢鵟やら、特徴によっていろいろと細かい呼び名があるらしい。
もはやなにがなにやら。ちんぷんかんぷんである。
レヴィンはとりあえず、対象を鷹と認識することにした。
猛禽らしいシルエットの猛禽。特徴は、胸と腿の部分が白いことか。
仮称、腿白鷹、としておく。
別に胸白鷹でもいいのだが、もしもシルティなら多分、腿の方を選ぶだろうとレヴィンは判断した。
莫大な速度を生み出すしなやかな両脚は姉の自慢の部位で、逆に膨らんだ柔い胸部はあまり好きではないらしいから。
三つ指座りに近い自然体で頭上を眺める。
狭いところで待つのが嫌だったのと、外壁を突破された場合の猶予を確保するため、この待機用の部屋は可能な限り大きく作ってある。侵入してきた八匹の腿白鷹が天井を悠々と飛べる程度の空間はあった。
自分の頭蓋骨の中を飛んでいるような光景がとても愉快だ。脳内に描く幻像と疑似頭蓋内の光景が重なり、まるで相手が自分の想像通りに動いているような錯覚を覚える。
今からこれを錯覚ではなく事実としよう。
集中。
鈍化する世界で散開した腿白鷹の動きを観察する。
レヴィンを中心として公転するような八つの軌跡。あちらもまだ様子見の段階らしく、包囲した獲物との間合いは一定に保っている。そのうえで、群れの構成員同士の距離が極端に広い。ここまで広がられてしまうとレヴィンが一度に視界に収められるのは五匹か六匹。
どんなに獲物の視野が広くとも一匹二匹は常に視界外に逃れられる、そんな動きだ。
フェリス姉妹は二度、鷲蜂の群れを殲滅した経験がある。だが、どちらの狩りでもレヴィンは安全な距離から狙撃的に捕獲しただけ。事実上、対多数の殺し合いはこれが初めてである。
孤独な殺し合いと未知との殺し合いを二重の初体験だと思ったが、よく考えれば対多数の殺し合いも合わせて三重の初体験だった。
季節外れの鷲蜂を狩ったあの日も。
季節通りの鷲蜂を狩ったあの日も。
蛮族の戦士シルティ・フェリスは、殺気立つ群れの前に身体を晒け出し、包囲網の形成を単純な速度差によって阻止し続け、その上で無数の敵対者の座標を個別に認識し、ただの一度の空振りもなく、悉くを殺し尽くした。
尊敬する姉と同じことは、今の自分にはできない。
だがきっと、自分と同じことも、姉にはできない。
まずは、相手の魔法を確かめなければ。
彼らはレヴィンが見ている前で外壁を擦り抜けるように侵入してきた。場面を切り替えたかのように、気が付いたら中にいたのだ。レヴィンの主観では一瞬消えたようにも思えるほど。あれほど滑らかに障害物を無視して移動できるのであれば、陸の生物を獲物とする肉食の飛行動物にとってはこれ以上ないほどに有用な魔法だろう。
だとすれば、レヴィンがどれだけ強固な拘束具を生成しても彼らを捕らえることはできない。それどころか、咬もうが引っ掻こうが擦り抜けられてしまうのではないだろうか。
ああ。早くこの爪牙を形相切断に至らせなければ。レヴィンは未熟な我が身を憂いて歯噛みした。
しかしだ。
最初、腿白鷹たちは飛行したまま何度も蹴りを繰り出し、待機部屋の外壁に鉤爪を突き立てようとしていた。あの光景の意味するところはなんだろうか。
直感的には、まずは強引に外壁を突破しようとしたが、レヴィンの強化の前に爪が立たず、次善の策として仕方なく擦り抜けて来たように思える。
擦り抜ける魔法を行使するまでにある程度の準備時間が必要なのか、あるいは、単純に生命力の消費が激しいため乱用したくないのか。なんにせよ、全くの無意味ではないのではないだろうか。
瞬時に思考を巡らせたレヴィンは丁寧に瞬きをした。
試してみよう。
最も近い一匹と、その死角を補うように飛ぶ一匹を同時に注視。魔法『珀晶生成』を行使し、それぞれの両脚を輪で括る。
狙いは踵から趾までの『跗蹠』と呼ばれる部位だ。敢えて緩めに、しかし趾は確実に引っ掛かるように、そんな寸法で生成した。輪と輪を太い茎で繋げることで体積は充分に確保。地味ながら表層の構造を工夫し、淡い斑点模様を付けて遠隔強化の感覚も養う。
羽ばたきの音が変わった。
空気を滑らかに裂くものから、空気をがむしゃらに孕むものへと。
濁音混じりの呼子笛のような悲鳴が上がる。血抜きのために逆さ吊りにされた鶏のようにバタバタと翼を動かし、しかし、空中に固定された輪から抜け出すことはできない。蹴りは封じられ、嘴も楽には届かぬ体勢、独力で足枷を破壊することは難しいだろう。
捕らえた。捕らえられた。拍子抜けするほどあっさりと。
が、その直後、二匹の腿白鷹はほぼ同時に自由を取り戻した。
レヴィンの洞毛がぴくりと跳ねる。
速い。
腿白鷲の飛翔速度は、今のところ、それほど速いとは言えない。もちろん陸上動物の走行速度と比べれば全体的に高速だが、レヴィンの種族的動体視力と鍛え上げた時間の分解能を以てすれば、充分に鈍いと表現できる程度である。
だが、擦り抜ける動作、これだけが超常的に速い。
集中して観察していたにも拘らず、レヴィンは腿白鷹が輪を抜け出す瞬間を捉えられなかった。気が付いたら自由になっていた、そうとしか表現できない光景だ。
なんと素晴らしい。
尊敬すべき性能を前にした興奮により、レヴィンの瞳孔が限界まで拡大する。
獲物の強さを理解したのはレヴィンだけではない。腿白鷹たちもまた、琥珀豹という魔物が宿す超常の一端を体感した。空気を泳ぐその身体から燃えるような生命力が発せられる。霊覚器を持たぬレヴィンですら僅かに感じられるほどの密度。洞毛がびりびりする。
蛮族にとってはとても幸いなことに、腿白鷹は好戦的な性質のようだ。怖気付いて逃げる様子はない。
心地の良い八重の殺意だ。生涯でも最大限の興奮がレヴィンの体内で燃え上がる。
魔法『珀晶生成』で捕らえ続けることはできないが、完全に無効化されるわけではないようだ。ならば殺せるだろう。元々、鳥殺しはレヴィンの仕事である。
殺意を帯びた莫大な生命力を両の眼球に注ぎ――瞬間、脳髄を貫く、寒気。
レヴィンは自らの直感に従い、四肢を全て使って床面を蹴った。
亜成獣となった琥珀豹の身体が冗談のように宙を舞い、直前までレヴィンの臀部があった空間を黒い鉤爪が貫く。
死角に位置していた個体による突進だ。
単なる偶然か、あるいは動きを読まれたのか、なんにせよ絶妙なタイミングでのちょっかいである。
だが、レヴィンの感覚と経験が辛うじてこれを察知した。かつて宵闇鷲に臀部を鷲掴みにされたことを、彼女は忘れていない。
四肢と尾を振り回し、体勢を制御。勇気ある腿白鷹を視界に収める。
レヴィンほどの巨体がこうも軽やかに動くとは思っていなかったのか、腿白鷹の暗褐色の目はどこか呆気にとられたような色を孕んでいた。
蛮族はそれを称賛と受け取る。実に気分がいい。喜びのままに魔法『珀晶生成』を行使。今度は両足と翼の根本を一度に括った。哀れな腿白鷹は翼を広げて両足を突き出した体勢で磔になる。
間髪入れず、視線を足元へ。
垂直な足場を生成。重力を真横に感じつつの着地。弾むように跳躍。黄金色の巨体は瞬きの間に空中を往復した。
体重と慣性と筋力を乗せられた右の掻撃が、無防備な腿白鷹の肩部を確と捉える。
自らの一撃に合わせて珀晶を消去。長く剥き出しにされた鉤爪は羽毛を容易く貫き、その奥の皮膚に浅く突き刺さった。飛鳥の類にしては充分すぎるほど硬い。だが、超常金属宵天鎂で鎧う宵闇鷲の堅固さとは比べ物にならない。
レヴィンはそのままの勢いで空中から獲物を引き摺り下ろし、床面へと強引に叩き付けた。ぼぎゅっ、という湿り気を帯びた折損音。支えのない空中で殴られるのとはわけが違う衝撃に、翼が耐えられなかったらしい。
だが、さすがは魔物と言うべきか、まだ死んではいない。
右前肢で獲得した床からの反力を僧帽筋で吸収。流れるように肘関節を屈曲。獲物を引き寄せ、顎を開いた。同時に背筋と尾を美しく伸ばし、全ての力を滑らかに束ねて脊椎に沿わせる。
集束する膂力の終着点はその白牙。
ばつん。
悍ましい音を響かせ、腿白鷹の上半身が呆気なく齧り取られる。
良い。好い。今のは素晴らしい。会心の手応えだった。姉から叩き込まれた蛮族流格闘術を独自に消化して四肢動物の骨格に適用した、レヴィン流とでも呼ぶべき近接格闘術。姉に言わせればまだまだ粗い部分も多いらしいが、巧く決まれば純粋な咀嚼筋による出力など遥かに超える咬合力を実現できる。
断面からびゅうびゅうと細く噴き出す血液がレヴィンの前肢を艶やかに濡らす。
残る七匹の鷹に視線を向ける。
身内を殺された腿白鷹たちは、それでもまだ、逃走という手段を選ぶつもりはないらしい。
熱気を帯びた鼻息を噴出しつつ、レヴィンは口腔内を埋める血肉と羽毛を吐き出した。




