表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
217/247

白黒



 棘海亀と殺し合った後、姉妹はそのまま七日間ほど続けて〈虹石火〉を捜索したのだが、そろそろ食料が底を突きそうなので一度陸地へ戻ることになった。

 既に陸地など欠片も見えない大海原。天体を使った目視と感覚による方位測定はどうしても精度が低い。おおよそ南、という程度の指針にはなるが、現状から入り江という特定の小地点を目指すのは不可能である。

 だが、フェリス姉妹は完璧な直線軌跡で戻ることができるだろう。なぜなら、ローゼレステの契約錨(けいやくびょう)を一つ、入り江に安置しておいたからだ。

 水精霊(ウンディーネ)が自身の『ウォークス』とやらで染めて作り上げる契約錨。製作者であればその存在を遠くからでも感じられるので、障害物のない海上では最高の道標と言える。


 いつものように朝から潜り漁を行ない、多少の生鮮食材を確保。残念ながら今日は棘海亀のような強敵は現れなかった。中小型の魚を〈永雪〉で突き捕らえ、血抜きをし、内臓を処理して〈冬眠胃袋〉に収納する。

 レヴィンは魚を、シルティは海水を飲み、朝食を終えて一息。


【ローゼ】


 シルティが水精言語で呼びかけると、ローゼレステはすぐに現れた。と同時に魔法『冷湿掌握』を行使。物質的な水珠を作り出し、レヴィンが視認できるよう自身の身体に重ねる。


【おはようございます】

【ああ。レヴィンも】


 水精言語でレヴィンの名を呼びつつ、ローゼレステが水珠を揺らした。レヴィンもそれに応えるように洞毛(ヒゲ)を揺らし、薄紅色の鼻鏡(びきょう)で水珠に触れる。

 彼女たちの間に会話は成立していないが、この十七日間の試行錯誤の結果、身体言語(ボディランゲージ)により意思疎通が可能になっていた。両者の間に立てる通訳(シルティ)がいたこともあり、今ではなかなかの精度である。


 お互い思い通りの形状を(かたど)ることのできる魔物なので、ローゼレステが人類言語の文法および文字を習得してくれれば筆談も可能なのだが……残念ながら、それはおそらく無理だ。

 シルティも師マルリルに教わって初めて知ったのだが、水精霊(ウンディーネ)を含む精霊種は例外なく『自分たち以外の言語を学ぶ』という行為自体に強烈な嫌悪感を抱くらしい。言ってしまえば、他種言語を忌避するという本能を持っているのだ。

 物質の肉体を持たぬ彼らにとって固有の言語は自己の重要な拠り所であり、他種言語を学べば根源が揺らいでしまうのだ……などという説が唱えられているらしいが、実際のところは不明である。

 なお、シルティはローゼレステに嫌われたくないので打診すらしていない。


【一度、陸地に戻ろうかと思います。例の契約錨(インシグネ)まで先導して貰えますか。できるだけ真っ直ぐで】

【わかった】


 足場を生成した回数を数えておけば(おおよ)その距離がわかる。入り江に到着した際に帰路の延長線をしっかり記録しておけば、食料調達後にこの地点に戻って来ることも容易いはずだ。

 また、念のための備えとして、レヴィンが頭上に巨大な目印を設置しておく。六角網構造で作った中空の張りぼて。最小限の体積で最大限の『見かけの大きさ』を実現する。陽光を乱反射しているのか、ほんのりと淡く発光しているようにも見えた。

 現在の珀晶の寿命は最長でも太陽巡で拳七個分程度。食料を調達してここに戻ってくるには少々不足しているが、入り江からこの目印を視認できれば再生成して存在を維持させることができるだろう。

 計算上、現在位置は入り江から直線距離で一万五千歩ぐらいのはず。レヴィンならば高所から望遠鏡で見ることのできる距離だ。


【それじゃ、行きましょう】





(千と三百と一……二……三……)


 レヴィンが作り出す等間隔の足場を数えつつ、ローゼレステの導きに従って直進する。

 足場と足場の間隔は二歩ほど。直線に二千六百歩以上進んでもまだ陸地が見えないという事実が捜索済み範囲の広さを物語っていた。十七日間ひたすらに捜索を続けた甲斐があったと言うものだ。

 もちろん、世界の海の面積と比較するならば芥子粒(ケシつぶ)にも満たない範囲だが、地道に探していけばいつかはきっと見つかる。


(四……五……六、んっ)


 その時、シルティは視界の端に違和感を感じた。レヴィンとローゼレステに合図を出し、急停止。〈永雪〉に手を添えつつ、視線を向ける。


(んんっ?)


 一行(いっこう)の進路の斜め前の位置。笹穂(ささほ)の槍先のような白く尖ったなにかが、青黒い海面からにゅっと突き出していた。海上に飛び出た岩頸(がんけい)ではない。霊覚器に映る虹色が生物であることを証明している。支えの存在しないはずの海の中、幾重もの波を受けながらも厳然としてびくともしていない。

 シルティの左方に立つレヴィンもその存在に気付いたようだ。洞毛(ヒゲ)を広げながら耳介を前に向け、興味深そうに注視。唯一、ローゼレステのみがどうでもよさそうにしている。


(なんだあれ。でっか)


 目を凝らすシルティの前で、謎の笹穂がくるりと水平に回転した。

 一回転、二回転、そのまま止まらず、くるくると謎の動きを披露している。

 その動きのおかげで陰になっていた部分が明らかになった。先ほどまでこちらを向いていた面とはうって変わって真っ黒な肌。毛も鱗もなく、艶やかな印象だ。かと思えば、黒地の中に二か所だけ、真っ白い絵の具を塗ったような斑点がある。さらによくよく見れば、その白い模様の端の部分に小さな眼球が――


「あッ」


 ここに来てようやく笹穂の正体に思い至り、シルティは思わず小さな声を上げた。

 レヴィンが耳介をぷるんと震わせ、右耳だけを姉に向ける。


「おあー、あれが(シャチ)ってやつかぁ……」


 鯱。

 背面は黒で腹面は白というくっきりとした配色を基調とする海棲動物だ。魚のようにも見えるが(えら)がないため、人類種からは(クジラ)海豚(イルカ)と纏めて海獣の一種と見做されている。

 流線形の身体、翼のような一対(いっつい)胸鰭(むなびれ)、大きく立った三角形の背鰭、しなやかで長い尾部の先端に幅の広い尾鰭と、全体的に(サメ)に似た形態。だが、骨がほとんど軟骨で構成された鮫類と違い頑丈な骨を屈強な筋肉で覆っている彼らは、同程度の体格の鮫を体重でも身体能力でも大きく上回り、しかも、基本的に群れる。己より遥かに巨大な鯨を襲うことさえあるとか。

 生息域は広く、世界中の至る所で見られる海洋の頂点捕食者……なのだが、実のところシルティが見るのはこれが初めてだ。


 その恵まれた巨体が生み出す強大な身体能力も素晴らしいが、この種の最大の特徴はその知性だと言われている。少し交流するだけで人類言語を容易く覚えてしまうらしい。実際、ノスブラ大陸南東部にあるアーデンという港町では泡逆戟(あわサカマタ)という鯱類の魔物の一族と長年協力して捕鯨を営んでいる。彼らにとっても面倒な相手である大型の鯨を沿岸部まで追い立て、人類種に仕留めさせて肉を山分けするのだ。

 シルティも遍歴の旅の最中に見に行ったことがあるのだが、残念ながら時期が悪く、その時は見れなかった。


「んふっ。ふふ。すっごく強そう……」


 筋肉、牙爪、毒、速度、数、連携、隠密や擬態。

 動物の『強さ』にもいろいろあるが、『物理的な暴力』に絞って考えるならば、基本的にでかければでかいほど強いものだ。

 その点、眼前でくるくると回っている鯱は最高である。どう見てもでかい。海面に出ている頭部だけでシルティよりも大きかった。海中に隠れている部分を含めればきっと全長はシルティが四人いても及ばないだろう。体重に至っては百倍以上あるのではないだろうか。二百倍かもしれない。生命力の輝きも凄まじく、霊覚器が眩むほど。

 素早く視線を巡らせる。今のところ海中に大きな生命力の反応は見えない。多くの場合群れを作る鯱だが、この個体は単独行動中のようだ。


 これは是非とも殺し合いたい、と戦意を滾らせていると、鯱が動きを止めた。出会った時と同様、白い喉をこちらに向けた状態。どうやらシルティたちを発見したらしい。

 棘海亀ならともかく、さすがに逃げる鯱には追い付けないだろう。是非とも襲ってきてくれると嬉しい……と思っていると、ありがたいことに、鯱が動いた。

 滑らかな動きで潜水。完全に姿が消える。と思えば一拍後、海面からシルティの身長ほどもある巨大な背鰭(せびれ)が出現。湾刀のようなそれが海面を真っ直ぐに斬り裂き、姉妹たちに接近し始める。

 よくよく見れば、なんとなく見覚えのある背鰭だ。

 七日前の記憶が想起される。


(棘海亀を解体してた時に寄ってきてたの、鮫じゃなくてこの子だったのかな……)


 あの日、シルティは棘海亀の血や臓物を海に垂れ流しにしていた。鯱の巨体からすればおやつにもならないような量だったとは思うのだが、棘海亀はなかなか美味しかった。鯱からしてもなかなか気軽に襲えるような相手でもないのだろう。味を占めたのかもしれない。

 なんにせよ、シルティからすれば願ってもないことである。


「レヴィン。もし深く潜ったら、高く跳ぶよ。準備だけしといて」


 妹に注意喚起しつつ、〈永雪〉を抜いた。

 波を被らぬよう海面からある程度の高さを保って移動しているが、話に聞く鯱の身体能力なら容易く届くだろう。深く潜水して加速を始めたら跳躍の予兆だ。そこを狙う。

 シルティは満面の笑みを浮かべ、舐めずりをするような心境で太刀の(つか)を握り直した。

 直後、硬脆な亀裂音が響く。

 強烈な眩暈(めまい)


「おあっ」


 姉妹は足場を失い、為す術もなく海中に落下した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 言語を理解できるほど頭がいいとか。。。。 いつか人類よりも繁栄しそう
[一言] 陸でも海でもおっかない生体生物の環境は変わらないもんだ・・・
[一言] イベント(死闘含めて)事欠かなくて人生満喫していそう…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ