遅延行為
天峰銅の触手を操り、鎚尾竜へ向かってぬるぬると疾走するカトレア。
その相貌は、羞恥により真っ赤に染まっていた。
(あああかっこ悪いぃ……!)
率直に言って、カトレアは自信満々だったのだ。
自分の造形模倣能力ならば鎚尾竜の感覚をも欺き、求愛行動としての殴打を受けることができる。最低でも触れ合える距離まで接近させることはできるだろう。そう思っていた。
だが、現実はこの有様だ。恥ずかしすぎる。
よりにもよってシルティ・フェリスの目前で醜態を晒してしまうとは。
彼女とは鎚尾竜狩りを終えた以降も仲良くしたいのに。せっかく友達口調で話せるようになったのに。
なんとしても挽回しなければ。
愛する竜を視界の中央へ据える。
鎚尾竜は忌々しげに頭を振り回し、上空のレヴィンを消し飛ばそうと光線を放っていた。
(ぅっ)
その瞬間、カトレアの脳内を茹だらせていた羞恥心や気負いは消滅し、代わりに絶頂に達するような多幸感に染め上げられた。
地と天を繋ぐ光線、竜の破壊魔法『咆光』。本当に綺麗すぎる。
竜を追い求めるカトレアであってもこれを見た経験は両手で数え切れる程度しかなかった。それが今、こんなに頻繁に。狩猟者をやっていてよかったと思える瞬間だ。常人であれば一度も見ずに生涯を終えることもあるらしい。実に勿体ない。
死ぬときは竜に殺されようと決めている。食べられるのもいいが、できれば『咆光』で消滅させられたい。
フェリス姉妹さえ逃がせるならば、それは別に今日でもいいのだ。
改めて装備を確認。
身に付けた鴛鴦鉞は十五枚。万全の状態ならば全てを個別かつ精密に掌握できるが、擬似鎚尾竜として独立させていた分の天峰銅を失った今では少し持て余す。
カトレアは体内に収納しているうちの五枚を渦勁に巻き込ませ、即座に触手から投射した。
莫大な回転数を与えられた鴛鴦鉞が可聴域を超える音を響かせながら空を裂き、鎚尾竜へと殺到する。狙いは眼球。鎚尾竜は瞼すらも装甲化されているが、上空のレヴィンを視認しようと見開いている今ならば角膜や強膜に接触できる。
五枚の飛刃は狙い違わず鎚尾竜の眼球やその付近に衝突し――そして、音もなく静止した。そのままポトリと落下。地面で重なり合った金属の凶器が甲高い音色を奏で、同時に鎚尾竜の動きが止まる。
どれほどの運動量を与えようとも、尋常な投擲物で魔物の身体を傷付けることは難しい。重要なのは相手の身体強化を上回ること。天峰銅が生み出す膂力ではなく、森人の霧白鉄や輝黒鉄が齎す生命力霧散作用が必要だ。
増してや今日の相手は無敵の鎚尾竜。仮に何らかの要因で相手の身体強化を上回る殺傷力を生み出せたとしても、それが物質的な衝撃である以上、魔法『衝撃原動』を突破することは叶わない。
今のカトレアの攻撃は鎚尾竜に毛ほどの痛みも与えず、逆に『咆光』で消耗した生命力を僅かに補給させてしまった。だが、注意を引くことはできたようだ。レヴィンへ向けたものと比べると微かだが、しっかりとした唸り声が聞こえる。
求愛の場合は尾骨鎚を使って胴体を殴る。親愛の場合は鼻先を使って頬や胸を突く。それが鎚尾竜が同族間で殴り合いをする際の作法だ。痛くも痒くもないとはいえ、眼球を狙われれば不快に思うらしい。
こちらから殴った場合は音まで吸収されてしまうのに、自分が発した唸り声は吸収されないんだな。鎚尾竜についての情報をまた一つ摂取し、カトレアは恍惚とした。
背筋を駆け上る快感を噛み締めつつ、更に前へ。
公衆浴場で打ち合わせをした段階では、鎚尾竜に有効だと思える攻撃手段はシルティの斬術のみだった。ゆえに、カトレアとレヴィンが協同して囮役と拘束役を担い、シルティの一撃を必殺とする必要があった。だが、ここに辿り着くまでの道中でレヴィンが収斂発火を応用した攻撃を考案した。
鎚尾竜が明確に嫌がっている。予想通り、焦熱は有効のようだ。負傷とも呼べないような些細なものだが、塵も積もれば山となる……かもしれない。
となれば、囮役と拘束役はカトレア単独で担わなければならなくなった。
身体に纏う天峰銅を精密に操作。身体を大きく。なるべく大きく。蜂の巣のように内部に微細な空間を設けることで、見かけの体積を数十倍にまで膨張させる。文字通りの張りぼてだが、カトレアの身体は鎚尾竜を僅かに上回る巨体へと成長した。拘っている余裕はないので外観は適当である。顔や手足の区別はなく、単なる巨大な雫のよう。
ここまで急激に大きくなる動物に出会ったのはさすがに初めてだったのか、鎚尾竜から驚愕の雰囲気が伝わってきた。一歩、二歩、後ずさり。不気味なものを見たとでも言いたげな反応だ。
竜にドン引きされるという貴重な経験。普通に悲しい。しかし、悲しんでいる暇はない。
伸ばした二本の触手の先で鴛鴦鉞を掴み、渦勁を孕ませて旋回させる。膨張させた身体の最前部、動物で言えば顔面に当たるであろう部位を大きく凹ませると、旋回させた二つの鴛鴦鉞を顔前に掲げ、躊躇なく互いに接触させた。
その身に宿す恒常魔法により、振動を無意識に吸収する鎚尾竜たち。だがおそらく、聴覚は生きているだろうとカトレアは判断した。
いかに無敵の竜といえど、陸上動物が聴覚を完全に持たないというのは考えにくい。先ほどから唸り声を上げているように発声器官は持っているようだし、なにより頭部には蜥蜴のそれに似た耳孔が開いている。ならばおそらく、焦熱と同様に音波も届くはずだ。
回転する金属片が互いを削り合う耳障りな音が丸皿型の放物面で反射され、明確な指向性を持って投射される。まともに聞けば聴覚機能に異常を来すのではないか、と思えるほどの凄まじい音量だ。これならどんな動物が聞いても喧嘩を売っているとわかるだろう。
人工的な咆哮を浴びた鎚尾竜は尾を大きく振り回し、カトレアを睨む視線に怒気を滾らせた。
「は」
赤みがかった褐色の虹彩。ぞくぞくする。世界で一番綺麗だ。
ともかく、やはり音は聞こえているらしい。耳の中は『衝撃原動』の発動条件から除外されているのだろう。あるいは、嚼人が変換した生命力を満腹感として認識できるように、鎚尾竜も変換した生命力を聴覚として認識できるのかもしれない。後者だとしても、殴るよりは変換される生命力も少なく済むだろう。
直後、動きが止まった鎚尾竜の眉間に天からの狙撃が突き刺さった。照射された部位を間接的に見ても目が眩むような光量。僅か一瞬で竜が不快に思うほどの熱量を生み出しているらしい。鎚尾竜は即座に身を躱した。
カトレアはますます恍惚とした。
鈍重にも見える巨躯が瞬間移動にも等しい動きを披露するのだ。常人であれば自分の眼球を疑うような光景である。
草食でありながらほぼ無敵な彼らは俊足である必要がない。だというのに、シルティにも匹敵するような速度を発揮できる。本当に、なんて素晴らしい生物なのだろうか。
体内に蓄えていた渦勁を消費することで俊足の蛞蝓と化したカトレアは、竜を中心とした歪な円を描きつつ喧嘩を売り続けた。鎚尾竜が動くと同時にカトレアは位置を変え、少しでも足が止まればすかさず収斂光がその鱗を熱する。
嫌がらせに徹した遅延行為。鎚尾竜が尾骨鎚で地面を叩く。相当苛立っているようだ。
もちろん、これで鎚尾竜を殺すことは不可能である。レヴィンがどれだけ勤勉に鱗を焼き続けても、鎚尾竜自身の歩行が生み出す生命力分にも満たないだろう。
それでも、鎚尾竜が苛立って動きが単調になれば儲けもの。最終的にはシルティが首を落としにかかるのだ……と、その時。
鎚尾竜が跳んだ。
馬鹿げた巨躯が、自身の体高の二倍ほどにまで軽々と浮き上がる。
「おおっ」
思わず見惚れるカトレア。
「あ」
一瞬後、我に返る。
鎚尾竜の跳躍は単なる垂直跳びではない。
骨盤を中心とした、旋回跳びだった。
カトレアの頭上でくるくると水平に回転する巨大な竜。
その顎が大きく開かれ、そして。
破滅の光線が草原を広々と薙ぎ払った。




