剣竜と鎚尾竜
「即答だね。いいの?」
「はい! 断る理由が一個もありません!」
「言うまでもないけどさ。死ぬかもしれないよ」
「竜に殺されるならそれでもいいです」
「……。狩り好きだとは聞いてたけど。筋金入りだなぁ」
「んふふ。竜に挑める機会なんて、お金払っても欲しいものですから」
蕩け切った表情を浮かべるシルティ。話の内容を聞いていたもう一人の蛮族も、腹這いになったまま嬉しそうに尻尾をくねらせる。
かつて重竜に遭遇した際、レヴィンはまだまだ実力不足で、完全に蚊帳の外に置かれてしまった。口唇を捲り上げ、次は必ずこれを突き立ててやるとばかりに白い牙を見せている。
「ふは。聞いてた通りだなあ」
カトレアは目の前の光景を感慨深く噛み締めていた。
これがシルティ・フェリス。いや、これでこそシルティ・フェリスだ。
当初、岑人の少女は蛮族の少女が嫌いだった。自分よりも目立っていてムカつく、という身も蓋もないやっかみである。それが、重竜を狩ったと聞いた途端にくるりと好意に反転。すぐにシルティ・フェリスについて情報収集を開始し、その為人を知った今ではファンと呼べるほど好きになってしまった。
切っ掛けは、竜殺し。
そう。カトレアは、竜が大好きなのだ。
父が四翼竜に殺されたことは本当に全く関係ない。元々、生まれ付き、大好きだった。
ありとあらゆる竜が好き。竜のことだったらなんでも知りたい。知らずにはいられない。
姿形も。生態や魔法も。そして、味も。
「それで、なにを狙うんですか? やっぱり四翼竜?」
「あー、いや。四翼竜もいつかはと思ってるけど、さすがにね。また落ちてきてくれたらなぁ……」
カトレアが嘆息した。
誇張抜きで常に飛んでいる四翼竜だが、人類種が彼らを仕留めたという記録は割と多く残っていたりする。同族争いが激しいのか、飛行可能な他の竜に撃墜されているのかは定かではないが、四翼竜は結構な頻度で地上に墜落してくるのだ。サウレド大陸全土で、十年に二度か三度くらいはあるらしい。
つまり、狙って狩るのは不可能ということである。
空を見上げて竜が降ってくるのを何十年と待てるほど、嚼人や岑人の寿命は長くない。
「私が狙っているのはこいつ」
カトレアは天峰銅の触手で空中にとある魔物の姿を描き出すと、シルティの目前にするりと差し出した。
「……ンクっ」
液体が形を成しているとは思えぬほど精巧に作られた模型を前にして、シルティは生唾を飲み込んだ。
天峰銅の触手がなにを象っているのかを考えるより先に、まずは『カトレアさんの手めっちゃ美味しそう』と思ってしまうのは、美食を本能とする嚼人の性である。
「知ってる?」
「えー、と」
シルティは意識的に思考を切り替え、身を乗り出して触手を観察した。
一見してわかるような中肢は存在しないので、四肢竜のようだ。本来のサイズは定かではないが、胴体は樽形で四肢は短めのシルエット。猪に似ているかもしれない。ただ、猪よりは頸が長く、頭部を自由に動かせそうな印象。
体表の背面部には微かな隆起箇所が散見される。巨大な鱗、いや、これは皮骨板か。頭部から尾に至るまで楕円形の装甲が緻密に並んでいて、見るからに堅固。脇腹の辺りにある鉤爪状の突起は重竜と同様の退化した中肢。それとは別に、肩の辺りから長い棘が一本ずつ、前方に向かって伸びている。
なにより特徴的なのは、胴長と同程度の長さの尻尾か。
戦棍のように、先端が丸く大きく膨らんでいた。
(んんーっと。……ちょっと剣竜っぽい)
猪に似た樽形の胴体、背面を鎧う頑丈な装甲に、先端が武器化した長い尻尾。この三点のみを取り上げると、ノスブラ大陸に生息する剣竜という竜に似た形態だ。しかし、あちらの尾端に形成される武器はもっと明確に鋭く、戦棍というより鶴嘴というべきものと聞く。なにより、剣竜はれっきとした六肢竜だ。カトレアが象った四肢竜とは明らかに異なる。
興味を惹かれたのだろう、レヴィンも身体を起こして三つ指座りに移行した。
カトレアの触手をじっと見つめながら洞毛をぴくぴくと揺らしている。
「初めて見る竜です。ノスブラ大陸に剣竜っていう竜がいるんですけど、少し似てますね」
「おっ! そうそう! この竜は剣竜の仲間だって言われてるんだよ!」
シルティの答えを聞き、カトレアは殊更に嬉しそうな声を上げた。
「剣竜もいいよね。主な生息地はノスブラ大陸だけどさ、サウレド大陸でも北東の端っこには生息してるんだ」
「えっ……知らなかった。あれ、こっちにも居るんですか」
「うん。まぁ僕も実際に見たことはないんだけど」
触手をもう一本生やし、そちらで剣竜を象る。カトレアはそのまま天峰銅の模型を精密に動かし、まるで生きているような挙動を取らせた。
ミニチュアの剣竜が短い六肢をわさわさと動かし、足場のない空中を滑らかに歩む。ある程度進むと立ち止まり、頭部を下げ、存在しないなにかをモシャモシャと咀嚼した。喉の嚥下運動すらも再現する拘りっぷり。ちなみに、剣竜は草食に偏った雑食である。
食事を終えた剣竜の模型が頭部を持ち上げ、のんびりと視線を巡らせた。なにが気に食わなかったのか、背筋に沿って並んだプレート状の骨板を震わせながら胸郭部分を膨らませ、大口を開けて咆哮を放つ。
もちろん実際には無音なのだが、幻聴が聞こえそうなほどに生き生きとした動きだ。
「おおー。凄い」
これだけで小銭を稼げそうな見事な芸である。天峰銅の操作を本業とする岑人といえど、ここまで躍動感に溢れた人形劇を披露できる者はそういないだろう。
レヴィンは随分と熱心な様子で天峰銅製剣竜の動きを観察していた。
珀晶はどうやっても動かせないので、動きを再現できる天峰銅が羨ましいらしい。
「互い違いに並ぶ剣板が綺麗で可愛いよね。でも、尾骨剣は最高にワイルド」
「すぷ? サゴ、マ、え?」
なにやら耳慣れない単語がカトレアの唇から飛び出した。竜学の専門用語だろうか。
互い違いに並ぶという枕詞から、『スプレイト』が背筋に並ぶ骨板を指した単語だということは察せるが、ワイルドな『サゴマイザー』はよくわからない。シルティからすれば、竜の身体はどの部位も大体ワイルドである。
「尾骨剣。この部分のことだよ」
天峰銅製の剣竜が尾を左右に振った。その尾端には三対の長い棘が生えている。その身に宿す三つの魔法を除けば、剣竜にとって最大の武器となる『刺突剣』だ。
「格好いいよね。学者さんが死骸で試したら、真銀と同じくらい硬かったんだってさ。それが竜の生命力で強化されるんだ。想像を絶する凶器だよ。どんな分厚い盾だって一撃で貫通だ」
シルティが人差し指を伸ばし、模型の尾骨剣をつんつんと突っつく。
「初めて聞きました。尾骨剣……」
「現地では、たまーに見つかる死骸からこの棘を採取して、湾刀に加工するらしいよ」
「えっ!?」
大きな音を立て、シルティが勢いよく立ち上がった。その瞳は渇望でどろどろに溶けている。
「ノスブラじゃそんなことしてなっ……! がああッ! なにそれめっちゃ欲しい!!」
「はっは。がああッ、てなんだよ」
病的な刃物好きというのも本当らしいな、とカトレアは苦笑した。
「まぁ、手に入れるのは無理だと思うけどね。全部領主さんが持ってっちゃうらしいから。」
「えっ? はっ!? そんな、横暴な!!」
「僕にそんなこと言われても。ぶっちゃけ政治の道具なんだよね、その刀」
「せっ……。ああ……なる、ほど……」
背景を理解したシルティはがっくりと肩を落とした。
狩猟者たちが剣竜の死骸を見つけて棘を採取したとしても、あるいは竜殺しを成し遂げて素材を持ち帰ったとしても、その素材は行政に持っていかれてしまうのだろう。
六肢竜から作った湾刀なのだ。その価値はまさしく威光と称すべきものとなる。献上するにせよ下賜するにせよこれ以上の物品はない。領主側からすれば是が非でも確保したいはず。ならば、そういう法が敷かれているのも当然だ。
無論、充分な対価は支払われるだろうが、シルティにとって重要な尾骨剣は手元に残らない。
「少人数で狩ったなら、一本くらいちょろまかせるかもよ? ばれたら懲役だけど」
「いえ。私、刃物を手に入れるなら、ちゃんとすることにしてるんです。恥ずべきところなんて一つもない私の刃物を、胸張って自慢したいんです」
「そ……そっか」
血走った目が据わっている。あまり刺激しない方がよさそうだな、とカトレアは判断した。
「んンッ。今は剣竜の話じゃなかったな。重要なのはこっちの竜だ」
カトレアが咳払いをしつつ剣竜の模型を崩し、残ったもう一つ、四肢竜の模型を動かす。
「これは鎚尾竜」
「鎚尾竜」
「アルベニセの東南東にずっと行くと、草原があるんだけど」
「あ。陽炎大猫が生息してるとこですか?」
「おっ? そうそう、その辺。その草原のもっとずっと奥に生息してる竜なんだ。ずっと狩りたかったんだけど、竜狩りに乗り気になってくれるヒトがなかなか見つからなくてさ」
竜は世界最強である。人里近くに現れたため討伐しなければならない、というならともかく、自分から生息地に突っ込んで狩るような命知らずは、狩猟者でもそう多くはいないのだ。
幼い顔を嬉しそうに緩ませて、カトレアはお茶を飲み干した。
「重竜殺しに、琥珀豹。そして僕。三人いたら、きっと狩れるよ」
「んふ。楽しみです」
シルティもまたお茶を飲み干し、上唇に付いた雫をぺろりと舐めた。
「それじゃ、カトレアさ……カトレア。さっそく模擬戦しましょうか」
「……。え、模擬戦?」




