婚約者は甘くて、ちょっぴり意地悪。そして時々ヤンデレ
はじめまして、月都 黒猫と申します!
あらすじ部分にも書かせていただきましたが、初投稿なので至らない部分も多くあるとは思いますが、楽しんでいただければ幸いです!
8/30 19:14
誤字を直させていただきました。
報告してくださった方本当にありがとうございます!
12/18
誤字報告の一部を適用させていただきました。
ご報告ありがとございます!
私はアシュリシア・ミルハワード。
ここ、ファルージア王国のミルハワード侯爵家の長女であり、女性だけの地位を見るならば王妃に次ぐ位置にいる。
その理由は簡単で、この国の4大公爵家にはご令嬢がいらっしゃらないからだ。
だから、一時期は第一王子の婚約者候補筆頭という立場にあった。
しかし今は違う。
今の私は、ファルージア王国王太子の筆頭秘書官兼、次期宰相の婚約者だ。
なぜ王太子の婚約者では無いのか?
お答えしよう。
私の祖母は王家から降嫁された方で、キルシュ王太子殿下とは血が近すぎると判断されたのだ。
それで婚約者候補から外れたのである。
するとすぐに多くの縁談が舞い込んで来た。
その中からお父様が選んだのが現婚約者、ヴァダーフェン公爵家令息ジストレイン・ヴァダーフェン、ジスト様だった。
初めて顔を合わせたのは12歳のとき。
彼は16歳で、月光を編んだかのような銀髪にヴァダーフェン公爵家の当主が代々受け継ぐ天色の瞳という神がかった容姿をしていて、思わず見とれてしまったことを覚えている。
この世界には魔法があって、例外はあるが魔力が強い人ほど色素が薄くなる特徴があって、彼はその容姿からかなり魔力を持っているのだろうと感じた記憶もまた、忘れることはない。
年上らしく落ち着いた様子で公爵家の庭園をエスコートしてくださったときには、心臓が爆発するのではないかと思うくらい緊張していたのだ。
まあ、そんな初顔合わせの時の話は置いておいて。
今日はジスト様が、私も今年入学が決まっている王立学園を卒業される。
その卒業パーティーにパートナーとして呼ばれているのだ。
「エルネ、今日はとびっきり可愛くしてちょうだい!」
ベルを鳴らして呼んだ、小さな頃から自分に仕えてくれていて、私の良き理解者の一人である侍女、エルネにそうお願いすれば
「お任せください、お嬢様。ジストレイン様のためにも腕によりをかけて着飾らせてもらいます!」
と頼もしい答えが返ってきた。
数時間後____
金の縁取りの意匠が輝く姿見の前には、満足気に微笑む美少女が映っていた。
天色のドレスを美しく着こなし、黒に近い紫の髪は複雑に編み込まれ、銀細工の髪飾りを一層引き立てている。
胸元にはジスト様から贈られた、自身の瞳と同じ琥珀のペンダントが輝いている。
もうすぐ馬車の準備ができる頃だろう。
「お嬢様、馬車の準備が整いましたよ」
エルネがタイミングよく声をかけてきたため、すぐ行く、と返事をし、姿見の前で一度クルリとターンしてから部屋を出た。
___
「こんばんは、アシュリー。わざわざ学園まで呼んでしまってごめんね。」
学園に着き馬車から降りるとすぐにジスト様が迎えに来てくれた。
「こんばんは、ジストレイン様。
そんなことおっしゃらないでください。私は婚約者ですもの、呼んでもらえないほうが悲しいです」
「いつもみたいにジストと呼んでくれないの?でも、そう言ってもらえて嬉しいよ。
それはそうと、今日のドレスもよく似合ってる。僕の瞳の色だ。それに…」
ジスト様はそう言うと、私の胸元にそっと手を置いてペンダントに触れた。
「コレ、着けてきてくれたんだ」
ジスト様が触れたそれは、私が彼の婚約者として初めて夜会に参加するときに贈ってくれたものだった。
ジスト様の婚約者として粗相をしないように、とガチガチに緊張して夜会に参加した私に「お守り」といって着けてくれたのがこのペンダントだった。
以来、なにか特別な催しに行く際はコレを着けていっていたのだが、最近はドレスとのバランスのこともあり、ジスト様の前ではなかなか着けられないでいたため、彼がコレを目にするのは結構久しぶりだろう。
「はい。私のお守りですから」
「そんな風に思ってもらえるものを贈れて良かった。過去の僕には拍手を送りたいね。
ああ、だいぶ話し込んでしまったね。中に入ろうか」
ジスト様はそう言うと私に手を差し出してきた。
その手を迷いなく取り、学園のダンスホールの中までエスコートしてもらう。
出会ったときからそうだったけれど、彼の手はいつも冷たい。
曰く、生まれつきなんだそうだ。
彼はヴァダーフェン家固有の水の魔力を持っているのだが、その力が強すぎて体温に影響が出てしまっているらしい。
ジスト様と腕を組みながら、他の貴族の方々からのご挨拶を受ける。
この場には私達以上の地位を持つ人は王族しかいない。
そのため様々な方からジスト様は卒業を祝う言葉をかけられていた。
そうこうしているうちにだいぶ時間が経っていたらしい。ダンスホールの前方、二段ほど高くなったところから人が出てきた。
「お集まりいただいた皆さん、今夜の卒業パーティーにご足労いただきまして誠にありがとうございます。
僭越ながら、卒業生代表の挨拶をさせていただきます、キルシュ・ファルージアと申します。
まあ、この場で私を知らない方はいらっしゃらないとは思いますが」
彼の言う通りこの場にいる人間で知らないものはいないだろう。
そこにいたのは、ここファルージア王国の王太子殿下キルシュ様だったのだから。
キルシュ殿下はコホンと一つ咳払いをするとスピーチを始めた。
「我々卒業生一同はこの国のさらなる発展を胸に、そのために必要な知識、教養、能力を互いに高めあって参りました。そして今、この歴史ある学園を卒業できたことに大きな誇りと自信を感じています。
私達をここまで見守ってくれた先生方、ご家族の皆様に卒業生を代表して謝辞の言葉を述べさせていただきます。
また、このパーティーを企画、運営してくれた在校生にも感謝しています。卒業生一同よりささやかですがプレゼントを用意しました。各寮に届けてありますので寮母から受け取ってください。
最後に、先程も申し上げたとおり、私達をここまで導いてくださった皆様に多大なる感謝をもう一度伝えさせていただきまして、代表挨拶とさせていただきます」
殿下は立派にスピーチを終え、深々と頭を下げてから天幕の後ろへ戻っていった。
「立派なスピーチでしたね、殿下」
「アレね、実は毎年同じものを生徒会長だった人が読むことになってるんだよ」
おどけたように笑ってジスト様は、わざと私の耳元でそう囁いた。
たったそれだけのことなのに私の顔は真っ赤に染まってしまう。
「あれ、どうしたのアシュリー?顔真っ赤だよ?」
分かってるくせになおも聞いてくるのだからジスト様は意地悪だ。
時折彼はこんな風に私をからかう。
「もうッ、やめてください!」
「ごめんごめん。
真っ赤になってるアシュリーが可愛くてつい、ね」
その時だった。
「仲が良いのは大変よろしいことなんだけど、イチャつくのはパーティーが終わってからにしてくれない?」
心底呆れた、というような声が私達にかかる。
後ろを振り返れば、そこにはキルシュ殿下がいた。
「まあ、殿下。この度はご挨拶が遅れて申し訳ありません。ご卒業おめでとうございます」
「ありがとう、アシュリシア嬢」
キルシュ殿下は王族特有のアッシュブロンドとエメラルドの瞳をお持ちで、その整った容姿は国中の女性の憧れだ。
そんなご尊顔ににこやかに微笑まれれば誰だって頬を赤らめるだろう。
「そういえばアシュリー。僕まだお祝いの言葉もらってないんだけど?」
急にジスト様が顔を近づけてきた。
少し唇を尖らせている様子から察するに少々拗ねているようだ。
「あッ!ごめんなさい、ジスト様!ご卒業おめでとうございます!
ホントはパーティーが始まる前に伝えたかったのですけど、その…あまりにジスト様が格好良くて…お伝えするタイミングが掴めなくて…」
今日のジスト様は卒業パーティー用に正装を着ているのだが、全体的に色素の薄い彼には黒がよく似合う。
それに、小物には琥珀やパープルスピネルを使っている。
私の髪や、瞳の色だ。
「そっか。ならいいよ」
どうやらご機嫌を直してくれたらしい。
「だからさぁ、イチャつくのは他所でやってってば」
「殿下もミュリアーナ嬢といればこうなるでしょう?」
ミュリアーナ嬢とはキルシュ殿下の婚約者で、ロンドドール伯爵家のご令嬢だ。
私より3つ年上の17歳で、私も姉のように慕っている。
「そういえば、ミュリアーナ様はどちらに?」
「ミュリアはこのパーティーの実行委員長をしていてね。裏方で忙しいんだよ」
何だか不機嫌そうに言うキルシュ殿下。
話を聞いてみると、ミュリアーナ様をエスコートしたかったのに実行委員の仕事を理由に断られてしまったらしい。
殿下の話を聞いたジスト様はやれやれとでも言う風に肩をすくめた。
「大体、殿下はミュリアーナ嬢への愛が重すぎるのでは?」
「お前には言われたくないよ、ジストル。
ていうか、アシュリシア嬢の前で猫かぶりたいのはわかるけどその慇懃風な態度やめてくれる?はっきり言って気持ち悪い」
「嫌です。アシュリーに嫌われたくないので」
私の前と殿下の前で態度が違うから、なんて理由でジスト様を嫌いになるなんてありえないと思うのだが、露骨に嫌悪感を示したジスト様に私は驚いた。
彼は普段は柔らかく微笑んでいて、私をからかうときには意地悪な顔をしていたり、先程のようにちょっと拗ねたような表情をすることはあってもこんな風に顔を歪めているのを見るのは初めてに近い。
「ジスト様は殿下の前ではご様子が違うのですか?」
あまりに気になるので殿下に聞いてみた。
殿下は待ってましたとばかりに話し出す。
「違うとかそういう問題じゃないんだよねぇ。
もうね、纏う雰囲気が氷点下なんだよ。今はさ、なんか爽やかに微笑んでるように見えるけど腹の中ではなに考えてるか分かんないよ?アシュリシア嬢の前では猫15匹ぐらいは余裕で被ってるね。普段はもっとこう…」
そこまで殿下が言ったとき、急に私の目の前が真っ暗になった。
顔になにかの生地が当たっている。
そこからは嗅ぎなれたジスト様の香水の匂いがして、彼の上着で視界を遮られていることが分かった。
「殿下、これ以上は…ね?」
ジスト様の声がする。
それはとても甘くて優しげな声色なのに不思議と不気味な威圧感を感じさせるものだった。
視界が戻ってきた。
やはり、私の視界を奪っていたのは彼の上着だったようで、ジスト様は脱いだ燕尾服を着直していた。
急に明るくなった視界に若干戸惑いながらも殿下を見ると、殿下は可哀想なほど青ざめた顔をしていた。
「殿下?えっと…どうなさいました?」
「なんでも無いよ、アシュリー。殿下はスピーチでだいぶお疲れだったみたいだ。ですよね、殿下?」
私が殿下にしたはずの質問に答えたのは、何故かジスト様だった。
「そ、そうだね…」
さっきまではあんなに生き生きとしていたのに、まるで魔物に生気を搾り取られたようだ。
まあ、そんな風に人の害をなす魔物はおとぎ話の中でしか存在しないが。
明後日の方向に思考を飛ばしていると、視界の端で何かが動いた気がした。
その方向を向くと、先程キルシュ殿下が挨拶を述べた壇上にこの国の第二王子、バルクス殿下が立っていた。
「…何でバルクスが?」
キルシュ殿下も驚きを隠せないようだ。
バルクス殿下は学園の第2学年に所属しているため、この場にいることは何らおかしいことでは無いのだが、何故壇上に上がっているのだろうか?
会場に居た人たちも突然壇上に現れたバルクス殿下を不審に思ったようで、皆歓談をピタリと止めバルクス殿下の方を見つめた。
皆の視線が自分に集まったことがわかったのだろう。
バルクス殿下はもったいぶるように言葉を発しだした。
「この場にお集まりの皆様方。あなた方にこの場をお借りしてご報告がございます」
報告?第二王子が?
これまた不審に思って、思わずキルシュ殿下を見上げると彼もまた意味がわからないといった顔をしている。
なら、ジスト様はどうかと私の後ろに張り付くようにして立っているジスト様を見上げると彼は見たこともないような顔をしていた。
心の底から今の状況を面倒くさがっているかのような無表情、というよりは仏頂面に近いか。
「…ジスト様?」
普段見ることのない彼の表情に、少し怖くなって思わずかけた声は震えてしまっていた。
するとピクリと彼の眉が動いて、彼が顔を私に向けた。
その表情はいつもの優しげなものに戻っていて、私は安心する。
「どうしたの、アシュリー?」
私に向けられた彼の天色の瞳は、声は、確かにいつもどおり優しいけれど、何だか妙に怖い。
「なんでも、ない…です」
「そう?何だか顔色が悪いよ?」
そう言ってジスト様は私を後ろから自分に凭れさせるように抱きしめた。
彼の優しい香りに包まれていると、何だか無意識に心が緩んでしまって、気づいたときには自然と体を彼に預けてしまっていた。
そんな私を満足気に見つめたジスト様が壇上に視線を戻したため、その視線を追うようにして私も前方に目を向けた。
「この度、私、バルクス・ファルージアは今、この場にいるあるご令嬢との婚約を発表します!」
高らかにそう宣言したバルクス殿下。
しかし、皆の反応は芳しくなく、話についていけていないようでポカンとしている人が大半だった。それに漏れず、私も彼の言ったことが理解できない。
そもそも、バルクス殿下には婚約者が既にいたはずだ。
隣国の王女殿下で、バルクス殿下が王配としてあちらに行くことで国家間の関係を強めようという、政略色が強いものだったが、二人は仲睦まじく過ごしていると専らの噂だったのだがどういうことだろうか?
そんな会場中の困惑をよそに、バルクス殿下はなおも話を続ける。
「そのご令嬢とは…、ミルハワード侯爵家の長女、アシュリシア嬢です!!」
ババーン!!と効果音が聞こえそうなほど声高に私の名が呼ばれた。
プチパニックのような状態になって周りを見渡せば、他の貴族たちも、はぁ?というような表情をしている。
「は?」
地を這うような恐ろしく低い声が後ろから聞こえたのと同時に、学園のダンスホールは一気に吹雪に包まれた。
比喩表現ではなく、本当に。
強く冷たい風が吹き、それに乗った硬い氷の礫が頬を殴りつける。
「ジストル、ジストル!落ち着け!」
必死にキルシュ殿下がジスト様に呼びかけるけれど、その声は届いていないのか吹雪は勢いを増すばかり。
私は怖くなって、思わず自分の上半身を抱きしめたままのジスト様の腕を反射的に握ってしまった。
その途端、吹雪は収まり、ホールの中は落ち着いた白銀の世界になった。
「…ジスト、様?」
「ごめんね、アシュリシア。怖がらせたね」
そうして私を抱きしめながら笑う彼は、その容姿も相まってこの場の支配者のような雰囲気を醸し出している。
彼が私をアシュリシアと呼ぶときは、感情が大きく揺れているときだけだと言うことをこの2年間で知っていた。
なんだか嫌な予感がする。
「少しだけ、眠っていてくれる?」
有無を言わせない口調で聞いてきたジスト様は、当然、私の返答などを求めているわけではなく、その手のひらに彼の瞳と同じ色の魔法陣を展開して、私の額に押し付けようとしてきた。
とっさにその陣を読み解いて見れば、ジスト様は発言の通りのただ眠らせることを目的とした陣を描いていた。
私はすぐに自分の魔力を手に載せてジスト様の手のひらと自身のそれを合わせる。
ジスト様の手のひらはいつも以上に冷たくて、思わず手を離してしまいそうになるがなんとか堪えた。
合わせた手のひらから淡い金の光が一瞬漏れたあとは、双方手のひらには何も残っていなかった。
「アシュリシア?どういうつもり?」
若干の怒りを含んだ声が私の耳に吹き込まれた。
そのような負の感情を彼から向けられるのは初めてでとても怖かったが、それと同時にここで引いてはいけないとも思った。
ここで引いてしまえばきっと、ジスト様は何かあるたびに私から都合の悪いものを隠すようになるだろう。
「…ジスト様こそ、何をそんなに怒っていらっしゃるんです?」
「何を、ねぇ。そんなの一つしか無いよ。能無しが僕の大切なアシュリシアと婚約する?寝言は寝て言ってほしいね。…アシュリシアもそう思うでしょう?」
ゾッとするほど凄絶な笑みを浮かべて私を見つめるジスト様に、私は背筋にゾクッとしたものが走る感覚がした。
「ねえ、キルシュ。バルクス、殺してもいい?いいよね?」
「良いわけないでしょ!」
ジスト様に声をかけられてようやく立ち直ったキルシュ殿下が被せ気味に答える。
「でも、あんな能無しこの国に残しておいても大して役に立たないよ?」
「それでも、だよ。
アレでも一応王族なんだ、俺はたかだかアイツごときのために有能な自分の側近を失くしたくない」
キルシュ殿下の訴えが効いたのだろうか、ジスト様はやれやれといったように会場を白く染め上げていた雪と氷をきれいに消し去った。器用にもバルクス殿下の周りだけは残して。
「アシュリシア、今から僕がバルクスにすることを君には絶対に見てほしくない。だから、もう一度お願いするね?ほんの少しの間だけでいいから、大人しく眠って?」
まるで幼子を宥めて言うことを聞かせるような言い方に無性に腹が立って仕方がなかったから間髪入れずに返してやった。
「嫌です!」
と。それから、今身の内で渦巻いている感情をそのまま勢いで彼にぶつけてしまった。
「私は、今からジスト様がバルクス殿下に何をするのか見る権利があると思います!たとえあなたがどんなことをするにしてもこの目で見る権利が!!」
今も体から冷気を放っているジスト様の様子を見れば、彼が何をバルクス殿下にしようとしているのか、具体的には分からずともかなり酷いことをするのだろうということは察せる。
「でも、震えているよ?アシュリシア。
僕はもう君を怖がらせたくはないし、それに何より今から僕がアイツにすることを君が見て、僕から離れていってしまうのではないかと思うと僕も怖い。
無理して見る必要は無いし、見てほしくない。それでも君は見たい?」
話しながら段々と悲痛になっていくジスト様の声に、その言葉が彼の本心であることが伺えたが、ここで引くわけにはいかない。
私はジスト様の目をしっかりと見据えて答えた。
「はい」
と。
ジスト様は勿論、私がそう答えることを分かっていたはずだ。
それでも、私が断るという選択をするかもしれないという彼にとっての希望のようなものは私によって打ち砕かれた。
ジスト様は一瞬悲しそうな顔をされたあと、
「分かった。じゃあちゃんと、一瞬たりとも目を離さずに見ててね」
と言って、次の瞬間表情を引き締めた。
___
コツ、コツ、と靴音がダンスホールの中に木霊する。
今、この場には私とジスト様、キルシュ殿下、そしてバルクス殿下しかいない。
先程の吹雪騒ぎのせいでパニックに陥った貴族たちをキルシュ殿下が王族らしい膨大な魔力をもってして眠らせ少しだけ記憶の改変をしたあと、それぞれの家に転送したのだ。
「記憶の改変に関しては口を閉じていてね、アシュリシア嬢?」
キルシュ殿下にそう言われ、ジスト様に向けていた思考が一瞬だけ殿下に向かう。
しかしそれすらも許さないとばかりに、靴音が一層高く響いた。
「勿論です」
それだけ返し、また自分の感覚すべてをジスト様の方へ向けた。
ジスト様がバルクス殿下のもとに着いたとき、バルクス殿下はまるで屍のようになっていた。
ずっと周りを氷塊に囲まれていたため寒さでそうなってしまったのだろう。
その様子を見たジスト様は、めんどくさそうにため息をつくと言った。
「スイメイ、来い」
ジスト様の声がダンスホールに落ち、あたりが霧に包まれたと認識する間も無く、すぐに霧は晴れた。
そして、ジスト様の傍らには白銀の鱗にサファイアのような瞳を持つ、大層美しい竜がいた。
「スイメイ、人が死なない程度の熱湯をこいつにぶっかけて」
ジスト様が命じれば、そのとおりに竜は動いた。
バルクス殿下の頭上にモクモクと湯気を立ち上らせる水球を作り出して言われたとおりにぶっかけた。
その衝撃からかバルクス殿下の意識が戻ったようで、殿下はあたりをキョロキョロと見回すと目の前にいるジスト様と竜に声にならない悲鳴を上げ、思わずといった様子でこちらに助けを求めるように手を伸ばした。
勿論、それを見逃すジスト様ではない。
彼は無表情のまま自身の手に氷の剣を作り出すと、こちらに伸ばされた手を躊躇なく切り落とす。
流石にこれには耐えきれず、バルクス殿下の口から悲痛な叫び声が飛び出した。
「うるさいなぁ」
そう言ったジスト様が緩慢に手を振ると、バルクス殿下の顔は水に覆われた。
今度は息ができずにもがく殿下をしばらく虫を見るような目で見下ろしていたジスト様だったが、徐に顔を覆っていた水を消した。
そして、仮にも王子であるバルクス殿下の前髪を掴んで顔を上げさせると、ジスト様は殿下に一つ質問をした。
「ねえ、何で僕のアシュリシアをお前なんかの婚約者にするなんてほざいたの?」
何の感情もこもっていない、ただひたすらに無機質な声は、同じ空間内でただ聞いているだけの私や、キルシュ殿下でさえ体の芯から震えが襲ってくるほど恐ろしいのだから、それを向けられているバルクス殿下の恐怖は計り知れない。
「早く答えてよ。時間がもったいない」
恐怖に震えるバルクス殿下に、このままでは埒が明かないと判断したのか、ジスト様は氷の剣でもう一度殿下を切りつけた。
その痛みでのたうち回る殿下を彼は竜に押さえつけさせ、その首元に冷たい刃を当てた。
次、答えなければ殺すという明確な意思表示だ。
「早くしてくれる?」
ジスト様が刃を一層強く押し付けたためバルクス殿下の首元から一筋の血が流れ出してきた。
バルクス殿下は首筋から滴る血を見て、一瞬声にならない慟哭を上げたかと思うと先程とは打って変わって一気に話しだした。
「アシュリシアに一目惚れしたんだ!この世で最もきれいな女だと思った。俺の隣に立つのが相応しいって。でも、何度訴えても父上も母上も納得しなかった!血が近すぎるとか、アシュリシアには婚約者がとか、俺とアシュリシアが結婚できない理由はこのふたつしかない!」
いや、2つもあれば十分では?という問いは心のなかに隠しておくことにする。
「それに、俺たちは愛し合ってる!アシュリシアはいつも夜会で会うと俺に微笑んでくれる!それは、アシュリシアも俺を愛してるってことだろ!?愛し合ってる男女が…」
「はあ、もういい。聞いてるだけ無駄だ。
さっきから黙ってれば、アシュリシアがお前のことが好き?愛し合ってる?そんなわけ無いだろ?
いい?アシュリシアは僕の婚約者だよ?だからお前のことを好きなるはずも、お前と愛し合う余地もない。だからお前にアシュリシアの名を呼ぶ権利はないよ。
あともう一つ。お前は救いようのないバカだね。国王陛下と王妃殿下の説明をよく聞かなかったの?お前とキルシュ、アシュリシアは再従兄に当たる。
この国の法律で決まっている。親族とは結婚してはならない、と。再従兄弟は6親等、つまり親族に含まれるからお前とは結婚できないとしっかり伝えてくれていたはずなんだけどなぁ」
ジスト様が言っていることは勿論本当のことだ。
この国は法治国家であるため、いくら王族であっても法律をくつがえすことはできない。
「でもッ!!」
この状況下でなおも言い募るバルクス殿下に、ジスト様は心底鬱陶しいとでも言うかのようなため息をつくと、キルシュ殿下に向き直った。
「キルシュ、もう我慢の限界。やっぱりこいつ殺してもいいよね?」
「駄目だってば!?ジストル、落ち着いてよ!ああもう、ジストルになんか言ってあげて!?」
「えっ…と、ジスト様?」
「なあに、アシュリシア?」
急に話を振られてビックリしながらも、キルシュ殿下に乞われたとおりジスト様に声をかけた。
ジスト様は砂糖水よりも甘い声で答えてきた。
それが逆に恐ろしい。
「その、バルクス殿下とお話してもよろしいですか?」
私のその言葉は殿下にとっては福音にも聞こえただろう。
勿論、私には彼を助けようなどという気持ちは微塵も無いが。
私の問いにジスト様は不機嫌そうにしたものの、話すことを許してくれたようで殿下の前からどいた。
ご丁寧に殿下の後ろに回って首筋に刃を当てたまま。
殿下が助けを乞うよな言葉を発すれば、即座に斬り殺すつもりなのだろう。
「バルクス殿下、はっきり申し上げさせていただきますと私は貴方に好意を抱いたことなど一瞬たりともございません。
貴方は、夜会の際私が貴方に微笑みかけたとおっしゃいましたがそれは不敬罪に当たることですのでできるはずもありません。一体どこからそのような妄想が生まれたのでしょう?」
殿下が返答しようとしてその首に氷の刃が食い込む。
「ジスト様」と名を呼べば渋々といった風に刃を離してくれた。
これでようやくバルクス殿下の言葉を聞ける。
「しかし、アシュリシア!おま、君は僕のことを…」
私のことをお前と呼ぼうとした瞬間、再び押し当てられた冷たい感触に殿下は慌てて言い直した。
「先程も申し上げましたとおり、ほんの一時も貴方を想ったことなどありません。
それに、直接お言葉を交わすのは今日が初めてではありませんか?」
「それは君が恥ずかしがって…」
「僕とは話せるのに、君とは話せないなんてそんなおかしな話は無いよ、バルクス」
堂々巡りしそうな私とバルクス殿下の会話を見かねたのかキルシュ殿下が助け舟を出してくれた。
流石に実の兄であり、この場で最も高い地位にいるキルシュ殿下に言われてしまえば為す術もない。
バルクス殿下はまだ納得できていない様子だったが後ろにいるジスト様が怖いのか、もう何も言わなかった。
____
それから数日後私はジスト様の家、ヴァダーフェン家を訪ねていた。
その後バルクス殿下はどうなったのかを聞くためだ。
「いらっしゃい、アシュリー」
ジスト様はいつもどおりの柔和な笑みで私を迎え入れてくれた。
「急に来てしまってごめんなさい、ジスト様」
「アシュリーなら大歓迎だよ。ガゼボにお茶を用意させているからそこで話そうか」
そう言ってジスト様は中庭のガゼボまでエスコートしてくれた。
ヴァダーフェン家の中庭は、広さこそ王宮には劣ってしまっているものの、咲いている花の美しさや珍しさは遜色ないほどで、私はここが大好きだった。
まだ3月だというのに中庭は多くの花が咲き乱れていた。
その中にあるひときわ大きな木が、薄桃色の花びらを抜けるように青い空へと舞わせていてとても美しい。
「ジスト様、あの木は去年まではありませんでしたよね?何という木なのですか?」
「ああ、アレね。アレは桜っていうんだ。実は僕が品種改良したものでね。
僕、今よりずっと昔に東の果ての国にいたことがあって、そこにあの木があったんだよ。すごく綺麗だったからどうしても忘れられなくて、似たような木を探して庭師と一緒に再現したんだ。
最近やっと上手く育ってくれたから、父の許可をもらって植え替えたんだよ」
「そうなのですね!サクラ、とってもキレイ!私もその国に行ってみたいです!」
「僕も行きたいのはやまやまなんだけど、その国はもうこの世界には無いんだ」
遠い目で昔を懐かしむかのように虚空を見上げたあと、困ったように眉尻を下げて微笑んだジスト様は「ごめんね」と謝った。
「何が、ですか?」
「卒業パーティーのこと。アシュリーを怖がらせたし、何より僕の本性と言うか、なんて言ったらいいんだろう、二面性?を見せてしまったし…」
「人は誰しも誰にも知られたくないものを持っているものです…。私はジスト様のそれを無理やり見たのですから、謝るのは私のほうです!」
この気持ちは伝わるだろうか?
ジスト様が私に必死に隠そうとしていた事を彼のことを考えず見たいからという理由で踏みにじったことへの後悔が。
ジスト様はしきりに私を怖がらせたと言うけれど、今私が怖いのは、彼から別れを告げられることだということが。
必死に言い募る私の頭に、そっとジスト様の冷たい手のひらが載せられた。
「アシュリー、こんな僕だけど、これからも一緒に人生を歩んでくれる?」
「はい...!ジスト様がお許しくださるなら私は貴方の側にずっといたいです!」
「ありがとう」
ジスト様はそう言って、昔よくしてくれていたように優しく頭を撫でてくれた。
___
それから、ジスト様からバルクス殿下がどうなったかを聞いた。
彼曰く、正式な発表は後日されるけれど、バルクス殿下は王位継承権を剥奪されたという。
また、殿下の婚約者であらせられた隣国の王女殿下は実は隣国に想い人がいたようで、婚約の解消については、こちらに完全に非があるため誠意を示す形で違約金などを支払いはしたが、特に問題なく行われた。
これから国家間の問題に発展するようなことも無いだろう、というのが彼の見解だ。
「そうだ、アシュリーにはまだ説明してなかったことがあったんだっけ」
殿下のお話が終わったあと、二人でまったりお茶を飲んでいるときにジスト様が唐突にそう言った。
「スイメイ、来て」
彼が虚空に言葉を投げると、あたりが一瞬きりに包まれ、霧が晴れたときにはあのダンスホールでみた、白鱗碧眼の竜がいた。
「彼、いや彼女?まあどっちでもいいか。
この竜はスイメイ。水に明かすと書いて水明だ。
とても透き通った水っていう意味の言葉で、ぴったりだと思ったから名前をつけさせてもらったんだよ」
彼は空中に水で見慣れない文字を書いて、「これは漢字といって、桜を見た国の文字なんだ」と笑った。
「水明は我がヴァダーフェン家に宿る水の魔力の化身で、要は守護神みたいなものだね。
前にも言ったと思うんだけど、僕はこの家で歴代最も強い水の魔力を持ってる。それは水明に気に入られてるからなんだ」
「そうだったのですね。あの、スイメイ様に触れてみてもよろしいですか?」
ジスト様にそう聞くと、彼はスイメイ様に目配せをする。
するとスイメイ様は心得たとばかりに首を屈めて、私の手が届く位置まで頭を下げてくれた。
「失礼します」と断りをいれてから白銀色のなめらかな鱗を撫でさせてもらう。
よく研がれたナイフを触っているような感覚を覚えてそっと手を離すと、スイメイ様はもっととでもいうかのように、私の手に頭を擦り付けてきた。
まるで猫のようで可愛らしい。
「水明もアシュリーを気に入ったみたいだね」
さも当然という風に言うジスト様に私は小さく笑った。
___
穏やかな時間はあっという間に過ぎてしまって、絵の具を塗り込めたかのように青かった空はもう茜色に染まっている。
「ジスト様、私そろそろお暇いたしますね」
名残惜しいけれど仕方ない。
「そっか、もうこんな時間か…。もう少しアシュリーと一緒にいたいけど、しょうがないね。家まで送らせて?」
「はい。お願いします」
ジスト様も離れたくないと思ってくれただろうか?
馬車の準備が整い、乗り込んでからは私もジスト様も一言も言葉を発さなかった。
馬車が侯爵邸に着いた。
「わざわざ送ってくださりありがとうございました、ジスト様」
馬車から降りて彼にお礼を伝える。
屋敷の中からエルネが出てきて、私を出迎えてくれた。
「どういたしまして。あ、アシュリー、ちょっとこっちに」
そう言われて、馬車から降りてきたジスト様に近寄ると、不意に唇に何か柔らかいものが当たった。
それが彼の唇だったということに気づいたときにはもう、それは離れていて、目の前にはいつかのように意地悪な笑みを浮かべたジスト様がいた。
「じゃあまたね。アシュリー。次会えるのを楽しみにしてるよ」
ジスト様はそう言い残して帰っていってしまった。
私の顔が夕暮れに染まる空よりも赤かったことは言うまでもないだろう。
その後〜
アシュリシアがジストレインにキスされるのをバッチリ目の前で目撃したエルネ。
その事実は風のごとく侯爵家の使用人たちの間を駆け巡り、アシュリシアはその日のから学園に入学して寮に入るまでの二週間を使用人たちの生暖かい目がある中で生活しなければならなかった。
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