宝石と、最後の愛を
伯爵家の令嬢であるリーリエ・オブセンタールは、学園卒業後に法務局へと就職が決まり、一介の下っ端から日々研鑽を積む毎日である。
現在彼女が配属されているのは、法務局でも平民向けの裁判を受け持つ部署。
幾つかに区分けされた部屋の一つに、大体6人程度ずつ配属されている。部屋の真ん中に6等分された島型の執務机がドーンと置いてあり、その中の一番出入り口に近い席が、リーリエの聖域だ。
「はいはーい、リリーちゃんおはよー。今日は新規案件1つ、別件の頼まれ契約書作成が3件。頼まれた資料はデスクの横の箱。新規案件の資料はデスクの白ファイルね。特に面談、会議はなし。以上、今日もよろしくぅ」
「はい、ありがとうございます。宜しくお願いします」
怒涛の勢いで話しかけてきたのは、リーリエが配属された部署専属の秘書官、マディソンだ。
出るところが程よく出て、引き締まるところはキュキュっと引き締まる、お色気たっぷりな彼女は、物凄く優秀で有能である。
見た目に反して体術が得意で、不埒者は関節を瞬時にきめて、うっそり微笑んでお引き取りいただくのが常であり、そんな彼女が嫌うものは残業、最も憎むのがサービス残業である。
デスクの横のフックへカバンを吊るして、持っていた上着を出入り口のコート掛けにかけると、リーリエは座りながら白いファイルへと手を伸ばし、本日も分厚い最新版王国法全書片手に、仕事の山に手をつけた。
そんな難しくも楽しい法の世界に、どっぷりと浸っていたリーリエだったが、寮に戻ると珍しく寮母さんから手紙を手渡された。
「えーっと……」
寮に届くなんて珍しいなと、差出人を見ると、公爵令嬢であるジョゼフィーヌからであった。
ジョゼフィーヌとは、学園時代にリーリエが関わった集団婚約破棄・解消事件(?)以来、友人として偶に顔を合わせる、身分差を超えた気安い間柄である。
そんな彼女であれば、個人宛に手紙を送る事もさもありなんと納得して、割り当てられた部屋へと入っていった。
****
「ジョゼフィーヌ様、益々美しさに磨きがかかっておいでのようで、何よりでございます」
リーリエは少々眩しそうに目を細めながら、向かいに座る輝かんばかりのジョゼフィーヌを見つめた。
「あら、リリーもその様なお世辞を?」
「本心です」
「うふふ、相手も変われば気分も変わって、磨くにも力が入るというものよね」
「ああ、新しい婚約者様はとても実直と優秀さで評判の方らしいですね」
「ええ。とぉっても可愛らしい殿方よ」
「可愛らしい……ですか。何よりでございますね」
閉じた扇に指先をつつっと這わせながら、頬を赤らめて微笑む姿はとても妖艶で、リーリエは追加攻撃を防ぐためにお茶へと手をつけた。
「それで、“困った事”とは?」
「それなのだけど。ミラルダ経由で紹介された商会があるのだけれど、そこが今困ったことになっていてね。私が入るわけにもいかないし、かと言って放って置いて揉め事が大きくなるのも……微妙な内容なのよ」
ジョゼフィーヌの言う「困った事」は、とある宝石の所有権についてだそうだ。
まず、美術品や宝石を取り扱う商家の女性が、二週間ほど前に亡くなった。
彼女に夫はなく、付き合っていた男性がいた。
彼女の財産は、親族である兄弟へと相続する筈だったのだが、その中の一つの宝石だけ、その男性が彼女の死後持ち去ってしまった。
親族は返還を求め、男性はこれを拒否。
『これは彼女と僕との愛の思い出であり証である。彼女は僕に持っていて欲しいと言っていたのだ』
と、彼は主張している ─ と。
リーリエは、「火事場泥棒か」と頭の中で考えたのだが、それでは「困ったこと」になり得ないなと、その考えを傍に置いた。
「── 成程。何らかの理由で、騒ぎ立てずに話し合いで終われるものなら終わりたいと」
「そうなの。どちらも経営している商会はとても良いところだし、変な醜聞をつけて力を落として欲しく無いのよ」
物憂げな表情で語ったジョゼフィーヌは、胸元で揺れる美しいブルーサファイアのネックレスを指先でそっと触れた。
きっとそのネックレスは、その商会で購入したのだろう。
普段使いに適した大きさだが、精緻な技術で紡がれた金の鎖と宝石を一層彩る装飾。あまり見た事のない複雑なカットの宝石は、公爵家の令嬢が持つに相応しい逸品である。
「“お話し合い”で終われるか、今の時点では分かりません。何ができるか分かりませんが、まず当事者からお話を伺いましょうか」
「感謝するわリリー。貴女ならそう言ってくれると思っていたわ!話は通しておくからお願いねっ」
この分では、既になんらかの話が通っているんだろうなと、公爵家謹製サンドイッチを摘みつつ遠い目をしたリーリエであった。
***
休日。リーリエは亡くなった女性が住んでいた屋敷へと訪れていた。
故人の名はハイディア・ヘザルース。宝石商を営んでいた商会に美術部門を立ち上げ、買い付けや輸入売買で、国内での地位を一気に押し上げ、確固たる地位を確立した女性であったようだ。
亡くなった現在は遺族に問題なく引き継がれている。
「此方でございます」
恰幅のいいメイドに先導されて通された屋敷は、とても立派で大きかった。
美術品を取り扱うだけあり、建物も白と黒のコントラストを生かした、モダンな印象を受ける。しかし内装は渋みのある木を使っていて温かみがあり、なんとも言えぬ落ち着きを感じさせた。
「これは……凄いですね」
「そうでございましょう。全て主人であったハイディア様が目をつけて、取り寄せた逸品でございます」
その内装のあちこちに、絵画やオブジェが飾られてあり、まるで変わった趣のある美術館の様だった。
「お屋敷はまだどうなるかは伺っておりませんが、美術品は全て商会で預かり、思い入れのあるものだけを残すと聞いております」
「そうですか……ところで、持ち去られた物は、何処にあったのか伺っても?」
「はい、此方でございます」
それは鳩尾ほどまでの高さで、最上部だけがガラス張りとなっている3段チェストであった。
ガラスの上から覗けば、黒いビロード生地で下部分を覆っているが、左右の宝石の真ん中部分だけがぽっかりと穴が空いたように空白となっていた。どうやら件の宝石は、ここに展示されていたようだ。
左右の宝石はとても大粒のダイヤやサファイアが使われており、これらもとても高価であることがわかる。
「証……ねぇ」
「なにか?」
「あ、いいえ。彼女が何か書いたものなどは残されておりませんでしたか?」
リーリエの質問に、メイドは少し考えてから口を開く。
「主人は日記の類は付けない方でした。走り書きのメモや、手紙はよく書きましたけれど。今は手元にありません。仕事の指示が大半でしたので、済みましたら都度捨てていましたから」
そう言ったメイドは、在りし日の主人を思い出したのか、悲しげに微笑んだ。
「そうですか。お付き合いされていた男性との仲は、良好だったのですか?」
「ええ、それはもう!ですが……」
「そうですか……」
エプロンの裾で目尻を抑えたメイドは、「どうぞご鑑賞ください」といって壁際に下がっていった。
仲が良かった恋人。
慌ただしく使用人が右往左往する中、愕然とした面持ちで突然訪問した彼は、少し使用人が目を離した隙に、飾ってあった宝石を手にして使用人が止める間も無く去っていったらしいと、ジョゼフィーヌが言っていたのを、思い出していたリーリエは、そのチェストの前で佇んだまま、ぽっかりと空いた空間を見つめた。
「その時じゃなきゃダメだったのかしらね」
ポツリと呟いたリーリエの言葉は、壁際の彼女には届かなかった。
***
次に訪れたのは、お付き合いしていた彼である、ジェイコブ・ハイアット。
彼は隣国を挟んだ先の国を本拠地として絹や綿、毛織物といったあらゆる織物だけでなく、紡績も扱う大商会の会長であった。
通された場所は、この国の王都にある小ぶりなタウンハウス。
小じんまりとしているが、内装はそこいらの下手な貴族よりも豪華で整っていた。
「お辛い時に申し訳ございません」
「──いえ、ハイディアに関わることですから」
通された先で、明らかに憔悴したと分かるジェイコブは、少し乱れた亜麻色の髪を手櫛でぐいっと直すと、応接室の向かいのソファーへとリーリエを促した。
「あの、こんな時に申し訳ございません。故ハイディア・ヘザルース氏の所持していた宝石についてなのですが」
「ええ、私も動転していたとはいえ、あの時に持ち出してしまったのはいけなかったかもしれません。しかし、生前ずっと言っていたんです。『これは私たちの証よ』と……だからっ」
「何か彼女の筆で、寄贈する旨を示したものなどは」
「……いいえ、ありません。ですが、もし不都合ならこれを言い値で買い取ってもいい!ちゃんと鑑定士を入れて、その上で何倍になろうとも払いましょう、だからこれだけは……これだけはっ彼女のこれだけは手放せないんです」
そう言って抱えていたケースをグッと抱き込むようにしたジェイコブは、とても苦しげで、有無を言わさず取り上げて「ハイ終わり」にはできそうになかった。
「そうですか。では、この案件をできるだけ穏便に進めようと思いますので、それまで出国なさらず、なるべくこの王都にいてくださいますか?」
「ああ、頼む」
「念のため、場合によっては購入意思ありと一筆頂いても?」
「勿論だ」
なんとか早急に、穏便に済ませるように動くことを決めたリーリエはまた二通の手紙を認めると、法務局の自分の寮へと帰るのだった。
***
翌日、早めに仕事を終わらせたリーリエは、ハイディアの実家へと赴いた。
そこそこ大きい屋敷には、手紙でお伺いを立てたおかげか、彼女の兄弟、甥姪が揃っていた。
「ご足労をお掛けして……」
黒一色を着た家族は、悲しみの最中にいて、その表情は一様に暗い。
「いえ、この度はご愁傷様でございました」
深々と礼をすれば、慌てたように手を振られ、「どうぞこちらへ」と応接室へと通される。
「そういや私、貴族でした」と内心で呟きながら、リーリエは一人頬を掻きながら後に続く。
「──っということで、まずあちら側は持ち出したものを、思い出の品として手元におきたいそうでして。その為に費用が発生するならいくらでも払うと……」
「なっ!馬鹿にしないでいただきたい!金の問題じゃないんですっ!あれは姉さんの大事にしていた物の一つでっ」
「落ち着きなさいディクソン。すみません、弟は特に慕っていたもので……」
「いいえ父さん、叔父様の言う通りよ。何を言われようとも叔母さまの品を渡す気はないわっ」
弟、兄、姪の順に話し出すのを見て、リーリエは自分の話し方の未熟さに少々凹んでしまった。
「いえ、言い方が悪かったようで申し訳ございません。ハイアット氏にとっても大切な方でしたので、亡くされてとても憔悴して居られまして……。縋るものを、一つでも手元に置きたいというお気持ちのようでした。決して金にものを言わすとか、そういうものでは無いと私は感じましたが」
「……しかし」
「同じ大切な方を亡くされた者同士。一度代表を決めてお話し合いなさるのをお勧めいたします」
再度頭を下げたリーリエに、皆思うところがあるようで、微妙な雰囲気のまま渋々了承を返した。
家族の意思を聞き取り、ジェイコブ側の意思を伝えた後、リーリエが向かったのは最後に看取られた市井の病院であった。
担当医師に話を聞くと、彼女は発見が遅く、転移の早い腫瘍を患っていたのだと言う。
「体調不良を申告されましたが、来られた時にはあちこちに腫瘍がございました。診察の結果、余命よくて半年程と診断しました……」
「えっ?でも入院は最後の二週間と」
「強い薬で誤魔化されて、入院は出来るだけ拒否と言われておりました。延命は出来ないのでしょうと言われてしまい」
「……それは、なんとも…。最初の診察はいつ頃でしょうか?」
「ええと」
そう言って担当だった医師は、ファイルを捲り、日付を確認してくれた。
「丁度六ヶ月前ですね」
リーリエは、医師の言葉に愕然とした。
なんと言うことだろう。そんなに前から彼女は死を見据えていたのだ。
あまりにスムーズな商会の引き継ぎ。揃いすぎた資料はそう言うことだったのだと、リーリエは納得した。
通常どんなに仲が良くても、亡くなった後は多少揉めたり手間取るものである。まだ亡くなって時間が経っていないにも関わらず、遺族が皆顔を揃えて迎えたということは……
「予め揉める事のない様に、全て用意されてい…た」
ではなぜ?と考えてリーリエは考え込む。
ふと目の前を通る人が目に入り、「あの」と咄嗟に声をかけ、それから方々へ駆けずり回ることとなるのであった。
****
そうして二週間後。
手紙で双方へやりとりしながら
リーリエの休日に合わせて話し合いの場は設けられた。
場所は公爵家が王都に持つ、プライベートサロン。普段はご夫人方のお茶会や、会談、演奏会と言った用途に使われる建物である。
真っ白な建物の一室に長いテーブルが設置され、リーリエは一番奥に。そしてリーリエから見て右側にご遺族、左側にジェイコブが座った。
「では、ご遺族側からからどうぞ」
「私はハイディアの兄、マーベルクと、弟のディクソンです。やはりどうあっても妹の所持していた品は、お返しいただきたい。もし遺品をと言うなら、此方側の全ての手続きが終わってから交渉すべきでしょう」
まぁ、もっともな言い分だな。とリーリエは心の中で頷いてしまう。
通常の流れでは、遺産相続後に喪が明けてから遺品の形見分けをするものなのだ。
「それは申し訳ない。ですが、何一つ手元に……縋れる物が、彼女を偲ぶ物がどうしても欲しかったのですっ。私は彼女とずっとこれからを共にできると……!」
「じゃぁなんであの時別れたんだよ!あんたが姉さんを振ったんだろ?!復縁したからって調子に乗ってんじゃねぇっ!!」
「ディック!黙れ!落ち着くんだっ」
「だって兄さん……!」
激昂した弟、ディクソンをマーベルクが肩を掴んで押さえ込んだ。
いくら内々の話し合いとはいえ、相手も大きな商会の会長だ。マーベルクは感情を呑み込み、弟を制してみせたのだ。
「えー、それについて行き違いがありますので、私から説明いたします」
「……行き違い、ですか?」
緊迫する空気をあえて切り裂く様に、リーリエは手を小さく挙げて口を挟んだ。
なんだかデジャブ…?と内心で首を傾げつつ、リーリエは少し落ち着いたことを確認すると、コホンっと咳払いをして口を開いた。
「まず、ハイディア氏とハイアット氏は確かに過去…10代後半の頃お付き合いをされておりました。
それは彼女が、新たに商会の美術部門を立ち上げる少し前の事でした」
「そうだ」と遺族側は訝しむ顔で頷く。
「他国を拠点とする商会の跡取りとして、ハイアット氏はこの国の流通も学びに来ていました。二人は商家や低位貴族の集まる夜会で
出会い、意気投合し付き合う事に。
しかし、順調だったのはハイアット氏が本拠地である国へ戻られるまででした。
ハイアット氏は、ご実家の帰還命令に際し、気持ちを固めてハイディア氏にプロポーズをされました」
「は……?!」
「しかし、ハイディア氏は断られたのです。『今、私が抜けるわけにいかない』と」
ですよね?とリーリエが水を向けると、ジェイコブは悲しみと懐かしさを滲ませた瞳を伏せ、こっくりと頷いた。
「彼女は美術部門の立ち上げに、生き生きと走り回っていました。私は、私の知るアトリエを紹介したり、彼女の見つけてきた画家の絵を見せてもらったり……生命力あふれる彼女を心から愛していました。
わかっていたんですが……あの時お互い全てを捨てられないことは。しかし、言わずにはいられなかった。だから、『ずっと君だけだ。いつかまた会ったらその時は』……そう言ってその時は彼女と別れました」
「そんな……だって姉さんは、あんなに泣いて『別れた』って……だから……」
「ええ、そうでしょう。振られたのではなく、お互い致し方なく別れを選択した。という事です。その頃ディクソンさんはまだ幼かったので、思い違いをしてしまったのかもしれませんね」
ディクソンは、その頃を思い出しているのか、呆然とした面持ちで、椅子へと座り込んだ。
「そして十年の時を経て、お互い30代後半となり、独身を貫いていた二人はようやく一年程前に再会しました。そして再度交際したのですが……」
「…ハイディアは病魔に侵されて…」
マーベルクは口元を片手で押さえて、その事実に驚きを隠せないでいた。
「私が臆病だったんだ!彼女しかいないと思っていたくせに、離れていた間に変わってしまっていたらと、こちらへ来ることに躊躇ってばかりでっ!付き合う中で確かめようなどと……彼女はいつだって、あの頃と変わらず想っていてくれていたのに……!」
そう言って人目も憚らず、涙を流すジェイコブは、硬く拳を握りしめて俯き、肩を震わせた。
「ハイディアは今まで結婚話を、頑として受けませんでした。貴方を想っていたからなんですね」
「俺は何て勘違いを……すみません」
「私は彼女の事情も何も知らずに、順調に付き合えたことに喜んで、もう一度プロポーズするつもりで…しかし隣国で抜けられない商談へ赴いたんです。すぐに帰る予定で。戻ると……彼女はもう…………」
「なんて事だ」と小さく呟いたのはマーベルクか。彼女の運命を思い、きつく目を閉じて嘆く。
三人共に項垂れて嘆き悲しむ中、リーリエはそろそろかなと窓の外に視線を投げる。
すると、プライベートサロン付きの公爵家使用人が一人近寄り、リーリエの耳元で囁く。
それを聞いたリーリエは、小さく頷いて「お通ししてください」と指示を出した。
間も無くして、美しく装飾された大きな扉が開くと、一人の女性がずかずかと入ってきた。
「間に合ったかしら?リリーちゃん」
「ええ、間に合いました。ありがとうございますマディソンさん」
「良いのよっ相当な無茶振りだったけど、お手当は別途いただくのだし。では、お取り込み中失礼いたしました〜」
法務局秘書官のマディソンは、嵐の様に現れ、リーリエにそこそこ大きめの箱を手渡し、封筒をその上にポンっと乗せると、いつもの営業スマイルを振りまきながら、早々去っていった。
「な、なんなんだ」
涙目のまま呆気に取られた男性三人は、扉が閉じられると、リーリエに物問いたげな視線を向ける。
「失礼いたしました。ちょっと探し物をしておりまして。なかなか見つからなくって、ギリギリになってしまったので直接持ってきてもらいました」
「探し物、ですか?」
「ええ」
リーリエは、箱をテーブルへと置くと、気まずそうに頬を掻いた。そして姿勢を正して改めて続けた。
「ハイディア氏はとても聡明な方でした。それは自身の寿命を知って、商会内で揉めない様に、身内や従業員を指名して引き継ぎ資料をそれぞれ用意するほどに」
「その通りだ」と、マーベルクとディクソンは頷いた。
「遺産相続は、家長である兄マーベルク氏に任せるようにと遺言書もあるとお聞きしました。そんな人が、再会したハイアット氏に何一つ遺品を残さないものかな?と」
「……私が商談で隣国に向かう前に彼女が何度も言っていたのは…」
「ええ、形見分けとしてネックレスがハイアット氏に渡る様に、用意していたのではと。
彼女の屋敷の使用人、医師など近しい方に聞いて回りました」
病院に赴いた時に、疑問を持ったリーリエは、彼女の屋敷のメイドが「日記の類は付けないけど、メモや手紙はちょくちょく書かれる方でした」という話を思い出し、彼女が入院後に何か残していなかったかと聞いて回った。
彼女を担当していた看護師の一人が、「そういえば」と話してくれたのだ。
「入院して二、三日して、ご家族以外が一人来られました。『ご友人ですか?』と尋ねたら、『ええ、彫刻家なの』って」
家族以外で仕事関係で彼女の元へ訪れたのはその一人だけ。入院してから程なくして来られていた事から、王都もしくは王都郊外圏内に住むかアトリエを構える彫刻家に絞り、ヘザルース商会で取引のある所を教えてもらい、片っ端から連絡を取ったのだ。
「数日前やっと連絡がつきまして、先程の女性にお願いして王都の端っこのアトリエまで一走りお願いしました」
「間に合ってよかった」と小さく呟いたリーリエに、三人は目を白黒させて見つめるばかりだ。
そうしてリーリエは箱の蓋を開き、中の物を慎重に取り出すと、机中央へ向けて置いた。
「こ、これは……」
「ふふ、ハイディア氏のアイディアなんでしょう。女性のデコルテ部分を模した石像ですね」
取り出されたそれは、真っ白な石を削って造られた女性の鎖骨辺りから首部分のデコルテを模した、石像であった。
「なんでこんな物を……?」
皆がまじまじと見つめる中、リーリエはジェイコブに向けてお願いをした。
「ハイアット氏、あのネックレスをこれに付けてくださいますか?」
「え?あ、ああ」
ジェイコブは言われるまま鞄の中から細長い箱を取り出すと、中からネックレスを取り出した。そしてリーリエの側まで回ると、恐る恐るその石像にネックレスをつける。
「ぁああ……まるであの日にこれを贈った時のようだ……」
そういうと、またジワリと目尻に涙を溜めたジェイコブは、石像に触れて思いを馳せる。
「姉はどうしてこれを……?」
その光景を見つめて呟いたディクソンに、リーリエは「恐らくですが」と自身の推測を口にする。
「思い出を立体的に、美しく飾って置いて欲しかったのではないでしょうか。いつか持ち歩くことがなくなっても、ここにネックレスを飾って、部屋の奥深くに眠ることになっても、思い出はずっと此処にあると、示したかったのではないでしょうか」
「ハイディア……」
「彼女の誤算は、急に病状が悪化したことと、全てを準備し切る前に予想より少しだけ早くにこの世を去ってしまった事。最期には手元に届くと予想して、入院されていた病院に配達を頼んでいたようでした。
少し完成を急いでもらい、取りに伺ったのですが。
そしてこれが依頼とともに預かられていた手紙です」
リーリエは封筒の文字を確認すると、ジェイコブへと手渡した。
「ハイディアの字だ……」
じっくりと封筒を眺めたジェイコブは、閉じられていなかった封を開けると中身を取り出して開けた。
「…………っハイディア……!」
また涙を溢れさせたジェイコブは、口元を押さえ、それでも中を読み進めていく。
ぽたりぽたりと落ちる涙を乱暴に拭いながら堪らず床へと膝をついた。
手紙を握りそうになったが、慌てて手の力を抜いたジェイコブだったが、傍の人影に目に入った。
「あの、もし良ければ読ませてもらっても良いだろうか?」
傍まで近寄り、そっと声をかけたマーベルクは、ジェイコブが何とか頷き差し出された手紙を受け取ると、中に目を通した。
「………………あいつらしい」
「兄さん、姉さんはなんて?」
マーベルクは深く息をつくと、手紙をそっと机に置いた。
「思い出のネックレスを、ジェイコブ氏に贈ると。そして彼に病気を告げなかった謝罪と感謝と……最後の愛を」
「姉さん……」
「ハイアットさん、この度は行き違いがあったようです。申し訳ありません。
あのネックレスはハイディアの意思により貴方へお贈り致します。大事にしてやってください」
「はいっ…… こちらこそあんなタイミングで申し訳なかった」
ジェイコブは止められない涙をそのままに、俯きながら返事をした。
リーリエは、これで一件落着かなぁと考えながら、扉を小さく開いて廊下に控えていた使用人へと指示を出す。
少ししてからワゴンを押した使用人が入室し、悲しみに彩られた室内に温かな湯気と香りを振りまいた。
ジェイコブやマーベルク、ディクソンへ椅子を勧めると、テキパキとした手つきで使用人がお茶や焼き菓子をセットしていく。
「まぁ和解……と言うことで。同じ大切な方を想う者同士、思い出話をしては如何でしょうか?それに喉、乾きません?どうぞ」
手早くセットが終わったところで、リーリエが軽くお茶へと誘うと、三人はふっと微笑みお互いの顔を見交わして遠慮なくカップへと手を伸ばす。
それから日が傾くまで、昔話に花を咲かせると、急に始まったお茶会は終わりを告げた。
「では、ぜひまた伺わせていただきます」
「ええ、ハイディアの大事な人だ。いつでも歓迎いたしますよ」
「姉さんの宝物、いっぱい残っているから見に来てください」
お互いスッキリとした笑顔で握手を交わす。
初めの暗く物々しい雰囲気は、もう何処にも感じられない仲の良さだ。
「オブセンタール様、お手間をかけてしまいました。ありがとうございます」
申し訳なさそうにそう言ったジェイコブやマーベルクに、リーリエはにっこりと微笑みを返した。
「仕事の延長線のようなものですので、お気になさらず。直接の感謝はマクガリー公爵令嬢へお願いいたします。場所も手配も全てお借りしてしまいましたので」
その返事に、商会の会長達はフッと微笑み商売人の顔を覗かせた。
「ええ、そう言うことであれば。全力で感謝いたしましょう」
「勿論、私どもも」
そうしてリーリエも握手を交わすと、帰っていく馬車を見送り、息をついた。
***
「リリー、やはり貴女に頼んで正解だったわ」
「いえいえ、そんな事は。誤解を解いただけですよ」
「それが案外難しいことなのよ?」
ニコニコと微笑むジョゼフィーヌに、リーリエは小さく手を振ると、ジョゼフィーヌは呆れたようにため息をこぼす。
「うふふ、ヘザルース商会の稀少な宝石を優先してくれるし、あのハイアット商会の最新生地も手に入るし。ミラルダも喜ぶし。良い事ずくめだわ」
「それは何よりで」
「貴女のドレス『必要な時は是非』ですって」
テーブルに肘をつきながら、にっこりと微笑むジョゼフィーヌ、リーリエは口をつけていた紅茶を吹きそうになり、慌ててカップを置いた。
「え??ドレスなんて全く必要ありませんよ」
すかさず使用人から差し出されたハンカチを受け取って口元を拭うと、リーリエは断りを入れた。
貴族と言っても伯爵家。働く事で家から自立したリーリエにとって籍はあるものの、意識は平民と変わりなく、社交は縁遠い。宮中は制服やローブで十分間に合い、ドレスなど必要性を感じない一品だった。
「あら、それはどうかしらねぇ」
「あの、どういう……?」
「うふふ、さぁ?」
リーリエは知らない。この後とんとん拍子で役職に就き、お生まれになった王子、王女殿下の法についての勉強係になる事も。
マクガリー公爵の後ろ盾を持った、公正かつきっぱりとした物言いをする、お叱り係と名を馳せる事も。
マクガリー公爵の掌にいる、駆け出しの彼女にはまだ。
勢いに乗り続編ではございますがこれのみでお読みいただけるかと思います。楽しんでいただけると幸いです。
前編は最上部シリーズリンクからどうぞ。
誤字報告感想、すごく感謝です!